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紅の章 1 それは、怒という名の痛み

爆発が収まると、秀一は自分の耳を手のひらで押さえた。

結界を張ったとき特有の、気圧の変化による甲高い音と、

爆発のエネルギーが詰まった音と、

弘樹が「錯乱」して発した絶叫とで、鼓膜がおかしくなりそうだった。

「秀一様。」

目の前には、ゆきを羽交い絞めにしていた女性がひざまづき、秀一の命を待っている。

彼女が何を言いたいのか、秀一には分かっていた。

隣には、壷を持ってきた男もひざまづいている。

「申し訳ございません。」

二人の声が、合わさった。

「いや。気にしなくていい。」

目の前の結界は全て破壊され、弘樹もゆきもこの場にはいない。

無謀としか言いようがない、捨て身の術を発動させて、二人はこの場から「逃げた」のだ。

「追いますか?」

男がたずねる。

「いいや。」

秀一は首を振った。

「死に掛けの狐と、何も出来ない子どもの狐だ。出来ることは限られてる。こちらから追っ手を掛けるのは、日が昇ってからでもいいだろ。」

それよりも。そういうと、秀一は二人に、別の「命」を出した。


気がつくと、ゆきはふかふかで湿ったものの上に身体を投げ出していた。

全身が、何かに叩きつけられたかのように痛い。

痛いのに、身体全体を包み込んでいるのは、かさかさしていて、けど湿っていて。

ゆきは、ゆっくりと起き上がった。

半身を起こして気づいたのは、自分が身体を投げ出していたのは、大量に積もった落ち葉の上だった、ということだ。

道理でふかふかしていて、かさかさしていて、けど湿っていたのだ。

周りを見渡すと、森の中のようだった。

木々が生い茂り、ふくろうの鳴き声が響き渡っている。

まわりは斜面のようだった。ゆきのいる場所だけ、少し平らになっている。

斜面の上は、かなりなだらかだが、下は、少し急になっている。

頭が、少し揺れている。

「あれ・・・安倍君は・・・」

そばにいたはずの、弘樹の姿が見えず、ゆきは辺りを見渡した。

そのとき、斜面の下のほうから、かすかな息遣いが聞こえた。

慌てて、ゆきは斜面をすべるように降りた。

斜面数メートル下に、弘樹がいた。

「安倍君!」

木の幹に引っかかるかのように身体を預けた弘樹の、あまりにも酷い状況に、ゆきは悲鳴を上げた。

身体を横にして小さく丸くなるような姿で、途切れ途切れに息を繰り返し

まるで黒く焼けたような右腕と、赤黒い血にまみれた左腕と。

右の腿からの出血は、依然止まらず、赤い血が滲み出ている状況だった。

ゆきの頭は真っ白だった。口に手を当てて、自らの震えを止めるのに精一杯だ。

何をどうすればいいのかなんて、ゆきにはまったく分からなかった。

「安倍君!!」

そのゆきの叫びに、弘樹が小さく身じろぎをした。

薄目を開けて、ゆきを確認すると、震える唇で「大丈夫?」と尋ねてきた。

「ばか。安倍君のほうが、大丈夫じゃないじゃない。」

自然とあふれ出した涙をそのままに、ゆきは、あまりにも痛々しい弘樹の右腕に自分の手を伸ばした。

「触るな」

弘樹は、ゆきの手から逃げるように身をよじると、そう言った。

