第035話 輪廻学研究所
さて、マルギットの街で僕ら星天旅団がしなければならないこと。その大きな目的の一つに、パーティの戦力底上げがある。有り体に言えば、レベル上げだ。
この世界では、数値としてレベルを見ることができない。しかしやることは同じ。戦闘経験を積んで、個々の技能とチームとしての連携を磨く。さらなる強敵の待つこの先の戦闘でも、確実に勝つために。
それと並行して行いたいのは、いわゆる『サブミッション』の消化だ。街中には至る所に解決してほしい問題を抱えた人がいる。その人たちから話を聞いて、問題を解決することで報酬をもらう。ゲームにはよくある寄り道要素だ。
「どこから行こうかな」
四人で街へ繰り出し、効率のいいサブミッションを探す。
だが、ゲームのように黄色い吹き出しを出したNPCに近づいてボタンを押すだけとはいかない。それに、
「あれ? ゲームだとここにサブミのNPCがいたんだけどな……」
そう。この世界の住人はNPCではない。一つの場
所に留まっているはずがないのだ。
そのためサブミッションを受注することすらできずに、僕らはマルギットの山沿いの坂をさまよい歩いていた。
「うーん……」
だがそんな時にこそ、ちょっとした出会いが訪れるというものらしい。
僕はふと、足を止めた。
「ここは……」
「どうしましたーエイジさん。やっと目的のものが見つかりましたかー」
「いや、違うんだけど……」
子供のようにグズり始めたミスティ。しかしそれに構うことなく、僕はある一点に目を向けた。
そこは、路地裏に通じる細い道。人二人分程度しか横幅がなく、通りの賑やかさが突如として消え失せる、怪しさを帯びた道だ。
確かここは、ゲームでは背景扱いで通れなかった場所なのだが……。
「通れる、よな」
そう。普通に通れる。だって僕は今ここにいる。目の前に、人二人分とはいえ通れる道がある。
すぐに思い浮かべたのは隠しエリアという言葉。何か特別な方法を使わないと入れない場所。ゲーマーとしては……正直心踊ってしまうアレ。
だったのだが、
『────────────────!!!!!!』
それは、爆発だった。
近くに止まっていた鳥が一斉に飛び立った。突如として鳴り響いた轟音に、僕ら四人は咄嗟に構える。すわ敵襲か!? とあたりを警戒していたのだが、街の人々の反応はいささか危機感に欠けていた。
「やぁねぇ、きっとまたあのおじさんの変な実験よ」
「本当、勘弁してほしいぜ。近所迷惑も考えろっての」
「今度直接抗議に行ってやろうかしら」
どうやら、この爆発は「おじさんの変な実験」によって引き起こされたものらしかった。僕は不満を募らせている街の人に話しかけてみる。
「あの、すいません。そのおじさんの所へは、どうやったら行けますか?」
「あら、ついに痺れを切らして抗議しに行くのね。この路地を通った先よ。『研究所』なんて大それた看板を掲げてるからすぐに分かるわ」
勘違いされてしまったものの、どうやらその研究所はちょうどこの細い道の向こうにあるらしい。
「……行ってみよう」
パーティメンバー三人も異論はなさそうなので、僕は意を決してその道を歩き始めた。
「ちょっとワクワクしますねこれ!」
「分かるぜ! 秘密基地みてえだ!」
意外にも乗り気らしいミスティと少年心をくすぐられた様子のハザマ。
そして、ハザマの「秘密基地」という発言は、想像以上に的を射ていたことがすぐに分かった。
デカデカと掲げられた「レイノルド輪廻学研究所」という看板。少し開けた空間と、一見ボロ屋敷にしか見えない建物。いかにも、といった雰囲気を感じさせる様相。
そこから聞こえてくる声は、二つ。
「また失敗だ! 今回の爆発は過去最大規模だったな! あーはっはっはっ!」
「答▼[向/博士]……第189回第三輪廻創造実験失敗。笑っている場合ではありませン。屋敷の損壊度が40%を超えましタ。このままのペースで破壊が進めば、来月には倒壊の恐れが出てきマス」
「屋敷よりも……この国の未来を救うための実験の方が重要ではないかね?」
「答▼[向/博士]実験よりも屋敷の方が重要かト」
「ノリが悪いのう。もっとこう、ユーモアやジョークを介するようになってほしいものじゃな」
「答▼[向/博士]ユーモアやジョークで住む場所を破壊されればたまったものではありませんネ」
「うむ、そういうジョークが重要なのだ! はっはっはっ!」
「呟▼[向/無]……」
そこにいたのは、ススだらけの擦り切れた白衣を着たヒゲの似合う老人と、すらりと細身でメイド服を着た、新雪のように白い髪とルビーのように深い紅色の瞳を持った少女だった。
「ん? 来客かね?」
爆心地と思われるその屋敷を前に突っ立っていた僕たちに気づいたらしい老人が、両手を広げて歓迎してくる。
「ようこそ、レイノルド輪廻学研究所へ! 何かお困りかな? 私が全て解決してみせよう!」
「え、ええと……」
