狐の章 7 情
7 情
「なんとも騒がしい。」
状況を察して(共有視だろう)銀妃が姿を見せたころには
ことはすべて落ち着きを取り戻していた。
弘樹は、今、二重結界の中で回復の術を叔父から施されている。
幸い、安倍家の目の前での出来事だったため、異変を察した高志と叔父が飛び出してきて、その場を収めた。
そして、弘樹は、命に関わるような傷でも出血でもなかった。
ただ、彼は「孤血保持者」のため、単純に寝て休め、というわけにはいかない。
ましてや、今回はただの出血ではなく、攻撃をうけての出血だ。
傷を負って弱った弘樹を、再度狙い撃ちにするという考えは誰だって思いつく。
「感情に任せてむき出しの孤血を使ったんだ。それに対する呪詛の反応は、当然だ。」
高志は縁側で落ち込んでしゃがみこんでいた樹里のわきに腰を下ろすと、そう話した。
「ただ、今までの呪詛の反応より鋭いな。攻撃の形もまったく違う。樹里、その場の浄化は?」
樹里はこくりとうなずいた。
もし、この攻撃が、孤血の奪取が目的だというなら
その土地に、弘樹の血が一滴でも残っていたら、後々大変なことになる。
「高志、たぶん、呪詛の術者が変わったから、だと思う。」
樹里は、言葉を区切って話した。
ショックは抜け切らない。
自分の無力さを、目の前で2度も突きつけらた。
自分のふがいなさを、全身に叩き込まれた。
「だな。傀儡を操ってたくらいだ。相当の力量だろう。」
そういうと、高志は樹里の頭を2度なでるようにはたいた。
「相当の力量って分かれば、人間は絞られるよ。少なくとも、この京都にいる人間だ。キョウト六家が知らないわけがない。」
ただ、高志には、キョウトが動くとは思えなかった。
呪詛のことは、キョウトは知っている。
知っていて、手を出していない。
まったくの部外者が下手人というのなら、状況はまったく違う色を見せるはずだ。
「皇子」である弘樹に手を出した人間を、キョウトが黙って見過ごすはずがない。
(あの男は、使われている?)
高志は、この件について別サイドから調べを進めていた。
そう、樹里の話だ。
死者再生なんて馬鹿なことをやろうとしている人間を片っ端から洗い上げたのだ。
そこでぶつかったのが、「あの男」井田雄大だった。
娘を殺され、その再生を願った父親。
たしかに、死者再生なんて禁呪は彼一人でできるはずがない。だから、弘樹が、否弘樹の力が目をつけられたとばかり考えていたのだが
もしかしたら、見当違いなのかもしれない。
高志は、自分の頬に手をやった。
(例えば、内部のもの、例えば他の皇子が手引きをしていたら)
いくらでも、可能性がある。むしろこちらを考えるほうが、キョウトの反応を考えると正しいのだろう。
キョウトは、皇子同士の争いには口出しをしない。むしろ「歓迎」するものだ。
「そういえば、彼女は?」
彼女、ゆきの現在を、高志は知らなかったのだ。この混乱だ。知っている樹里も弘樹も話していない。
樹里は、思い出したかのようにはっとなり、顔を凍らせた。
樹里も、今まで弘樹の状況でいっぱいでゆきのことを考えている余裕がなかったのだ。
「少しだけ、心配したほうがよいかも知れぬ。」
今まで黙って話を聞いていた銀妃は、視線を下に、しかし二人には合わせず、そう告げた。
こんなにしおらしい銀妃はめずらしい、高志はそう思った。
銀妃は、孤血をもつものの守り神だ。ほんの少しだけしか孤血を持たない高志も、その例外ではない。
例外ではないが、高志にとって、彼女は畏怖の存在でしかない。弘樹ほど、付き合いもない。
「けど、けど、ゆきちゃん、血を抜かれてるって、ヒロが…」
樹里は銀妃に不安をぶつけた。
「わらわは視ていない。だから、共有視じゃなかろうて。」
銀妃は樹里を見やることなく、あっさりそう告げた。
そもそも、共有視ははっきりとしたビジョンは見ることができない。