思わず手を引いたゆきに、弘樹は苦笑いを浮かべると「見た目ほどじゃないから、大丈夫。」とかすれる声で言った。

そのまま弘樹は、ゆっくりと左腕を持ち上げると、斜面の上を指差した。

「上に、小さな小屋があるから。そこに行って。」

しかし、ゆきは大きく首を振った。

「安倍君は?置いてなんか、行かないからね。」

泣きながら、まるで駄々っ子のようにゆきが答えた。

「だめ。先に行くんだ。」

「嫌!こんな酷い怪我した安倍君を置いていくなんて、出来ない!」

「ゆき!」

鋭い言葉がゆきの耳に突き刺さった。そのまま、ゆきは黙った。

「お願いだ。先に行って。追っ手が来る。その前に行かないとだめなんだ。」

しっかりと目を開けて弘樹はゆきを見つめた。

「・・・一人にはさせない。絶対に追いかける。だから、ね。」

そのまま、弘樹は左腕を地面へ下ろした。

「・・・絶対、だよ。」

ゆきが、ふらりと立ち上がる。追っ手に、捕らえられてはだめなのだ。

弘樹のこの怪我が無駄になってしまうことは、ゆきにでも分かった。

「あぁ。絶対だ。」

地面に下ろされた左手は、握られ、親指がくいっと立っていた。

ゆきはそれを見ると、くるりと弘樹を背にして、斜面を走って登っていった。


卑怯だろうか。

遠ざかるゆきの背中を、ぼんやりと目で追いつつ、弘樹は思った。

今の自分に残されたありったけの力で、ゆきを、言霊で縛りつけた。

そうでもしないと、彼女は一人で行こうとしなかっただろう。

だがしかし、彼女の意志を捻じ曲げたことには変わりない。

(助かるはずのない、延命処置・・・か)

そこまで考えたころには、ゆきの姿が視界から消えていた。

ばかげている。

弘樹は、背を小さく丸め込んだ。

酸素と、冷たい外気を求めるかのように、口から短く大きく呼吸を繰り返す。

身体中が、灼熱地獄に放りこまれたような惨状だ。

熱に耐え切れず、燃え切れた内腑の血が

呼気に混じって吐き出され続ける。

これが、孤血のリバウンド。狐の怒り。

目の前の絶体絶命から逃げ出すために、あの時弘樹は強引に孤血を、狐の霊力を引きずり出した。

不意打ちで弘樹の右腕に取り付いた蟲は、瞬間で本来弘樹がもつ霊力の半分以上を吸い尽くした。

この場所から、この状況から脱出するには、孤血を使うしか方法がなかった。

本来踏むべき手順すらすべて飛ばし、弘樹は咄嗟に狐の宿体、すなわち自分自身を傷つけた。

こうすれば、驚いた狐が出てくることを、弘樹は知っていた。

そして、このことが狐の怒りを買うことも、承知の上だった。

むせ返るように咳き込んで、吐き出す血塊は、どれもこれも凝固点を越えて固まりかけていて

内腑の熱は、それこそ弘樹の全てを焼かねば気がすまないといわんばかりに、温度を上げていく。

痛みを越えて、痺れすら越えていく。全身がうこかせない。思考すらすべて止まる。

けど、狐は決して、弘樹を死に追いやらない。

宿体を殺すというばかげたことを、狐は絶対にしない。

ぎりぎりを知っているからこそ、そのぎりぎりで「遊んで」いるのだ。

たまに思い出したかのように襲う痛みに、弘樹は身体を左右によじられる。

その痛みに耐える動きすら、まるで死の淵に転がされるかのような痛みと恐怖を呼び起こす。

(早く、早く。早く・・・)

