第019話 銀色の曳光弾
思考が回り始める。
無策に突っ込んでも斬られるだけ。まず何よりも優先すべきこと、それはルインフォードの纏う【風界】の解除。
「みんな、あの風の障壁は、奴に魔法攻撃を入れないと消せないッ!」
物理攻撃以外で残存体力を三割削る。そのための鍵となるのは──
「ハザマ! 奴を足止めする……僕と一緒に!」
「むっ!」
「アトラ、ミスティ、魔法攻撃準備! 二人固まってハザマの影へッ!」
「わ、分かった!」
「りょーかいですっ」
同時、地を蹴る。即席の連携でどこまでやれるかは怪しいが──仕方がない。ここを超えなければ明日はない。
(魔法職はルインフォードの攻撃を耐えられない。おそらく、一撃で沈む……)
紙装甲──防御力の低いアトラは、このレベル差だと確殺コース。活路を切り開くためにはアトラの魔法が必要なのに、一番危険なのはアトラというジレンマ。どうにかしてアトラを守りきらなければ……。
ゲームでは序盤、ブライトとハザマではアトラを守りきるピースが足らずに戦線が瓦解するというケースが多発する。単純に三人では手が足らないからだ。
しかし。今ここにおそらくパーティメンバー中最強と思われる遊撃職がいる。
ミスティ。神の化身。既に中級魔法を体得し、近接戦闘もこなすオールラウンダー。ハザマに盾になってもらい、それでも防ぎきれない攻撃をミスティに迎撃してもらう。アトラを守り抜くには、おそらくこれしかない。
もちろんその耐久にも限界がある。限界が来るまでにルインフォードを倒さなければならない。
そこで重要になるのが、僕だ。ろくに剣も扱えない僕にできること、それは何か。
「だああああらぁぁああああッ!」
ハザマが雄叫びとともに大剣を叩き込む。右側面から放たれた横薙ぎの一閃は、当たり前のように風に阻まれ跳ね飛ばされる。
「っ、ぉぉおおおおおおおおおっ!」
僕はその脇をすり抜け、間髪入れずロングソードを突き入れる。
止める。とにかくどうにかして奴の動きを止める──!
「──『双傷・風羽々斬』」
爆風、そして衝撃。
実体を持たないはずの風が、剣の後押しをするように明確な物理衝撃を伴って僕たちに襲いかかる。
ルインフォードが繰り出したのは、風を纏った二刀による天へと打ち上げる斬撃。魔法と剣技を組み合わせた、通称『魔技』と呼ばれる部類の技。
「がっ、は……!」
魔技の威力は絶大だ。集中力を必要とする魔法と繊細な剣技を同時に行うのは難しいという設定があり、魔技を習得できるキャラクターは少ない。その代わり、『魔法』よりも少ない魔力消費で行使でき、威力も高い。
剣で受けるも、ハザマと違って堪え切れない僕では空中へ跳ね飛ばされてしまう。
……ものすごい衝撃だ。両腕が痺れてたまらない。
だが────空へ逃せば、僕でも一発は受け切れる。
空へ跳ね飛ばされる、という一連の流れを未来視で把握していた僕は、すぐに態勢を整える。そして想定通り着地し、ルインフォードの背後に移動。アクロバットな挙動にも、ブライト・シュナイダーの体はついて来てくれる。
「まだっ!」
続けざまに背後へ一撃。またも未来視でタイミングを合わせて、ハザマとほぼ同時の攻撃──それでも【風界】は超えられない。全周囲物理攻撃完全防御という強烈な性能が、僕らの前に立ちはだかる。
しかし、狙いはそこではない。
この、僕とハザマがルインフォードを挟んでいる構図。前後に障害物が配置された状態。
これを待っていた。
「アトラ、ミスティ────」
そして、僕は叫ぶ。
「ぶちかませッッ!!!!」
黄金と薄水色の円環が同時に広がり、収束。
練られた魔力が実存世界を塗り替える。
「『ボルテクス・レイ』!」「『アイシクル・ロンド』!」
空を切り裂く雷撃と地面に這うような氷撃の双方が一直線にルインフォードに突き進み、僕とハザマの離脱する瞬間──
「──────────」
直撃。
「よしっ!」
思わず拳を握る。雷と氷に包まれるルインフォード。
「くっ……」
それは決して、ありがちな「やったか!?」展開じゃない。
(見たか、ドラゴン野郎……っ!)
