第042話 狂気と正気の狭間に揺れて
「『■■■■■私は■■■■■■■平気■■■大丈夫よ!■■■■■■■■■■頑張るっ■■だから■■■■■■■■■■■■■■■■倒して■■■■■■■■』、っと。こんな感じでいいか」
薄暗い研究室。いくつも存在するモニターの光だけが部屋を照らしており、不気味で仕方がない。
大きな椅子に腰掛けて、何かの機械を操作するゾロア。机の上にあるガラス管の中にはレイノルド博士がアトラに渡したはずのイヤホンが浮かんでおり、微弱な魔力を示す光がイヤホンを挟んでその両極に繋がっている。
前方のモニターに表示されているのは、何かの波形だった。音声が再生されるたび、そのインジケーターが揺れた。
『大丈夫よ! 私は平気だから、幽霊が出たらぱんちで倒してあげるわ!』『頑張るっ』──そんな音声が、繰り返しスピーカーから聞こえてくる。
「サンプルが少ないからこの程度しか作れないが……まあ人間どもは気づかないだろ。ヒヒっ、イひヒヒ」
背後には厳重に鍵のかけられた部屋がある。全く使われていなかった部屋に、わざわざ家具を運び込んで準備してやった特別な部屋だ。ゾロアは女性に優しい紳士であるので、皇女とあらばそれに相応しい部屋を用意するのが当たり前だと考えていた。ハムスターに可愛らしい滑車を用意してやるのと同じだ。
「気に入ってくれるといいけどなァ……ァハ」
気味の悪い笑い声が室内に響く。
さて、せっかく毛並みの良い高級なハムスターを手に入れたのだ。何をして遊ぼうか?
何をしても面白いだろう。このままグリムガルドに渡すなどもってのほかだ。簡単に殺してしまってはつまらない。最大限楽しまなくては。
人間の生の輝き。生き物が見せる歓喜や嚇怒、悲嘆、驚愕や絶望。そんな刹那的な色を、ゾロアは何よりも愛していた。
死のくびきから解放された存在であるゾロアにとって、人が生き人が死ぬ様は最大の娯楽だ。
どれだけ足掻こうと、人間死ぬ時は死ぬ。それならば、瞬間を愛し己の中で永遠としよう。
そしてそれは、復讐でもあった。自分の中にある、ままならない感情に理由をつける行為。
あの日使い潰された■■■■の悲しみの分だけ、ゾロアは人間を弄ぶ──。
「私が、主人公だ……私が主役だァ…………私がァ──!」
それがゾロア・ブラッドロウの在り方だった。
☆★☆
そこは窓もなく、閉ざされた部屋だった。壁を叩いても硬質な音が返ってくるのみ。分厚いのだろう。生半可な魔法程度では壊れなさそうだ。
密室。息苦しいかと聞かれれば、しかし意外にもそんなことはなかった。それなりのスペースがあり、カーペットやテーブルなどの調度品はどれも高級そうなものばかり。天井には明かりが揺れており、部屋全体を昼白色で照らしている。ベッドはふかふかで、寝心地が良さそうだ。お茶が楽しめるように、茶葉やカップなどの一式も用意されている。
ただし、扉にだけは厳重に鍵がかけられていた。他と雰囲気が違う、明らかに物々しい大仰な鋼鉄製の鍵が強引に取り付けられてられている。
自分の意思で出ることができない──その一点を除いて、この部屋は間違いなく快適と言えた。
「……」
自分の置かれた状況を、アトラは正確に察していた。
(あの黒髪の怪しいヤツに、攫われた)
突然現れた謎の男。あの黒髪が、自分を攫ったのだと。
気がついたらここにいた。眠らされたか、気絶させられたか……瞬きをした瞬間に荒野からこの部屋に飛んでいたとしか思えないほど、束の間の出来事だった。もちろん抵抗するすべもなく閉じ込められた。あれから何時間経ったのかも分からない。
手足は拘束されていないし、体のどこにも異常はない。