弘樹に出来るのは、ただただ、狐が「遊び」に飽きてくれるのを待つだけだった。


かた、と小屋の扉に何かがぶつかるような音が聞こえたのは

ゆきが弘樹と別れて、必死に小屋までたどり着いてから、10分以上経ったころだった。

小屋の隅で膝を抱えていたゆきは、その音に、ぱっと立ち上がり、扉に手を掛けた。

「・・・誰?」

追っ手がいる。弘樹はそうゆきに告げていた。

警戒をしようとしたが、ゆきの直感が扉の向こうの人間を教えた。

ゆきが扉を開けたのと、外の人間が扉を開けたのはほぼ同時。

「安倍君!」

扉を開けて、中にふらっと入ってきたのは、弘樹だった。

ゆっくりと扉を閉めると、弘樹はそのまま扉に寄りかかるように崩れ落ちた。

息が荒い。何百メートルも走ってきたかのように、肺が酸素を求めている。

「安倍君!大丈夫?どこがつらい?痛い?」

ゆきは弘樹の左腕を手に取った。

「安倍君!熱、あるよ・・・」

ゆきは、あらかじめ自分のTシャツを千切って包帯代わりのものを作っていた。

パーカーを羽織っているから中のTシャツくらい、と思ったのだ。

ゆきはそれを弘樹の左腕の傷に手早く巻きつけた。

弘樹の熱が、傷が原因なのか、それとも、体調不良が原因なのか

ゆきには判断つかなかったが、ゆきが出来ることは限られていた。

「望月さん・・・悪い、こっちにも巻いてもらっていい?」

弘樹は、朦朧とする意識の中でゆきに声を掛けると、右肩部を左手で指をさした。

ゆきは、弘樹の左手を目で追って、右肩を見て絶句した。

「ばか、なに、やってるのよ!!」

右肩に、深々と刺さっているのは、小さな黄色い柄のカッターナイフだった。

ゆきはナイフを外そうと手を伸ばしたが、弘樹の左手に遮られた。

弘樹は左手のぎこちない手つきで、カッターナイフの柄を外し、刃の部分だけ肩に残すような形にした。

そして、そのまま、左の手のひらで、刃を押し込んだ。

「ぐっ。。。」

弘樹の口から、かすかなうめき声が漏れる。

「ばかばかばか!!」

ゆきは弘樹の左手を外そうと、両手を添えて思いっきり引っ張ろうとした。

しかし、次の瞬間、ゆきはびっくりして両手をぱっと、引っ込めた。

弘樹の左手の間から溢れたのは、どす黒い「血」

「・・・はやく、それ、巻いてくれないかな。悪いけど。」

弘樹の声は、それでも落ち着いていて。

ゆきは、慌てて、震える手で、弘樹の肩にきつくきつく包帯を巻きつけた。

「・・・ありがと。落ち着いた。」

あまりにもゆきの手が震えていて、力加減が出来ずにきつく巻きつけて

その度に、弘樹が苦い顔をしてしまったが、何とか巻き終えると、弘樹は深く息を吐いた。

落ち着いてなんていない。

ゆきは、弘樹のその右手をちらっと見ると、くしゃりと顔を歪めた。

左手や腿の傷は、包帯を巻いて、それなりに出血も止まって、大丈夫かなと思えるのだが

右腕だけは、そうは見えない。

ライトのない自然の夜の光の中で、力なくだらりと垂らしたその腕は黒く。

決して自然ではない、おかしな「痙攣」が、どくりどくりと蠢く。

その度に、巻きつけた包帯の上から、肩口をきつく押さえ込む弘樹の顔が、歪んでいた。

そんなゆきの表情をみて察したのか、弘樹は、自分の右腕を隠すかのように身体をゆきのほうに向けた。

「びっくりさせちゃったな。ごめん。」

弘樹はそういうと、数メートル先を指差した。

「もいっこ、頼んでいい?」

地面に地下収納があるから、そう弘樹に言われてゆきが行ってみると

本当に小さな扉が地面にあって、開けると、クーラーボックスほどの大きさの箱に、

ペットボトルの水と、缶詰のクラッカーが数個入っていた。

不思議そうな、どちらかというと疑っているような顔をしながら、ゆきがそれらを持ってくると

弘樹が、笑みを浮かべながら説明してくれた。

