終わりの始まりの章 3
ゆきは、自分なりの努力はしているつもりだった。
すすぎを発現させるスピードも結構うまくなった、と思っている。
大学内で、弘樹のことを知っている人たちに声をかけて、毎日のように市中を捜し歩いている。
安倍家から捜索願が出ていることもあり、大学でのゆきの行動には、多くの学生が応援してくれていた。
それでも1か月、なにも手がかりがないまま過ぎて行った。
焦りがない、とは言い切れなかった。
朱音が冗談半分で言っていた言葉すら、真実味を帯びて考えざる得ないとすら思う。
「けどです。どうして、もっちーは先輩のことを探そうって思ったのですか?」
大学の掲示板に張った捜索ポスターを新しいものに張り替える作業をしながら、晴彦が尋ねた。
彼とは、弘樹のことを知っている人を探している最中に知り合った。
話を聞く限り、かなり親しい友人の一人だ。
「先輩に、こんな美人の彼女がいたなんて、信じられません。信じませんからね。」
晴彦がむきになって言葉をつづけるのを横目に、ゆきは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫、違うから。」
彼女とか恋愛感情とか、あの時は一切、考える隙間すらなかった。今でもだ。
「あって、話をしたいんだ。私、彼を傷つけちゃったから。」
そのことが、ゆきの心をひどく重くした。一度目は彼を傷つけた。二度目は彼を怒らせた。
二度目のは、お互いの行き違いだ。誤解を解かないかぎり、ゆきの心は重いままだろう。
要は。
「許しを、乞いたいだけなのかもね。」
「許しますっ!」
唐突に、晴彦が叫んだ。
ゆきが目を丸くすると、晴彦がゆきの手をとった。
「許さないわけないじゃないですか!まったく先輩は罪な人です。こんなに美人な人の心を苦しめて。ひょっこり顔を出したら、けちょんけちょんです。
先輩が許さなくても、僕が許します。もっちーは心配しないでください!」
もっちーとゆきのことを、微妙なあだ名で呼びながら、晴彦は絶叫した。
「あはは。」
あまりの晴彦の迫力に、ゆきは、軽く笑いで返すと、視線をポスターに移した。
ポスターに描かれた弘樹は、ゆきの知っている弘樹とは違って、満面の笑みで友人とはしゃいでいた。
自殺じゃダメだって、知ってるよ。
だから、自殺を装うの。
安倍家の人間は、悔しがるだろうね。この展開。
ねぇ。
煮え湯を、飲ませてやろうね。二度と上から発言させないように、さ。
街は、黄昏色に染まっていた。
街中のポスターを新しいものに張り替える作業を終え、ゆきは、ひとまず自分の家に向かっていた。
いったん荷物を置いて、夜の繁華街を探して回る予定だ。無論、男女混合4人のグループで、だ。
許してほしい。
晴彦と話をしていた時、初めて自分の本心に気づいた気がした。
ただ、「許してやる」と言ってもらえるだけでいいのだ。
そうしたら、すごく仲の良い男友達になれる気がする。
弘樹が見つかりますように、なんて、正義感ぶったことをしている自分に酔っていると言われたこともあったが
本当の理由も、それとなんら変わらない。
自転車で道を走る。ゆきの家の方角ではなく、弘樹の家(一人暮らしをしていた家)の方角だ。
毎日、夕方にそこに寄るのがゆきの日課になっていた。
安倍家ももちろん、ここをマークしている。弘樹が戻るとしたら、ここが一番有力だからだ。
だから、まさか弘樹がもどってきているなんてことは期待できないのだけど、
それでも、ゆきはそこに必ず立ち寄った。そして、祈る。今日こそは無事に見つかりますように、と。
けど、今日は違った。
自転車を降りて、家の扉の前に立つと、なぜかその扉があいている気がしたのだ。
気のせいかな、とゆきがドアノブに触れると、そのまま扉は外側に開いた。
ゆきは目を丸くした。
(弘樹が、戻ってきてる?)
