第017話 正しい道のりと間違った道のり
マルギットは山脈に囲まれた都市だ。山間に挟まるように街が築かれており、天然の防壁となっている。
それ故、マルギットを訪れようと思うとまずは山登りをしなければならない。
位置関係的には、リドラの村を中心に北へ進むとマルギット。南に進むとルルーエンティとなる。リドラの村からまっすぐ北に進もうとすると山脈にぶつかる。それを超えなければならない、ということで。
僕らは山を登っていた。
「はぁ、はぁ……っ、こんなにしんどかったのか山越え……」
ゲームでは多少高低差がある程度のマップだったのに、自分で歩くとこんなにも辛いとは。
「この程度で音を上げていたら先が思いやられますねー?」
「う、うるさいな!」
ミスティがからかってくる。僕を馬鹿にするのがそんなに楽しいのか。とはいえ美少女だし中身は神なのでそこまで怒る気にもなれない。バチが当たりそう。
前を行くハザマは、それはもう快調だった。本人は嫌がったが、ボロボロだった白い隊服から旅装に変わっている。それに加えて、隊としての誇りを忘れないために、切れかけていた白い布の端を切って頭に巻いている。ハチマキが似合う男である。
「遅いぞ、ブライト! お前がマルギットに行くって言い出したんだろうが!」
背に身の丈ほどの大剣を背負っているにも関わらず、全く疲れる気配がないハザマ。ゲームでもタンク職寄りなあった彼だが、化け物みたいな体力をしている……。
いや、ハザマが元気なのは分かる。そういう体力馬鹿的なキャラクターだし、自然だ。
じゃあ、あそこで健脚を発揮しているお姫様はなんだ?
「んー、空気が気持ちいいわね!」
のびーっと腕を天に掲げる体力補正最低の魔法職。弱音も吐かずに笑顔を見せながら、サクサクと山道を進んでいく。
「ア、アトラは疲れないの?」
「私? それなりには疲れるけど、平気よ! 全身に魔力を巡らせて身体能力を高めてるから」
「そ、そんなものがあるのか、この世界には……」
魔法といえばメニューに表示される文字列でしかなかった僕は、この世界には確かに魔法が息づいていることを感じた。僕の理解している魔法は、どうやら浅すぎるらしい。ゲームとこの世界の相違点も詳しく調べなければいけないようだ。
「それに──」
と、アトラは言葉を続けた。
「辛い時に辛い表情をしていたら、周りのみんなも辛くなっちゃうじゃない」
「────」
すう、と言葉が胸に入ってきた。
「国が危ない。未来が見えない。危機が目の前に迫っている。明日はあるのか、それすら分からない。今の皇国民ならば、誰もが思っている不安よ。もちろん、私も。
──でもね。
どれだけ今日が不安に満ち溢れていても、それでも明日へ向かわなきゃいけないじゃない。誰かが笑顔で前に進まなきゃ、きっと誰もついてきてくれないじゃない。
きっと今の皇国民は、どこに進めばいいのかすら分からないような状態。暗闇の中で、進むべき道を探している。
そんな時に、道標になるべきは誰か?
旗を掲げるべきは誰か?
考えるまでもない。それは私」
瞬間、脳裏を巡ったのはあの日の彼女だった。
「だから私は、笑うわ」
ニカッと、気持ちの良い笑顔を見せるアトラ。
──『今見たことは忘れて』。
真夜中、誰も見ていない窓辺に一人佇んで涙を流していたあの少女の横顔が、重なる。
辛さも苦しみも寂しさも、全部抱え込んで笑う少女。背負った使命の重さに潰されそうになりながらも、決して弱みを見せようとしない高潔さ、志の高さ。
アトラ・ファン・エストランティアの持つ、強さではない力の源泉。
遠い未来、英雄旅団の旗頭として多くの仲間を引き連れて巨悪に立ち向かうことになる少女──その強き信念の一端を垣間見た。
「私はね」
そして。
「花を植えたいの」
少女は、夢を語った。
「そうだなぁ、たくさん咲くお花がいいわ。お日様の光をたっぷり浴びて、視界を埋め尽くすように花を咲かせるような──そんな花。満開になったとき、それを見た人たちに希望を与えたい。勇気を、活力を、笑顔を与えたい」
山道を歩きながら、アトラは曇りがちな空を見上げる。
「未来のエストランティアではね、その花が国中に咲いていて、皇国民のみんなが好きなの。みんなが幸せな気持ちになるから、争いも起きずに、平和に暮らせる。
そんなの絵空事。絶対にありえない──そう言って笑うやつの前に、その花を突きつけてやるのよ。『どうだ。私たちの国はすごいんだぞ』ってね」
「ぁぁ……」
理想の未来を信じて疑わない少女の横顔は、決意に満ち溢れている。今後どんな苦難が待ち受けていようと、乗り越えてみせる──そんな覚悟が、そこにはあった。
そしてその表情が、あの日画面の向こうで出会った彼女と重なっていく。
『私は負けない!』
知っている。
『あなたが切り開いてくれた道を、私が歩むっ! そこにどんな壁があろうと、あなたがいればきっと乗り越えられる!』