「ここ、俺の秘密基地。」

月に数回ここに来ては、身体を鍛えたり、物思いにふけったり、

「ぼーっとしてたりしてる。」

だから、備蓄食料も少しだけだがあるのだ。

ゆきは、ペットボトルのふたを開けると、弘樹の左手にそれを渡した。

不意に触れた弘樹の左手があまりにも熱くて、ゆきの触れた手がぴくりと動いた。

「あー冷たくて気持ちいいや。」

弘樹が漏らした言葉は、ペットボトルの水のことか、ゆきの手のことか。

弘樹がペットボトルを床に置いたとき、ゆきはそっと弘樹の左手に自分の右手を寄せた。

暖かい、ではない。まるで高熱を出しているかのような熱を含んだ左手。

ゆきの右手は、弘樹の熱を奪い、徐々に暖かくなっていく。

ふと、ゆきは自分の右腕を弘樹の左腕に触れさせた。

弘樹に寄りかかるかのようにして、頭を弘樹の左腕に添える。

「ど、どうしたの?」

驚いたのは弘樹のほうだ。自分の血のにおいに混ざって、ゆきのやさしい匂いが鼻をくすぐる。

「・・・このまま少しだけ。」

熱さまし。ぽつりと、けど真剣な声でゆきは弘樹の腕に頬をくっつけながら言う。

数秒、そのままの姿勢で硬直してしまった弘樹は、そっと左の肩をひねった。

拒絶しないようにそっとゆきを自分から離す。

「・・あんまりくっついてると、暖かいが、熱くなっていくから。」

弘樹にそういわれて、ゆきは素直にそばを離れた。

「・・・けど、辛そうだよ・・・・」

人間は熱を出せば、だるくなって、動くことすら辛い状況になるはずだ。

少しでも熱を下げなければ、命にも関わってくる。

ましてや、弘樹は大怪我をしている。

心配するゆきをみて弘樹は自分のふがいなさに、苦笑いを浮かべた。

「心配させちゃって、ごめん。けど、この熱は大丈夫だから。」

この熱は、狐のお仕置き。

「俺の中の、狐の血がご機嫌斜めなんだ。」

無茶ばかりして、狐を怒らせた。

「あんまりそばにいると、望月さんの中の、狐の血が驚いてしまうよ。」

その言葉をきいたゆきの瞳が、ふるふると震えた。

全ての元凶となった、孤血。

銀妃の気まぐれがなければ、ゆきはここまで怖い思いをしなくても済んだのに。

しかし、彼女を生かしているのも、また孤血だ。

「・・・ごめん。」

膝を抱えてうずくまるゆきを見て、弘樹はそうつぶやいた。

謝罪の言葉しか、弘樹には浮かばなかった。

何も知らないゆきにとって、今の状況は、怖い以外に何でもないはずだ。

「謝ることじゃないよ。。」

うずくまった状態のまま、ゆきはポツリと答えた。

「助けてくれた、んでしょ?」

決して弘樹と目を合わせることなく、膝を抱えたままゆきは言葉をつなげた。

「私なんか助けなければ、安倍君がそんなに・・・」

そういいながら、ゆきは自分が相当卑屈なことを言っている、可愛げのないことを、弘樹にあてつけていると、そう分かっていた。

自分のせいで、弘樹が大怪我を負っている。

しかも、その原因の一つは、ゆき自らが切りつけた傷だ。

「安倍君が、そんなに、痛い思いを、死にそうな思いを、しなくても。。。」

声が震えている。これは、自分自身に対する怒りだ、そうゆきは思った。

弘樹を傷つけた右手は、痙攣を起こしたかのように、震えが止まらない。

ゆきはそれを左手で無理くら押さえつける。爪を立てて、痛みを伴わせて。

そのとき。

ゆきの頭に弘樹の左手がぽんと乗った。

そっと髪に沿ってなでおろすと、今度は、爪を立てた左手の上に乗せて、指を添えてそっと立てた爪を離していく。

ゆきは、抵抗することなく左手を下ろした。

そっと、顔を上げると、苦い顔をした弘樹が、ゆきが自ら傷つけた右腕に、左手を添えていた。

まるで、その痛みに共感するかのように。

弘樹は、顔を上げたゆきに気づくと、首を横に振った。

「何も知らない、知らなかったんだ、ゆきさんは。」

