第041話 ワタシは、不良品なのでしょうカ
「告▼[向/エイジ]引き続き逆探知を続行中。マルギット内部から動いている様子はありまセン」
「……そうか」
僕らは研究所まで戻り、博士に状況の報告をした。ソファに座り、意気消沈したメンバーの間には重たい空気が流れる。
「ゾロア? 本当に敵はゾロア・ブラッドロウだったのか?」
「え、ええ。少なくとも僕の中にある知識では、彼がゾロアのはず……」
「……そうか」
博士はゾロアという男を知っているのだろうか? 何やら意味深に考え込む博士。詳しく聞きたかったが、しかし今は非常事態だ。後回しにするしかない。
どうやら博士も結論は出なかった様子で、「いや、やめだ」と頭を下げた。
「……すまん。危険がないと判断したわしのミスじゃ」
「いや、ゾロアが来るなんて……予測はできなかったです」
なぜゾロアがあんな場所にいたのか分からないが、たまたま街の外に出たのを見つかってしまったのが運の尽きだった。いくら警戒しても、影の中に潜むことができる奴の能力があれば、発見は難しい。
「どうにかして奴からアトラを取り戻さねば……」
博士は黙考する。口元のヒゲに手を当て、いじりながら頭を回転させる。
「まず、グリムガルドとやらの目的は大霊杯の奪取もしくは破壊にある。それをするためには、長い時間をかけて封印を解除するか、皇族の血を使って強制的に解除するしかない。アトラ姫は大霊杯を操作するカギとなる。グリムガルドが姫を狙うのは、それが目的じゃろう」
その通りだ。アトラの両親──皇帝と皇后が行方不明な今、グリムガルドは大霊杯を守る封印を解除するためにアトラの身体を欲している。
「だが、ゾロアは『理想郷委員会』のメンバーでありながらアトラを引き渡そうとしていない。何が目的なんだ……?」
ゲームをプレイした僕から見ても、ゾロアという男は謎に包まれている。影を操る元研究者、それくらいの情報しかない。
「……いや、なんでもいい。この隙にアトラを取り戻す、それだけだ」
僕は両手を強く握りあわせる──その時だった。
『■■■■■■■■■■■■あー、あー■■■■■■聞こえますか劣等種諸君?』
「「「──────!!!!」」」
僕らは弾かれたように立ち上がった。耳に挿したままだったイヤホンから聞こえたのは、大切な彼女の声ではなく──あの蛇教者の声だった。
「ゾロア……!」
『アトラ姫の身柄はこちらで預かっている。ちゃんと無事だぜ? 傷一つつけちゃいない。私は紳士だからな。さて、この女だが……このままグリムガルド様に渡してしまってもいいのだが、それでは私がつまらない』
「つまらない、だと……?」
『返してやってもいい』
「──なっ」
『ただし条件付きでな。そこにいる人形と交換だ』
メイと交換? なぜ……?
『四日猶予をやる。私は優しいからな。必死に考えて結論を出すんだな。どうせこっちの居場所も分かってんだろ? 四日後、ここに来い。そこで人質交換と行こうじゃないか。期日より前に来ても、後に来てもお姫様の命は保証できない。きっちり四日後、その人形を連れてここに来い。ま、人形と姫なんてどちらが重要か分かりきってるよなァ?』
通信の向こうから高笑いが聞こえる。憎たらしく、甲高い声。
『■■■■■■ダメっ!■■■こいつ■■■を真に受けたら■■■■■メイちゃ■■■絶対に応じな■■■■■■』
『おおっと。何も聞こえなかったよな?』
「待てッ! 貴様──!!」
『それじゃ、この通信が終わり次第機械は破壊させてもらう! 四日後まで元気に過ごしたまえ! シャーハッハッハァッ!!!!』
ぶつん、と通信が途絶える。
「アトラ! アトラっ! ……ダメだ、通じない。クソッ」
言葉通り、イヤホンの存在に気がついたゾロアがそれを利用し、のちに破壊したのだろう。もう彼女と連絡を取る手段はない。
「黙▼[向/無]────」
メイは──人質として要求されてなお、無表情を貫いていた。色がなく、感情がない。凍り付いてしまったかのように冷たく、硬い。
「呟▼[向/無]──なゼ」
俯いたままメイは、静かに言葉を重ねた。
