第011話 侮辱
朝。
宿屋から出た僕たちを出迎えたのは、とある騎士だった。
「ちっくしょう。なんでこんなことになってんだ……ッ」
ボロボロの騎士服。腹の広い大剣を杖代わりにしてやってきたのは、トゲトゲした燃えるような赤髪短髪の青年だった。
(ハザマ・アルゴノートだ……!)
僕は興奮が隠せない。
ハザマ・アルゴノート。国を守るために戦う熱血漢。ゲームではアトラに続き仲間になるキャラクターだ。
「あっ! あなたは──!」
その姿に気がつき、アトラが駆け寄る。アトラとハザマは顔合わせをしたことがあるという設定だ。
「ん? その声……まさか」
顔を上げたハザマは、信じられないといった様子で目を見開く。そして駆け寄ってきたアトラの前に膝をつき、右拳を左胸に打ち付けた。
「ハザマ・アルゴノートッ! 本城に襲撃との知らせを受け、馳せ参じましたッ! おおお、姫ッ! よくごぶぇ」
「ちょっとっ!」
言いかけたハザマの口をアトラが塞いだ。
(すごい、ゲームのテキスト通りのタイミングだ……)
言葉に詰まる感じもゲームと全く同じだ。気持ち悪いくらいにピタリと一致している。
「(身分は伏せてるから! 今は昔みたいな口調で! あと姫じゃなくてアトラで!)」
「そ、そうなのですか。あ、いや……そうだな」
事情を察した様子のハザマは慌てて立ち上がり、
『アトラ』という名前自体は、姫様の恩恵に預ろうとした夫婦が名付けるケースが多くありふれている──という設定があるので平気らしい。この世界でもそれで通っているのだろう。
「んじゃ──アトラ! ぶ、無事だったのか!」
「ええ、あなたも!……『白羊宮』のみんなは?」
声のトーンを落として、アトラは部隊について聞き尋ねる。
「無事……のはずだ。『白羊宮』の本拠地にも何者かの襲撃があった。今も攻撃が断続的に続いているが、みんなが食い止めてくれてる。俺はそれを本部に伝えるために飛ばされた伝令だ。……そ、それよりだ! 行商人から聞いたんだが、エストランティア城も襲撃されたって──」
その言葉に、アトラが悔しそうに顔を歪める。
そして彼に、あの城で何が起きたのか、そしてグリムガルドという魔道士の目的を説明する。
「嘘、だろ……城が敵に……? もう近寄れない……? こ、皇帝陛下は!?」
アトラは首を振るのみ。皇帝の安否は現状不明だ。僕は彼らが生きていることを知っているが、その言葉を裏付ける根拠はないのでどうしようもない。
「そんな……なんだってんだよ、グリムガルドとかいう奴は!」
拳と拳を打ち付けるハザマの瞳には、明確な怒りの感情が宿っていた。
「……ううむ、状況が変わったぜ。姫さんがここにいるってなると、俺の使命はアトラを守ることになるか」
「ありがとう。とても心強いわ」
エストランティア城の方角を睨みつけるハザマは、そこでようやく僕と寝ぼけ眼のミスティを見つけた。
「それで……ええと、誰だお前ら?」
「私の仲間よ。再起のために力を貸してもらってるの」
「ど、どうも」
「んみゅんぅ……んふぁああーあ」
この状況で恥ずかしげもなく大あくびをしているミスティの図太さがすごい。器かデカいしあくびもデカい。
「そうなのか! なかなかやるじゃねえか、お前ら! 強いんだなッ!」
ハザマはニッコリと笑うと、僕に手を差し伸べてきた。
「俺ぁハザマ! ハザマ・アルゴノートだ! こんな状況だが、世界で一番強い剣士になる男と覚えておけ! いや、こんな状況だからこそ覚えておけ!」
「ぼ、僕はブライト・シュナイダー。こっちの小さいのがミスティ」
「朝ごはんはまだですかー?」
僕が握手をしている間にも、ミスティは我が道を行っている。だがそんな一言にハザマも反応した。
「ああ、腹が減った。減りまくりだ。駐屯地からここまでぶっ飛ばしてきたから三日は何も食ってねえ!」
「三日!? あなた、よく生きてるわね……」
三日も絶食したら倒れると思うのだが、ハザマにはそういう常識が通用しないらしい。
そういうことで、まずは腹ごしらえになった。昨日と同じ料理屋で食事。
ミスティを上回るペースで料理を完食したハザマは、やはり疲れが溜まっていたのか僕たちの泊まる部屋に来るとすぐに寝てしまった。
具体的な方針は明日話し合われることになった。
☆★☆
ハザマが起きると、早速この後どう行動するかを決めることになった。
宿で車座になって座り、意見を出し合う。
「私たちの目的はエストランティア城の奪還。そのために必要なものは、グリムガルドに打ち勝てる強さと仲間よ」
「ハッ! 騎士団が城を留守にしてなけりゃ、そんな奴一撃で倒せるぜ」
「さ、さすがにそれは……」
僕の知識を抜きにしても、町全体に雷を振らせるような魔道士だ。生半可な戦力じゃ敵わないのは目に見えている。
「……そうね。悔しいけれど、今の私たちじゃ歯が立たない。もっと強くなって、仲間を増やさなきゃ……」
その時だった。
「それなら第三部隊『白羊宮』の駐屯地まで戻りゃいい。俺も報告に戻らないといけないし、きっとみんながいればなんとかなるぜ」
「え──」
僕は息を飲んだ。
(待ってくれ。今ルルーエンティに行くのはおかしい……!)
