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白から、紅へ

ゆきの手を引き、橋のたもとの小さな憩いの場のベンチまで行くと

弘樹はそこにゆきを座らせた。

脇にある外灯が明るい。

弘樹は一歩だけ外灯の明かりの輪に足を入れたが、それ以上は進むことをしなかった。

わき腹の出血が想像以上で、左足部分が黒く汚れていたからだ。

ベージュのチノパンなんて履くんじゃなかったな、

頭のどっかで冷静に分析している自分が、なんだか可笑しかった。

「痛く、ないの?」

先ほどまであんなに取り乱していたゆきは、ここにきてやっと落ち着きを取り戻した。

言霊の支配はまだ継続している。しかし、すこしずつ弱くなっているのも事実だ。

「あ、え。あぁ。気にするほどじゃないよ、痛くないし。」

強がっているわけではない。見た目は確かに酷いが、見た目ほどの痛みや痺れはない。

「けど。。。」

ゆきはそういうと、視線を弘樹の傷に向けて、肩を小さくする。

かたかたと、細い腕が震え、視線を下に落とした。

「私、取り返しのつかないことを・・・」

傷を、見てしまったのかもしれない。

覚えているのかもしれない、斬りつけた瞬間を。

「ほんと、大丈夫だから。」

弘樹はゆきの目の前にしゃがみこんだ。

「あの、すすぎってすごく「変」な奴で。持ち主の言うことは絶対なんだ。」

ゆきがゆっくりと顔を上げた。

「たとえば。すすぎで指先だけちょっと傷をつけたとする。持ち主、すなわち望月さんが、「しまった、間違って切っちゃった」と思ったら

傷は回復するし、逆に、もっと傷をつけたいと思ったら、すすぎが直接つけた傷以上に大きくなるんだ。」

弘樹は、説明をしながら、だんだんと心臓が冷たくなる気がした。

ゆきが、弘樹の傷を心配してくれているから、痛みが引いている。

けど。

弘樹は、つばを飲み込んだ。

口の中が一瞬でからからになる。

「・・・願えば、いいんだ。傷を深くしろって。」

言ってはいけないことを、口にした。

「そうすれば・・・」

しかし、弘樹のその言葉を遮るかのように、ゆきは自分の右手をおずおずと伸ばした。

わき腹を押さえる弘樹の右手に、ゆきは自分の右手を重ねた。

弘樹は目をつぶった。自分から願い出たことだ。それでも、足の先から氷のような冷たさが駆け上がる。

「だめ、だよ。」

ゆきの唇から、ぽつりと漏れた。

「間違った、なんて言い訳をしたいんじゃなくて。逃げるつもりもなくて。ただ。痛々しいのは、見たくないの。」

ゆきの声が、そえられた右手が、温かく感じる。

「ごめんなさい。」

下を向いたまま、絞り出すような声が響いた。

その謝罪が「癒し」となり、冷たくなった全身が氷解するのを弘樹は肌で感じた。

戸惑いがちの左手が、そっとゆきの肩に触れる。

「気にしないで。俺こそ、ごめん。」

ゆきを試すようなことを、口にしてしまったことを後悔した。

彼女は、そんな脆い人では、ない。

「痛く、ない?」

下を向いたまま、弘樹を見上げることなく、ゆきがつぶやいた。

「・・・どうして?」

ゆきは怯えているはずだ。彼女が気遣っている人間、同じ人間が彼女を殺すかもしれないのに。

彼女は、弘樹が自分を殺すことを、否定していないはずだ。

なのに。

「言ったじゃん。痛々しいのは、見たくないって。」

ぽつりと、しかしはっきりとゆきは答えた。

「傷つけたのは、わたし、だし。」

下を向いたゆきの表情は、弘樹には分からないけれど。

震えていた肩は、静かになり、声も悔恨の念が感じられた。

「だから、出来ることはきちんとしたいの。けじめ、ね。」

その言葉が、まるで罰を受ける準備は出来ているとでも言うかのようで、

弘樹は、ゆきのその考えに、驚きを隠せなかった。

自分が、妙に小さく感じた。

彼女の覚悟に、弘樹は、何も応えられない

わけがないのだ。

「・・・逃げよう。」

ゆきの肩を掴んでいた左手に力を入れた。

思わぬ言葉に、ゆきがひょっと顔を上げた。

驚きの表情が弘樹の目に飛び込む。

「望月さん、逃げるんだ。」

