第015話 To Be Continued……?
『GAMEOVER』、と。
一体今まで、何度その表示を見たのだろう。
異常に難易度の高い『エストランティア・サーガ』は、それだけゲームオーバーの回数も多かった。
理不尽としか思えないバッドエンド。設定ミスとしか思えない敵のステータス。数々の罠が、まだ幼かった僕の操作する主人公を何度も何度も殺した。
ふざけるな。なんだこのクソゲーは。
そう思う度に僕は、ゲームコントローラーを投げ出していたっけ──
☆★☆
それはまるで場面が切り替わるように──映像がカットされるように突然だった。
「──────ッッ! っ、あ」
止まりそうになった呼吸を条件反射で繋いだ。荒い呼吸、全身に冷や汗をかいている。
(何が……何が起きた?)
意味が分からない……というのも正しくない。何も理解できていない。
突然自分の体に意識が宿ったような奇妙な感覚。つい数秒前までなかったはずのものが、いきなり現れたような。もしくは、ばちんっ! とスイッチが入るように突然体が起動したような感覚か。
(僕は今──どうなってる?)
立っている。まっすぐ直立。
……立っている?
(いや、ついさっきまで僕は……)
そうして思考が回転し始める。ついさっきまで僕は何をしていた? どういう状況に置かれていた?
「…………っ、!?」
胸元を触る。猛烈な違和感が襲いかかってくる。何かおかしい。変だ。
だって。
つい数秒前まで。
この胸を、ルインフォードの刀が貫通していたのではなかったか。
「──────」
すう、と体温が下がった気がした。
夢でも見ていたのだろうか──いや、違う。あんなリアリティのある夢があってたまるか。あの肉の焼けるような臭いも、瓦礫の倒壊で舞う砂埃も、襲いかかる理不尽に対する怨嗟の悲鳴も、内臓が抉られるような苦しさも、流れ出した大量の血も、倒れ臥す赤髪の少年も────
髪を掴まれて引き摺られる大切な人も。
全てが、本物だった。
「嫌、だ…………嫌だ、そんな」
僕は結局、誰も救えなかったのか。
「ハザマ、アトラ────」
「どうしたの?」
突然、背後から声がかかった。
「……え?」
「今、私の名前を呼ばなかったかしら?」
「アト、ラ……?」
そう。そこには不思議そうに首を傾げるアトラの姿があった。
五体満足。破れかけで煤にまみれたドレスを着てはいるが、いたって健康そうな少女。
「なんで……」
アトラは平然と、何事もなく、そこにいた。
「なんでいるんだよぉ……っ!」
「え、ええ……?」
じわり、と視界が滲む。
何が起きているのかは分からないが、アトラは無事だった。その事実が胸の一番深いところに染み込んできて、狂おしいほどに熱を生み出す。
ぐちゃぐちゃだった感情を安堵が解きほぐしていく。僕はふらふらと地面にへたり込んで胸を撫で下ろした。
「どうしました? 疲れすぎて幻覚でも見えましたか?」
心配しているのか、それとも煽っているのか、アトラの背後にいたミスティが聞いてくる。
「突然本が見えるとか言い始めたり」
「本?」
聞き覚えのあるフレーズに、ふと引っかかった。
「今自分が言ったんじゃないですか。何もないのに、そこに本が落ちてるんだって」
ここに至って、ようやく僕は周りに目を向ける余裕を得た。
そこは、リドラの村前。座り込んだ僕のすぐ隣には……一冊の本が落ちていた。
「これは……」
明らかに見覚えがあった。リドラの村に入る前、僕が見つけた謎の本。アトラやミスティには見えていないらしい、不思議な物体。
無地の表紙。謎の数列だけが記された一冊。あの時謎のまま終わった本が今、再び目の前にあった。
(何か、おかしい)
おかしい。そう。おかしいといえば他にもある。
アトラはなぜ、まだ破れかけのドレスを着ている?
リドラの村で服装を整えたのではなかったか?
ポケットに手を突っ込む。懐にはまだ精霊石が入っている。換金したはずではなかったか?
この世界が謎に満ちているのは最初からだが……これはおかしすぎる。ゲームの常識からも外れて──
「本格的におかしいですね。狐につままれでもしましたか?」
何が面白いのかニヤニヤと笑っているミスティ。
「──いや」
ゲームの常識から外れた現象だ、と行き着いた思考の中で、僕は連鎖的に何かが繋がっていくような感覚に囚われた。
だって僕は、この感覚を知っているんじゃないか?
失敗をして戻される、それはゲーマーにとって自然に受け入れている日常の出来事ではなかったか?
強い敵と当たった。死んだ。ゲームオーバー。そんな時、ゲーム画面では何が表示されていたか。
『セーブ地点から再開する』
「──!」
僕はそこに落ちている本を引っ掴んだ。そして、一ページ目を開く。
『3412231352』
そこには既に数列が記されている。僕の記憶が正しければ、この数列は僕が本を手に取るまで記されていなかったはず。ここは明確に記憶と異なっている。それに──
『3412231403』
加えてそこに、新しい数列が浮かび上がってきた。
依然として数字自体の意味は不明だが、その数列が持つ効果は見当がついてきた。
つまりこれは。
「セーブポイントって、ことか……?」
瞬間、目の前の映像と脳内の記憶が重なった。
かつて僕が初めてエストラをプレイした時──つまり初見の時、僕はまさにちょうど『リドラの村前』でセーブをしたんじゃなかったか。
そう考えれば全てのことに合点が行く。原理は不明だが、ここにはセーブポイントを現実にアジャストした物体として本が置かれている。これに触れるとそれまでの冒険が保存され、ゲームオーバー……つまり死を迎えると、この地まで戻される。
分かりやすく言えば、この本は『ぼうけんのしょ』だったということだ。
「っっっっ、はぁ────…………」
張り詰めていた緊張の糸が弾け飛んだ。身体よりも、精神的に限界だ。
死にそうだ。いや死んだのか、一回。
僕は呼吸を整えて立ち上がった。時系列を確認しよう。
おそらく『セーブ』によって帰還したと思われるこの世界は、リドラの村到着の直前。飯も食っていない、服装も整えていない。何より、ハザマとはまだ出会っていない。
──そう。僕はまだ、選択を誤っていない。この世界の僕はまだ、正しい道のりの上にいる。
ならば、これからしなければならないこと。それは、あの失敗を繰り返さないことだ。
ゲームとは、そうやって間違いを覚えて、正解を掴み取りながら進めていくものなのだから。
本をしげしげと眺める。これは、僕にとって文字通りの命綱だ。そう思うと触れていることすら恐れ多くなってきた。
(何かの拍子に破損でもしたらどうなるんだ……?)
アトラやミスティに見えていないということは、この世界の人間に破壊されることはまず無いと考えて良さそうだが……。
(なら、大切に抱えて冒険をすればいいのでは?)
そう思い、本を手に取って歩き出そうとしたところ、
「熱っ……!?」
突然本が物凄い熱を帯び始めた。それはもう、手に持ってはいられないほどの。
このまま歩いて持ち去ろうとすれば自然に発火して燃え尽きてしまうのではないだろうか。そんな恐怖に駆られた僕は、大人しく本を元ある場所に戻した。どうやらこの行動はNGらしい。
──ならば。
「……行こう」
行くしかない。
僕は再びリドラの村へ赴く。今度こそ失敗しないために。
今も胸を貫かれた感覚が残っているような気がする。血塗られた光景が脳裏に焼き付いて離れない。
今度は彼らを救えるだろうか。
こんな僕にでも、やれることはあるのだろうか。
分からなくても進むしかない。他に道はないのだから。




