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狐の章 4 皇子

4 皇子


その日の午後。

大学の履修手続きのために、ゆきと弘樹、そして樹里が本家を出た。

樹里いわく、行くな外出るなそんなに死にたいのか、なのだが

2人そろって、半年、ないし一年の大学生活を無駄にするのは馬鹿である。

「断言できる、そんなに簡単に死なないよ。」

その帰り道。弘樹の脇をむつくれながら歩く樹里に、弘樹は苦笑いをした。

「何でよ。断言なんて…」できるはずないじゃないと言葉をつなげようとした樹里をさえぎるように

弘樹が言葉を続けた。

「うん。カンだけどね。」

陰陽師のカンは、予知と同格。言は、力ある言霊と化す。

弘樹はそれをわかったかわかっていないか、無邪気に口にする。

弘樹が言うのだから、問題ないとわかっていても

樹里にとっては、不安をぬぐうことができなかった。

弘樹を信じられないわけではない、のだが。

(人は、はかないものだから・・・)

「そういえば、静瑠さんも同じことを言ってました。大丈夫って。」

その脇に並んで歩いていたゆきが、樹里の顔を覗き込むようにしていった。

「へえ、静瑠さんが。なら、なおさら大丈夫だよ…樹里、まさか根拠がないことに腹立ててる?」

弘樹が、樹里を見やると、樹里は顔を上げて

「そんなことありません。大体言霊の力を信じないほど馬鹿じゃありませんから!!」

唇を尖らせて、抗議した。

「わかるならよろしい。大丈夫だって、心配性だなぁ・・・」

弘樹は、樹里を安心させるかのように軽く笑顔で樹里の顔を見た。

そんな他愛のない話をしながら、大学からの家路を歩いていたとき。

ちょうど、橋のたもとで、ゆきの足が止まった。

「安倍君。ここ・・・」

弘樹がゆきを見やると、唇を一文字にむすんだゆきが、まっすぐな瞳で橋のちょうど真ん中ら辺を見やっていた。

「どうした?」

弘樹も足を止めてゆきと同じ方向を向いた。

「安倍君には話してなかったんだけど、ここなんだ。襲われたの。」

淡々と話すゆきの姿が、あのときの姿と重なった。

「ちょうど、橋の真ん中まで歩いたらね、川の水がばさーって、噴水みたいに噴出して。」

気がついたら、弘樹の部屋だった。

「その水の中に、女の子がいた。」

樹里を先頭に3人が橋の中央まで歩いたとき、ゆきがふと弘樹を見た。

「女の子・・・」

「うん。髪が長くて、ちょうど背丈がこれくらい」

ゆきは自分の腰あたりに手を置いた。幼稚園児くらい・・・だろう。

「その子が、助けてって・・?」

弘樹が尋ねると、ゆきは確信が持てないのか首を斜めにかしげた。

「たぶん、そうだと思うよ。」

樹里はくるっと首を後ろに向けると、言葉を続けた。

「さしずめ、水子の霊か何かじゃないかな?それなら助けてという言葉も…」

刹那、キーンという高い細い音が、弘樹の、樹里の鼓膜を通り過ぎた。


空の色が、変わった。


「二人とも下がって!」

樹里が叫んだ。樹里の右手が宙に舞うと、ほの白い光が空高く舞った。

「樹里!」

咄嗟に弘樹は樹里の手を強く引き自分の場所に引き寄せた。

刹那、樹里のいた場所が、地面が大きくえぐれた。

ほんの、数秒の出来事だ。

樹里が、ほんの一瞬、言葉に集中したその瞬間だ。

世界は、切り取られた。

阻止しようと、相殺しようと放った樹里の力は

相手の力に阻まれて、矢印を逆に変えた。

「ごめん、ヒロ」

「謝る必要なし!状況を!!」

弘樹は足先をすばやく動かした。地面に紋を刻む。

「ウン」

力強く地を踏みしめて、自分の周りに簡易な結界と、現状把握のための式を飛ばす。

「半径500メートル、水系の陣による結界。」

式よりも幾分早く、弘樹の背から樹里が端的に状況を知らせてきた。

結界。それは強制的に隔離させられた空間。閉じ込められた。

「術者は?」

弘樹が後ろを振り返ったとき、樹里の肩越し奥に、ゆきの姿が見えた。

自分の隣にいると思っていたのに、何のための結界だと思ってるんだ…といいかけた弘樹は、違和感に眉をよせた。

ゆきと自分との間にある「はずの」距離感がおかしい。

声すら届かない、別世界にいるような遠さだ。

自分の張った結界にゆきが外れただけで、この距離感を生んでしまったのだろうか。

相手の結界との相乗効果で、というのであれば、もしかしたらありえるのかもしれない。

キーンという音が耳から消えない。

ゆきの隣には、白い服を着た齢5歳…ほどの女の子がいた。

(水子・・・)

