紅の章 4 神の代償
気がついたときは、布団に寝かされていた。
「気がついた?」
畳の香りが鼻をくすぐる。ゆきの頭の脇に座っていたのは、濃紺の着物をまとった静瑠だった。
「・・・ここは?」
「安心して、安部のお家だから。」
その声は、ゆきの足もとから聞こえた。
誰だろうと思って起き上がろうとしたゆきを、静瑠がやんわりと止めた。
「まだ、無理をしちゃダメよ。」
「無理は禁物。」
静瑠と、もう一人、落ち着いた女性の声だった。
その女性は、立ち上がると、ゆきの脇を通り、障子のほうへ足を進めた。
「静瑠さん、私、席外すわ。高志さんに伝えてくる。」
白いワンピースをまとった、黒髪の女性は、そう柔らかい声で伝えると、ゆきに笑顔を向けて障子をあけて出て行った。
「静瑠さん・・・」
ゆきは、黒髪の女性を目で見送ると、静瑠に視線を向けた。
「一条美晴さん。あとで、きちんと紹介するわね。」
大丈夫、味方だから。静瑠は、ゆきにそういうと笑って見せた。
「なにが、あったのですか?」
ゆきの瞳は、暗く重いままだった。
「あの時・・・」
ゆきははっきりと覚えていた。忘れることができない。目の前の惨劇、そして、朱色の瞳。
「嫌なものを、みせてしまって、ごめんなさいね。」
静瑠は、ぽつりとゆきに告げた。さみしそうな笑顔とともに。
「・・・安部君は・・・」
ゆきの声は、かすれていた。聞くことがためらわれた。
心のどこかで、わかっているのに、と呟く自分がいる気がするのだ。
「・・・いったん目を覚ましたんだけど、また意識が落ちたとのこと。」
再び障子が開けられ、硬い声とともに美晴がそっと部屋に入ってくる。
手には冷たい水が乗ったお盆を持っていた。
そっと、ゆきの枕もとにそのお盆を置くと、ゆきから少し離れて腰をおろした。
「状況は変わってないです・・・当主殿も戻られないし、高志さんも・・・」
美晴はそういうと、深い溜息をついた。
「まだ、結論は出てませんから。」
美晴を労わるように静瑠が声をかける。
「・・・高志さんの立場、私が代わりたい。」
額に手をやり、絞り出すような声で美晴がつぶやく。
「残酷、すぎますよ。実の、弟を手にかけるなんて・・・」
やるせない、悔しさをこめた消えるようなその声は、それでもゆきの耳には届いた。
「まだ、決まったわけじゃありません。」
美晴のその声を否定するように静瑠が毅然とした声を上げる。
そして。
「・・・どういう、ことですか?」
ゆきは上半身を起こすと、美晴にまっすぐ見た。
「教えて、ください。」
唇をかみしめて、ゆきは美晴に向って言った。
そこにあったのは、「無知」への恐怖だった。
自分は知らな過ぎる。
それは、嘘の情報に溺れることとなり、挙句、他人を、自分を深く傷つける。
真実を知ること、見極めること。
怯えてばかりでは、始まらない。
美晴はゆきの決心した瞳をじっと見つめると、深くうなづいた。
「あんまり、他言する話ではないんだけど、あなたには話しておかなければならないようね。」
美晴がゆきに向き合うように座りなおすと、静瑠がゆきの背に座布団を丸めておいてくれた。
よりかかれるように、楽に座れるようにの配慮だった。
「私の名は、一条美晴。キョウト六家が一、一条家の当主であり、・・・一応まだ皇女。」
27歳、と口角を少し上げる笑みを向けて、美晴は話し始めた。
「皇子っていっても、ゆきさんにはまだピンと来なさらないでしょ?」
ゆきのきょとんとした顔を察して、美晴は笑みを浮かべたままゆっくりと話し始めた。
「昔からね、この国の行く末を決めるのに、まじない・呪術を使って来たの。」
たとえば、卑弥呼。たとえば、陰陽師。
「その強い力をもった人間が、時の権力者となり、また、権力者の影を支えてきた。キョウト六家は、その子孫。」
絶対というわけではないが、そのような神の力を授かって生まれて、この国を影で支えてきた。
「いまでも、よ。」
権力者となることはなくなったとはいえど、陰で支え続けていることには変わりがない。