右腕が、あたたかい。

「教えなかったのは、知らせなかったのは、俺の責任だから。」

弘樹がゆきの目を見て、口角を上に上げて笑った。

「・・・臆病だったんだ、俺が。」

弘樹の瞳の奥は、泣いているようで。

ゆきには、それが、自分の右腕よりも、弘樹の右腕よりも、痛々しかった。何よりも。

「駄目駄目だな。」ははは。

乾いた笑い。涙を隠す、照れ笑い。

「助けた、って言いたいけど。たぶんこれは助けたって言えないな。」

心配ばっかりかけてさ。そういう、弘樹の瞳から、悲しみは消えていて。

「だから。もう止めろ。自分を傷つけるのは、最低だぞ。」

そういうと、弘樹はゆきの右腕をそっと握った。

「・・・自分だって、傷つけた、くせに。」

そんなゆきの、可愛げのない返答に、弘樹は声を立てて笑った。

「確かに。俺もか。悪い悪い。」

そんな弘樹に、ゆきの心にわだかまっていた毒が、一気に抜けた気がした。

「心配させた詫びに、何でも答えるよ。俺の知っていること、嘘偽りなく。」

「・・・・本当?」

疑ったわけではなくて。

「ここで、俺が嘘を言ったところで、俺はなんの得にもなんないと思うけど?」

そうじゃなくて。

「もちろん、信じる信じないは、ゆきさんに任せる。聞きたくないなら、それでもいい。」

ゆきは、両腕で膝を強く抱いた。

秀一に、嘘を吹き込まれたのだろうか。

ゆきは、それを知るのが、怖かった。

けど。このまま何も知らずに立ち止まるのは、それ以上に怖かった。

「・・・あの、さ。」

ゆきは弘樹の顔を見ずに、言葉を紡いだ。

「・・・橘、殺したのって。」

安倍君なの?

言葉を全て、上手く吐き出せず、最後の言葉が喉に詰まってかすれていた。

弘樹は、それにすぐには答えなかった。

たった数秒の沈黙が、ゆきには怖すぎた。

「・・・あいつに、そう言われたのか?」

その言葉は、決してゆきを責めるものではなく、憎しみも悲しみもない、ただの確認の言葉だった。

「違う。俺じゃない。・・・・というか、無理なんだ。」

無理、その言葉に、ゆきは面食らった。

「・・・え?」

思わず顔を上げると、苦笑いを浮かべた弘樹と目が合った。

「無理。橘が「殺された日」、ゆきさん知ってる?」

ゆきが、考えをめぐらせていると、弘樹が説明してくれた。

「殺された日、俺ら、病院にいたんだ。佐伯センセあたりに聞けば一発だけど。大げさなくらいに包帯ぐるぐるに巻かれてさ。

挙句、樹里がなんでか機嫌悪くてさ、当り散らして、俺の包帯をベッドにくくりつけやがった。」

文字通り、ベッドに縛り付けられてたのだ。

「けど。だけど。・・・」

ゆきは、声を少し強くした。

弘樹を疑っているわけじゃない。

弘樹のNOから導かれる答えが、怖い、のだ。

「それでも、真夜中とかに脱走すれば、犯行は可能だ、とか?」

弘樹は、ゆきの否定を、違う意味で汲み取った。

「それも、無理。そんなことしたら、病室に結界を張ってた、兄貴に殺される。」

つまり、弘樹は病院から抜けることが不可能な状況であって。

ゆきは、自分の手を強く握り締めた。

「じゃあ・・・」

誰が。

その問いに、弘樹は困ったような顔をして、こう答えた。

「分からないよ。というか、容疑者を立てるのは簡単だけど、犯人なのか、知っているのは橘だけだよ。」

それは、犯人を絞り込むことが出来ない、絞り込んじゃいけないと言っている様にも聞こえたが

ゆきは、そこに引っかかりを感じた。

秀一の言ったことは、どこまで本当なのだろうか。

彼はこう言っていなかったか。殺せる人間は限られている、と。

「あいつを、殺せるのは、「皇子」って呼ばれる人だけだって・・・」

橘も、皇子と自分のことを言っていた。

そのとき、弘樹のことも「皇子」と呼ばなかったか?

