紅の章 2 それを、狂、というのなら。
ほどなくしてゆきは小さな寝息を立て始めた。
それを確認すると、弘樹は小さくて深い息をついた。
樹里がいたら、卑怯者と、力いっぱい罵られるだろうか。
言霊と、血の共鳴を使って、ゆきを眠らせた。
(そうでもしないと、このじゃじゃ馬は・・・)
そこまで思考が傾いた瞬間、右肩に尋常ではない熱が襲った。
右手が、否蟲が、肩のナイフを外そうと、あがいている。
右手の先が、そのままナイフの脇をえぐるように突き刺さる。
声を押し殺して、肩を前かがみに丸めると、左手で、強く強くナイフを押し込む。
右手はすでに、自分の意志を無視している。
狂ってしまうほどの痛みと熱だけが、脳を支配する。
黒い蟲の支配は、ナイフを超え、肩、首の右側、胸の一部まで広がっていて。
右半身がおかしなマヒに襲われている。
この状態で、すべてを説明して、ゆきを納得させることは、弘樹には不可能と判断した。
ただ、それだけだ。
弘樹は、ふらりと左足で重心をとり立ち上がると、上の窓をそっと覗く。
空が白々と明るくなっている。
群青の闇が、白く変色して、光があふれる時間を迎える。
今日の天気は、快晴だろう。
日の出まで、まだ、少しだけ時間がある。
弘樹はそっと、ゆきの反対側に歩を進める。
まるで猫のように、横になって背を丸めて、小さく寝息を立てている。
まるで、何事もなかったかのように。
弘樹は、左指で、ゆきの顔にかかった髪に触れる。
そっと、指で髪を持ち上げると、そのまま肩に落とす。
「・・・・どうして、だろうな。」
口の中で、そっとつぶやく。
どうして、ゆきを庇うのか。
彼女はまっすぐな瞳で聞いてきた。
弘樹は、その答えがとっさに出てこなかった。
銀妃のため、それだけなのか。
そう、その時は思ったのだが、それだけじゃないなと苦笑いを浮かべた。
「おまえ(の狐)が、ものすごい小さくてガキなんだよ。」
ちからがない、非力な子ども。それを見殺しにすることは、弘樹にとって何とも言えない苦さを感じた。
「だから。助けてやるから。」
そう小さくいうと、弘樹はゆきの胸元にちょこんと転がるペンダントトップを左指でつまんだ。
ほのかに温かい。その紅い、小さな石。
「こいつが目を覚ますまで、すべてから隠して、守れ。」
その石は、弘樹自身の血の結晶、力の結晶。
弘樹の願いは聞き届けられ、ゆきの身体がほのかに赤く輝く。
「目を覚ましたら、すべてが終わってるから。安心して戻れよ。」
弘樹は、石から手を離す。
立ち上がると、二、三歩後ずさる。
「じゃあな。」
そう、軽く別れの言葉を紡ぐと、弘樹はふらりと小屋を後にした。
もう、二度と、戻ることはないと、覚悟をして。
山の斜面をゆっくりと下っていくと、空の色は次第に白く、そしてオレンジ色に光の色を変えていった。
20分ほど歩を進めたあたりだろう。振り返って見上げても、小屋はまったく見えないところまできた。
弘樹は、引きずっていた右足を止めた。
もうここらでいいだろう、弘樹は内心そう思った。
ここなら、小屋の存在を嗅ぎつけられるまでの時間稼ぎは可能だ。
5分前位から、周りが妙に騒がしかった。
音ではない。気、だ。
右足を止めた時には、見事なほどに囲まれていることも弘樹はきちんと把握していた。
20人。
気を消すのがあまり不得手のところを見ると、隠密部隊ではなく、術者か体術者の集団だろう。
(ま、術者なら、レベルは推して知る)
弘樹は、残された霊力と感覚で、周りを推し量った。
けど、厄介な人数であることには変わりがない。
弘樹はまっすぐ風下を見やると、表情を硬くさせた。
「俺の実力を過大評価してません?」
口端だけ、少し持ち上げて、風下から現れた人間にとげを向ける。
「正当な評価を下したまでだけどなあ。そんなに不満かい?」
風下の闇からあらわれたのは、空の皇子・修一。
修一は、そのまま弘樹の前まで歩を進めると、
弘樹はそれを待っていたかのように、自分のいうことのきかない右手を、歯をくいしばって強引に持ち上げ
