第040話 エンドレス・エンドライン
引き続きPC版、デスクトップ版を推奨です。
「っ、……ぁ……、は」
息が詰まる。動機が激しく、視界が揺らぐ。
そこは、マルギットの街前。本のある場所。
「待て、待ってくれ、ってことは」
「へえ、奇襲成功……ってことは、この世界はまだ一周目ってことかな?」
「あ、ああ、あああっ」
死。そしてリスタート。痛みすら感じる暇のない一瞬の出来事。
「へえ、奇襲成功……ってことは、この世界はまだ一周目ってことかな?」
「へえ、奇襲成功……ってことは、この世界はまだ一周目ってことかな?」
ダメだ、
「へえ、奇襲成功──」
何か考えないと、
「──ってことは、この世界はまだ一周目ってことかな?」
(ちく、しょう……!)
原因は分からないが、今僕たちは死の直前にいる。セーブ地点から数秒後、何者かによって死がもたらされる。避けなければ。どうにかして、その無限ループから脱出しなければ。
敵の姿は見えない。どこからか狙われている。このままでは、まるで狩りのように一瞬でケリがついてしまう。
(失敗した……っ)
セーブはもっと慎重に行うべきだった。ここはゲームじゃない。突然死に至る場合だって考えられる。その直前でセーブなんてしてしまえば、抜け出せないループに囚われてしまう可能性だってあるのだ。
考えろ。敵はどこから襲ってきている。最短での死を免れろ。情報を得るんだ。
(来る……ッ!)
【英雄の眼】が世界を捉える。真実を知るべく、未来に視野を広げる。そして──
(そこかっ!)
敵の攻撃は、足元から来ていた。
影。大きな岩によって遮られた日光が作り出す、漆黒の空間。魔の手は、そこから伸びてくる。
同時、敵の正体に思い至る。マルギットでのボスであり、影を操る『理想郷委員会』メンバー。
蛇教者、『水星』のゾロア・ブラッドロウ。
「みんな走れッッッ!!!!」
「な、なにを言ってん──」
ハザマが動揺をあらわにする。他のメンバーも何事かと首を傾げている。
「いいから急げッッッ!!!!」
ダメだ。事情を説明している余裕がない。だがこんな唐突な指示に従ってくれるほど、人間は機械的じゃない。疑問を感じて、脳内で処理して、結論に至り、行動に移すまでのタイムラグ。その遅れが、命を奪う。
間に合わない。その結論に至った僕は、強硬策に出る。近くにいたアトラとメイをそれぞれ逆方向に突き飛ばす。
「うん。反応されたってことは、この世界は既に二周目以降だな?」
「──!」
声。聞こえた次の瞬間、ついさっきまで僕らのいた空間を『影』が喰らい尽くした。
「みんな、無事かッ!?」
自分の周囲しか助けることができなかった。見回せば、直撃は避けたものの吹き飛ばされたハザマとミスティが地に伏せていた。
「クソ、こんなに早く……っ!」
ダメだ。もうシナリオもクソもあったものじゃない。本来マルギットの街でイベントを重ねるうちに出てくるはずのゾロアが、今ここにいる。ルインフォードのように『いてはならない敵』ではないが、それでも、早すぎる。
──影からぬるりと這い出てくるのは、一人の男だった。
漆黒の髪。長い前髪の奥に、ギラギラと光る緑色の瞳が揺れている。ふらふらと身体を前後させ、距離感を狂わせる黒く袖の長いローブが不気味に靡く。異様に長い舌がチロチロと震えている。
「いやあ、聞いた通りだった。確実に全員殺せる間合い。未来視の予測でも間に合わないタイミング。誰か一人くらいは『取れる』と思ったんだけどね?」
待て、なぜこいつは未来視のことを知っている?
それにさっきの発言も。
『うん。反応されたってことは、この世界は既に二周目以降だな?』
二周目。それはつまり、セーブ&ロードによるやり直しのことを指していると見て間違いない。
「お前……なぜ知ってる」
「さァて! なーぜーでーしょーうぅー? キヒャヒャヒャヒャァ!!」
「っ……」
まさか、三軸転者? 時を超える力の持ち主……?