ゆきは、そのこの脇にしゃがむと、なにかなだめるように頭をなでている。

弘樹は、ゆきに近づこうと歩みを進めた。

だが、いくら歩を進めても近づいた気がまったくしない。

ゆきは、女の子を抱き寄せた。何か会話をしているようなのだが、声が弘樹のところまで届かない。

けど、見えた。

抱き寄せたゆきの背中に、女の子が腕を回しているのを。その手には何か光るものが握られているのを。

それが何なのか、女の子の腕が大きく振り上げられたとき、弘樹は理解した。

鋭い刃。

「逃げろ!!」

咄嗟に叫んだ弘樹の声は、自らの結界に阻まれてゆきに届かない。

振り下ろされる、刃。

「やめろ!!」

その絶叫と言葉が、伸ばした腕が、ゆきに届けたいその気持ちが、自らの結界を自らの手で「粉砕」した。

結界に通常の解除とは違うちぐはぐな力がかかったため、視界が醜く歪み、そのまま目の前が白く爆発した。

伸ばした腕の先の景色が一変する。

その景色を理解する前に、弘樹の右耳元で金属音の爆発のような鋭い甲高い音がこだました。

2回の爆発によって、弘樹はそのまま前のめりに転げた。

右耳がちりちり痛い。起き上がって、耳に手をやると多少の出血があった。耳たぶの下辺りが切れたようだ。

たいした問題はない。そのうち、かさぶたになる程度だ。

振り返ると、足元に刃の部分が砕けた小刀らしきものが転がっていた。

右足の先がしびれている。

それは、決して耳の出血とは関係ない。

知っている。これは、術が第三者の手によって破られたときの反動。

先ほど飛ばした式が、消えている。

弘樹は、自分の周りの状況を把握すると、視線を先に移した。

橋のたもと、そう弘樹から離れていない場所に、ゆきがうつぶせに倒れていた。

全身がびしょびしょに濡れているが、肩の辺りが呼吸でゆれているので生きていることは確認できる。

その奥に、倒れている樹里を見つけたとき、背後に人影を感じた。

「大変従順な式をお持ちだ。」

弘樹が振り返ると、数メートル先に黒い帽子を目深に被った男性が立っていた。

弘樹は肩をこわばらせた。柔らかな言動とは裏腹に、そこにある姿は威圧感だけしかない。

男は、身長があるわけでも、体格がいいわけでもない。しかし、弘樹を押しつぶすほどの存在感だ。

「無論、主が死ねば式も消えるのだから、あの選択は大変賢いがね。」

あの時、刃で狙われていたのはゆきではなく、弘樹自身。

それを防いだのは、弘樹が放った式だった。

さもなくば、耳たぶの裂傷だけでは済まされなかった。

「私も甘かったようだ。ここですべて終わらせたかったのだが、計算狂いが発生した。」

そういうと、男はすっと弘樹に背を向けた。

弘樹の肩の力がすっと抜けた。

「待てよ。」

発した声は、こわばったままだったが。

男は歩をとめた。

「一連の事件は、お前が元凶か。何が目的だ。」

その声は、こわばったまま、けど、先ほどよりも力を持って男の耳に届いた。

「私も、教えていただきたいことがある。」

そういうと、男は首だけ弘樹のほうを向いた。

瞬間覗いた眼光は鋭くすべてのものを射抜く勢いすら感じた。

「あの女に、なにをした。」

その声には、憎悪しかなかった。

弘樹はその憎悪に全身をこわばらせた。今まで感じたことのない怒りと憎しみを全身で感じた。

答えるつもりはないが、声すら出せなかった。

その憎悪に、その感情に応えられる術を、弘樹は持っていない。

「知らぬか。そうだろう、知らないだろう。お前が知っているはずがない。」

弘樹のその姿を見て、まるで自分の問いが愚かだったと自嘲するかのように嗤い、男は首を前に戻し弘樹から離れるように歩を進めた。

「待てよ、俺の質問は無視か。」

弘樹は、持ちうるすべての力を言葉にこめた。

すべてを知るだろうものをむざむざ逃がすわけにはいかない。

