終わりの始まりの章 4
悪夢に一番最初に気づいたのは、樹里だった。
弘樹の家に、入っていく人がいた。樹里お手製の結界が警告を鳴らした。
正体がゆきだとわかって、一瞬気を緩めたのだが、その直後ゆきの気配がきれいに消えたのだ。
樹里は息を呑んだ。そして、思い出した。
ゆきは、狙われている存在だ。孤血を所持している。神の血を持っている。
弘樹のことにかまかけすぎて、ゆきへの目がすべて消えていた。
樹里は、その場のことをすべて投げ捨て、一番早いスピードで、弘樹の家に向かった。
だが、遅かったのだ。
リビングに入った樹里の目に飛び込んできたのは、悪夢というにふさわしかった。
血塗れのゆきが、倒れていた。
横になって、右手を胸に添えている。
その右手に握られているもの、背中を貫いているもの。
血にすら穢れず、薄水色の光を反射する、すすぎ。
「ゆ、き、、、。」
樹里は夜目が利く。あちこちに血が飛び散っていることも、床に大量に血が広がっていることも
ゆきのきている服が、どす黒くなっていることも、
ゆきが、ぴくりともうごかないことも、全部わかった。
樹里は、ゆきの脇にしゃがみ込んだ。
ゆきの右手に触れる。瞬間、すすぎが消えた。
「ねぇ、冗談、でしょ?」
ゆきの右手は、ひどくひんやりとしていた。
樹里の頭の中は真っ白だった。
何をどうすればいいのか、最善が全く分からない。
「樹里、どうしたって言うんだ。いきなり飛び出して行って。」
そう言いながら、高志が部屋に入ってきた。何の疑問もなしに、部屋の電気をつけた瞬間。
暗闇の悪夢は、表に引きづり出された。
病院特有のエタノールの香りが、ひどく強く感じた。
一瞬絶句した高志も、すぐにゆきの状況を確認し、病院へ運びこんだ。
瀕死、ただ、高志が見た限りだと、まだ死んではいなかった。
かすかに息をしていて、脈も弱弱しく打ち続けていた。
表面的な傷も、すすぎが貫かれていた胸の傷だけのため、高志は応急処置的に術で傷をふさぎ、
病院へ行くなり、佐伯をたたき起したのだ。
ゆきの処置が行われている間、樹里はずっと泣いていた。
高志もいらだちを隠せなかった。
まさか。だった。
こうなるのは弘樹のほうだと思っていた。
ゆきを狙うメリットよりも、弘樹を狙うメリットが大きいはず。
「違うよ。高志。私たちは、忘れてたんだよ、ゆきのこと。」
弘樹が大切すぎて、無論、身内だから当たり前なのだが、ゆきのことを完全に失念していたのだ。
自殺と見せかけた、術による他殺。
高志でなければ、判別つけることは不可能だったろう。それほど巧妙な術であり、何よりも高度な術だった。
高志が判断できたのは、高志が皇子だからに他ならない。それはすなわち術者も皇子であることを意味している。
下手人が誰だかはわからないが、ゆきを狙っていたのは六家のうち一条を除くすべてだ。
もともと、狙われていた人間だ。守りがなくなれば、それを好機と思う人間だっている。
その時、処置室の扉が開いた。
高志が顔をあげると、出てきたのは佐伯だった。
「自殺、か。なんでそういう悲惨な方向に逃げるのかな。」
ぽつりと漏らした言葉は、棘があるようで、佐伯自身も相当悔しいことを暗に示していた。
「残念だがこれ以上の処置は出来ない。」
佐伯の言葉が、夜の病院の廊下に響く。
淡々と佐伯が説明をした。
何らかの形で傷を負った場合、先に失うのは人間の血液ではなく孤血のほうであること。
ある種の興奮状態に追い込まれると、人間の血液の輸血は一切受け入れてくれないこと。拒絶反応が起こること。
孤血のストックは、弘樹のものが若干あるのだが、それでは量が足りなすぎること。
「傷は大きくない。深い傷だけどな。臓器への損傷もそこまででもない。なのに、失血が酷過ぎる。」
まるで、血を失わせることを目的にしているかのように。そうすることで死を呼び込むかのように。
「彼女の親族に連絡を取ってくれないか。時間が、ほとんどないが。」
そう言われて、高志は、下を向いた。
「・・・知らない、か。」
高志の反応を予測していたのだろう。佐伯はそう呟くと、処置室に戻ろうとした。
その時、遠くから、足音が聞こえた。
こんな夜遅くにと、佐伯が顔をあげて、そのまま止まった。
「おい、お前・・・」
高志が、佐伯が向いたほうへ顔を向けた。そのまま止まる。
「孤血、届に来ましたよ。必要でしょ?」
そこにいたのは、黒いコートを羽織って、穏やかな笑みを浮かべた弘樹だった。
樹里も、目を見開いた。
あれだけ探しても、見つからなかった人間が、いま目の前にいる。
「ヒロ!!」
「お前ちょっと待て!!」
樹里と高志が、ほぼ同時に大声を上げた。
それを弘樹は右手で制した。
「あとで、盛大に怒られます。愚痴も聞きます。罰も受けます。けどその前にやらなきゃならないことがあるんで待ってください。」
そういうと、弘樹は佐伯に向き合った。
「俺の自己血じゃ足りないんでしょ?今日はいくらでも献血しますよ。死なない程度にね。」
弘樹のその言葉に、樹里は何かを言おうとしたが、それすらも弘樹の右手が止めた。
「あ、ああ。助かる。道が開けるよ。」
そう言いながら処置室に入る佐伯を、弘樹は追いかけた。
一瞬だけ、振り返ると、樹里に何かを含んだような笑いを向けて。
樹里には、その「何か」をきちんと理解することは、できなかった。




