第037話 幕間/その竜狼は真実へ至るか
残り、0秒。
その瞬間、鱗は剥がれ落ちて弱々しい人間としての皮膚が露出する。そこに突き刺さる、灰髪の少年が放った一撃。
「なぜ、そこまで強い。人間」
思わずそんな言葉が漏れていた。強さの理由、竜狼たる自分を打ち負かすほどの力。その正体とは──
「……僕らは四人。お前は一人。それが、敗因だ」
「……………………そう、か」
四人。数の有利。それが圧倒的『個』をも上回るというのか。
身体がボロボロと崩れ落ちていく。自分という存在が消えていくのが分かる。ルインフォード・ヴァナルガンドはここで終わるのだと。
「──名を」
終わりが見えた時、最後に出てきた言葉は。
「名を、なんと言う」
そんな問いだった。それに対し、少年は一拍おいて答えた。
「安藤影次だ」
アンドウエイジ。その名前を心の奥底に刻み込む。四人の敵、戦闘力だけを見れば銀色の髪を持つ少女の方が強かったし、各種能力ならば赤髪の男の方が高かった。それでも一番厄介だったのは、この男だ。三人に的確な指示を出し、行動を先読みしてくる。
直接的な戦闘力ではない、チーム単位での厄介さ。結果的に自分が敗北したのは、この男の存在があったからだとルインフォードは確信していた。
「次は妹のシャルティアあたりを連れて来るんだな」
薄れゆく記憶の中で聞こえた名前が脳内に反響した。
シャルティア? 妹? 何のことだ? ──と、尋ね返すだけの時間は残されていないようだった。
ルインフォードは存在の崩壊を感じながら、最期に一言──
「────────無念」
そう残して、意識を絶った。
瞬間、目を覚ました。
「……な」
なぜ。
自分は先ほど間違いなく死んだ。それなのに今、自分という存在を確かに感じている。
「何、が……」
薄暗い室内にいる。かなり広い空間だ。ここが死後の世界ではないのは間違いない。紛れもなく現実。それは分かるのだが……。
ルインフォードは座っていた。円卓が目の前にある。合計九つの席次。ほぼ全て空席で、座っているのは自分だけ──否、誰かの気配がある。
「ははは、君も死んだのかい?」
暗闇からぬるりと姿を現したのは、漆黒の髪を持つ陰気な男だった。
「お前は……ゾロアか。ここは何だ」
ルインフォードはその男の名前を知っていた。『理想郷委員会』メンバーの一人、『水星』のゾロア・ブラッドロウだ。
「ここはエストランティア城中心部。我らが主人様が、『理想郷委員会』メンバーの魂をここに固着させたそうだ」
「魂を、固着……?」
「私たちの体は器でしかない。本体は魂にある。魔術的人工生命となった私たちに肉体という概念はさほど重要ではない。老いもしないし衰えもしない、究極の生命体なのだからなァ!」
ゾロアの話によると、魔術的人工生命となった『理想郷委員会』のメンバーは、肉体的死を迎えると、ある一定の地点で肉体の再構成が始まり、再びこの世に戻ってくるのだという。そのポイントがこの円卓であり、死を迎えたルインフォードは新たな肉体となってここに復活した、ということらしかった。
確かに、せっかく馴染み初めていたはずの体がまた言うことを聞かなくなっている。この調子では、しばらくまともに戦うことすらできない。
「シャシャシャ! それで、孤高の一匹狼を気取っていたルインフォード様は誰にブチ殺されたんですゥ?」
「……アンドウ、エイジ」
「へぇ、聞きなれない名前だな」
黒い外套をはためかせ、愉快そうに奇抜な笑い方をするゾロア。
「……貴様も死んだのか?」
「ああ。ちょっと実験中の事故でね。派手に爆発した」
「……グリムガルド様の命令を遂行しろ。遊んでいる場合ではない」
「心外だ! 遊んでなんていないさ! 私の研究はグリムガルド様の役に立つものばかりだ!」
ルインフォードはゾロアを敵視していた。彼は『理想郷委員会』の中でも、グリムガルドに対する忠誠心が最も低い。創造主に反抗的な態度を取るこの男と、強い忠誠心を持つルインフォードが相入れるはずもなかった。
「まあいい。私は研究室に戻るとするよ。君もせいぜい命令を遂行できるように頑張るんだなァ!」
外套を翻して去っていくゾロア。
「己は……」
ルインフォードも、ふらつく体を支えながら立ち上がる。
ゾロアの言葉の通り。創造主たるグリムガルドの命令──「アトラ・ファン・エストランティアの確保」を成し遂げなければならない。
だが……。
──己は、己の体は、一体どうなっている……?
ルインフォード・ヴァナルガンドとしての活動を開始してからまだ一年も経っていない。『理想郷委員会』とは、魔術的人工生命とは、一体……。
──己は、誰だ?
湧き上がる疑問。安藤影次が最後に残した言葉。妹の存在。
ルインフォード・ヴァナルガンドという人間は、自分の理解しているものとは異なるのではないか。創造主グリムガルドによって生み出されたにしても、記憶に空白がありすぎる。
考えられるのは、この身体になる前──つまり、前世の自分の存在だ。創造主によって生まれ変わる前、ただの人間であった頃の記憶。
グリムガルドは『理想郷委員会』メンバーに多くを語らなかったが、彼らは皆生きた人間をベースに造られているという。だとすれば、素体となった人間『ルインフォード』を指して、安藤影次は妹の存在をほのめかした?