今まで、ドアは開いていなかった。鍵を持っているのは弘樹と、高志のみと聞かされていた。
慌ててゆきは、玄関に飛び込んだ。
「安部君ー帰ってきてるのー?わたしだよ、望月ゆきだよ。」
玄関から叫ぶ。反応がない。ゆきは靴を脱ぐと、そのままダイニングへ向かう。
「ねぇーどこにいるのー」
ダイニングの窓はかーてんかかかっているため、部屋全体が薄暗い。
その上、おそらく誰も掃除をしていないのだろう、ゆきが入った瞬間、埃が舞い飛んだ。
ダイニングには、誰もいなかった。奥のリビングにも、人の気配はない。
「隠れなくていいよーねぇー話をさせてー」
オープンキッチンを覗き込んだ。弘樹が一番好きな場所と、朱音が言っていた場所だ。
しかし、だれもいなかった。
二階かも、そう思って、いったん玄関に引き返そうとしたときだった。
全身がゾクゾクと嫌な震えに襲われた。
同時に、廊下とダイニングを仕切る扉が、音もなく勝手に閉まったのだ。
ゆきは一瞬風のいたずらかと思った。
もう一度、ダイニングのほうに振り返ったときだった。
数メートル先に、背の高いひょろっとした、黒いコートを羽織った人が背中を向けて立っていたのだ。
「安部君?」
ゆきはつぶやいた。後ろ姿が、似ているといえば、似ていた。
「なんだ、いたんじゃん。どうして・・・」
隠れたりするのよ、という言葉をゆきは飲み込んでしまった。
なぜなら、振り返った姿が、あのときの人の姿をした真紅の狐だったからだ。
ゆきは息を呑んだ。状況を理解できなかった。
足ががくがくふるえている。
怖くない、大丈夫と自分に言い聞かせたいのだが、とてもそんなことはできなかった。
あのときの、慣れない笑顔とやさしい瞳ではなかった。
そこにあるのは、凍りついた表情と、凍りついた瞳。
次の瞬間、右手を宙できり、手の中に長い刀を出現させると、
狐は何のためらいもなしにゆきに斬りかかって来たのだ。
一振り目は、間合いの外からの攻撃で、ゆきには届かず。
ふた振り目は、確実に間合いを狭めてきたが、ゆきは寸でのところで真横に飛んだ。かろうじて飛べた。
これは、あのときの弘樹じゃない。
三度目の斬撃の直前、ゆきは叫んだ。
「すすぎ!」
すすぎを盾にして、攻撃を受け止める。
あのときの弘樹じゃない。守ろうとしてくれた弘樹じゃない。
ゆきは、息を荒くした。狐は思わぬゆきの防御に、いったん間合いの外に出た。
狐の顔を正面から見る。
紅の瞳。紅の髪。紅の獣耳。
けど、顔の造形は、弘樹そのもの。あの時見た、弘樹そのものだった。
「やっぱり、殺すの・・・」
弘樹があの夜言っていたのが、正しかった。
孤神は、ゆきを殺すことを目的にしてた。
「それでも・・・話を聞かせて。」
それ相応のことをしたのはゆきだ。弘樹を、たとえ偽の情報に踊らされていたとはいえど、殺そうと思ったのは自分だ。
狐は、ゆきを一瞥すると、刀を構え直した。
ゆきはすすぎを握り直した。すすぎを消して弘樹の前に出る、勇気がなかった。
殺される覚悟はあるつもりだった。
けど死ぬ覚悟はそうそうにできるものではない。
相手に敵わないことは十分知っている。
けど、弘樹の話を聞くまでは、抗いたかった。
しかし。
抗う時間すら、与えられなかった。
狐の姿をした紅は、一瞬でゆきの、すすぎを握るゆきの右手を切り落とした。
悲鳴を上げる時間すら、与えられなかった。
何の感情もない紅は、そのまま、切り落としたゆきの右手を己の左手でつかみ上げると、
その手が握ったままのすすぎをそのままに、ゆきの心臓めがけて突き刺した。
視界が、ホワイトアウトした。
ああ。私死ぬんだ。ゆきは、そう思った。




