第031話 問▼[向/人間]魂ノ在処
少し小難しい話をするとしよう。
魂とは、どこにあるのだろうか?
人の心。精神。考え方や好み、性格、記憶、感情。そんな実態のない何か。ではその『何か』はどこにあるのだろう?
もう少し簡単な例え話をするとしたら。
あなたは「ゲームのキャラクターに魂が宿っている」と言われて、信じるだろうか?
馬鹿らしいと切って捨てるだろうか? データで構成され、決まりきった答えしか返さないその存在に心があると言い張るのは、夢を見過ぎだろうか?
作り物の生命に魂は宿らない。それは単なる『キャラクター』である──と、一般的な人類ならばそう返すだろう。
でもきっと、この小説を読む大多数の人間は魂と呼ばれる存在を見たことがないはずだ。魂とは形がなく、曖昧なものだ。一度も見たことがないのであれば、存在しないと断言するのは早計ではないだろうか?
逆もまた然りである。
今あなたの目の前に、「あなたの生きる世界は神々によって作られたゲームの世界だ」と言う人が現れたとしよう。
その時あなたは、その主張を100%否定する証拠を突きつけることができるだろうか?
宇宙の真理に至るまで全てが作り物だと言われても、この星に生きる全ての命は作り物だと言われても、私たちにはそれを否定することができない。
限りなく可能性は低いだろうが、もしかしたらそうかもしれない以上決して断言はできない。
私たちの人生が盤上の遊戯であるとしたら、神々は私たちの姿がさぞ滑稽に映っていることであろう。
──長くなったが、言いたいことはただ一つ。
100%でないものを否定しないでほしい、ということだ。
この世界は可能性に満ちている。たとえそれが天文学的数字でも0か100でなければ、そこには何かが隠されている。
目覚めれば自分の好きだったゲームの世界にいる可能性だって、決してゼロではない。そこに生きる人々はゲームの登場人物ではなく、本物の命を宿しているかもしれない。そこには魂が、あるのかもしれない。
あなたのプレイしているゲームの登場人物も、どこかの世界で暮らす本物の命かもしれない。あなたが機械的に処理しているNPCの会話だって、どこかの誰かの想いが込められているかもしれない。
所詮ゲーム。そう言って一歩引いた目を持ってしまう人にこそ、届いてほしい。
馬鹿馬鹿しいと断じる人にこそ、目を背けずにいてほしい。
ここに記すは、魂の輝き。
0と1を疑い、無限の可能性を信じた『人間』の物語。
夢見がちな『人間』たちの冒険譚。
信じる心にこそ魂は宿る。
──それがたとえ、作り物の命だとしても。
処在の魂 幕二第
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