そして。

「・・・あぁ。そうだな。」

弘樹の答えはYES。びっくりしたような、けど、予測していたかのような、落ち着いた声。

「・・・皇子って何?」

弘樹からは答えはない。弘樹の唇は、紡ぐ言葉を必死に探しているように見えた。

答えてくれる、そう思った瞬間、ゆきの中から一気に疑問が噴出した。

「何で、人を殺せるって言うの?成宮くんも同じなの?なんで橘のことはニュースにならないの?何で。。」

驚いた顔でゆきを見る弘樹をよそに、ゆきは矢継ぎ早に疑問をぶつけた。

同時に思うのだ。これが恐怖の根源だったのかと。

分からないことほど、怖いものはないのだ。

けど、ゆきが一番確認したいのはこれじゃない。

ゆきは、一つ呼吸をおくと、祈るような想いで弘樹に尋ねた。

「安倍君は、人殺しなんかじゃ、ないよね?」

人殺しじゃないから、ゆきを助けようとした。橘だって、殺してない。

そう信じたいのに、ゆきの脳裏によぎったのは、橘と対峙しているときの弘樹の凍った声だった。

「殺してやる」

あの時は、弘樹は本気でこの言葉を言っていないと思ったのに、

振り返った記憶には、この言葉の音に、恐怖を感じる。

信じたい。

信じたい。

ゆきは、ぐっと両手を握り締めた。

弘樹の顔をまっすぐ見つめて、弘樹の答えをじっと待つ。

しかし、弘樹は、ゆきのその視線を、自らよけた。

その意味を、考えたくなくて、ゆきは弘樹の答えをただただ待った。

弘樹は、よけた目を一旦きつく閉じると、かみ締めていた唇をそっと開いた。

「・・・ごめん。」

それだけで、すべてが伝わった。

ゆきは、無意識に身体を弘樹から離した。目を丸くした、唇が震えた。

信じたくなかった。けど。

「嫌、だよな。」

ははは、と乾いた笑いを浮かべた弘樹は、笑っているはずなのに

ひたすら痛みに耐えているようにしか見えなった。

全身が切り刻まれて、血が止め処なく流れ続けていて。

それは、深い悲しみをたたえた涙のようで。

ゆきの目には、その映像が今の弘樹に重なって見えた。

聞いてはいけないことを、聞いてしまった。

何故か、その後悔だけが頭の中を駆け巡り、ゆきが言葉を撤回しようと唇を開きかけたとき、

弘樹が、ぽつりと言った。

「自分の、母親を、殺したんだ。」

ゆきの耳に届いた声、それは、低い低い悲鳴のようで。

ゆきの唇の動きは、凍りついた。

「嘘つかない、って約束したもんな。」

そういうと、弘樹は自らゆきとの距離をとった。

「殺人者の脇、なんて、嫌だろ。」

自虐的なその言葉は、なのにとても優しく穏やかで。

どう、声をかけていいのか、ゆきには分からなかった。

ただ、目の前の彼は、見える傷以上に、見えない傷をたくさん抱えていて。

その傷は、間違いなく彼を殺してしまうのではないかというほど、深く、数多にも及んでいて。

あの時聞いた、残忍な声は

人を殺すことを知っている声と、この見えない傷をさらす痛み。

「・・・・もう、いい。」

ゆきには、そうとしか、言うことが出来なかった。

弘樹から目をそらし、膝を抱えて小さくなる。

頭がごちゃごちゃしていた。

理解したいのに、理解できない。

ただ、すくなくとも、今の彼は、

人を殺すことは出来ない、そんな気がした。

「・・・・これから、どうするの?」

ゆきは、唇を動かさず、呟くように言った。

話題を変えたくて、けど、ゆきの頭はこの重い空気を振り払う話題を思いつけなくて

そのことすら、いらだちを募らせた。

僅かな沈黙の後、

「・・・ゆきさんだけ、逃がすよ。」

淡々とした口調で、弘樹が言った。

「あいつの目的を、俺一人にする。俺が惹きつけている間にゆきさんは山を降りるんだ。当面は京都から出なきゃならないけど・・・」

ゆきは息をのんで弘樹の横顔を見やった。

弘樹は、一点前を見つめて、淡々と言葉をつなげる。

「そんなの・・・安部くんはどうなるの?目的って、私でしょ?無理・・」

そこまで言いかけたとき、弘樹が首を横にして、ゆきを正面から見つめた。

