第020話 憧れよ、夢と散れ
一体何が起きたのか。簡単な仕組みだった。
まず始めに、ミスティが放った簡易版アイシクル・ロンド。地面を這うような氷を、ミスティとルインフォードを繋ぐ一直線上に放った魔法。
これによりルインフォードは『氷結』状態に。自由を奪われる形となった。ここまでが、見えていた戦闘の流れ。
だが、本当の作戦は文字通り背後で動いていた。
一直線上に放たれた魔法は、範囲を絞った分射程が伸びていた。そのまま山の斜面を駆け上るように氷の道は伸びていく。
その先には、ちょうど巨大な岩石が鎮座していた。
岩石の足元に滑り込むようにして氷を這わせる。するとどうなるか──想像するまでもない。摩擦係数が極端に小さい氷の上を、岩石は滑り始める。ミスティが生み出した道に従って、勢いを増しながらルインフォードの背後へと導かれて……最後には直撃する。
ミスティは事前に戦場を見て、自分とルインフォードと岩石が直線に並ぶよう位置を調整していた。加えて岩石を利用しようという機転、到着までの足止め能力、戦闘中にも関わらず自分の持つ選択肢から解を導き出した判断能力。どれをとっても一朝一夕で身につくようなものではない。総合的な『戦闘感覚』とでもいうべき能力が、僕らとは次元の違う位置にある。
それはまるで、歴戦の勇者のように。
☆★☆
瞬間の出来事であった。
巨岩の直撃と同時、その強者はされるがまま吹っ飛ぶなどという無様を晒すことはなかった。
「────ッッ!!!!」
一際強く、風が吹き付けた。
渦巻く突風。ルインフォードが操るのは、統制された『意思ある風』。生き物のように方向を変えるそれは──まさに、竜だった。
竜は顎門を広げると、ルインフォードの背に備えられた最後の一対を咥えた。そしてそのまま風に導かれるように、ひとりでに抜き放たれる第五、第六。
ルインフォードを縛る最後の楔は消え、今解き放たれた。
「『六傷・天羽々斬』──ッッ!!!!」
振り向きざま、斜面に対して半身の状態で直撃を許した彼は、弾き飛ばされながらもその魔技をねじ込んだ。しかし──間に合わず。
メギィッ! と、限界を超えて骨が軋む音を響かせて、ルインフォードは錐揉み回転しつつ上空へと跳ね飛ばされた。
「やっ──」
やった──その言葉はしかし、最後の一文字まで発せられることはなく。
ルインフォード決死の六連撃によって細切れになった巨岩は散弾銃と化し、そのまま延長線上にいたミスティに向かう。
「あっちゃー……」
そんな気の抜けた言葉が響いて。
諦めたように目を閉じた少女は、岩石弾の嵐に飲み込まれた。
「ミス、ティ……?」
「嘘だろ、おい……」
「そんな……」
僕も、ハザマも、アトラも、言葉を失った。
ドサリ、と受け身も取らず地面に叩きつけられたルインフォードに動きはない。
もはや雨も止み、静寂だけがこの場を支配している。
いち早く我に返った僕は、すぐさまミスティの元へ駆け寄る。小さくて軽い体を抱き起こす。岩石の散弾をもろに受けたミスティの体は、至る所に打撲と出血が見られ、痛々しいことこの上ない。しかし、胸元は小さく上下に動いている。わずかに呼吸はしているようだ。
「よ、良かった……」
「だ、大丈夫!? と、とりあえず──癒しの光、『キュアレ』」
しかし重傷なのは間違いない。慌ててやってきたアトラが膝をつき治癒魔法をかけるが、アトラはヒーラーではないため回復量は雀の涙か。
ルインフォードに直撃することで岩石の勢いはある程度減衰したはずなのだが、それでもこのダメージとは……。
(──違う)
違う。何が違うのか。違和感があったのは、あの不自然なモーションだ。
脳裏に焼き付いたあのシーンを思い出す。斜面を滑り降りてきた巨岩の直撃を受けて、真上に吹き飛ぶルインフォード。錐揉み回転をして天高く舞う。直後、岩は散弾銃と化してミスティに降り注ぐ。
──いや。これはおかしい。
斜面を滑り降りてきた何かにぶつかって、真上に飛ぶことなんてあるか?
