紅の章 6 悲しき、祈り
気がついたら、朝だった。
ほとんど無意識に布団に戻り、そのまま膝を抱えて眠ってしまったようだった。
ゆきが意識を戻した時は、朱音が大きく襖を開け放った直後だった。
あまりにも唐突だったため、ゆきが虚ろな瞳で朱音を見やると
朱音は朱音で、自分の行動の唐突さにその時になって気づいたような顔をした。
「ご、ごめん。寝てたよね。」
けど、非常にあわてているのは言葉尻や朱音の表情からもわかる。
「・・どうしたんですか?」
あまりの朱音のあわてぶりに、上目づかいでゆきが尋ねると、朱音が苦い顔をした。
「まさか、だけどさ。弘樹こっちに来てないよね。来てないよね〜仮に来てたら解決だけど犯罪だ。」
ゆきには意味がつかめない話を、朱音が早口でまくし立てた。
「え、っと。」
ゆきは起きたばかりの脳を一生懸命働かせた。
要は、「弘樹がこちらに来ていないか?」ということだ。
「安部君は・・・」
来ていないと言おうとして、けど、昨日のことが脳裏をよぎった。
やり場のない怒りを湛えていた、悲しいほど辛い弘樹の顔。
「・・・昨日の夜、話しましたが・・・」
「え?会ったの?あいつに?それ何時?どこで?」
ぽつりと話したゆきの言葉に、朱音は飛びついて来た。
「9時頃、だったと思います。廊下で・・・」
「・・・9時かぁ。そのあとは?」
朱音は髪をくしゃっとかきむしった。
ゆきが首を横に振ると、かきむしった髪をばさりと下におろした。
癖のある長い髪がくるりと舞う。
「朱音さん、何か、あったんですか?」
ゆきが再び同じ質問を朱音にぶつけた。
朱音は一つ深いため息をつくと、ゆきに話した。
弘樹がいなくなった、と。
今朝がた、弘樹の様子を見に行った高志が異変に気づいたという。
布団はもぬけのから。
周囲に張っていた結界が維持されたままだった点から、弘樹は自ら結界をきれいに解除し、自ら張り直したのだろう。
術には術者の癖がどうしても出てしまう。
どんなに隠そうとしても、それはわずかに弘樹の癖が残っていた。
「そう。弘樹がそんなことを・・・」
安部の家は、ばたばたとせわしない。
絶対安静が必要な人間が、断りもなしに姿を消したのだ。
傷も癒えていない。ちからも安定していない。
いつ、力の暴走を起こしても、おかしくない。今度は、救えない罪を犯しかねない。
だれしもが「最悪」を打ち消すかのように、手を講じている。
「けど。あの時は、そんなこと思わなかった。違うんです。」
ゆきはきゅっと拳を握る。
弘樹の話を朱音に伝えた。
ゆきを殺すと、殺そうとしたと言った弘樹。
「・・・・たぶんね。ゆきちゃんが正解。」
ゆきの話を聞き終えて、朱音はゆっくりと言葉を選ぶようにして言った。
「弘樹は、殺そうなんて、思ってなかった。と思うよ。」
朱音はそういうと、深くため息をついた。
「以前にも同じようなことがあってね。その時もだったんだけど、弘樹、覚えてないの。」
孤神にすべてをゆだねた瞬間、弘樹としての意識は奥深くに封じられる。
行動も記憶も感情すべて、弘樹の意識外での出来事となる。
「そして。弘樹が我にかえったとき、おかれている状況から、すべてを理解しようとする。」
ぽつりと朱音がいう。目を伏せて、顔も一瞬だけ伏せた。
「・・・・あいつ馬鹿だから、その「理解」で、自分を追い込むの。」
第三者の声がした。
声がしたほうを見上げると、障子に寄りかかるように、樹里が立っていた。
「樹里、ちゃん?」
朱音は、ゆきが向いたほうを見上げ、虚空に尋ねる。
朱音の瞳には映らないが、樹里の顔は今にも崩れそうだった。
「自分の手が真赤に染まっていて。足元には死体が転がっていて。倒れたゆきがいて。」
そういうと、樹里はゆきの脇に崩れ落ちるように座った。
「嫌でも、思い出すわよ。」
何を、とは樹里は言わなかった。
ただ、最後の一言は、ゆきにではなく、朱音に向けられた言葉のように感じた。
「たぶん、弘樹は・・・いや、孤神はゆきを殺そうなんて考えてないから。」
それは、ゆきも孤血を所持する「同族」だからだと、樹里は言葉をつなげた。
助けようとした。樹里は、言葉を選んで、そう付け加えた。
同族を大切にする狐だからこそ、そう考えるのが自然だという。
「見つかりそう?」
朱音が、呟く。
「安部の当主と高志が、捕獲網を広げてる。あと。六家が動く。」
ため息とともに、樹里は言った。
その言葉をきいた朱音は、顔を伏せた。
「叔父様・・・高志・・・」
それは、祈りだった。
安倍家が先に弘樹を見つけて保護出来れば、騒ぎを起こした弘樹に課せられるのは謹慎程度で済むだろう。
しかし。
力を暴走させて、「救えない罪」を重ねたとき、もしくは
他の六家が先に弘樹を見つけたときは、最期。
皇子たちは、お互いの顔を知らない。それは、無闇にわが子を殺させないようにするための親の知恵だった。
だから、普通に生活する分には、いくら生殺与奪の権利を持っている皇子であっても、殺し合いは発生しない。
しかし。今回は、弘樹を探してほしいという要請を六家にかけるのだ。
当然、弘樹の顔が六家すべての皇子に晒される。すなわち、六家にとっては、邪魔な皇子を消す絶好のチャンスとなる。
樹里は、ゆきの肩にそっと手を置いた。
「これ以上被害を広げないためにも。これ以上弘樹が心に深い傷を負わないためにも。六家が動くのは、避けられないの。」
状況をのみこんだゆきの顔は、かすかに震え、こわばっていた。