その力は、男の歩を再び止めた。

その力に応えるかのように、振り返らずに言葉を返した。

「知ってどうする、安倍の皇子よ。」

その言葉に、弘樹は目を丸くした。

歯をぎっとかみ締める。

目の前の男は、自分のことを知っている。

「余興がこのような形になるのは、私としても不本意なのだよ。ただ、今となっては、余興のおかげで、助けられた。」

そういうと、男は弘樹のほうに向き直った。

「知ったところで、もうことは始まっている。」

男の隣には、気づかぬうちに、見知った女性が立っていた。

白い服をまとった、黒髪の美しい女性。

じっと、弘樹を見る瞳は、漆黒に光っていた。

それが誰かを認識した瞬間、弘樹は息を呑んだ。

血が逆流する、心臓がわしづかみにされる、弘樹は胸を強く押さえつけた。

そのまま、ひざが折れる、崩れ落ちる。

「余興と思って、あまり心を砕いていなかったのでね。ここからは全力でやらせていただくよ。」

そういうと男は、女性の肩に手を載せそっと抱き寄せると、2人と結界は一瞬で消え去った。


すべての結界が割れる直前に、樹里が最後の力で空間移動をかけた。


「宣戦布告って言うのよ。あれ。」

けんか売っているとしか思えないぃ。と何度も樹里は口走る。

昨日の一件から樹里は不機嫌極まりない。

そう、今は1週間という期限まであと4日。

「けど、こちらの被害はこれだけですんだんだ。少しは落ち着け。」

そういうと、傍らに座った弘樹は樹里の頭をぽんぽん叩く。

さっきから、これの繰り返しだ。

「あのねぇ、殺されかけておきながら、何でそんなに呑気なのさ!」

弘樹といい、ゆきちゃんといい…樹里はぶつぶつと不満そうだ。

「言葉を返すが、ああいう状況になったからこそ、得られたものがたくさんある。」

そういうと弘樹はまた樹里の頭をぽんぽん叩いた。その度に、樹里の頭の両脇に結われた髪がぴょんぴょん揺れる。

「なにを、よ」樹里が不機嫌に返す。

「いやぁ、叔父さんの特訓をもいっぺん受けるべきかなぁとか。」

そういうと、弘樹はそのままパタンと後ろに倒れこんだ。

縁側の廊下は、この季節一番すごしやすい。

適度に熱をすった廊下は、さながら日の光をすった布団と同じだ。

「まさか、実戦。って感じだったからなぁ。」

そういうと、おもむろに右耳に手をやる。

傷はすでにかさぶたとなっている。

そして。足の痺れはすでに消えている。

自分を助けた式のおかげで、自分はここにいる。

式に、そんな命を下した覚えはないが、それが現実だ。

「今更?暢気すぎだよ……すこしは、自分の立場、理解できた?」

樹里は、そんな弘樹の顔を覗き込んだ。

弘樹が望もうと望まないと、戦は弘樹の目の前で起こる。

それは、弘樹の「立場」故。

弘樹は、樹里の視線を受け流した。それが答えだといわんばかりに。

「…いつまでもそれは通用しないよ。」樹里はあきれて肩をすぼめた。

「あのさー、樹里。」

ひょいっと体を起こすと、弘樹は言葉をつないだ。

今までの話を整理する、そういうと、弘樹は自分の髪をくしゃっと掻き上げた。

「あいつは、望月ゆきを柱に、何かをしようとしていた。」

目的不明だが、それは間違いない。

だが、それは、中止せざる得なくなった。

その理由を弘樹に求めたが、撤回している。

知るはずがない、と。

それと同時に展開していた「余興」とやらに弘樹の呪詛が絡んでいる。

「俺だけじゃなくて、池宮千鶴も、「余興の演者」として準備されてた。

どうやら、計画狂いのおかげで、余興の人形も表舞台で舞い踊れってことになるみたいだが…」

「池宮千鶴?」

弘樹の話に、思わぬ人間の名が出てきたことに、樹里は驚いて弘樹を見やった。

そんな樹里を、平然と見やると弘樹は言葉をつないだ。