いや違う。奴は「不可避の攻撃に反応されたこと」を理由に二周目以降であるとあたりをつけていた。それはつまり、彼自身は二周目であることを体感していないということだ。三軸転者が存在し、その人がセーブ&ロードによる時間の巻き戻しの影響を受けないと仮定した上での話だが、少なくともゾロアはそうじゃない。
しかし裏を返せば、それはつまり彼がどこからかセーブ&ロードの仕様を聞き及んだということでもある。
どこから漏れた。誰から聞いた。しかしもちろん、そんなことを敵がご丁寧に答えてくれるはずもない。
「お前も……アトラを攫いにきたのか」
「いやぁ、ルインフォードがうるさくてね。あいつに従ってやるほど私は従順ではないが、気が向いたので来てみた次第だ」
「ルインフォード……? あいつは、死んだんじゃ……っ」
アトラが顔を青ざめさせる。いや、アトラだけじゃない。皆が硬直してしまっている。
「死んだァ? 私たち『理想郷委員会』メンバーは不滅だ! 死などという低俗な終わりを迎える人間とは違うんだよ、馬ァ鹿が!」
ゾロアの言葉に追随するように、僕が説明を加える。
「……こいつらは、死なない。倒しても別の場所で復活するんだ」
「ンだそれッ! 卑怯じゃねえか……!」
ハザマが声を荒げるが、それを聞いたゾロアは首を振って肩を竦め、反論する。
「おいおいおい、待ってくれよ。それを言ったら、そこの少年が世界を繰り返してるのも十分卑怯なんじゃないかァ? 何度だってやり直せるなんて、そんなのどう足掻いたってこっちが不利じゃないか。むしろ、同じシーンを何度もやり直せるそっちの方がズルイだろ、なあ?」
「……っ、お前らは」
「敵だから潔く負けろってかァ? 馬鹿にするなよ劣等種。お前らン中の正義が絶対だから、特権を与えられて当然だと思ってんじゃないだろうな? 主役気取ってる野郎を見ると虫唾が走る。私が主役だ。私が中心だ。私が主人公だッ! お前らは脇役、モブだよ。黙って私の研究材料になれ」
実体を持った影が、平面から立体へと浮き上がってくる。渦を巻き、揺れ動く。
「──っと、つい口が悪くなってしまう。私の悪い癖だな」
だが、ゾロアは突然やる気をなくしたように腕を下げた。
「飽きた。帰るか」
「なっ」
「フハハハハ! また会おう劣等種ども! 私は影の中からいつでも見守っているぞォッ!」
ずぶり、と影の中に沈んでいくゾロア。まるで海面のように揺れる漆黒が、ゾロアを飲み込んでいく。
「グッバイ人間ッ! また会おう、盲目な間抜けどもォ! シャーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャァ!」
「待てやッ、クソォッ!」
ハザマが剣を振りかぶり、岩の影へと一撃を放つ。しかし捉えたのは、硬質な地面のみ。ガァン、という衝突音だけが虚しくこだました。
「き、消えた……のか」
僕は地面を見つめる。ゾロア・ブラッドロウ。嵐のように過ぎ去っていった、思考の読めない敵。ゲームでもそうだった。何を考えているのか分からない、不気味な男だ。
……だが、そんな奴の気まぐれによって僕らはとりあえず一命を取り留めた。一時はどうなることかと思ったが、死の無限ループに陥るという最悪の状況、実質の『詰み』は回避できた。
『縺斐a繧薙↑縺輔>縲る俣縺ォ蜷医o縺ェ縺九▲縺溪?ヲ窶ヲ縺」』
ザザザザザザ、とノイズ混じりの音。先ほどまでの勢いはなく……そう。言うなれば、まるで諦めたかのようにトーンの落ちた、そんな声。
それとほぼ同時、突然メイがへたり込んだ。
「お、おい、大丈夫──か……」
尋ねようとしたが、その表情を見て口をつぐんだ。
これまでずっと、何が起きても無表情を貫いてきたはずのメイ。だが今は明確に、その瞳に絶望を写しているのが分かった。
「ごめん、なさイ」
震える声。尋常ならざる事態が起きていると一目で分かる。だが、何が……?
「ごめん、なさイ……ワタシ、ワタシが、気づかなきゃいけなかったのニ」
メイは顔を上げて僕を見上げながら、一言。
「アトラ様が、いまセン」
弾かれたように、瞬時に周りを見回す。
僕、ミスティ、ハザマ、メイ────────。
今この荒野に立つ人影は、四つ。
吹き抜ける風。砂埃が舞う。静寂を掻き乱す風鳴り。
ただ一つ地面に落ちているのは、アトラに渡したはずの髪飾り。それを拾い上げるが──彼女の姿はない。
「嘘、だろ……」
音もなく攫われたのだ。ゾロア・ブラッドロウに。
「くそ……」
どうして気がつかなかった。
「クソッ」
未来視があるのに、どうして気がつかなかった!
