第012話 灼熱の騎士
「おっちゃん。練習用の木刀貸してくれねえか?」
そう言ってハザマは武器屋の親父から受け取った二振りの木刀のうち、片方をこちらへ投げてよこした。
場所は村はずれ。誰もやってこないであろう裏地で、僕とハザマは向かい合っていた。
「騎士団でも、揉め事があったらこうしてルールに則った決闘をする。一本勝負。決められた範囲を一歩でも出るか、どちらかが降参したらその時点で決着。もちろん大怪我や死亡はご法度だ」
既に直径15mほどの円が引かれている。その円の外で、アトラとミスティが並んで座っている。
彼女たちとしてはどちらの意見もアリ、という立場なのだろう。『白羊宮』を信頼しているハザマと、知識を持つ僕。二人の意見の良し悪しは、客観的に判断できるものではない。
「男って馬鹿ですよねえ」
「そお? 私はこういうの、嫌いじゃないわ!」
「えぇ……」
何故だか顔をキラキラさせてながら体育座りをするアトラ。隣のミスティはそんなお姫様を半眼で見つめている。
決闘。
ただの高校生であった僕には馴染みのなさすぎる単語だ。いや、高校生でなくとも現代日本人でガチの決闘をした経験のあるやつなんて誰もいないだろう。
ただ闇雲に剣を振っているだけで勝てる相手ではないのは明白だ。ならばどうする? どう立ち回れば『決闘』になる? いや、そもそもそれすら分かっていない僕に、まともな決闘ができるのか?
「それじゃ、行くぜ。コインが地面に触れた瞬間が開始の合図だ」
ハザマは、懐から取り出した銅貨を指でピンと弾いた。
勢いよく回転しながら宙を舞う銅貨。僕はそれを食い入るように見つめる。
ドクン、ドクン、と自分の心臓の鳴る音が聞こえる。緊張と不安、荒れる感情がさらに鼓動を早めていく。
──そして。
キィン、と鉄属の鳴る音が響いた。
「──っ!」
刹那のうちに迫る剣閃を、未来視の力を借りてかろうじて避ける。しかし、続く二撃目のことを想定して動いていなかった僕は、返す刀に胸を強かに撃ち抜かれた。
「ご、げばっ……かはっ」
肺の中の空気を全て持っていかれる、という表現をまさか自分が体験することになるとは思わなかった。打ち据えられた胸よりも、呼吸が止まることの方が苦しい。僕は地面に手をつきながら必死に酸素を取り込む。
「──なんだ、お前? 戦えるんじゃないのか?」
訝しげな視線を送るハザマ。「ここまでアトラを無事に連れてきた」という情報から、彼は僕が腕の立つ人間だと思っていたらしい。
「っ、うあああああああ!」
僕は無策でハザマに突っ込もうとする。しかしその行為を、僕自身の思考が止める。
未来視だ。その行動に未来はない、と『英雄の眼』が教えてくれるのだ。無感情に、残酷に。
「どうした? なんでかかってこない?」
心の底から分からない、という声音でハザマが問い詰めてくる。しかし僕は歯噛みすることしかできない。
このまま立ち向かえば防がれることはおろか、反撃を受ける。胸を撃たれた初撃とは比べものにならない一発が叩き込まれる。それが分かるのだ。
恐怖。
単純なことだった。
唯一の武器であったはずの英雄の眼は、無力な僕が扱えばただの「恐怖を先読みできるだけの能力」にまで堕ちるのだ。
もともとこの未来視の能力は、プレイヤー操作の戦闘では『回避率の上昇』という効果しか持っていない。それがあるから戦闘で勝てるわけじゃない。
ブライトとは、高い回避率を生かした近接格闘でダメージを稼ぐダメージディーラーだ。未来視だけではダメージを稼ぐ手段にはなり得ない。
「なんだよ。なんなんだよ! お前、自分の考えを押し通したかったんじゃないのかよ! 今のお前から微塵も気迫を感じねえ! 勝ちたいという気持ちが全く伝わってこねえ!」
「……っ、」
「何とか言ったらどうなんだ、よッ!」
バキィ! という硬質な衝撃音が、まるで他人事のように聞こえてくる。
気がつけば僕は宙を舞っていた。
「がっ、ごは、ぶへぇっ」
地面をバウンドし、定められたラインぎりぎりで止まる。
そこに至って、僕は木刀で頬を思い切りぶっ叩かれたことを理解した。
──痛い。
ゆっくりと感覚が戻ってくる。
──痛い、痛い、痛い、痛い。
もはやそれは戦闘の形を成していない。一方的な攻撃があるだけだった。
気がついた時にはもう既に全てが終わっていた。頬だけじゃなく、激しく地面に打ち付けた全身が激痛を発している。
「は、ハザマ。その辺にしておいたら──」
「黙っとけ! 俺が決闘を申し込んでこいつが受けた。ンなら、決着が着くまでこれは俺たちだけの戦いだ」
姫にも荒い口調で返すハザマ。相当頭にきているようだった。
「わ、私、生まれて初めて人に黙っとけなんて言われたわ!」
「なんでちょっと興奮気味なんですかアトラさん」
僕はふらつく手で体を支え、立ち上がろうとする。しかし──
「ひっ、」
一歩。また一歩と、木刀を揺らしながらこちらを目指して歩いてくるハザマを見た瞬間、心が立ち上がることを拒否していた。
「や、やめ──」
「なあ」
ハザマの低い声が、いやに恐ろしく聞こえて。
「お前、なんでここにいる?」
「そ、それは、アトラを守る……ために……」
「その力で?」
「………………、」
突きつけられた木刀の先端が、やけに鋭く見えて。
「悪いことは言わねえ。お前はここで全てが終わるのを待ってた方がいい」
「そ、んな……」
「大丈夫だ。姫さん──アトラは俺が守る。ここまでアトラを守ってくれてありがとう。本当に、お前はよくやったよ──」
そして、彼の言葉が。
「『凡人』にしてはな」
痛いほどに、胸に突き刺さって。
僕は。
僕は────。
「っ、ああああああああああああああああああああッッ!」
闇雲に、がむしゃらに、無策に、無防備に、ただまっすぐに突撃した僕に、ハザマは落胆のため息をつくと。
「つまらねえ男だ」
一閃。
それは、意識を刈り取る本気の一撃。鍛え抜かれた彼の技は──僕の意識と、熱意と、そして勇気を根こそぎ持っていった。
ぐらり、と揺れる視界。ハザマの向こうに慌てて立ち上がるアトラの姿が見える。
僕が正しいのに。ハザマの向かう先では、死が待っているというのに。間違っていることなんて一つも言っていないのに──
なんで僕が、こんな目に合わなきゃいけないんだ。
その答えは、見下ろしてくるハザマの目が雄弁に語っていた。
──それはお前が弱いからだ、と。
──お前に力がないからだ、と。
視界が、思考が、闇に飲まれていく。
もし、ブライトがハザマと決闘をしていたらどうなっていたのだろう。
いい戦いをして、お互いに健闘を讃え合うのだろうか。
いや。きっと彼なら、ハザマと仲違いすることがそもそもないのだ。
全ては、僕の弱さが招いた事態。
自業自得と言えば、それまでだし。
諦めてしまえば、もうそれで終わりだ。
(ごめんなさい。僕では、あなたたちを救えなかった……)
そこが限界だった。
僕は静かに意識を手放し──深い深い、暗闇の底へと沈んでいった。