「術者だよ。俺の呪詛の。」

樹里の唖然とした顔を他所に、弘樹はなんてことはないと言う。それが分かっただけでも大前進だと。

そういうと、弘樹は自分の左の胸の前、宙をそっとつかむ。

黒い霞のような、一本の細い紐が弘樹の胸からずっと空につながっている。

これが、呪詛の正体だ。術者と被術者との間に結ばれた、死の契約。

この紐が、すべてを握っている。

「前進…ねぇ。それにしても、分からないことばっかり。」

あの男の目的は何か、ゆきをどうするつもりだったのか、どうしてそれを中止にせざる得なくなったのか

そして、弘樹はもとより、池宮千鶴が「余興の演者」となった理由…

樹里は、早々に投げ出したようだ。つまらなそうな顔で弘樹をみやる。

「なんか、こう、ばーんばーんと終わらないの?」

樹里は、見えない相手を平手打ちにするようなしぐさをして、パタンと大の字になって寝転がった。

「なんだよそれ。」

弘樹はあきれて苦笑いを浮かべた。

そんなに簡単に終わるというなら、たぶん弘樹もゆきも生きちゃいない。

「あら、樹里ちゃんお疲れ。お茶にしない?」

気づくと、ゆきが2人の背中に立っていた。

お盆片手にもって、大の字に寝そべる樹里の脇に、ゆきがしゃがみこんだ。

「あ、ゆき。研究どう?」

大の字の樹里はそういうと勢いよく体を起こし、ゆきのお盆を受け取った。

「あー全然。保存状態はいいんだけどねぇ、文字を書き起こすので一苦労。」

ゆきは、安倍の家に眠っているふるい書物を引き出しては、よみあさっているのだ。

保存状態はそこそこなのだが、いかんせん、先人の文字と今の文字は読み方がちがう。

だからひとやすみ。と樹里の脇に足を投げ出した。腕を高く上げて、伸びをする。

「根つめてやっても、肩がこるからねぇ。」

そういいながらゆきは首をくるっと回す。

「そうだ。ゆき、わかんないことあったら、こいつに聞くといいよ。」

樹里は手を叩いてゆきに言った。

「一応、跡取りのひとりだから、読めるんじゃないの?」

樹里は意地悪そうに弘樹を見た。

ゆきは、期待を持って弘樹を見た。

「え、あ、ま、まぁ・・・」

弘樹は、二人の視線を退けるかのように、空に視線を移した。

首元を、しきりに指で引っかいている。

読めなくは、ない。一応叔父に叩き込まれている。

ただ、読めると教えるとは、わけが違う。

しかし、弘樹のこの反応を、ゆきは「読める」もとい「教えてくれる」と判断した。

「やった。ちょうど詰まってたところがあるんだ。待ってて、もって来る。」

ゆきは立ち上がると、結わいた髪をはためかせて部屋へ戻っていった。

「・・・余計なこというな。」

弘樹は樹里を下に見た。

「いいじゃない。そういう能力も発揮しておいたほうが。宝の持ち腐れでしょ?」

樹里はお構いなしだ。すまし顔で、ゆきのもってきたお茶をすすっている。

「おまたせ。安倍くん、ここなんだけど…」

ゆきは、なにやら古そうな巻物を持ってきて、床に広げ伸ばした。

黄色い付箋が張ってあるその部分に弘樹は目を落とした。

「これね、京都周辺の歴史書、みたいなんだけど。時代が特定できなくて…」

ゆきの声のトーンが、自信なさ気に落ちていく。

同じスピードで弘樹の背中に、冷や汗が流れておちた。

どう、説明する?

てか、どうしてこれをゆきが普通に手にして読んでる?

目を落としたまま固まって動かない弘樹を見て、樹里は不審がった。

弘樹の隣にしゃがみこみ、樹里は、弘樹が読んでいるだろう部分に目をやった。

それは、歴史書。確かにそれは間違いではない。

しかしゆきには、「時代」以前に、「舞台」を説明する必要がある。

・・・恐らくゆきは理解している。これが普通の歴史書ではないことを。

いわば裏の歴史書。キョウトの歴史。

(・・・江戸あたり、かな?)

