第046話 ごめんな
「その後、大霊杯は皇族による封印が施され、今も変わらず円環大陸の中心地──エストランティア城地下に眠っておる。メイナをそこに、残したままな」
メイナ・グレイハーツ。時を止め、世界の礎となった少女。
「じ、じゃあメイは……彼女を作った目的っていうのは」
「……誰も、好き好んで大霊杯のエネルギー源にはなってくれない。メイナを取り戻すには、彼女の代替となるエネルギー……それも、人間以外のものが必要じゃ。そして第二輪廻軸人工発生装置、通称『輪廻核』──それこそが、メイナを取り戻すべく作ったエネルギー源。メイナの代わりに大霊杯となる器とするために生み出した、永久機関の実験体。その第五世代検体番号153番──それが、メイという存在じゃ」
「……まったく知らなかった、こんな話」
ゲームなんて、この世界のたった一部を切り取ったに過ぎないのだと知った。
僕は知っている。大霊杯の安置された部屋、その造りを。
実際にブライトを操作して、たどり着いたことだってある。でも、そのすぐ背後に少女を乗せたゆりかごがあるなんて。
鉄の壁を隔てたその向こうに、完全なる未知がある。
「輪廻核は未だ不完全じゃ。魔道具の宿命である、永久機関の制約を脱することはできなかった。つまり、『エネルギーを生み出す装置にエネルギーが必要』という堂々巡りが始まってしまったのじゃ。153回に及ぶ実験と改良の末、最大限までエネルギー効率は上がった。それでもゼロにはできなかった。現行の輪廻核は、一週間に一回程度ゼンマイを廻すという形で外部から生命ネエルギーを補給しなければならない。輪廻核はそのエネルギーを最大増幅し、生命活動を再現する。メイはそれを自分自身で行うことで、エネルギーの自己循環を実現したのじゃ。しかし──大霊杯は、『素体』の機能を凍結させてしまう。エネルギーのループは成立しない」
「だから、メイナを取り戻すには不完全……と」
「そういうことじゃ。完全なる永久機関とするためには、三軸相当のエネルギーを生み出せるようにならなければならないと分かった。つまり、『エネルギーを消費した』という事実を、時を巻き戻すことでなかったことにすることができれば……単一構造での永久機関を実現することができる、はずなのじゃ。分かるかの」
「た、多分……」
なくなったエネルギーを、時を巻き戻すことで補充し続ける永久機関ということか。もはや日本にいた頃の常識は全く通用しない世界だが、博士の目指す理想図は見えてきた。
「今の輪廻核は、一瞬でも三軸相当のエネルギーを生むと負荷に耐えきれず自壊してしまう。壊れたという事実を巻き戻すことは可能じゃが、それで終わってしまうためにエネルギーが生成できないのじゃよ。────剣聖の少女、ルナ君と出会ったのは何年前だったか。三軸についての実験に協力してもらっておる」
実験を続けるために、まずは長命種の生命ネエルギーを解析し、自らを二軸へと押し上げた。その後博士は300年かけて、メイナの代替を探し求め続けた──ということだった。
「わしが永久機関という問題と戦っていた頃……おそらくゾロアも同じく、生命体を蘇らせるという禁忌と戦っていたのじゃろう。道は違えてしまったが、二人とも考えることは同じだったということじゃろうな。黒髪、陰険そうな長身の男──その特徴はわしの知るゾロアと一致する。間違いない、彼もわしと同じく二軸に至り、そして戦い続けている」
僕の知るゾロア・ブラッドロウとは、人の命を命とも思わないような倫理観のズレた異常者だ。しかし、もしそれが、数多の研究の果てに擦り切れて、「人は簡単に死ぬ」という思いに囚われた哀れな研究者だとしたら。
……同情する、とは言わない。僕自身も彼に殺されたことがあるし、奴は敵だ。アトラを攫ったことだって許せない。だが、今の話を聞いて思うところがないと言い切ることもまた、できなかった。
大霊杯。リリーナ・ハーヴェス。メイナ・グレイハーツ。喪失の歴史の上に、この世界がある。ゲームのシナリオが表面しかなぞっていなかったという事実が、「知ったような口を聞いておいて、その実何も理解していなかった」という事実が……深く重く胸にのしかかる。
だが逆に、僕だけが知っている知識もあるように思えた。それはこれから先のこと。大霊杯にまつわる展開……。
(……いや、もはや僕の中の知識はあてにならない、か)
しかし、思考はそこで途切れてしまった。声がかけられたからだ。
「……朝食ができましタ」
まるで事務連絡のように、メイがキッチンから報告してくる。
博士の口ぶりでは、メイに直接この話をしたことはないようだった。確かに、彼女の気持ちを考えてもそれは難しいだろう。一旦、この話は中断するしかない。