「クソォッッッッ!!!!」
……確かに、未来視は万能じゃない。僕は未来の世界を脳内で映像のように受け取り、それを元に行動をする。僕を含め、誰もアトラの誘拐に気づかないまま数秒が経過した時点で終わりだったのだ。
誰かが気づいてアクションを起こしていれば、僕がそれを『視て』先手を打てた。しかし、誰かが気づいた時点で既に未来視での行動修正可能時間を超えていた場合、このような事態になる。
『数秒以内に誰かが気づく』だけで、未然に防げたはずなのに。それなのに────。
「やられた、クソ、クソ、クソッ!」
地面を殴りつける。殴る、殴る、殴る。
あの野郎、全部分かってたんだ。僕のセーブ&ロードも、未来視の仕様も全部知ってる。それを掻い潜るようにして、アトラを奪っていった。
「………………ダメだ、アトラがいなきゃ、ダメなんだ」
この世界に、この物語にアトラ・ファン・エストランティアの存在は必須だ。彼女がいなければ成り立たない。蘇生手段の存在しないエストランティア・サーガにおいて何人か存在する死亡即ゲームオーバーの重要人物、その筆頭。
「ゲームオーバー、なんだよ──」
終わりだ。アトラがいなければ、この旅の意味はない。彼女なしで進むことはできない。
だが……進むことができないのなら、戻ればいい。
唯一残された、しかし一番手っ取り早い解決法がある。
僕は静かに剣を引き抜いた。それを、自らの喉に──
「お、おい! マズイ止めろ! ミスティ、手伝えッ!」
「は、はいっ」
二人掛かりで羽交い締めにされる。逃げようともがくが、二人の力は僕よりも強い。無理だ。
「離してくれッ! 僕が死ねばやり直せるんだ! アトラだって取り戻せる! 簡単なことなんだよ!」
「────、てめえッ!」
気がつけば、ハザマの右拳が僕の頬を撃ち抜いていた。
「が、はぁっ……なに、すんだよ」
僕は地面に転がる。口内が切れて血の味がした。頭は混乱し、思うように体を動かせない。尻餅をついたまま、いきなり蛮行に及んだハザマを睨みつけた。
「アトラが……」
ハザマはそんな僕の胸ぐらを掴み上げ、怒鳴り声を僕にぶつけた。
「アトラが、それを望んでると思うのかッッ!!!!」
「……っ」
耳を打ったその言葉に、僕の思考は停止した。
「……お前が死んで、アトラは喜ぶのかよ。あいつ、そんなヤツじゃないだろ。お前が一番よく、分かってたんじゃねえのかよ」
「それ、は……」
「落ち着け。お前は今、気が動転してる。冷静になれ。お前は団長だ。リーダーがそんなんだと、守れるもんも守れねえよ」
「……ごめん。でも、アトラは……」
「まだ死んだと決まったわけじゃねえ。取り戻すんだよ、俺たちの手で!」
「……」
深呼吸。ぐちゃぐちゃな脳内を一旦整理する。
「……ありがとう。早まり過ぎた。ごめん」
「分かりゃいい。あとの頭脳労働は任せたぞ」
「……うん」
ハザマのおかげで、僕は冷静さを取り戻した。
そうだ。アトラという女の子は、たとえ僕が死んでもやり直せるとしても、その死を悲しむような女の子だ。たとえそれで助けられたとしても、彼女は喜ばない。他に方法があるなら、そちらを取るべきだ。
問題は、その方法があるかどうか、なのだが……。
「あの、メイさん。アトラさんは多分、まだイヤホンをしてるんじゃないですか?」
「ぇ……?」
「超高性能自動人形のくせに察しが悪いですね。追跡できないか、と聞いているんです」
ミスティの言葉を聞き、次第にメイの目が見開かれていく。
「答▼[向/ミスティ]──おそらく可能、デス。まだ通信可能範囲にいれば、連絡を取ることモ……」
僕は慌ててイヤホンに手をかけ、通信を試みる。
「アトラ、アトラ! 聞こえるか!」
ザザザザザザザザザザザザ、というノイズ。音声が遠い。距離が離れているからか、流石に拾い切れないか──。
『■■■■■私は■■■■■■■平気■■■大丈夫よ!■■■■■■■■■■頑張るっ■■だから■■■■■■■■■■■■■■■■倒して■■■■■■■■』
「聞こえたっ!」
雑音混じりで届く声も辛うじてだが、それでも聞こえた。
「アトラは生きてるっ!」
メンバー全員に安堵が広がっていく。僕も胸をなでおろす。しかし、通信はそこで途絶えてしまった。
「まだ通信の届く範囲にいるってことは……すぐにどうにかするつもりはないのか……?」
僕は思考する。
もともとゾロア・ブラッドロウという人物は、魔術的人工生命でありながらグリムガルドの命令に従っていない。ゲームと同じような性格をしているのであれば──希望的観測だが、アトラがそのままグリムガルドの元に連れて行かれる可能性も低い、か?
「告▼[向/エイジ]逆探知成功しましタ。正確な位置までは割り出せませんが、アトラ様はまだマルギットの内部にいマス」
「……!」
「告▼[向/エイジ]しかし、マルギット内部は多くの魔法が入り乱れており、特定の魔力波形を探知することが極めて難しい状況にありマス。時間をかければさらに詳細な位置の割り出しが可能ですガ……」
メイはいつもの無表情に戻っていたが、それでもどこか気落ちしているような雰囲気があった。
「マルギットにいるって分かっただけでも十分だ。……一旦戻ろう。ここにいても、何もできない……」
そうしてサブミッションを達成した僕らは、大切な仲間を失ったまま研究所に戻る。
「……」
握りしめた『幸結いの髪飾り』が、手のひらに硬質な冷たさを返してくる。
彼女の美しい金髪に揺れていたはずの煌きが、もうここにはない。
「くそ……っ」
そんな悔しさだけが、胸の中に渦を巻いていた。