「呟▼[向/無]──なぜアトラ様は、『応じるな』などと言うのでしょうか。非合理的デス」
その、誰に向けられたでもない独白が、沈黙に満ちた研究室に唯一揺らぎを生む。
「呟▼[向/無]ワタシは超高性能自動人形デス。博士の持つ最高レベルの技術を結集して生み出された、世界に二つと無い機械デス。ですが同時に、ワタシは自分が機械であると認識していマス。アトラ・ファン・エストランティアの身と比較した場合、ワタシの機体の重要性は著しく低いと断定しマス」
疑問を呈すメイ。僕は音もなく立ち上がった。
「呟▼[向/無]彼女がこの世界にとって必要な存在であるという話は記憶メモリに保存されていマス。被造物たる自分と比べるまでもなく、彼女は自分の命を優先するべき──」
「……おい」
僕の声に顔を上げるメイ。相も変わらず無表情を貫くその姿が──今だけは、どうしても頭にきた。
「お前に、何が分かるんだよ」
「ぇ──」
「お前にッ! 何が分かるって言うんだよッ!!!!」
ついさっきハザマがそうしたように、僕も彼女の胸ぐらを掴み上げて。
「さっきから聞いてりゃ機械機械って……アトラはな、最初からお前のことを同じ人間として扱ってたよ」
自分の中にあるぐちゃぐちゃとした感情を彼女にぶつけてしまっている自覚はあった。最悪だ。でも止めることもまた、できなくて。
「アトラがどんな思いで『応じるな』って言ったと思うッ! 今一番危険で、一番怖いのは間違いなく彼女だ! あいつは……強がってるだけで、そんなに強い女の子じゃないんだよ」
ルルーエンティで演説した時のことを思い出す。震える手を抑えて、それでも大勢の前に立った彼女。
「馬鹿みたいに優しいんだ。自分だって辛い状況なのに、他人に手を差し伸べることができるんだ。その手を非合理的だと? ふざけるのも大概にしろよ! 人間ってのは、合理非合理で二分できるほど単純じゃないッ! ここにいるみんなも、もちろん僕も! お前のことをただの機械だなんて思ってない!」
僕は、自分の記憶が曖昧だ。『安藤影次』という存在が本当に存在するのかも分からない。
僕にも同じように偽物、作り物の疑いがかけられているからこそ──繰り返し「自分は作り物だ」と訴えてくる彼女の言葉が、嫌に胸をえぐったのだ。
それに──。
「……君が作り物の命を否定するたび、僕のこれまでの道のりを否定することになるんだよ」
この世界の人物は、僕の認識では全員ゲームの中で見たキャラクターだ。作り物の命が偽物というのなら、そんな彼ら彼女らのために命を何度も散らす僕はただの道化か? 違うだろう。
そもそもこの世界を「たかがゲームだ」と切り捨てれば、こんなに辛いを思いをすることだってなかった。『主人公』なんて重荷を背負うことなく、どこかで平穏に暮らせばよかった。でも僕は今ここに立っている。それはなぜか、と考えるまでもないだろう。
救いたいと、そう願ったからだ。思えば初めから僕の中に、この世界の人々を『キャラクター』として扱うなんて思考回路は存在しなかった。周りからは馬鹿にされ続けた『行きすぎた感情移入』だったが、僕はそれを恥じる気はない。ゲームの登場人物だって、その世界に生きる一つの命だ。僕はその信念に従って、短い道のりだが今日まで戦ってきた。
そんな僕の根底にある感情を、メイの言葉は否定する。『自分は機械だ、だから人間じゃない』──その言葉が僕には、この世界の人々全員に向けられているように思えてしまった。
「ワタシ、は……」
「エイジさん、女の子に乱暴しちゃダメですよ」
しかし、ミスティの一言でようやく我に返る。服から手を離し、一歩、二歩と下がる。
「……ごめん。まだ頭に血が上ってるんだ、僕」
髪を掻きむしって、僕は研究室を出た。このままではまともに頭も働かない。
「……クソっ」
自分の中でアトラの存在がどれだけ大きかったのかを痛感する。彼女がいなくなるということ、ただそれだけで胸に大きな穴が空いたような感覚がする。
本当に取り戻せるのか? 人質交換がうまくいく保証はない。メイを犠牲にしてアトラを取り戻す? 本当にそれでいいのか……?