だが、なぜあの人間はルインフォード本人ですら知らないことを知っている?
「──思い返せば、最初から奴はおかしかった」
彼も、その周りの者たちも、自ら名乗る前に『ルインフォード』の名前を知っていた。どこで聞いた? この円環大陸にやってきてそれほど時は過ぎていない。どこからか漏れ聞こえる、などということは考えにくい。
これらのことから導き出される結論は一つ。
あの灰髪の少年──安藤影次は、自分にまつわる何かを知っている。
「──行かねば」
もう一度あの少年の元へ行かねばならない。聞かなければならないことが山ほどある。それに、あの少年の元には捕獲対象もいる。
「…………シャルティア」
実を言うと、その名前自体には聞き覚えがあった。
『理想郷委員会』メンバー、シャルティア・ヴァナルガンド。同じヴァナルガンド性を持ち、同じ隻翼の少女。今まで疑問に思ったことすらなかったのは、それが任務には不必要な情報だったからだ。
しかし、あの少年との一戦を機に、ルインフォードの心にはわずかな変化が生まれていた。
自分とは何なのか。なぜ自分は魔術的人工生命としてここにいるのか。そんな些細な疑問が、心の奥底で育ち始めている。
安藤影次の言葉を鵜呑みにするわけではないが、もし本当だとすればグリムガルドの秘書として活動しているシャルティアはルインフォードの妹ということになる。なのに、自分はそれを認識していなかった。
ルインフォードの中に、グリムガルドを疑うという思考回路はない。たどり着くならば、自らの足で真実へと至らなければならない。
「己は……強くなくては、ならない」
刀を杖にして歩く。
『強くあること』。そんな強迫観念が自分の中に渦巻いている。強さこそ正義。何よりも正しい、絶対的な尺度。
真実を知るために必要なのもまた、力だ。
──安藤影次を中心とした波紋は、確実にその環を広げる。この世界に起きた揺らぎの一つ、わずかなさざ波。
しかしその小さな変化は、やがて大きな流れとなり世界を揺り動かしていくだろう。
ルインフォードは止まらない。胸の内に生まれた些細な疑問、その真実を知るために邁進する。
向かう先は、ただ一つ。
答えを持っているであろう、少年の元へ。
TIPS 魔法について②
①において魔法及び魔力の解説をしたが、ここではレイノルド博士によって明かされたさらに詳しい内容を解説していく。
まず、一般的な民衆が『魔力』と呼んでいるものは、さらに二つの性質を持つ力へと大別できる。通常の魔力とは別に、もう一つ存在するのが『輪廻力』である。
魔力は自然由来の力であり、自然に逆らわない時計回りのエネルギーである。主に自然現象を発現させる。物理法則に従って、その延長線上にある超常現象を引き起こすことができる力である。
輪廻力は、この世界の理に反する力であり、反時計回りのエネルギーである。主に概念的現象や、物理法則の埒外にある超常現象を発現させる。輪廻力は非常に扱いが難しく、一般庶民には存在すらも認知されていない。使える人間も非常に限られる。
噛み合っている二つの歯車を想像してほしい。一つが大きめの黒い歯車A、もう一つはそれよりも小さい水色の歯車Bである。
歯車Aを魔力を担う歯車とする。その歯車は大きいため、出力が高い。しかしその代わり、1回転するまでに時間がかかるため魔力の回復速度は遅くなる。
歯車Bを輪廻力を担う歯車とする。その歯車は小さいため馬力が出ず、出力の最大値が低い。しかしその代わり1回転に要する時間は短いので、輪廻力が回復する速度は魔力よりも早くなる。
これら二つの歯車の大小は、人によって異なる。輪廻力の歯車の方が大きい人間も存在する。
輪廻力が使えない人間は、この歯車が噛み合っておらず、回転していないのが原因である。ただし、外部から刺激を与えることで、この歯車が唐突に噛み合うことがある。
二つの間に流れて歯車を動かす動力となっているのが生命エネルギーである。第一輪廻軸の生命体が持つ普遍的な力だ。生きるという行為が生み出すエネルギーが魔力や輪廻力に変換されるのである。生命エネルギーが原動力なため、無理をして魔力を絞り出そうとすると魔力切れ=マインドダウンを引き起こしてしまう恐れがある。基本的に死ぬ恐れはないが、強い疲労感を感じたり、長時間に渡って気絶してしまう可能性もある。
余談だが、VSルインフォード戦最終盤でアトラが技名を叫んだシーンでは、まさにこの状況になっていた。魔力を使い果たしたアトラは身動きを取ることができず、それを分かっていたルインフォードもアトラを完全に視野の外に置いたのである。
エストランティア・サーガにおいては、これら二つの力はまとめて『MP』と呼称されていた。確かに、ゲームをやるだけならばそちらの方が圧倒的に分かりやすく、馴染み深いだろう。エイジが輪廻力について知らなかったのもそれが理由である。