代表としてアトラが一歩前に出た。
「すまん! 申し遅れた! 私はレイノルド! レイノルド・グレイハーツだ! この屋敷で自動人形のメイと二人で輪廻学の研究を行なっている!」
「答▼[向/客人]ご紹介にあずかりました、ST05-YOUR SLAVE 個体識別番号:00153β。メイとお呼びくださイ」
優雅に足をクロスさせ、スカートをふわりと広げる少女──改め、メイ。
「私の名前はアトラ。アトラ・ファン・エストランティア」
「お、おいっ」
アトラが自らの名前をそのまま話してしまったので慌てて止めようとしたが、アトラ本人は全く気にしていない様子だ。
「大丈夫。この人たちは悪い人じゃないわ」
「そ、そうかもしれないけど……」
アトラの言葉は信用しているし、実際この人たちが悪い人には見えない。しかし僕はどうしても一段階警戒を強めなければならない。
理由。彼らはゲームには登場しなかったからだ。
そもそもこの研究所自体がプレイヤーの入れなかった位置にあるわけだし、登場しないのも当然ではあるのだが……自らの知識に頼ってここまで来た身としては、そのデータベースに存在しない要因に対してそうやすやすと心を許すわけにはいかないのだ。
常に危険は存在する。この世界は安心安全な日本とは違う。短いながらもこの世界で生きてきて得た教訓の一つだ。
だが、そんな僕の心配をよそに、アトラはレイノルドと歓談を始めてしまっていた。
「アトラ? まさか、あのアトラ姫かね?」
「ええ、そうです。この国の現状を知っていますよね?」
「ああ、勿論だとも。よく知っている。首都は占拠され、この国の安寧が脅かされておる」
「私たちは、その首謀者であるグリムガルドを討つために、各地を回って戦力を集める旅をしているんです」
「……なるほど。姫が立ち上がっておったのか。私以外にも、国を救おうと動いていた者たちがいたのじゃな……」
思案顔で顎に手をやるレイノルド。やがて考えをまとめたのか、すつと手を差し出した。
「私は研究者じゃ。自分で言うのも変な話だが、おそらく君たちの知らないこと、知りたいことをたくさん知っているだろう。少しは力になれるかもしれん」
アトラは、迷わず差し出された手を取った。
「協力、感謝します。今の私たちには、力も、知恵も足りていないのです」
「詳しい話は中に入ってからにするとしよう。メイ、コーヒーを入れてくれんかの」
「答▼[向/博士]かしこまりましタ」
そうして、僕らは輪廻学の研究者レイノルド・グレイハーツと出会った。
僕は内心警戒は解かずに、しかし新たな出会いにほんの少しだけ心を躍らせながら、その様子を見守っていた。
TIPS 精霊教と輪廻学
この世界では、建国以来一つの宗教が最大派閥を形成し続けている。それが精霊教である。
精霊教とは、この円環大陸を生み出したとされる大精霊ユグドミスティアを唯一神とし、その象徴たる円環と、そこから引き出される魔法を神の恩恵として信仰するものである。
この円環大陸に生きる人々は、信仰の強弱はあれどほぼ全ての民が精霊教を信じている。街のデザインや服の模様などに円が描かれているのはその現れで、そうした模様を取り入れることで信仰を表明している。
さて、我々の住む地球において『宗教』と『科学』といえば相性が悪いもの、相反する考え方であるというのが一般的な認識である。
言い方は悪いが原因不明の出来事を「神のおかげだ」とする宗教と、そこに論理的な理屈を求める科学とでは、なるほど相性が悪いのも頷ける。
しかしこの世界では、宗教と科学は決して反発することなく並立している。
というのも、すでに『魔法』という特大の神秘が存在してしまっているため、簡単に言えば神の存在を認めることへのハードルが落ちていたのである。
魔法という論理的に説明がつかない現象が存在することにより、科学は「神の与えたもうた『魔法』とは何なのか」を研究するという方向性を得た。それが、輪廻学である。
神の存在を認めつつ、そこから引き出される魔法及び世界の理について解明するという妥協点の作成により、二つの要素は並立を可能とした。
人々の心の拠り所としての宗教、人々の生活をより発展させるための科学。二つが手を取り合うことができたからこそ、マルギットのような高度に発達した技術レベルを有する都市が誕生するようになったのかもしれない。
ちなみに、アトラは一国の姫でありながら精霊教の巫女でもある。
城で生活していた頃は禊や舞の奉納を行なったりもしていたが、現状は非常事態ということで行なっていないようだ。しかし、彼女がお風呂好きなのはその辺りに理由があるのだろうか?
彼女に多少魔法の心得があるのも、「巫女たるもの崇拝する神の恩恵を自由に扱えるべきである」という教えから来ている。戦闘で使うような魔法のレパートリーが少ないのは仕方のないことだと言えるが、アトラ当人はどうやら気にしているようだ。