部屋の中なら自由に動き回ることができた。この部屋のベッドで目を覚まして以降、すぐにアトラは脱出を試みた。窓がないか壁中を探して、扉を破壊できないか魔法を撃ち込んでみたりもした。しかしダメだった。壁は全て硬質な素材で出来ており、アトラの魔法では扉を破壊することもできなかった。
耳に手をやる。そこにあったはずのイヤホンも回収されていた。
ついさっきあの黒髪の男──ゾロアがやってきて、あの通信機を使ってエイジたちに人質交換を申し出た。それは四日後、アトラとメイの身柄を交換するという内容だった。奴が何を考えているか分からないが、絶対にそんなものに応じてはダメだ。
奴が通信中、顔に貼り付けていた下衆な笑みを見て確信した。この男は間違いなく──人間の屑だ、と。
その時だった。
「やあやあ、くつろいでくれているかな? お姫様」
扉の隙間。床との僅かな空間を、再び漆黒が這い出てくる。それはやがて形を成し、ゾロアの姿へと変化する。
「ゾロア……」
扉を開ける隙を狙うことすらできない。用意周到な男だ。
「どォした? 何をそんなに警戒している? 私は君を傷つけるつもりは一切ない! あの通信での言葉に嘘は一つもないさ! 私をそこらの肉欲に塗れた低俗な人攫いと一緒にしないでもらいたいね」
すっと身を引き、距離を取るアトラ。それを見たゾロアは、大仰に残念がってみせた。
「ふむ。確かに君は、一般的な人間基準で見れば整った容姿をしているし、女性として魅力的なのは間違いないだろう。私は一般的な感性を持ち合わせているからね。しかし、性欲などという不必要な機能を取り払った私には全く意味をなさない評価基準だッ! 何しろ私は……不死身だからなァ! 完成された存在は子孫を残す必要がンヌァアァィッ!」
トチ狂ったような喋り方に、アトラは僅かに身を引いた。
「ふんっ、あなたなんなに褒められても嬉しくもなんともないわ」
「じゃあ誰に褒められたら嬉しいんだ? あの少年かな?」
突然ガクン、と体を前のめりにして、目を見開いてこちらを凝視してくるゾロア。本能的恐怖を感じさせる不気味さがあった。
「なっ、なんで今エイジくんの名前が出てくるのよッ」
「誰も『アンドウエイジ』だなんて言ってないが?」
「……~~っ!」
「ギャハハハハハハハッ! 面白い! 面白いぞ人間! 色恋、性欲、愛慕、実に低俗! だが実に愉快! 男女の営みとはかくも面白きものなのだな! アヒャーッ! これだから人間は興味深いッ!」
壊れたように笑うゾロア。読めない感情の変化に、アトラは苛立ちとともに恐怖を募らせる。
「今度、男女を強制的に発情させる機械でも作ってみるか! 面白い実験になりそうだ!」
ギラつく目。先が二つに割れた長い舌がチロチロと揺れている。アトラには、ゾロアは嫌悪感の塊としか思えなかった。
「私をこんなところに閉じ込めて、一体何が目的」
「目的? そうだなぁ、グリムガルド様があんなにも欲しがる皇族ってのは、一体どんなものなのかと興味が湧いてね」
「それだけ?」
「何が悪い? 飽くなき探究心こそが新たな発見を生むのだよ! 研究の基本じゃないか!」
「……そんなものは知らない」
つれないなぁ、とゾロアは肩をすくめてティーカップを手に取った。
「おや、せっかく用意したのに手をつけていないじゃないか。ウゥーン、実にいい香りの紅茶だァ……」
「……」
「ああ、毒なんて入ってないよ? そもそも、そんな回りくどいことをするくらいなら初めからブッ殺してる」
優雅にカップを傾ける姿は油断に満ちているのだが、ここで奴を攻撃したところで部屋から出られる訳ではない。奴は今、この部屋の鍵を持たずに入ってきているからだ。
影。その汎用性の高さに、アトラは歯嚙みする。