ない。別に物理学的にだとか、そういう難しいことを考える前に不自然だ。何らかの外的要因があったと考えるべき──そう、例えば強い風がルインフォードを押し上げた、だとか。
衝撃を上空に逃がした? あの一瞬で? 自分にかかる衝撃の減衰+ミスティに対する攻めの一手として、岩の破壊? 衝撃で足を縛っていた氷結が外れた、わずかゼロコンマ数秒の内にそれだけのことを?
己の身体の中に再び『恐怖』という感情が渦巻き始めた──その時だった。
ぞわり、と。
肌を撫でる感触。精神的なものではなく、凍てつくような冷気を帯びた風が背筋をさらっていったのだ。
そう、『風』が。
「──ッ!」
弾かれるように僕は振り向いた。
そこには、幽鬼が立っていた。
ゆらり、ゆらりと左右に揺れるナニカ。そこへ、山肌を撫でるように吹きつけた風が集い、渦を巻く。
風が、空気が、大気が鳴動する。そのさまは、世界そのものが悲鳴を上げているようにすら思えた。
「──いッ、」
ビシュ、と頬に一筋の紅が走る。ひとりでに切れた頬から、つうと血が滴る。しかし僕はそんなことよりも、目の前の光景に思考を奪われていた。
「────命令、を」
周囲を舞う六本の刀が、徐々にその速度を上げていく。
「命令を、遂行しなければ」
魔術的人工生命。グリムガルドに創られし命。忠実な駒として、手足として、ただ言われるがままに命令を実行する人形。そこに感情はなく──
「スイこウ、しなケれば」
迷いもまた、存在しなかった。
「──────────」
時が止まったかのように、蠢いていた大気が完全に停止した。
刹那的な静寂。
永久の一瞬。
枝分かれしていた無数の未来が一つに束ねられていく。
そして、英雄の眼が強く一点を指し示す。
揺れるしじまの向こう側、そこにあるのは────
虚無であると。
「──『臨壊』──」
そして時が、動き出す。
「────『終焉譚の伝承者』────」
高密度に圧縮された大気が枷から解き放たれる。暴風は竜と化し、六本の狼牙を咥えて暴れ出す。
それらが、ルインフォード本人へと食らいついた。
「……臨壊」
【風界】の解除には間違いなく成功した。彼を守る風圧は既に存在しない。体力が70%以下に落ち込んだ証だ。巨岩の直撃はやはり大きなダメージとなって蓄積していた。
むしろ、大きすぎた。
臨壊。最も簡単に言い表すところの必殺技。奥の手。
一定量以上のダメージを加える/受けることでゲージが溜まり、100%に到達すると発動可能となる。
「な、何が起きてんだ……?」
戦士の本能か、ハザマの顔は青ざめている。同様に、治癒を行なっていたアトラも思わずその手を止めていた。
ルインフォードに向かって、次々と六刀が斬撃を放っている──そんな異様な光景が広がっている。
そして僕だけが、その正体を知っていた。
☆★☆
ルインフォード・ヴァナルガンド
臨壊:『終焉譚の伝承者』
効果:20秒間の竜化。竜化中は以下のステータス変化。
・移動性能が20%アップ
・攻撃力が300%アップ
・防御力が50%アップ
・魔力消費なしで六刀を使用可能
竜化終了後20秒間、以下のステータス変化。
・命中率が50%ダウン
・防御力が50%ダウン
・六刀操作ができなくなる
☆★☆
切り刻まれた肌から鮮血が舞い、ルインフォードを中心として巨大な紅色の竜巻が発生する。傷口から次々と透き通るような白い鱗が生えてくるさまは、おぞましくもあり──こんな時でありながら、美しくもあった。
次の瞬間には血風は晴れて、様変わりした一人の──否、一匹の竜狼が立っていた。
半身は完全に白鱗で包まれて、額には捻れた角が生えている。わずかに残る人間のシルエットだけが、コレの正体がルインフォードであると指し示している。
「アトラ・ファン・エストランティアの確保……それ以外の障害は、排除」
爬虫類のように鋭く切れた瞳がぎょろりと蠢き、何かを捉える。
「──まずっ」
言い終えることすらできなかった。
ルインフォードが軽く指を動かしただけで操作される六刀。竜化前とは比べ物にならない剣速で、それらが一斉に突っ込んでくる。向かう先は────大剣を携えたその男。
「チッ……!」