思考は混線し、解にたどり着くことはない。
バルコニーからは、建物の奥に沈んでいく夕日が見えた。やがて夜が来る。アトラは無事だろうか──ただそれだけを考えながら、僕はぼんやりとその夕焼けを眺め続けた。
☆★☆
エイジを追いかけた二人が消え、研究室には博士とメイだけが残された。傾いた太陽が、窓から僅かに夕焼け色を覗かせている。
「呟▼[向/博士]……博士」
「なんじゃ」
そんな窓の向こう、メイはどこか遠くを眺めていた。
「問▼[向/博士]……ワタシは、不良品なのでしょうカ」
「なぜそう思う?」
「呟▼[向/博士]ワタシには、エイジ様の言うことが全く理解できまセン。博士、人間とは、一体何なのですカ? 彼は、ワタシのことを人間だと言いましタ。ですが事実、ワタシは機械デス。この矛盾した論理を理解する回路が、ワタシには存在しまセン」
「……そう、じゃな」
博士はメイの頭にぽん、と手を置き髪を撫でる。メイもそれを嫌がる様子はなかった。
「わしは……お前がそんな疑問を抱いてしまうのを止められなかった。メイ、お前は不良品なんかじゃない。だが、もし理解できないことがあるとするならば、それはわしの力不足じゃ。わしが完璧にお前を造ってやることができれば、そんな疑問を抱くことすらなかった」
レイノルドの中には、メイを構成するパーツや魔法陣の構成、プログラムが全て記憶されている。その情報が邪魔をして、どうしても彼女に正面から「人間だ」と声をかけてやることができない──彼女が人間であることを最も望んでいるのは、レイノルドその人だというのに。
レイノルドの中にある理想の自動人形と、自分の作れる限界点の乖離。どうしても埋まらない差。
「問▼[向/博士]博士はなぜ、ワタシを作ったのですカ? ワタシの存在価値とは、一体何なのですカ?」
レイノルドは言葉に詰まった。自動人形を作った理由、それを彼女本人に言うのは憚られた。
「それ……は……」
「呟▼[向/博士]──いえ、やはり答えなくて結構デス。ワタシにその情報は不必要なのデ」
「……」
ならばどうして、そんな質問をしたのか。
安藤影次。彼が現実とゲームの間で揺れるように、彼女もまた揺れているのだ。人と機械、その狭間で。
簡単に答えが出る問題じゃないだろう。それにきっと、レイノルドが答えを見つけてやることはできない。これは、彼女自身で辿り着かなければ意味がない問題なのだろう。
生みの親として出来ることは少ない。
今はただ、彼女を見守ることしかできない。
だからこそ、レイノルドは別の部分で彼らに協力することにした──
☆★☆
その日はそのまま解散となり、翌日。再び研究所に集まった僕、ミスティ、ハザマ、そしてメイとレイノルド博士。
博士は何やら、三日後に迫る人質交換に向けて、何やら対策を用意したらしかったが……。
「敵は非常に強く、単体でこちらの戦力を上回る可能性があるという。そこで今回は、皆を鍛えてくれる心強い味方を呼んだ」
人質交換。求められたのはメイの身柄。しかし僕らに、メイを渡すつもりはサラサラない。もしそこで交戦が始まった場合、確実に勝たなければならない。戦力の増強は急務だ、それは分かる。しかし、味方とは……?
と、僕が疑問に思っているのも束の間、その人物は現れた。
流麗にたなびく空色の長髪。
腰には一振りの太刀。
肩の出ている改造巫女服、ミニスカート、ロングブーツ。
長いマフラーから顔を半分出し、そこに揺れる瞳は──メイのように、何の色も写していなかった。
「初めまして。私の名前はルナ・アストレア。戦闘指南役として参上した。よろしく」
「る、ルナ!?」
そこに現れたのは、僕のよく知る人物だった。
ルナ・アストレア。それは、『エストランティア・サーガ』物語終盤で仲間になる少女。剣聖と呼ばれ、最強クラスの戦闘能力を誇る、頼れる味方──そんな彼女がなぜここに。
「あなた、私を知ってるの?」
少女は僕の表情を見て首を傾げる。
「──どこかで逢った?」
「いや、僕は別の世界で、ゲームの中で君を……」
僕は例の話をルナにも聞かせる。ルナは全く驚いた様子もなく、それを聞いて納得した様子だった。
「へえ。不思議なことも、あったものね。面白い」
「不思議といえば、ルナ! なぜ君がマルギットにいるんだ? 君はもっと先のシナリオ──じゃなくて、別の街にいるんじゃ」
「私にだって自由に動く権利はある」
「お、おっしゃる通りだけど……」
「とにかく、じゃ! ルナの手を借りれば、確実に強くなれる。そうじゃろ?」
「というか、ルナも一緒に戦ってくれれば……!」
ルナは、物語後半で参戦するだけあって非常に強い。ありとあらゆる技と神速の剣技で敵を翻弄する剣士。今の僕たちとは比べものにならない力を持っているはず──だが。