やがて特訓をしていたハザマやルナ、ずっと眠っていたらしいミスティも降りてきて、朝食となった。
僕の脳内ではその間、博士の話した真実がぐるぐると回っていた。メイナとメイ。実の娘と、その代わりとなるべく生まれた機械。
だが当のメイはやはり無表情──────
そう思って、ちらりと彼女を盗み見た。
「……メイ?」
「っ、なんですカ?」
明らかにおかしかった。
その瞳に浮かぶのは動揺。皆から離れて虚空を見つめる彼女は、普段の冷静さを欠いていた。心ここに在らず。挙動不審──とまではいかないが、異変が起きているのは間違いなかった。
普段が普段で冷静沈着な彼女だからこそ、この状態の違和感が目立つ。
「まさか……」
僕らの話を聞いていた? いや、僕らが話していた研究室からキッチンまではそれなりの距離がある。ドアも挟むし、例え耳をそばだてていても聞こえない距離のはずだ。まさかメイの耳が常人離れした性能、なんてこともないだろうし。
「ワタシは他にもやることがありますのデ。それでハ」
メイは踵を返して、部屋を出ていった。彼女の思考は、窺い知れない。いや、何を考えているのか分からないのは初めからか……。
「どーしたんですか、エイジさん」
寝癖だらけのぽやぽや少女は間違いなく何も分かっておらず、あどけない表情と寝ぼけ眼を晒している。
「……いや、何でもない」
今は頭の中がいっぱいだった。
メイとメイナのこと。博士のこと。ゾロアのこと。そして何より、アトラのこと。
みんな何かを抱えている。きっとブライト・シュナイダーなら、その一切を解決してみせたのだろうが……僕にそれが、できるだろうか。
ブライト・シュナイダーではなく、安藤影次としての僕に出来ること。
この世界に降り立った者として、この両手が届く範囲だけでもなんとかしたい──そんな思いがあった。
(……強くなろう)
それは、この世界への恩返しだ。
『あなたは間違っていない』『人は、誰でも英雄になれる』
暗い部屋から僕を救ってくれた彼ら。この世界に来てからも、たくさん助けてくれた──だから。
今度は、僕の番だ。
☆★☆
「誰も、気づいていないんですネ……」
メイの自室は、家具という家具もなく、ただ簡素な椅子とテーブル、そしてベッドだけが置かれた部屋で、個性と呼べるものは一つ足りとも存在しなかった。
「…………」
扉にもたれかかり、天井を見上げる機械仕掛けの少女は静かに座り込んだ。
『ん、メイはどうしたんだ?』『さあ。何かやることがあるって言ってましたけど』『エイジ、なんか知ってるか?』『さ、さぁ……』
次々と受信する音声。それは、リアルタイムで行われているリビングでの会話だった。
リビングには、イヤホンが置いてある。メイはその集音性能を遠隔操作し、最大値に設定し直すことができた。その結果、ワイヤレスイヤホンは盗聴器へと様変わりした。
最初は出来心だった。メイの中に生まれた感情、「アンドウエイジを知りたい」と思う気持ち。それが高じて、先ほどの博士とのやり取りを盗み聞くことになってしまった。
それがまさか、自分のことを話しているなんて知らずに。
メイは思いがけず、全てを知ってしまった。
輪廻核の製作目的は、代替となる永久機関を手に入れるためだった。
メイが生まれたのは、メイナのためだった。
なのに、自分はその目的を果たせなかった。現状の性能では、彼女の代替となることはできない。
メイはやはり、不良品だったのだ。
「ワタシの名前の由来、『メイドのメイだ』なんて、嘘じゃないですカ……」
いつか聞いたことがあった。メイという名前に込められた意味を。
博士は、メイドの格好をするからメイなのだと答えた。単純明快で分かりやすい理由に、メイ自身も納得した。それは、合理的でメイにも理解のできる名付け方だったからだ。
でも、そんなのは嘘だ。メイナ・グレイハーツがいて、『メイ』なんて名前を意味もなくつける訳がない。
「なんでワタシに、『メイ』なんて名前をつけたんですカ……?」
博士が自分に何を求めているのか、メイは分からなくなった。
メイはメイナではない。輪廻核は不完全で、彼女の代わりになることはできない。それなのに、博士は自分に「メイナになること」を求めてくる。そうじゃないのだとしても、メイはそう感じてしまう。
博士は、それが途轍もなく残酷なことだと、気がついていないのか。
だって────。
「ワタシは、死んだ娘の代替品なんかじゃなイ…………っ!」
芽生え始めたばかりの自己意識が悲鳴をあげる。
メイは心を理解しない。だからこそ、自分がなぜ辛いのか、なぜ痛いのかすら、分からない。
──メイが起動したのは、今から約五年ほど前だった。
目覚めてまず目に入ったのは、研究室の天井。物が乱雑に積み重なり、荒れ果てた部屋の中心、手術台のようなテーブルの上に寝かせられて、あちこちをケーブルで繋がれた状態だった。