その光景を、知っているのだ。
『たとえ誰もが諦めて、無駄だと私を止めたとしても、それでも私は歩むのをやめない。一人になったとしても、旗を掲げ続ける。道無き道を進むことこそが、先頭を行く者の務めなんだから』
アトラが各地を訪れるたびに植えていった小さな苗。それはやがて、国中に咲き乱れて人々の希望となり、反撃の象徴へと成長していく。
『行くわよ──これからあなたが相手にするのは、エストランティア皇国民一億人の魂ッ! 託してくれたみんなの分まで、私があなたをぶん殴るッ!』
全てに決着がついた後。その花は国花となり、何年も何年も皇国民の手によって大切に育て続けられる──その光景を、僕は知っているから。
「あら、雨ね」
いつの間にか、静かに雨が降り始めていた。
その雨のおかげで、僕はアトラにこの顔を見られずに済む。
──君は将来、国中に花を咲かせるんだよ。
そう言いたかった。
未来は全て知っている。大丈夫、アトラはちゃんと夢を叶えられる──しかし今の僕には、それを言えるだけの資格がない。
なぜなら、その未来を形作ったのは、僕ではなくブライトだからだ。
ブライトではなく安藤影次という人間の手によって、同じ未来にたどり着けるという保証はできない。
僕は知っているだけだ。実践したわけではない。本当に剣を振って戦っていたのは、ブライト・シュナイダーだ。
──どうにかして見せてやりたい。そう思った。彼女がその世界にたどり着けるかどうかは、全て僕にかかっている。
どうすれば。どうすれば、僕はブライト・シュナイダーになれる? 勇気と実力を兼ね備えた、憧れのあの背中に追いつける?
「お花畑なんて、メルヘンチックだな」
「な、何よ!」
ハザマが呵呵と笑った。それを聞いたアトラが夢を馬鹿にされたと思い込んで突っかかる──が、ハザマはそんな男じゃない。
「いや、いい夢だ」
ハザマは心の底からアトラ・ファン・エストランティアという人物を尊敬している。彼女の崇高な生き方、気高い魂、皇族としてのあり方に強い信頼を寄せている。だからこそ彼は、悪ガキから国のために戦う騎士へと成長を遂げたのだ。
ハザマ・アルゴノートは強い。心も、身体もだ。だからきっと、アトラを花咲く世界へと導いていけるだろう。
セーブ機能。あれがあれば、いつの日か花咲く世界へとたどり着けるのかもしれない。でも、そこまでどれだけの時間がかかる? 何人の『僕』が死んで、何人のアトラが死ねば、そこへ行ける?
分からない。全ては不透明だ。
「もう、最初からそう言えばいいのよ!」
自分の夢を褒められたアトラは、ちょっと恥ずかしそうにそっぽを向いた。
──大丈夫。一度は死を経験したが、ここからは平気だ。もうあんなミスはしない。この世界の仕組みも少しずつ分かってきた。慎重に事を進めれば間違いは起きない。自分の中の知識を信じて進めば──
「風が強いな」
しとしと降っていたはずの雨はいつしか本降りになっていた。風が突然強くなり、一気に横殴りの雨に変わった。
「山の上は天候も変わりやすいですしねえ」
ミスティはさして気にするでもなく、意味もなくクルクルと回りながらハザマの後ろをついていく。
「……」
確かにそれなりに山道を歩いたが──山の上というほど登ったか? そこまで標高の高い山ではないと思うのだが、この世界では気候の仕組みも僕の知る世界と違うのだろうか?
エストランティア皇国を中心とするこの円環大陸は、その名の通り円形の大陸である。中心地であるエストランティア城周辺は過ごしやすい気候。外側に向かうほど四季が強く表れるという性質を持つ。
確かに若干の差異はあるが……基本的にはプレイヤーにも分かりやすいように日本準拠の気候帯だったはず。例外として特殊な気候を持つ土地は存在するが、マルギットへ向かう道中は特にそんな説明もなかった。
ざわ、と産毛が逆立った。
この感覚。この予感。なんだか、つい最近も感じたような気持ち悪さ。
「……待って。これは何か、おかしい────」
僕が足を止めた、その刹那。
脳裏に浮かぶのは数秒先のビジョン。大精霊ユグドミスティアがもたらした権能『英雄の眼』が見せる未来の世界。
「なん、で……」
その世界には、あってはならない未来が広がっていた。いてはならない人物がいた。
「なんでだよ──」
一際強く風が吹いた後、瞬間的な凪。そして──
「なんで──お前がここにいるんだよォッ!?」
嵐が、落ちてきた。
「なぜ? それは、そこに標的がいるからだ」
轟、と。爆音搔き鳴らして風とともに天より舞い降りしその影。
黒い外套。純白の長髪。三対六本の刀。竜と人を掛け合わせたような、異質な存在。
隻翼のルインフォード。
マルギットへ向かう道中にいてはならないその存在が、僕らの前に立ちはだかっていた。