僕らの危うい連携でも、確かに爪痕を残すことができている──!
わずかに風雨が弱まった。ルインフォードが攻撃を受けることで、彼が起こしている変化も同時に弱まったということか。
「やってくれたな、人間共」
身体を覆い焼け焦げた隻翼。凍りついた足。しかし表情は動かすことなく、半竜半人は腕の一振りで纏わり付いた氷を一掃。
氷片が吹き飛ばされた向こうに立つその男は、勢いよく両手の刀を空へと放り投げた。
「──!」
第三、第四制御機構解除。
ルインフォードはさらに二刀を引き抜く。空へ投げた刀は地に落ちる──ことなく。
まるで何かに操られるように、空中で舞い続けている。
「な、なんだァ……!?」
ハザマが驚愕している。仕組みを知らなければ、見えざる腕が刀を操っているように見えるだろう。
その正体はルインフォードの発する魔力風。術者によってベクトルをコントロールされた、指向性の突風。
「『四傷・夢羽々斬』」
「まずい、アトラを守れッ!」
叫ぶ。反応したハザマが反射的にアトラの前へ。そこに襲いかかる四本の牙。
「閃──ッッ!!!!」
ドガガガガガガガガガッ!! と、まるで工事現場のように爆音を搔き鳴らしてハザマを削り殺そうとする無数の斬撃。
「受け、きれねェ……ッ!?」
手数。
ルインフォードの得意とする戦闘スタイル、それは風を操ることで限界を超える手数の斬撃を可能とした多刀流戦闘術だった。
「く、そ──ッ!」
すぐに加勢に向かおうとするが、ガラ空きの背中に一撃をブチ込むことすらできない。先ほどの攻撃でも【風界】も解除には至らなかったからだ。
つまり残存体力は未だ70%以上、物理攻撃完全シャットアウト。
やがて──
戦線が、瓦解し始める。
「くっ……!」
膝をつくハザマ。一人にかかる負担が大きすぎたのだ。切り刻まれた皮膚から血を流し、至る所が刃こぼれした大剣を杖にしている。
ここまでほぼ一人で戦線を支えてきたハザマに限界が来ていた。
ハザマを下がらせる? 無理だ。僕ではあの役割を担うことはできない。ミスティは──ダメだ。アトラの守りがいなくなっては本末転倒。
雨の影響ではないだろう。何か致命的なミスを犯した時のように、自分の体温が下がっていく感覚があった。
全員生存。
それは絶対条件だ。誰かを犠牲にしてまで前に進もうとは、今の僕には思えない。
どうする、どうする、どうする。
この嫌な感じ。知っている。どうあがいてもジリ貧で、根本的に戦力が足りていない。数値で明確に表されるゲームだからこそ分かってしまう『未来なき戦闘』──あの時に感じる諦観と、似ている。
心は……まだ折れていない。でも、僕の中にある知識の一つ一つが未来を確定させていく。そこにあるのは敗北だと。
未だ破れぬ【風界】。限界に近いハザマ。ミスティは魔力量が低く、これ以上大きな魔法は使えない。辛うじてアトラは無傷だが、序盤のアトラはまだ『ただのお姫様』だ。戦力として期待するには……弱い。
冷静に状況把握ができている自覚がある。目の前の恐怖を飲み込んで、ゲームプレイヤーとしての知識を引き出し、一歩引いた視点から戦況を俯瞰する。
安全な場所からコントローラーを用いて指示を出す。ゲーマーとは見えざる軍師だ。
最初は当事者となった焦りがあったが、今は勝利に向けて思考を回転させることができている。
足りない。あと少し、ほんの少し、ピースが足りない……。
「仕方ないですね」
そこへ。
銀の髪を揺らす少女が、一人。
静かに指を三本立てている。
「ブライトさん、30秒です」
「……は?」
アトラを守っていたはずのミスティが、なぜか僕の前に立っていた。懐からツインダガーを引き抜く。そして──
「30秒間、アトラさんを守ってください。あの風の障壁は、攻撃を入れないと解けないんですよね?」
「そ、そうだけど……何を、」
「解きます。後のことは──お任せしますので」
「お、おい!」
言うや否や、ミスティは飛び出した。
(は、速い……っ)
やはりダントツでレベルが高い。抜きん出たスピードで接敵、しかしルインフォードもそれに対応しきる。
そのさま、まさに銀色の曳光弾だった。残影すら見えるほどの速度。身軽さを生かした立体戦闘。ルインフォードの四本牙をするりするりと躱して、ついに間合いに捉える──
(でも、物理攻撃は……)
【風界】は健在。いかにミスティが強くとも、完全防御は貫けない──しかし。
「それっ」
ガンッ! と地面を踏み鳴らすミスティ。するとそこから、一直線に地面を這って進む薄い氷が発生し、ルインフォードへ襲いかかる──!