修一の目の前に差し出した。
「あぁ。わかってる。」
おもむろに修一は弘樹の右手首をつかむと、ついと反対の指で手の甲をなでる。
皇子に使ってはいけない術。
このままにしておけば、弘樹の死はもとより、修一もそれ相応の罰を受けることになる。
だから、弘樹は修一に右手を出した。彼は、この術を解除するしか道はないはずだ。
その思惑通り、修一は、蟲の侵入した傷を見つけると、力ずくでそこから蟲を引きずり出した。
骨を抜かれるのではないかというほどの激しい痛みが通り過ぎ、
生々しいずるずるという音とともに、蟲は地面に放り出された。
瞬間、その反動で尻もちをつきそうになるのを、弘樹はこらえる。
修一は、その蟲を一瞥する。瞬間でその蟲は白く燃え上がって消えた。
それが、合図だった。
弘樹は、大きく3歩飛びのいた。
地面に左手をつき、口の中で呪を唱えると、もう2メートル。
瞬間移動をする。
一瞬、白い炎が、弘樹の背の倍の高さで燃え上がり、弘樹が数秒前までいた地面が激しくえぐれる。
白い炎を横目に、弘樹は息をつかず、そのまま大きく地面を蹴りあげ、高く跳躍する。
白い炎はその弘樹を数秒単位で追い回し、その炎が通過する地面は鋭くえぐられ、土煙が舞い散る。
弘樹は、近くの木にの太い枝にいったん足をかける。
そのまま地面に軽々と降り立つと、一瞬目を丸くして地面を足で切った。
2メートル後退する。
瞬間、先ほど足をかけた木が一瞬にして切り倒される。
その直後、白い炎が舞い散った。
「逃げてばかりなら、いい加減に終わらせたいのだけどな。」
荒い息を立てて、肩を上下している弘樹とは対照的に、
修一は涼しい顔をして、弘樹を冷たく見つめている。
その瞬間、キンと甲高い音が耳を掠める。
後ろでどおんと音がする。
弘樹は息をのんだ。
左手を思い切り地面にたたきつける。
弘樹のいる場所に、巨木が倒れこんできた。
どおんと、低く響く音が鳴った瞬間。
その場所は、白い炎で燃やしつくされた。
「・・・おしまい?まいったなぁ・・・」
その言葉とは裏腹に、まったく困った素振りすら見せずに、修一は頭をかいた。
「ゆきさんのこと、聞くの忘れてたよ・・・なあ。」
唐突に、修一は背後に言葉を投げた。
その言葉の返答と言わんばかりに、背後から修一の喉元にナイフを突きつけたのは、
息を切らした弘樹だった。
「殺せよ。」
軽い口調で、修一は弘樹の「次」を促す。
「絶好のチャンスだ。もうこんなチャンスないと思うけど?」
それでも、なお弘樹はナイフを突き付けたまま、一歩も身動きをとらなかった。
弘樹が、唇を動かそうとしたその時。
弘樹と修一の間で、白い爆発が起こる。
思わぬ反撃に弘樹はまともに爆発を食らった。
爆風は、弘樹を数メートル吹き飛ばし、そのまま、「何もない場所」にぶつかって止まる。
頭が割れるように揺れた。結界にぶつかった衝撃は、全身に電撃のしびれを与える。
そのしびれが、次の一手を大幅に遅らせた。
しびれがとれた瞬間、目の前の修一が、弘樹の右肩に拳を入れた。
「甘いんだよ。」
鮮血があたりに飛び散る。
激痛に弘樹は大きくのけぞった。
そののけぞった喉を、修一は容赦なく片手で握ると弘樹を自分の目線まで持ち上げる。
そのまま修一は手の握力を弘樹の喉にぶつける。
弘樹は、振り子の要領で足を揺らし、力一杯蹴り上げる。
そのまま、修一から、数メートル離れる。
「その甘さが、命取りだ。どうだ、実践で体感できたろ?」
修一は、笑っている。
弘樹は、しゃがみ込んで、左手を右肩に強く押さえつけて、ただただ痛みに耐えていた。
歯を食いしばる。
「なぁ。ゆきさんをどこに隠した?」
一歩、修一は弘樹に近づいた。
「死体を隠してるなら、弘樹の損だ。持ってこれないなら、運ぶよ。」
太陽が、東の空から顔を出す。
タイムリミットだ。
「僕は、君が馬鹿じゃないと信じている。」
もう一歩弘樹に近づく。
「彼女のために、すべてを捨てる必要はないだろ?」