シナリオ通りに進めるならば、次に向かうべきは魔法使いの住む町マルギットだ。『白羊宮』の駐屯地があるルルーエンティに向かうのはまだ先だったはず。あそこでは敵の幹部にあたるキャラクターとの戦闘が発生してしまう。今の僕たちでは勝てない相手だ。
「あ、あの……今ルルーエンティに向かうのはよくないと……」
「は? なんでだ?」
当然の疑問を返してくるハザマ。上手く説明しなきゃならない。だが、僕の知識のことを隠して説明するにはどうすればいいのか……?
「ええと、その……あの町は今、危なくて……」
「なんでそんなこと分かるんだ? 確かに何者かの襲撃は受けたが、あいつは今頃うちの大隊長たちが──」
「いや、大隊長はやられました」
「──は?」
「だ、だから、大隊長たちはやられるんです。あそこに来てるのは『理想郷委員会』のルイ──違う、敵組織の幹部で、めちゃくちゃ強いんです。だから今あそこに行っても勝てない。違うルートを辿るのが正解で──」
「っ、テメェッ!!」
突然怒声を上げたハザマは、そのまま僕の胸ぐらを掴み上げると思いきり額に頭突きをかましてきた。
「あぐ──ッ!?」
衝撃。鈍痛。明滅する視界の中に、怒りの形相でこちらを見据えるハザマの姿があった。
「ザけんなよテメェ。何者なのか知らねえけど、うちの大隊長は強えんだ。そう簡単に死ぬわけねえだろうが!」
「そ、そんなこと言われても──」
「見てきたような口聞くんじゃねえよ! アァ!? 何も知らねえテメェが、勝手に俺の憧れの人を推し量るんじゃねえよッ!」
「──っ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕は自分の失態を完全に理解した。
円環連座星天騎士団『白羊宮』大隊長、ハザマの直属の上司にあたるキャラクターだ。彼の名前はゲーム内に出てこない。言ってしまえば名前だけの『モブキャラ』。しかし、彼とハザマにはちゃんとしたエピソードが存在する。
かつて、どうにか騎士団の試験を受けるまでに至ったハザマ。彼は実技試験の際、強い者と戦いたいがあまり目についた強そうな受験者に勝負を挑みかかるという事件を起こした。本来なら素行に難ありとして不合格確定なのだが、そこを拾い上げたのが『白羊宮』大隊長で──という物語がある。
それは設定資料集の隅に記された、特に本編とは関係のない幕間劇だ。
だが。
彼ら、ここに生きる本人たちにとって、それは本物の人生だ。たった一行のテキストだろうが、変わらず本物なのだ。
僕はそれを知っていたはずなのに、焦るあまり軽んじた。
この世界に『モブキャラ』なんて存在しない。
軽んじていい登場人物なんて、一人もいない。それなのに、僕は……。
何がゲーマーだ。エストラ好き? 笑わせるな。目の前を見てみろ。彼の怒りを買った。そのことが既に、登場人物の心情を理解できていなかったという何よりの証拠じゃないか。
「ちょっと、やめなさいハザマ!」
「姫さんは黙ってろ! 俺はこいつに文句があるんだ!」
額に走る鈍い痛みなんかよりも、僕は「ハザマを怒らせてしまった」自分の不甲斐なさの方が辛かった。
ハザマ・アルゴノートという青年は、確かに荒っぽい一面がある。しかし彼は、この国のためならばどんな危険にも立ち向かえるような勇敢な人なのだ。本当はとても優しく、仲間思いの男なのに……。
「なあ、お前。何を思って隊長が死んだなんて抜かしたか知らねえが、そんなことを言うくらいなら自信があるんだよな?」
「え、あ──」
「どうなんだよ、アァ!?」
詰め寄ってくるハザマ。僕はその迫力に硬直してしまう。彼の怒りが痛いほどに伝わってくる。
だが──それでも。
このまま向かわせてしまえば、彼もアトラもきっと死んでしまう。これ以上彼に不誠実な真似はできない。
ならば、もはや後には引けない。ここで引けば、あの発言をした意味すらも失われてしまうのだから。
「……そうだ。向かうならば、魔法使いの住む町マルギットだ」
「──いいぜ。俺も譲らねえ。お前も譲らねえ。なら、答えは一つだ」
そしてハザマは自分の胸に拳を打ち当て、言い放った。
「俺と決闘しろ、ブライトォッ!」
ブライト・シュナイダーvsハザマ・アルゴノート。
それは、ゲームでは存在しなかったマッチング。
ゲーマーなら一度は夢見た仲間同士の戦いが今、最悪な形で始まろうとしていた。