(ほぼゼロ距離での氷魔法! でも、なんで──?)
アイシクル・ロンドは高威力の魔法だが、消費が激しい。ミスティも総魔力量的に一発が限度。再使用までに、魔力の自然回復だけでは相当の時間がかかるはず。数値が画面に表示されているわけではないため断言はできないが、それでも──速い。
「クッ、ォォオ……ッ!」
超至近距離で放たれたその魔法を、ルインフォードは避けることができない。そして地面に張り付くように放たれた氷は、【風界】を貫通する。
(……あ)
そこで僕は気がついた。
通常のアイシクル・ロンドよりも、氷の量が少ない。氷柱の発生場所もルインフォードへ向かう一直線のみ。
(つまり──出力を絞って、魔力を節約した?)
そうか。この世界なら、そういうこともできておかしくない。
ゲームでは、コマンドを入力し、定められた分の魔力が数値として減少して魔法を行使するという画一的な行動しかできない。別にそれを不便だと思ったことはないが、この世界はもっと融通が利く。
常に全力全開の『アイシクル・ロンド』が欲しいわけではない。ならば、ちょっとだけ使えばいいのだ。『自分を中心とする半径8メートルに存在する敵を対象とし、氷柱で氷漬けにする』──なんて、大げさなことをする必要はないのだ。
そう。今ミスティが示したように。
「チッ!」
ルインフォードが顔をしかめる。ここに来て初めて、奴は表情を動かした。その原因は──
(氷結が入ったのか……!)
氷系魔法の付属効果、状態異常『氷結』による一時的な行動阻害。見れば奴の左足は、足首辺りまでガッチリ凍りついている。
だけど、どうする? これでは魔力を絞った分威力がない。【風界】を解除するにはまだ──
と、思った矢先。
僕はミスティのずば抜けた戦闘感覚に、度肝を抜かすことになる。
「逃がさないですよーっと」
ルインフォードの真正面に陣取り、四本の牙をまるで舞うように避けつつ、付かず離れず牽制を繰り返すミスティ。「逃がさない」──その言葉通り、自由を奪う氷を破壊する隙を与えない連続攻撃。僕の入る隙は……正直、ない。
この隙に、ハザマとアトラが回復をする。この場の頼りは、情けないがミスティしかいない。
僕は息を飲みつつ、ミスティの決死の時間稼ぎを見守る。その作戦が成功することを祈り、声を潜めて待つ。
次第に、少女の肌に傷が生まれていく。その度に僕は歯をくいしばる。
僕はここで見ていることしかできない。僕が強ければ、彼女が傷つくこともなかったのに──。
神の化身だから強いのは当たり前。そう思う理性的な自分と、でも目の前にいる少女が傷ついていることは変わらないと訴える感情的な自分。
しかし、そんな悠長な葛藤を許してくれるほど、この戦闘は甘くない。
戦局が──動く。
シィィィィ──────、と。擦過音が遠くから迫ってくる。物凄いスピードで。
ミスティに足止めをされながらも、それに気がついたルインフォードはさすがという他なかった。しかし、もう遅い。
巨大な岩石は、もう目の前まで迫っているのだから。
「なっ────」
ルインフォードが振り向くと同時だった。
山の斜面を滑り降りてきたその岩石が、勢いそのままに彼に直撃した。