樹里は、凍りつく弘樹をよそに読み進める。

この巻物を見つけた、ということは、もしかしたらゆきは見つけているかもしれない。

この巻物が何十巻にも及んでいることを。

そして、指し示す意味を理解できていなくても(だからゆきは弘樹に尋ねているわけだし)

この壮大な…残酷な物語ストーリーは理解しているのかもしれない。

「…安倍君?」

固まって動かない弘樹を心配するように、ゆきが声を掛けた。

「・・・・御伽噺・・・・そう、御伽噺。」

弘樹は、そう言った。

一度目は、つぶやくように。二度目は、ゆきを、というよりは自分を納得させるかのように。

「歴史書…っちゃそうだけど。俺も途中まで読んだけど、途中で飽きた。」

そういうと、弘樹はゆきを見て苦笑いを浮かべた。

半分本当で、半分嘘。

この血塗られた歴史が本当のことだと、それを伝える必要はない。

けど、何百年も馬鹿正直に繰り返されたこの歴史には、弘樹はうんざりしている。

(よかったね、弘樹…)

その光景を横で見ながら、樹里は心でつぶやいた。

一番最新の、すなわち現在を描いた巻物は、別棚だ。

厳重に管理保管されている。

それをゆきが手にとって、こうやって乗り込んできたら、言い訳できないだろう。

そこには、弘樹の名前が、刻まれている。

ゆきは、納得いかないような目で弘樹をみたが、やがてあきらめたのだろう。

はーいと、気持ちのこもっていない返事をして、巻物を片付け始めた。

「そうだ、そちらの調子はどう?」

ゆきは、樹里の反対側に座る弘樹を見やった。

「全然。わかんないことばかり。」

そういうと、弘樹はふと何かを思い出したかのように樹里を見やった。

「樹里に話してないことがある…もっと分かったことがあるんだ。」

それは、あの後ゆきが話してくれた話だ。

「…なんで私に話してないの?のけ者?」

樹里がジトっと弘樹をにらむと、弘樹はまたぽんぽんと樹里の頭を叩いた。

「あの時、一番働いたのは、樹里だからな。一番休息を必要としたのも樹里だったから、ってことだ」

空間移動で安倍の家に戻ってきてから、樹里は崩れるように倒れてそのまま姿を消した。

姿を他人に見せるという、単純な術すら構築することが不可能という状況に、ゆきはそうとう動揺したが、

弘樹にすれば、珍しいことではない。それだけの長い時間、弘樹は樹里とともにしている。

「あの女の子のこと、少し分かったの。」

ゆきは、樹里にことの顛末を話した。

弘樹が結界の中でみたのは、強ち偽の映像ではなかったのだ。

ゆきは、確かに女の子と接触をしていた。話を聞いていたのだ。

「あの女の子は、実は私と同い年。幼いころに命を落とした…」

そういうとゆきは、自分の手を祈りのようにそっと組んだ。

「死んだ…霊」

そうつぶやいた樹里の目もうつむき気だ。

「違うの、殺されたんだって。海に落とされて。」

ゆきは、手を組みかえる。深い祈り。

「樹里、海、なんだよ。自縛霊じゃない。つれてこられた霊なんだよ。」

水にまつわる術。海で殺された霊。

そして、

「同じ年の女性ばかり狙った通り魔事件。たぶん、この通り魔はあの男の仕業なんだ。すべて水が絡んでる。」

同じ年の女性という件は、晴彦に調べてもらった。間違いない。

「あと、もうひとつ。思い出したことがあるの。」

ゆきはそういうと、弘樹を見やった。

ところがすぐに、不審な目で弘樹を、厳密には弘樹の胸をみやる。

「それ・・・」

ゆきが指差したのは、呪詛の紐だ。

こんどは、弘樹が不審がる番だ。

「ちょっとまて、見えるのか?」

深くうなずくゆき。そのまま紐を指でたどってみせる。飾り気のないゆきの指は、そのまま空を指し示した。

これは呪詛の正体、術者と被術者との間に結ばれた契約だ。

術者はもとより、被術者でもそうとうの力量がないと視覚化は不可能だ。

現に、弘樹も視覚化できたのは昨日の一件があったからだ。

(どーこーまーでーでーすーかー…)