修一の背中が、太陽の光で満たされて、
弘樹はまぶしくて修一を直視できず、眼をそらした。
「それとも。かな?僕の見込みはすべて外れた、そう言わせたいか?」
修一は、弘樹の前に立った。
「あの、白い狐に情をかけたか。」
それは、凍るような冷たい声。
「狂ったな。」
修一の言葉が、弘樹に届くかとどかないかのとき、
修一は弘樹の頭上から炎を浴びせた。
弘樹はその場を消えた。
数メートル。それは瞬間移動というよりも、転がったといわんばかりの動き。
弘樹の息づかいが、不規則になる。それはまるで息をすることも困難と言わんばかりに、口を小さく動かす。
限界が近かった。蟲を取り除かれたとはいえ、蟲に奪われた体力や霊力がその場で瞬間で戻るわけではない。
それでも、修一の目を引き付けるように、細かい地場移動を重ねる。
「ちょこまか、うざいな。」
修一は、舌打ちをすると、目をついと細めた。
ゆっくりと右手で宙を薙いだ。
その動きに、弘樹は対処が遅れた。否、それが何なのか理解できなかったのだ。
それは、弘樹の顔すれすれを通過し、まるでクラッカーのような鋭い爆発音をとどろかせた。
音は、小さい。
しかし、次の瞬間あらわれたのは、顔半分を鮮血で染め、痛みに絶叫した弘樹のすがた。
絶叫したのだろうか。
弘樹は自分の声すら、拾えずにいた。
ただ、もう片方の耳が、修一の声を拾い続ける。
「聴覚っていうか、平衡感覚を破壊したから。」
まるで、おもちゃを壊したかのような軽い声すら、弘樹にはとても遠い声に聞こえる。
「もう動けないよね。さて。もう一度聞くよ。」
吐き気がする。
自分が右を向いているのか、上を向いているのか、地面がどちらなのか、
一瞬にして感覚を失った。
修一の声すら、まるでホールにいるような反響で、2重3重に響いてくる。
「ゆきさん、どこに隠した?」
目の前すら、二重に見えてくる。
「黙秘権は、与えてないよ。」
弘樹はきつく目を閉じた。
「次だまったら、御仕置きだ。」
耳からの出血が、止まらない。
「残念。」
気配から、明確な殺意を感じた。
修一は弘樹の頭上から炎をぶつけた。
弘樹はその直前、姿を数メートル前に飛ばした。
くるりと振り返り、修一と対峙する。
瞬間、修一から炎がまるでボールのように飛んでくる。
弘樹はそれをかわすと、修一からさらに距離をとった。
「まだ、動けるんだ。」
相変わらず、荒い息で、耳から下が真赤に染め上げられていて。
足元だっておぼつかない。霊力もほぼ底をついたはずだ。
それでも、修一を見つめる目は鋭く光っている。
それが、修一には嬉しく感じた。
「ラストチャンス。次の質問に答えないなら、君から聴力と平衡感覚を全部奪う。」
二度と、立ち上がれないように、二度と逃げ回らないように。
「ゆきさんは、どこにいる?生きてるんだろ?だから、隠してるんだろ?」
その質問が終わるか否か、弘樹は動いた。
地面を蹴りあげ、修一に肉薄する。
手には、刃渡り10センチ弱の小さなナイフ。
しかし。
修一はことなさげにそのナイフをつかみ落とすと、弘樹の無事な耳に唇を寄せた。
「残念だ。」と。
鋭い爆発音は、弘樹の耳をえぐりあげた。
三半規管すら外へ吹き飛ばす勢いの爆発。
そのまま弘樹は地面に突っ伏した。
そんな弘樹を尻目に修一は風を読んだ。
「見つけた。」
弘樹が、そこまでしてでも隠したかったもの。
「けど、厄介な結界を張っている。」
それは、孤血を連動させる結界。
解除できないわけではないが、時間がかかる。
「まあ、いっか。」
そういうと、修一は周りで結界維持をしていた者数名にそのまま斜面を登るよう無言で指示を出すと
倒れたままぴくりとも動かない弘樹を振り返り
「残念だったね」
と心ない言葉を投げ、その場を後にした。
***
コノママデ イイノカ
オマエハ
コノママデ イイノカ
前ヲ見テ立チ上ガル、ソノ気持チガアルノナラ。
オレ二 スベテヲ委ネロ。
状況ヲ、逆転サセテヤル。
スベテ、望ミノ通リニ。