危機迫るものの感情、パニックを起こしている状況もそのまま送られる。
当然被害妄想も含まれてくるという。だから、素人が災害時にとったブレブレのビデオとほぼ同じような映像なのだ。
弘樹が視たようなはっきりとした映像には、まずなりにくい。
「ただ、もしかしたら、予知かもしれぬ。誰かが干渉して見せた念、やもしれん。だから少し心配しろと言った。」
弘樹ですら、予知か干渉か、判別が付かないほどの強い思念だ。
「起こる」確率は相当高いだろう。
「わらわは、あまり人の世に干渉したくないのだが、そうもいってられないかも知れぬな。」
銀妃は、2人に聞こえるか聞こえないかの声でそうつぶやくと、すっと弘樹のいる結界のほうへ気配を動かした。
樹里は、そのつぶやきに反応しなかったが、
高志は、これが弘樹が言う「銀妃の気まぐれ」なのかと妙な納得感を感じた。
人の世に干渉したくないといいつつ、人の世に自分の血を分けた玩具をおいたのは、あの方自身だ。
弘樹がここにいたら、苦虫を噛み潰したような顔で盛大なため息だろう、高志はそう確信した。
*
「なんじゃ。起きておったのか。」
二重結界下であっても、「神様」の出入りは自由だ。
銀妃は、半身を起こしてむつくれている弘樹の脇でそう漏らした。
出血の際の傷はたいしたものではない。
弘樹には分かっていた。
術の発動と申し合わせるかのように、呪詛の鎖が強く引かれた。
蜂の毒針と同じだ。
鎖の周りに無数の刃がついていて、それが弘樹の身体を引き裂いた。
しかし。鎖を抜かれたら、弘樹の負けだ。
だからこれ以上鎖を引かせまいと、抵抗したが、
このざまだ。
「情けないの。情に流されて、痛みを背負って。」
銀妃の、その、情のない淡々とした言葉は、弘樹の「不機嫌」に油を注いだ。
銀妃に向かって右手を勢いよく振り払う。
邪魔だ、うるさい、こっちに来るな。
しかしその手は、銀妃に僅かに届かない。
「なにが、そなたの心をそんなに乱す?そんなに苛立つ?」
自分の術が通用しなかったからか。
呪詛に、その術者に自分のすべてをにぎられているからか。
護ると、そう誓ったものを失ったからか。
「…本当に、知らなきゃならないことを、知ってなきゃならないことを、知らなかった。」
両のこぶしを震わせて、弘樹は言葉を吐き出した。
自分のことばかり考えていた。
一番最初に、考えるべきポイントを誤った。
それが、このざまだ。
呪詛の術者は、あの男は、なんと言っていた?
呪詛は、「余興」。
自分の痛みと命だけを最優先に考えたのは、ほかならぬ弘樹自身だ。
けど、違った。
呪詛の術者も、あの男も
最優先に考えていたのは、望月ゆき、彼女の存在だ。
だから。今の状況。
だから。自分が許せない。
「けど、知ったのであろう?」
池宮千鶴が、教えてくれた。
彼女を呪詛から解放したときに、漏れた、言葉。
「あんな女の、身代わりなんて、いやだ。」
しにたくないと。
自分だけ、惨めな思いをして、しにたくないと。
うわごとのように、そう漏らした言葉。
思わぬ言葉に、弘樹は鈍器で殴られた思いだった。
あの男の、鬼気迫る顔を、声を思い出す。
「あの女に、なにをした。」
・・・どうして、彼女を、ゆきを一人にした。
そう責めるべきは自分自身だ。
すべてにおいて、考えが甘すぎた。
本家がどうとか、樹里がどうとか、一切関係ない。
「それを、情というのではないのか。」
銀妃は静かに問うた。
「そなたは、自分を一番に考えた。当たり前じゃ。自分の生き死に程重要なことは、この世にはなかろうて。」
銀妃は、決して弘樹と視線を合わせなかった。
「情をとって、己の死を選ぶのか?」
それは、弘樹の心に冷たく深く突き刺さった。
情を取らなければ、自分だけが生き延びるのは、簡単だ。
痛みを背負うこともなく、今すぐにでも、この目の前の現実を終わらせることができる。
