第010話 回想/ただ、強さを求めて
エストランティア皇国には、国を守護するために結成された魔法剣士による騎士団が存在する。
名を『円環連座星天騎士団』といった。
名前の由来は単純。国を守る大精霊ユグドミスティアの象徴『終わりなき円環』をモチーフとし、神の座する星天に向けて「全ての皇国民は守るべき命である」と誓いを立てた集団、という意味だ。
皇帝を総指揮官とし、大隊長と呼ばれる十二人が実質的な指揮を執っている。大隊長は自分の持つ部隊とともに各地での武力衝突を収めており、この国の国防を司る重要な組織だ。
第三部隊『白羊宮』に所属する新米騎士に、ハザマ・アルゴノートという男がいた。
若きハザマが皇国を愛しているのにはわけがあった。少し荒れていた、何も知らない子供だった頃の話。
『ねえ、あなたいつもここで剣を振ってるわよね』
『んあ? なんだおま──ぇあ』
彼が日課の鍛錬をこなしていた時のこと。ふと振り返ると、そこに少女はいた。
『あ、あんた……なんでここに!?』
『お城から見えるの。気になったから来ちゃった』
そこにいたのは、ハザマと同い年くらいの少女だった。こんな薄暗い路地裏にいるはずのない少女が、目の前にいた。
『なんでいつも剣の訓練をしているの?』
そんな無邪気な質問に、ハザマはたどたどしく答えることしかできない。
『そ、そりゃ決まってんだろ。馬鹿どもを黙らせるにゃ、力を示すのが一番だ』
当時は喧嘩っ早かったハザマは、城下町のガキ大将的な存在だった。手に握るのは木刀だが、しかしその喧嘩殺法は馬鹿にならない。実戦で磨き上げた戦闘感覚は、その年齢で既に兵士見習いと同等かそれ以上のレベルに達していた。
要するに、彼は強かった。しかし──
『ダメよ、喧嘩なんかしちゃ!』
誠実と純粋の塊であったアトラには通用しない。
『何で喧嘩なんてしてるの? あなたが悪いことをしたの?』
『は? そんなわけねえだろ!』
『向こうに悪いことをされたの?』
『え? あー、ん? いや、別にそんなことは……』
単純に子供の意地の張り合いだったその喧嘩に、どちらが悪いなどという悪は存在しなかった。言ってしまえばただのじゃれ合いである。
『じゃあなんで喧嘩してるのよ! ちゃんとごめんなさいして仲直りしなきゃ!』
『えぇ……?』
ハザマはこの時、アトラという少女の勢いに完全に飲まれてしまっていた。初対面なのにこの距離感。ハザマは『なんだこの女は』と困惑を覚えつつも、しかし苛立ちはそれほど感じていなかった。それは彼女が一国の姫であるというよりも、彼女自身が持つ雰囲気──カリスマ性とも呼べる見えない何かが原因だった。
『ほら! 今すぐにでも!』
背中を押されるハザマ。アトラの自由奔放さに圧倒されているうちに、いつも喧嘩している相手の元までたどり着いてしまった。
『何してんの? ハザマ』
そこにいたのは、赤みがかった長髪を後ろでまとめただけの、中性的な美少年だった。お気に入りの木刀を肩に引っ掛けながら、訝しげな視線を送っている。
『ほら、ごめんなさいは?』
『って、お前が連れてるその女誰────ぁ?』
そこで少年も気がつく。ハザマが連れてきた少女が何やらどこかで見たことのある顔であることに。
『ご、ご……』
『ちゃんと目を見て!』
『ごめん、なさい』
勢いに流されるまま、なぜか本当に謝ってしまったハザマ。満足げに頷くアトラ。意味不明の状況に首をひねるしかない少年。
『ほら! あなた、彼はちゃんと謝ったわ。お返事をしなきゃ!』
『え、ええと……いいよ?』
『わーい! 和解成立ね!』
ニコニコと笑うお姫様に、平民の二人はタジタジだ。
『あなたたち、そんなに喧嘩が好きなの?』
『け、喧嘩が好きなわけじゃねえ。俺はただ、強いやつと戦いたいだけだ』
『僕は別に……そういうわけじゃないけど……』
二人の返事を聞くと、アトラは名案だとばかりに手をポンと打った。
『ならあなたたち、将来は騎士団に志願しない?』
アトラは以前変わらず笑顔のまま、とある提案をする。
『騎士団ー? なんでこの俺が国のために働かなきゃいけねえんだ』
姫相手にも物怖じしないハザマの言葉に、アトラは挑戦的な笑みで返す。
『そんなの、決まってるじゃない。騎士団には強いやつがわんさかいるからよ』
『──!』
『この国が誇る最強の騎士団よ! あなたみたいな子供なんか一捻りに決まってるわ!』
『あなたも子供なんじゃ……』
少年のツッコミは無視された。
『とにかく! あなたみたいに剣の練習をしてる子が騎士団に入ってくれれば私は嬉しい!』
『な、なんでお前が嬉しいんだよ』
『私には夢がある!』
そう答えたアトラは幼い少年二人に、自分の抱える夢を語って聞かせた。
『私は、皇国民みんなが笑って暮らせる世界を作りたい! 誰かの犠牲の上に成り立つ世界じゃない。みんなが平和に、幸せに暮らせる世界よ!』
それは、子供らしい大それた幻想だった。大人になれば勝手に胸のうちから消えていってしまうような大言壮語。叶わぬ夢かもしれない。
でも。
それを何の躊躇いもなく自分の夢とした少女も、それを聞く二人の少年も、そんな夢を抱いてもいい『子供』だったのだ。
だから。
『──ハッ』
ハザマは笑った。
『いいぜ』
彼はその夢を馬鹿にしたりしなかった。
『やってやるよ』
それはきっと、彼自身も『世界最強の剣士になる』という馬鹿げた夢を胸の内で燻らせていたからかもしれない。
『この俺が騎士団に入る。お前は夢に近づく。俺は強いやつと戦える。完璧じゃねえか!』
この時まで、ハザマの中に愛国心なんてものは欠片もなかった。しかし少女が語る夢を聞き、心の中に小さな変化が芽生えていた。
──この国を治める人間が、こんな馬鹿みてえな笑顔で笑う女なら、最高じゃねえか。
アトラという少女の、底抜けにまっすぐな心根。みんなが笑って暮らせる未来を信じて疑わない、本物の馬鹿。
しかし。そんな馬鹿になら、この国の未来を託せるんじゃないか。
『俺が世界最強の剣士になって、この国を守ってやるよ! お前も付き合え!』
『し、仕方ないな! 付き合ってやるよ!』
『心強いわ!』
そうして彼らは騎士団を志した。
『姫様ー! 姫様、どこですかーっ!?』
『……しまった。従者がここまで来てる!』
夢を語り合ったのは僅か一日に満たない時間だったが、これが彼らの人生を決定付けた。
彼らは長い年月をかけて己を鍛え、そしてついに騎士団入りを果たすこととなる。
あの事件が起きたのは、そんな騎士団に任命されてわずか数ヶ月後の出来事だった。