「ふむ。それじゃあ私は研究に戻るとするか。あまり暴れるなよ? これ以上部屋に魔法を撃ち込むようなら、君を拘束しなきゃならない。私としても、それは本意じゃない。自由を奪うなんて非道な真似、紳士に相応しくないからなァ……」
監禁しておいてどの口が言うか、という言葉をアトラは飲み込む。この男はまともじゃない。口論をしたところで何にもならないのは分かりきっていた。
「ではな! 私は多忙極まりないが、君は暇だろうしまた様子を見にきてやろう! なんたって! 私はッ! 優しいからなあああああアーーーーーッハッハッハッハァッ!」
ギュルリと影へ潜り込み、入ってきた時のように扉の隙間から消えていくゾロア。
やかましい男が消え、部屋には再び沈黙が訪れた。
静かになると、考えないようにしていたことに再び思考が回ってしまう。
(ダメだなぁ、私……)
ローブの裾をぎゅっと握りしめる。
それは、ルインフォード戦でも痛感したことだった。アトラ・ファン・エストランティアという少女単体の強さ。他のパーティメンバーと比べても、圧倒的に劣っている自分。
扱える魔法も少なく、油断からこうしてゾロアに攫われて、旅団のみんなに迷惑をかけている。
(情けないなぁ……っ)
じわり、と目の端に涙が浮かんでくる。
自分が一番しっかりしなきゃいけないのに。みんなは協力してくれているだけで、自分が一番頑張って、一番働かなきゃいけないのに。
ケラケラと高笑いをするゾロアの姿が脳裏に浮かび、醜い感情に拍車をかける。
(悔しい、なぁ……っ)
しかし今、この場でアトラにできることはない。みんなを信じて待つことしかできないのだ。
籠の中の鳥は羽ばたくこともできず、空を見上げる。
もし、自由に空を飛べたなら。こんな拘束もなく、思うままに天空を駆け抜けることができたなら──。
思い出すのは、エストランティア城で過ごした日々。両親は優しかったし、城での暮らしに不自由はなかった。それでも時折見張りの目を欺いて城を抜け出していたのは、きっと心の奥底で本当の自由を探し求めていたからなのだろう。
『皇女としてやらなければならないことは確かにある。それでも、あなたらしく生きなさい』という母親の言葉が、今も胸に刻み込まれている。
自分は皇女だから──そうして、アトラは自分に自分で枷を嵌めている。殻に閉じ籠って、割って進む勇気がない。
アトラには、自分らしさがないのだ。皇女としてやらねばならないこと、考えなければならないこと。そればかり追い求めすぎて──『自分の望み』を追い求めたことがない。
本当は弱くて泣き虫なのに、それを表に出そうとしない。見つかりそうになれば隠そうとする。皇女は強くて凛々しくあらねばならないのだから、弱みを見せてはならない。
誰にも頼らず、一人で国をまとめ上げられるくらいでなくてはならない──それが、アトラの中の『皇女像』だった。
この国の皇女としてのアトラ・ファン・エストランティア。
ただの少女としてのアトラ・ファン・エストランティア。
エイジがゲームと現実で揺れるように、メイが機械と人間の間で揺れるように、もしくはルインフォードが今の自分とかつての自分で揺れるように──
彼女もまた、揺れている。
特に、自分を皇女ではなく一人の少女として扱ってくるエイジと出会ってからは顕著だった。
つい寄りかかりたくなってしまう。彼自身も弱い人間だからこそ、同じ目線で自分を見てくれる。
──私を助けて、と縋りたくなってしまう。
(ダメ、なんだ。私は、皇女なんだから……もっと、ちゃんとしないと)
緩んだ心を再び律する。その油断が、今回の失態を招いたのだ。
みんなに迷惑をかけない、強い自分になろう。
アトラは思いを胸にしまい、静かに目を閉じた。
──今はまだ、少女は殻の中。