意識を得たその瞬間から、会話などは可能だった。言語機能や一般常識・倫理観といった情報は魂の根底──霊魂階層論で言うところの『無意識領域』にプリインストールされていたからだ。
「…………」
そうして覚醒を果たした自動人形。自分が何者なのかすら分かっていない、そんな様子のメイを見たレイノルドは、何かをじっと堪えるように俯いた。
その時のことを、メイはよく覚えている。記憶領域の最深部、原初の思い出。
その後、静かに抱きしめられて、「……ごめんな」そう謝られたことも。
全てを知った今、その謝罪の意味も見えてきてしまう。
自分で生み出しておいて謝る──そんな勝手なことが許されていいのか? 自意識を与えておいて『未完成』だなんて、そんな残酷なことが許されていいのか?
メイは自分の中に湧き上がってくる衝動の名前を知らなかった。自分でも抑えきれないような、強く、黒い思い。頭の中が沸騰し、煮えたぎる。
それは、一般的に『怒り』と呼ばれる感情だった。
メイの中に生まれていく変化。それは決して、いいものばかりではない。
感情とは必ずしも前向きとは限らない。時には後ろを向き、暗く、鬱屈とした思いを抱くことだってある。
心を強く動かされることに慣れていないメイは、その闇に容易く飲み込まれる。
「ワタシなんて……」
ワタシなんて、作られなければよかった。
「ワタシの存在理由なんて……」
ワタシの存在理由なんて、これっぽっちもなかった。
もう、こんな茶番は終わりにしよう。幸い、簡単に『終われる』場所はおあつらえ向きに用意されている。
何もなかった自分だったけれど、意味を持って終わることができる。それに、自分に心とは何かを教えてくれた彼に対する恩返しにもなる。元より、そのつもりだったのだ。
メイは髪を掻き毟り、膝を抱えた。胸の真ん中のあたりで暴れる痛みに、呼吸が荒くなった。
最後の最後に、誰かの役に立てるなら、それでいいじゃないか。もう苦しいのだ。こんな状態で生きていたって仕方ない。できることなら早く終わらせてくれ、と。
もはや、メイに迷いはなかった。自分に価値はないということは既に証明されている。あとはもう、その時を待つのみ。
「誰か……」
メイ本人も意識はしていなかった。それはきっと本能の叫びだったのだろう。
「誰か、助けテ…………っ」
終わりが近いというのに助けを求める──その矛盾した思考を理解することもまた、メイにはできないのだった。
☆★☆
エイジとハザマ、ルナは特訓のラストスパートに入っていた。残りは二日。時間停止空間も消えて、時は再び進み始めた。
「……」
鬼気迫るエイジとハザマの特訓を横目に、レイノルドは一人デスクに向かっていた。考え事をしたくない時は別のことを考えるのが一番、とばかりにとあるデータの解析をしていた。
しかし、どれだけ頭の隅に追いやっても浮かんできてしまうものがあった。
かつては乱雑に積み重ねられるだけだった研究資料や機械だが、今は綺麗に整頓されている。隅々まで掃除が行き届き、清潔感に溢れた室内を実現している。それをしてくれたのは、全部あの少女だ。
『告▼[向/エイジ]ワタシは、ゾロア・ブラッドロウによるアトラ様との人質交換を受け入れマス』
メイが、自分から何かを言い出すことは珍しかった。基本的に命令に従うことしかしない彼女は、自分の意思というものが薄い。それは非常に機械的で、彼女という存在からすればおかしなことは何もないのだが、今回に限っては簡単に見過ごせるものではなかった。
「メイ…………」
ゾロアの要求する人質交換を、受け入れる。そんなメイの決断が、レイノルドの中の記憶と重なる。
『私が代わりに、大霊杯になる』
メイナ・グレイハーツは物分かりのいい子だった。
妻の育て方がよかったのだろう。父親の仕事がどれだけ遅くなろうと、泣き喚くことなく帰りを待つ。家族で遊びにいく予定が急遽仕事で取りやめになっても、怒ることなく「しょうがないよ」と笑ってくれる。そんな、出来過ぎなくらいによく出来た、レイノルドにはもったいないと思ってしまうほどの娘だった。
そんなメイナだから、あの場面で名乗り出るのはある意味で自然なことかもしれなかった。彼女は周りがよく見えていて、自分の気持ちよりも周りのことを考えてあげられるような、そんな優しい子だったからだ。
その面影が──300年という月日の中でどうしようもなく風化してしまった彼女の面影が、メイと重なる。
メイ──正確にはメイの胸に宿る輪廻核は、第153番目の実験体だった。だが、152番目の輪廻核は同じように人形だったのかというと、そうではない。輪廻核を用いて自動人形を生み出したのは153番目が始めてだった。
なぜ突然、そんなことをしようと思ったのか?