彼女に与えられた狐血はどこまで彼女に力を与えるのだ。

しかも無意識に、無自覚に。

無知ほど怖いものはない。弘樹はため息をひとつだけつくと、ゆきに今の状況を順を追って説明することにした。

自分が、呪詛の対象となっているということを。

「つまり。この紐を切ると、その切った状況によってどちらかが死ぬ。

この紐を作った術者が切れば、この紐に込められた術は例外なしに俺に叩きつけられる。防ぐ術はまずない。」

もともとこの「紐」は長期にわたって術者が練り上げるものだ。それは、怨念、恨みなど、術の中でも非常に重い。

相手を殺すためだけに作られた毒薬だ。

「ただ、逆もできるんだ。俺がこの紐を切る。無論、術者が切るより格段に難しいんだけど、できなくはない。

その場合、この紐に込められた術者が練り上げた思いは、そのまま術者に、戻る…いや、暴発するんだ。」

その暴発は、自ら作り上げた毒薬を口にするのと同意、すなわち死を意味する。

「あと、余談だけど、第三者も切ることができる。この場合、第三者が何を望むかによって、結果は変わる。

けど、絶対に忘れちゃいけないのは、誰かが必ず死ぬってことだ。

かかわった第三者も死の契約を結ぶことになるし、誰もが死を逃れるということはまずありえない。」

そう話し終えると弘樹は髪をくしゃっとかき上げた。

「以上、講義おしまい。」

理解できたか確認しようと、弘樹はゆきを見た。すると、眉を寄せて難しい顔をしながら、ゆきは宙を見つめている。

「それってさ、後数日で、安倍君か、池宮さんが死にますよってこと…だよね?」

ようやくゆきが口に出した言葉は、事の重大さを理解したことを十分にあらわしていた。

「だな。このまま俺が何もしなかったら、ほぼ100%死にますよ。ってなる。」

対する弘樹は、まるで自分のことでないかのように、そっけなく言った。

「けど、ヒロ…」

樹里は、何かに気づいたようだ。

「今の説明だと、術者はそれ相応の訓練を受けてないと無理だよ。素人には紐も毒薬も作れない。俺が引っかかってるのはそこなんだ。」

ここからは仮説だけど、と前置きをして弘樹は話を続けた。

「池宮さんは、俺に対して並じゃない恨みを持っていた。それを、ほかの術者が利用したんじゃないかなぁって。」

恨みという感情を増幅してそれを術の力として使う、相当高度な術だが、たぶん不可能じゃないと弘樹は続けた。

そして、その方法が可能なら、と弘樹は自分の頭をぽんぽん叩きながら続けた。

「死の契約を結ばずして、意中の相手、すなわち俺、を殺すことが可能、だと思う。仮に俺が反撃に出ても、死ぬのは自分じゃない。

うまくいけば、殺人の罪を傀儡、すなわち池宮さんにすべて擦り付けることも可能だ。」

さっきまで出ていた太陽が雲に一瞬隠れる。ほんの一瞬だけ、すべてが日陰に移り変わった。

弘樹は、気持ちを切り替えるかのように樹里の頭をぽんぽんと叩いた。

「ちょっと。ヒトの頭叩きすぎ。」

「いやぁ、あまりにも暗い話をしちまったから。要は、池宮さんの俺に対しての恨みって言うのが分かればいいんだよ。」

その恨みを解消できれば、呪詛の力を弱めるチャンスを作れる。

あわよくば、傀儡を介した呪詛をシンプルな形に持って行くことも可能かもしれない。

そのほうが、気が楽だ。

弘樹はそっと、周りに悟られないように思う。

実際、呪詛のことを知ってから、何度も考えていた。

術者を知らずとも、この契約を破棄し、相手に呪詛を返す方法を弘樹は知っていた。

そのまま呪詛返しの術を行使すれば、自分は死ななくてすむ。

けど、術者は例外なしに、死ぬ。

弘樹は術者を殺すことになる。

行使しなかったのは、胸騒ぎだ。

見事に的中した胸騒ぎに、何も考えなしに行使していたら、と思うとぞっとする。

「あのさ、安倍君。」

考え込むように人差し指を唇に添えていたゆきが、おもむろに口を開いた。

「もしかしたら、知ってるかも。池宮さんの、思い。」

え?と弘樹は目を見開いてゆきのほうを振り返った。

けど、ゆきの次の言葉で、弘樹はそれ以上に目を見開くことになる。

「池宮さん、好きなヒトがいて、けどあっさり振られたって話。たしか、相手安倍君…だよね?」


