第003話 神に逢いては宿命を背負え
学校では目立たないことだけを意識した。
オタクは日陰者だ。同じ趣味の友達もおらず、一人教室の端でじっとしているだけの学校生活。グループ活動では何の役に立たず、体育でペアを組んだ相手には微妙な顔をされる。別にそれが嫌だったわけじゃない。僕だって同じようなやつと組まされたらたまったもんじゃないだろう。一人だけ僕に話しかけてくる物好きがいたけれど、僕にとっては迷惑でしかない。それにきっと、僕なんかに話しかけたら彼女の心象も悪くなってしまう。
だから、波風立てずに。静かにやり過ごす。
面倒ごとも多いけれど、耐えられた。ゲームがそのしがらみを忘れさせてくれたからだ。
ゲームがあれば、僕は他に何もいらないとさえ思っていた。
画面の向こうには無限大の世界が広がっている。多くの出会いがあって、別れがあって、笑顔や涙がある。
たとえ現実世界でなんの特技も長所もない人間だったとしても。
あの世界ならば、僕は────。
☆★☆
「精霊界に御坐す大君ユグドミスティアよ、我が願いを聞き届け給え──」
祈りがあった。
「幽玄の世界に生き、人を見守る精霊神。星天を統べ、四源の理を守りし観測者」
願いが紡がれた。
「偉大なる神威、星天の円環輪廻を以って──」
祝詞が刻まれた。
「勇気ある青年の命を繋ぎ止め給えと、恐み恐みも白す」
そして生まれる、大魔法陣。
大精霊ユグドミスティアをその身に宿した、稀代の天才アトラ・ファン・エストランティアは。
目の前で死にゆく皇国民を見捨てることだけは、できなかった。
「お願い。この勇気ある青年に、力を……!」
☆★☆
目を開けるとそこは、一面の暗黒だった。
どこを見渡しても黒。遠近感は存在せず、自分の体だけがこの場に存在する。
「ああ、そうだ。ここで僕は──いや、ブライトは……」
窮地から遠ざかって冷静になった思考が、ブライトの旅の記憶をなぞる。
暗殺者の凶刃に倒れたブライト。死は免れないかと思われたその刹那、聞こえるのは澄んだ声音。透き通るような言霊が紡ぎあげるのは、大精霊ユグドミスティアに捧げる祝詞だ。大精霊の血を引く王族の中でも百年に一度と呼ばれるアトラの才能が、この地にかの精霊神を招ぶ。ブライトは一命を取り留める代わりに、大精霊の力をその身に宿す勇者として、運命の階段を登り始める──というわけだ。
目の前に光の粒が集まっていく。そう、これが大精霊ユグドミスティア──
「……ん?」
像を結んだそこには、神らしく豪奢な衣装を身に纏った……可愛らしい女の子だった。
(あれ? こんなに小さかったか……?)
なんかもっとこう、大人で、色気のある感じで……何とは言わないが、大きかったような……。
記憶違いか? いや、さすがにそれはないと思うのだが……?
「私の名は、ユグドミスティア」
その声も幾分幼い。この容姿も大変可愛らしいのだが、あまり聖母とかそういう感じはしない。
「私の血を引く少女の強い思いを受け取り、こうして現界に至りました」
僕は先ほどまでの緊迫した空気をすっかり忘れてしまい、口をぽかんと開けていた。
「これより血族との盟約に従い、あなたに大精霊の力の一端を貸し与えます」
神々しいオーラを放ち、豪奢な衣装を身に纏い、精一杯神様を演じる中学生くらいの女の子を想像してみてほしい。ちょっと微笑ましい。
「この世界は今、グリムガルドという魔道士の策略によって著しく均衡を崩しています。私の血を引くアトラという名の少女にも、危険が及んでいます」
しかし、そのセリフは一字一句違わずゲーム通り。
「このままではきっと、彼女も命を落としてしまうでしょう。それはこの世界全体にとっても、私にとっても本意ではない。──だからこそ」
ユグドミスティアは、こちらへすっと手を伸ばした。
「あなたに、アトラを守ってほしい。そのための力は授けましょう。『勇気』を持つ者に、それを貫き通すだけの『力』を。もちろん断っても構いません。それでもあなたの命を救うことは約束しましょう。あなたはそれだけの勇気を示したのだから」
「いや、それは……」
その勇気は、僕のものじゃない。ブライトという、本来のこの世界で勇者になるべき青年が持っていた勇気なのだ。
「僕にはそんな、大層な役目……」
「自信がないのですか?」
「……」
答えに窮する。
僕にはそんな役目、荷が重い。でもブライトはこの時、迷わずに──。
「僕は……勇者になんか、なれないです」
思わず、そんな一言が口から漏れていた。ただゲームをしていただけの凡人に、世界の運命を背負うなんて無理な話だ。この後どれだけの苦難が待ち構えているのかを知っている僕は、僕自身がそれを乗り越えられるわけがないことも同時に理解していた。
すると、唐突に。
「──もう、なんですかウジウジと。アトラを守った時のあなたはどこに行ったんですか」
「ほえ?」
両手を腰に当てたユグドミスティア様は、情けないとばかりにぷりぷりと怒り顔を作ると、訳の分からぬことを口走った。
「そんなに不安なら……いいでしょう。私もついていきます」
「はえ?」
何を言っているんだこの神様は?
「神である私、ユグドミスティアが同行すると言っているのです。それなら文句ないでしょう?」
「え、えと……」
「どうなんですか」
「も、文句は……ない、ですけど……?」
「よろしい」
ぐいっと顔を寄せたユグドミスティアは、僕から肯定の言葉を引き出すと満足げに頷いた。
(待て、待て待て待て。こんな選択肢なかったぞ!?)
だいたいこのシーンは『はい』か『いいえ』しか存在しないのだ。答えに窮するなんて選択肢はないし、答えに窮していると神様が直々についてくるなんて展開も存在しない。
(僕がオドオドしていたからゲームとは違う話に進んでしまっている、のか……!?)
となるとマズい。ただでさえゲームが現実になる、なんて夢物語から厳しい現実を叩きつけられたばかりなのに、シナリオまでもが未知の領域に進んでしまったらいよいよ手に負えなくなってしまう。
「とはいえ、私本人はさすがに精霊界から離れるわけにはいきません。なので、化身を人間界に落とします」
「は、はあ」
「まあ、人間界に落とす過程で記憶とかその他諸々吹き飛ぶでしょうが……人をはるかに超えるスペックの存在です。必ずあなたたちの旅の役に立つでしょう」
ユグドミスティアの手に光が集う。
「ブライト。あなたには今後多くの苦難が待ち構えていることでしょう」
「そ、それは知ってます」
「? まるで未来を見てきたかのような言い草ですね。まあいいです──世界の行く末は今、あなたにかかっていると言っても過言ではありません。力をつけ、グリムガルドが乗っ取ったエストランティア城を奪還するのです」
それは、あまりにも唐突な冒険の始まり。
「まずは西を目指しなさい。そこにはあなたたちと志を同じくする青年がいます」
きっと、胸踊る体験が待っている──のかは怪しいが。
「仲間を集めなさい。力をつけなさい。大丈夫、あなたには勇気がある。それさえ見失わなければ、きっと未来は切り開けるでしょう」
どうすれば現実に戻れるのは分からない。それでも──
「さあ、そろそろ帰還の時間です」
物語は、進むのだ。