「いや。私は戦わない」
「なんでっ?」
ルナはパーティに加わってくれる訳ではないようだ。その理由は……。
「私は敵に追われているので表舞台に出ることは出来ない」
「な、なにそれ……」
「ついでに言うと私のことは攻略できない」
「なにそれ!?」
「私はヒロインではないのでイチャイチャとかも期待しないで」
ち、中二病的な設定なんてあったっけ……? それに、自分のことをヒロインと呼ぶヒロインなんて聞いたことがない。
「私はあくまでサポート役。脇役。イチャイチャしたいならアトラやメイとすればいい」
「ええ……」
ミスティよりもさらに謎めいている。何が言いたいんだろう、彼女は……。
「私が全力で戦うと、こう、世界の均衡的なアレが危ない。だからサポート役。多分それなら世界も許してくれる。敵はズルをしているので、こちらもこれくらいのズルはさせてもらう」
「は、はあ……」
こんな突拍子も無いことばかり言う不思議ちゃんじゃなかったような気がするのだが、気のせいだろうか。……まあいい。たとえ戦ってくれないにしても、戦闘の指南をしてくれるだけで十分ありがたいのは確かだ。
「私のことは気軽に師匠と呼んでくれていい」
僕はゲームの頃から知ってるからいいとして、初対面であるはずのミスティとハザマは動揺を隠せない様子だ。
「うーん。クール系美少女ですか。キャラが被りますね」
「その心配はないと思うけど……」
ミスティはこんな時でも変わらず我が道を往くらしい。アトラが攫われたというのに、緊張感がないのは困り者だが……常に肩肘張っていても疲れてしまうだけだし、彼女の存在が僕らの精神を落ち着かせてくれている部分はあるかもしれない。ちょっとだけ。
「なあエイジ。この女……強えんだよな?」
「……あー、そうなるか。そうだよな、ハザマだもんな。強いよ。多分今の僕らじゃ、傷一つ付けられないくらいには」
「オオオオオオオオオオオオッ! ならこいつに勝てるくらい強くなって、あのゾロアとかいう野郎もぶっ倒すぞ!!」
「う、うん。その意気だ」
ハザマもハザマでやる気全開だ。ゾロアをブチのめすと息巻いており、今にも剣を抜いて暴れだしそうだ。
「さて、残り三日。」
ルナが一本ずつ指を立てていく。一つ、二つ、三つ目まで来て一度止まった。
「でも、あなたたちを強くするためには三日じゃとても足りない。なので──」
そして、四つ目の指を持ち上げる途中で──止めた。
「ちょっと細工をする」
言うや否や、ルナは指を立てていた手を思い切り握りしめて。
「──PAUSE」
ただ一言そう言って、両の手のひらをパッと開いた。
「……?」
大仰な前振りの割に、周りには何の変化も起きていない。僕も、他の皆も、ただ疑問符を浮かべるばかりだ。
しかし、続くルナの一言に僕らは腰を抜かすこととなった。
「この研究所、およびその周辺の土地の『時間』を一時的に止めた。とりあえず一週間。つまり合計十日の猶予期間」
示された指──つまり両手の分、ちょうど十本。
「う、そだろ……?」
「こりゃ、さすがの私もビックリですね……」
ハザマもミスティも、にわかには信じがたいという様子だ。僕も疑っていたのだが──
「みんな、見てくれ」
窓の外。優雅に空を飛んでいたはずの鳥が、空中で静止していた。
「今この世界で動いているのは、ほぼ私たちだけ。既に一週間分の食事その他必要なものは用意してもらってる」
「どうにかしてこの力を再現できんものかのう……」
どうも博士は別の方向性で唸っているようだった。この力を人工的に作り出せたら、世紀の大発明どころの話ではないと思うが……。
にしても、この力……もしかしなくても。
「三軸転者……? どこでこんな力を……?」
三軸、つまり、時間軸を操る能力を持つ者……。
「企業秘密。今教えられるのは魔法少女ドリーム☆ルナルナの得意技その①であるということだけ」
「どういう設定なんだ、それは……」
ルナの中二病(?)的世界観が全く分からない。
というかその①ってことはその②があるのか。一体何が使えるんだ? 時間の一時停止が①なら、②は時間の巻き戻しとか。いや、さすがにそこまではできないか。時間操作といえば能力系バトルのお決まりだが、彼女は相当融通が利くようだし……やはりめちゃくちゃ強いのでは? 何者なんだドリーム☆ルナルナ。
詳しいことは分からないし、はぐらかされてしまうが、少なくとも彼女は時間を操る──つまり三軸転者であるのは間違いないようだ。この目で見てしまったのだ。疑いようがなかった。
「それじゃ、始める」
そうして僕らの、止められた時の中での特訓が始まった。
体感時間で十日後。限られた時間の中で、確実に成長をしなければならない。
全てはメイを失うことなく、アトラを救うために。