一部の学生の間では、かなり話題になったはなしだという。

「一部」、もちろん、中心はそういう恋愛話がすきな女子学生だ。

「今年のミスは、入学当時から恋焦がれる相手がいて、ミスになる前に一度告白して振られて

ミスになって、また告白して、それでも振られた。」

ミスコンの恋の話だ。話題になるのも無理ないというところだろうが

振られたということと、千鶴がこの話を非常に嫌がったということもあり

盛り上がることもなく収束したという。

千鶴が嫌がった理由、それは、今でも思いを寄せているからだというのが通説だ。

ゆきがその話を知っていたのは、ゆきと仲のいい文学部の友人からだった。

その友人は、偶然にもミスになる前の千鶴から恋愛相談を受けていたため、相手が誰か知っていたのだ。

「一度だけね、ちょうどミスコンの後かなぁ、学内でその話題をしているとき、その「相手」っていうひととすれ違ったの。そのときにね、

友人にこっそり教えてもらったの。彼が、ミスを振った男だよって。」

その夜、朱音はパジャマ姿でカンチューハイ片手に大笑いだった。

夕方、弘樹が部屋に引きこもってると聞いて慌てたが、事の顛末を聞けば、過去の恋愛話を思わぬ人物から暴露されて

狼狽しての引きこもりだというのだから、朱音は久しぶりに面白いものを見たと大笑いだ。

「それにしても、もててたんだねぇ。わが弟ながら、心配だったのだよ。」

目じりに笑いすぎの涙をためて、朱音は朗らかに言った。

「けど、安倍君、この話した直後、なんか、ちょっと気まずいような、そんな表情をしたんですよね。樹里ちゃんはしまった!みたいな表情だし。」

そう、一瞬だけ、「暴露された」ときの反応とは少し違う空気が流れたのだ。

たしかに、あまり第三者がするべきでない話をしたという自覚は、ゆきにはあった。

ただ、そのときの二人は、明らかにそれとは違う反応を一瞬だけ浮かべたのだ。

「あーそっか。そうだわ。」

朱音には心当たりがあるようだ。

「何か、あったんですか?」

ゆきは朱音にすがるように聞いた。

朱音は、二度三度口をパクパク動かしてから、意を決したように言葉をつなげた。

「たぶん、あの二人は絶対話さないだろうから、まぁ、ゆきちゃんならいいかなぁ。」

そういうと、朱音はゆきの瞳を見据えた。

「どうして、相手の好意を弘樹は断ったか、知ってる?」

「えっと、噂ですよ。好きなヒトがいるらしいとか。」

「惜しい。答えは、好きなヒトがいたから…かな。」

そういうと、朱音は準備していた布団に仰向けに寝転がった。

「いた?」

「そう、いた。」

なぞかけのような朱音の発言に、ゆきは眉根を寄せた。

「あいつ、絶対にこの話はしないだろうし、してること知ったら本気で怒るとおもうから内緒ね。

高校生のときに、初めて彼女ができたのよ。もう見てるこっちが恥ずかしいくらいの溺愛っぷりでさ。」

今のあいつじゃ、想像すらできないだろうけどね。朱音は見上げた瞳を細めた。

「けど、付き合って1年だったかなぁ。彼女、事故で大怪我しちゃって、それが原因だったのかなぁ、ちょうどその直後に振られたって。」

落ち込みようは相当だったという。

「それ以来、もう恋なんてしない、って感じで。」

むしろ、そういう話をすると不機嫌にすらなっていたという。

もしかしたら、今でも想い続けているのかもしれない。

切ない、片思い、だろう。

「ま、気にするな。もう4年も前の話だし。姉としては、いい加減乗り越えていただきたい。めそめそした男は嫌いだ。」

ところで。と朱音はにやっとした笑みでゆきをみる。

「湿っぽい話をしたので、明るい話がしたい。」

「朱音さんって、カレいるんですか?」

先制攻撃は、ゆきの勝利。

「おのれー私の話を聞いたら、ゆきちゃんも暴露すること!」

「いるんですか?」

そういうといたずらっ子の笑みで朱音の脇にころっと寝そべった。

「いるよー。ということでゆきちゃんも暴露決定ね。」

そんなゆきの頭を朱音はわしわしとなでた。

「えーどうしよっかなぁ」

「こらー」




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