もちろん研究の助手が欲しかったという点や、輪廻核の動作テストという意味合いもあった。
だが、根源にある理由はもっと単純で分かりやすいものだった。
レイノルド・グレイハーツは寂しかったのだ。
300年とは、一人の人間が生きるには長すぎる時間だった。あれだけ大切に思っていたはずのメイナの記憶すら薄れていく。そんな自分が嫌で仕方なかった。
反面、会いたいという気持ちだけは際限なく高まり続けた。時が経てば経つほど、その思いは積もっていった。
輪廻核の研究はあと一歩のところまで来ている。だが逆に言えば、あと一歩のところで届かない。そんなもどかしい思いが、レイノルドに焦燥を抱かせた。
やがて限界が訪れた。
きっとそこからは何も生まれない。それが過ちだと心のどこかでは分かっていたはずなのに、在りし日のメイナの幻影を追いかけてしまった。
メイの外見は、髪色以外メイナと瓜二つだった。レイノルドが見た、メイナの最後の姿。16歳の娘と、背格好や体重まで寸分の狂いもなく同一。大霊杯と繋ぐポッドに入る際に採られたデータを、そのままメイに適用したのだ。
レイノルドは、ただメイナに会いたかっただけだった。メイという少女に幻影を重ねて、その寂しさを紛らわそうとしただけだった。まるで妄念に突き動かされたように、その自動人形を完成させた。
だが、完成した自動人形が目を開けた瞬間、レイノルドは理解してしまったのだ。
これは結局、逃避でしかないのだと。目の前にいる少女がどれだけメイナに似ていようと、それは似ているだけのナニカでしかないのだと。
だが、もうそこにはメイの姿があった。自分のエゴに付き合わせてしまった少女。幻影の先にいた、よく似た別人。
それはレイノルド・グレイハーツが背負うべき罪であり、過ちだった。
しかし、過去は消せない。生み出された少女はもうすでに動き出してしまったのだから。
「……ごめんな」
思わずそんな言葉が漏れてしまったのを、覚えている。
それから五年、レイノルドはメイとの接し方を考え続けてきた。しかしその答えは、未だに出ていない。それだけ難しい境遇だったというのも確かだが、意気地のない自分がなし崩し的にここまで放置してしまっていたのもまた事実だった。
かつての三賢人も、こうなってしまえば形無しだ。
「またわしは、止められないのか……」
無様にも悲劇を繰り返そうとしている自分が哀れでならなかった。たとえ300年生きようと、自分は結局この程度。妻や娘すら救えず、新たな悲しみすら生み出そうとしている。
彼女に対して、自分からしてやれることはない。朝食の席でのあの表情。どうやったのかは分からないが、彼女はあの話を聞いてしまったのだろう。それは確信が持てた。
今レイノルドがメイに話しかけるのは、きっと逆効果だ。レイノルドこそが、彼女を苦しめる原因となっているのだから。
これが別れになるのだとしたら、考えうる限り最悪だろう。
レイノルドは髪を掻き毟り、デスクに肘をついた。後悔と罪悪感が感情を乱し、思考を混線させる。
最後の最後に、こんな終わり方でいいのか? 自分はどんなに苦しんだっていい。でも、メイがあんな表情をしながら去っていくのは仕方がないで済ませていいことじゃない。
レイノルドには迷いばかりがあった。それでも自分にできることはない。迷いを抱えたまま、その時を待つのみ。
「誰か……」
レイノルド本人も意識はしていなかった。それはきっと本能の叫びだったのだろう。
「誰か、助けてくれ……」
自分にはどうにもできないから誰かに助けを求める──薄汚くもそうせざるを得ない自分の無力さだけが、レイノルドの胸中を満たしていた。