「ん?大丈夫。たぶんね。」

不敵な笑みを浮かべて弘樹は笑う。

その笑みは、ゆきには「違う」ものとして映った。

理由のない不安が、そこにあった。

二人の距離が、とてつもなく遠く感じる。

「大丈夫、じゃ、ないよ。」

根拠はない。状況を理解できたわけではない。

ただわかるのは、弘樹を囮にして逃げろと言われたことだけ。

「・・・そんなの、いやだよ。私だって、少なくとも、安部くん程のけがはしていないから、できることはある。」

そこまでいったはいいが、言い切れない。

「・・・はずだよ。」

ゆきは、胸を押しつぶされそうだった。

両手と両足が、座っているのに、がくがく震えている。

私が傷つけたのに。

私が痛めつけたのに。私がいなければ、彼は傷を負う必要なんて、なかったのに。

「どうして、」

どうして、そこまでして私を庇うの?

そう問いかけようとして、かすれる声を絞り出し、顔をあげると、

弘樹はよろよろと立ちあがって、部屋の向かい側に行くと、襖の戸をゆっくりあけていた。

戻ってきた弘樹の手には、寝袋があった。

「寒いんだろ。山の夜はなめてかかると、寒さで死ぬからな。」

そういうと、左手だけで器用に寝袋の入口を開くと、ゆきの足もとに持っていく。

ぶっきらぼうに、「足入れろ」と言われて、ゆきはそっと足を差し入れた。

震えていたのは、寒いからじゃないと、弘樹に怒りたかったが

足を入れて、それは違ったと思い直した。

怖くて、自分が無力すぎて悲しくて震えていたと思っていたが

足を寝袋に差し入れると、寝袋の温かさと、自分の思っていた以上に足先が凍りついていたことを思い知らされた。

「どうして、か。」

弘樹はもといた場所に座りなおすと、遠い眼をした。

「・・・どうして、だろうな。」

そうぽつり、聞こえるか聞こえないかの言葉を、弘樹はつぶやいた。

「ま。日が昇ったら動かなきゃならないし、休めるうちに休んでおくか。」

そういうと、弘樹はゆきに向って歯を見せて笑った。

「ちょ、ちょっと。人の話聞いてないでしょ?わたしにできること、ないの?たとえば、すすぎとか。私の血にも、ちからはあるんでしょ?」

そうゆきがまくしたてると、弘樹は笑顔をすいとひっこめた。

「二度と言うな。」

口を一文字に結び、目は睨むようにして、弘樹はゆきを見つめた。

今までにない弘樹の怖さに、ゆきはびくんと肩を震わせた。

「自分の力を使うっていう、そんなことは絶対に考えるな。言葉に出すな。」

低い声で、淡々と弘樹は言った。

「ちからは、自分自身を破滅に追い込む。・・・死ぬぞ。」

その言葉は、ゆきの心を凍らせるのに十分だった。

「ま。できることは、今きちんと休んで、体力をつけることだけだ。明日は全速力で走るからな。」

今までの怖さは一転、弘樹はもう一度ゆきに笑いかけた。

「眠いんだろ、お前。寝ちまえ。」

寝顔は見ません。襲いません。そう笑いながら弘樹は言葉をつないだ。

「先に寝るのは、怪我人です。もう、大人しくしなさいよ。」

ゆきは寝袋をバンバン叩いて抗議した。

そこは譲りたくない。けがをして熱を出している人をほっておいて休むなんてできない。

「残念だが、俺は眠くない。おまえは非常に眠そうにしている。二人いっぺんに寝るわけにはいかない。見張りは、必要だろ?」

鼻で笑うかのように、弘樹は笑って言った。

眠くないと反論したいところだったのだが、ゆきは唐突に自分の頭がぼおっとしていることに思い当たる。

「疲れてるんだよ。色々ありすぎた。・・・そんなにいうなら、少し休んだら、見張りを交代するって言うのでどうだ?」

弘樹が妥協案をだし、ゆきはしぶしぶそれを承諾した。

「30分だからね。30分したら、起こしてよ。」

「わーった。わーった。」

そういうと、ゆきはくるりと弘樹に背を向けて、足もとの寝袋を引き上げるとすっぽりその中に収まった。


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