咄嗟に剣の腹で二本の刀を防いで見せたハザマは天性の戦闘センスを有しているに違いなかった。それでも残り四本を防げなかったのは、不意を打たれたこと、そしてここまでに蓄積したダメージが原因であった。
ドスドスドス、と肉を突き破る音が無感情に山肌を震わせた。
「ハザマぁぁああああああああああああああああああああああああああああッッ!?!?」
ぐらりと揺れて、地面に倒れる赤髪の青年。いつか見た光景が脳裏にフラッシュバックし、重なる。
こんなにあっけなく。たった一瞬で。
人は、終わってしまうのか。
「そんな、嘘、ハザマ……っ?」
アトラの震え声が聞こえる。そのことが、パニックになった思考をさらにぐちゃぐちゃとかき混ぜる。
「あと、一人」
抑揚のない声で、次なる標的に視線を移すルインフォード。
──つまり、僕だ。
ミスティもハザマも戦闘不能に陥った。パーティは瓦解。ゲームならば諦めてリトライを選択しているに違いない。
気がつけば僕は、刀を取り落としていた。
「はは、ははは」
なんだこれ。笑えるな。酷いゲームもあったもんだ。絶対売れないぞこんなクソゲー。
「ははははは、あはははははははははっ!」
さあ、こんなソフトはさっさと売り払って、別のゲームをしよう。
「ははははは、はは、は……」
見えない風によってハザマから引き抜かれる六刀。僕を見ていたはずのルインフォードはしかし、戦意無しと判断したのか、命令の遂行を優先するようだった。
つまりは、アトラの元へ。
……僕一人にできることなんて、なにもない。このままアトラを連れ去られて結局またゲームオーバー。そんな筋書きが脳裏を過って──
「私は……」
アトラの声が、それを遮った。
「私は、こんなところで終われないッ!」
それは、魂の叫びだった。
「この国を救うまで、絶対に、絶対に折れないから────ッ!」
足はガクガクで。
構えた杖の先は震えていて。
目には涙が浮かんでいて、 腰が引けていて。
それでも。
それでも少女は、逃げなかった。
「心意気や、良し」
何を思ったのかそんな一言を発した後、ルインフォードは六刀の切っ先をアトラに向け、放った。
「クッソおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
気がつけば、体が動いていた。
僕は射線上に体を滑り込ませて両腕を広げた。
心の準備をする暇もなく──六度の衝撃が、背中を撃ち貫いた。
「ぁ──が、はっ……」
傷ついた内臓からせり上がってきた血液を吐き散らす。その紅が、尻餅をついたアトラの頬を汚してしまった。
「あ、ああ、なん、で…………?」
アトラがまるで子供のように首を横に振っている。
「いや、嫌よ……ブライトまで……っ」
アトラの頬に一筋の涙が伝う。
──そうか。この女の子は、会ったばかりの僕にも涙を流してくれるのか……。
膝をつき倒れかかる僕を、アトラが支えてくれる。必死に何か言おうとしているようだが、もう声が聞こえない。
これもまた、いつかと同じ。僕にできることは何一つ変わっていない。始まりのあの日から、一歩も前に進めていないんだ。
でも。
何もできないよりは、良かった。彼女が苦痛に顔を歪める姿を見ずに済んだのだから。いや、それでも泣かせてしまっては意味がないか。どちらにしろ、僕は彼女を導いてやれるほどの器はなかった。
──ごめん。ハザマ、ミスティ。僕一人ではアトラを守るので精一杯だった。
この物語は、僕には荷が重かった。最初から分かってたことなのに、無理してここまで来てしまった。諦めるにはちょうどいい。ここで終わりにしよう。
痛くて、苦しくて、辛いけど──でも、大好きな君の腕の中で、最期を迎えられるなら。それも悪くない。
ゲームなんてのは、楽しいからやるもんだ。辛いのに続ける理由はない。この世界の彼女たちを見捨てることになるのだと思うと心が痛んだが、きっと他の誰かがどうにかしてくれるんだろう。
──だから。
──さよなら、アトラ。
──ここで、お別れだ。
「君を救うのは……僕じゃ、なかった……────────」
それだけ呟いて、僕は静かに目を閉じた。