「支える・・・というよりも、支配している、というべき。」
笑顔のまま、淡々と美晴は話を進めていく。
「絶対的なつよい力をもち、陰にいながら、この国のすべてを掌握している存在。それがキョウトの王。
そして、その王の候補者が、キョウト六家に生まれてきた皇子。」
皇子のなかから、絶対的に強いちからの持ち主が王となる。
美晴はゆきの目をまっすぐ見つめた。
「弘樹さんも、高志さんも、皇子。朱音さんは・・・」
美晴がそう言いかけて人差し指を唇にかける。
「朱音さんは、もう違いますよ。」
脇でずっと聞いていた静瑠が、美晴に声をかけた。
「朱音さんは、今年29ですから。」
皇子であることは、年齢で決まるのだという。
「28歳までが、皇子と呼ばれるのですわ。」
静瑠が、ゆきにゆっくり話しかけた。
その話をうなづいて聞いていた美晴だが、次の瞬間、笑みが消えた。
「18歳から28歳までが、重要でしてね。この時期の皇子は、人を殺すことを咎められないんです。」
生殺与奪。
生きるも殺すも、その皇子の権限で行えること。
「江戸初期までは、誰某構わず、だったらしいのですが、さすがにそれからは「皇子同士」と「やむを得ないとき」に限定されてますけどね。」
そうすることで、己の持つ力の特異さ、巨大さを周りに知らしめる。
周りの皇子は、すべて敵。勝ち残れば、絶対的な権力が手に入る。負ければ、皇子である理由がなくなる、それは死を意味する。
「・・・私は、事情があって、皇女の最中に家を継がなければならなくなってしまったので、生殺与奪の権利を放棄しています。殺したら罪になります。」
けど、二人は違う。
殺す権利を持っていれば、当然「殺されても文句は言えない」立場に立っている。
それは、己がただ、弱かっただけ。
「安倍家は、六家の中でも抜きんでた力を持った術者を輩出する家柄。天孤、すなわち神の血筋を受け継ぐ家。」
その血筋は、何代かに1人という極めて稀なものだと、静瑠がゆっくりとした口調で話し始めた。
「けど、おそらくいろいろな好条件が重なったのでしょうね。弘樹さんは、その力をつよく受け継いで生まれてきたのです。」
人の器に、神が入っている。
それは、絶対の力をもつと同時に、人の器の脆さという弱点との戦いでもある。
純粋な力は、善意にも悪意にも染められる。
それを決めるのは、人の器、すなわち弘樹の意志。
しかし。
「人を殺してもいいという条件があるとはいえ、その神の力を、虐殺、に使うことは許されない。」
ゆきは息を止めた。口に手をあてた。
紅い瞳。両手を染めたものは、人の血液。
あのときの光景が、今でも目に焼き付いて離れない。
静瑠が、そんなゆきの震える肩を優しくさすってくれる。
「ちからの矛先が、悪となるのであれば、それは、皇子である以前に、人である以前に、「鬼」。」
もし、弘樹が目覚めたとき、弘樹の持つその力が、もしくは弘樹自身が鬼となっているのであれば、
「鬼を生かしておくわけにはいかない。」
美晴は、奥歯をぎっとかみしめた。苦い顔をして俯いた。
高志に下ったキョウト、すなわち王からの命令は「鬼の抹殺」
「・・・どうして、実の兄弟で殺し合いなのよ。」
美晴は、声を振り絞るように、苦しい声で言った。
「とめられ、ないんですか?」
ようやっとゆきが重い口を開いた。
美晴の話していた物語には、覚えがあった。巻物だ。
だから、間違いなく信じられた。あの時、弘樹がお茶を濁した理由も、なんとなくわかる。
いまは、弘樹がおかれている状況を考えることが先だ。
「・・・・目を覚ました弘樹さんが、いつもの弘樹さんであれば。」
静瑠は、ぽつりという。
「ただ、それは延命処置でしかないわ。いつまた「暴走」するか、わからないのだから。」
あのときのように、弘樹が見境を失くし、神の力に器を奪われ、惨劇を繰り返す可能性はゼロではない。
美晴は、深くため息をついた。
「いまはただ、祈るしかないの。」
延命処置でもいい。弘樹が、弘樹のままで目を覚ましてくれることを、誰もが、何よりも優先で祈った。