それだけの力を、与えられている。
与えられてしまっている。
けど。
「…捨てられない。自分の命も、なにもかも。」
おごりかもしれない。自分ならできると、勘違いしているだけなのかもしれない。
それでも。すべてを守り抜きたい。
もう、二度と失わないためにも。
「…その言葉を聞けて、わらわは、安心した。」
そういうと、銀妃は横目で、弘樹をみやった。
「動けるか?この妃は、お前たちの争いには口出しせんと取り決めておるが、玩具に関しての取り決めは生憎しておらん。」
大義名分は、ゆきの奪還。
あとは勝手にやれ、銀妃は暗に弘樹にそう告げた。
動けなくは、ない。
半ば強引に傷もふさいだ。出血分の回復はまだ見込めていないが、そこは目をつぶる。
ここで、「動けない」は言っていられない。
1日、無駄にしているのだ。もう猶予はない。
弘樹は立ち上がると、部屋の隅にかけてある自分の上着を手に取った。
部屋の四方を歩き固め、結界を無効にする。
一瞬で、くぐもった空気が清廉な新しいものと入れ替わった。
そのときだった。
頭を内部から殴られるような、今まで経験したことのない、そんな痛みに襲われた。
思わず両手で頭を抱え込み、しゃがみこんだ。
吐き気がする。目の前がぐるぐる回った。
脳みそをわし掴みにされ、表に引きずりだされる感覚だ。
それは、ただ、一瞬の出来事だった。次の瞬間には、すべてが何もなかったかのように静かになった。
何事かと、弘樹は目を大きく見開い目の前の神をみやった。
同じものを感じたのか、銀妃は身体をこわばらせている。
「…なにが、あったのじゃ?」
そう、独り言のようにつぶやいた。
二人が、これこそ本物の共有視だと認識したのは、2度目の衝撃が二人同時に襲ったときだった。
身体の内側から破壊されるような、恐怖。
胃の内側から苦いものがのどへ競りあがってくる。
しかし。また一瞬だった。
弘樹には、何がなんだかまったく見当も付かない。
「…どうしたのじゃ?無理せずわらわに教えろ?」銀妃は、誰かすら見えない共有視の相手にそう呼びかける。
3度目は、吐き気よりも、頭が割れるほどの痛みに、弘樹は短い呻きをあげた。
あまりに短い共有視に、送り主が、場所が、特定できない。
二人は、最悪を考えていた。
送り主を、知っているという最悪を。
そして、最悪は、現実となる。
4度目は。
ひどい吐き気に、咳き込んだその口の中に、のどから競りあがってきた苦いものが混じっていた。
しかし、確かに聞こえた。
たすけてと、細く悲鳴を上げるその声は、涙で許しを請うその声は、間違いなくゆきの声だった。
今までの苦しみが吹き飛んだ。
すべてが、怒りに変わった。
手が白くなるほど強く、こぶしを握り締めた。
「落ち着くのじゃ。冷静に考えんと、相手の思う壺じゃて。」
そういう銀妃の声も、いつもになく震えていた。
銀妃は弘樹よりもずっとずっと力のある存在だ。
すなわち、共有視も、弘樹の視たような感覚や感情ではなく、もっと深く視ているはずだ。
ゆきが、いまどうなっているのか。その「最悪」を、視ている。
「場所は、追える。しかし、罠じゃ。」
おそらく、共有視を見せるためだけに彼女を利用した。
こちらの動揺を、怒りを誘っている。
「罠じゃ。だから、視せてくれんかった。」
彼女はすべてを知ったのだろう。だから、共有視を送ることを拒絶した。
恐怖を、痛みを彼女自身の中に溜め込んだ。
それでも、溢れてしまった、恐怖と痛みが瞬間の共有視となった。
「…視せてくれれば、楽になったのにの。」
視た何十倍もの責め苦を、彼女は受けている。
弘樹を怒らせて呼び寄せるためだけに、彼女を生きたまま殺している。
「銀妃、行こう。」
弘樹は、部屋の障子を開け放った。
もう、待ったなしだ。
「罠だといったぞ。」
銀妃は、確認した。
「上等。ぶっ飛ばす。」
弘樹は、短く応えた。