遠くに、出来るだけ遠くに。

弘樹の手が届かない場所に。成宮の目が届かない場所に。

弘樹には、その手筈がある。

目を丸くして、疑念すら浮かべたゆきの瞳を横に

弘樹は、自分の首から細い鎖を手早く外した。

男がするには不釣合いなそれには、深いワインのような色をしたごつごつとした石がついている。

それを、弘樹はそっと、しかし手早くゆきの首に付け替えた。

「望月さん、一回しか言わないからよく聞いて。」

鎖についた石は、まるで自ら熱を発しているかのように、ほのかに温かい。

ゆきは、無意識に石を握り締めた。

「姉貴の家、知ってるよね?」

弘樹は、ゆきから目を離さずに、やさしく話しかけた。

「最近、来たって、姉貴から聞いた。場所、覚えてる?」

ゆきは、こくりと頷いた。

「ちょうど、ここからまっすぐ、だよね?」

ゆきの右手は、幹線道路をゆっくりと奥へ指差した。

弘樹は、深く頷く。

「俺が、合図をしたら、振り返らずに姉貴の家まで、走るんだ。走れる?」

ゆきは、再度頷いた。

「今日は姉貴、そっちにいるから。姉貴に会ったら、その石を見せて。逃がしてほしいって言えば、姉貴が力になってくれる。」

弘樹は、そこまで話すと、ゆきの肩に置いた手を二度弾ませた。

「大丈夫。全てが終わったら、ここに戻ってこれるし。あとは、俺が何とかする。」

ゆきの瞳には、不安が浮かんでいた。

「でも。」

ゆれる瞳に、弘樹は精一杯の笑みで応えた。

「絶対に大丈夫。俺のことは、信じなくてもいいし、信頼しなくてもいい。ただ、望月さんは、姉貴ならまだ信じられるだろ?」

安倍の家に生まれながらも、力は一切持たず、普通の人間としての生活をしっかりしてきた姉だ。

「世話焼きでさ、困っている人を見たらほっとけない。そんな不肖の姉貴だけどさ、助けてくれる。」

にっ、と弘樹は歯をだして笑顔を作った。

「そうじゃなくて。安倍君が、それじゃ、だめなんじゃないの?」

かすれるような声で、ゆきがいった。

「それじゃ、安倍君は・・・」

「俺のことは大丈夫だから。ほんと、心配しないで。」

今は、ゆきを安心させたかった。ゆきに動く力をつけてほしかった。

大丈夫とは言い切れない。

ただ、ゆきの勇気に応えたいだけだ。

彼女を、どうにかしてでも、逃がしたい、それだけだった。

弘樹は、ゆきから離れて立ち上がると、大きく伸びをした。

そして、ゆきに手を差し伸べる。

「はじめようか?」

恐る恐るといったように、ゆきは弘樹の手に自分の手を添えて立ち上がる。

「安倍君、これは?」

ゆきは、自分の首に下げられた赤い石を握り締めた。

「あぁ。お守り。ピンチに陥ったときに、そうやって握り締めて強く願って。助けてくれる。ただし、一度だけ。」

おどけるように、弘樹は笑って話した。

「俺のだって、姉貴知ってるから。姉貴に見せれば、隠し裏ルートを案内してくれるはずだよ。」

それは、安倍家の人間しか使えない裏道だ。

「さあ。はじめるよ。」

弘樹はゆきの肩に手を添えた。くるりと背をむかせる。左手で行き先を示す、ゆきの視線の向こうだと。

「何があっても、振り返るなよ。」

そういうと、弘樹は右手指で目の前の空気を横に薙いだ。

そのまま、その手に集まった空気を衣に見立ててゆきに覆いかぶせた。

それと同時に、地面に足で円を書き示す。

空と地の結界、それはごく小さなものであり、彼女の空間だけを切り離す。

「さあ、行くんだ。走れ!」

弘樹が短く叫んだ。

その声に呼応して、ゆきが飛び出す。

弘樹は全神経をゆきに集中する。ゆきの走るスピードにあわせて、結界を調整していく。

この結界は、二つの術を連動させているうえ、本来は自分自身にかける結界であり、第三者にはまず使わないものだ。

ゆきが見えなくなる前に全ての微調整を完了させなければ、小さな綻びが致命傷となる。

・・・飛び出す前に、ゆきの周りの空気が震えた。

分かっていながら、弘樹はその震えを見ぬふりをした。

いまは、目の前の術だけに、集中したかった。

徐々に遠ざかる背を見つめながら、最後の調整に入ったときだった。

弘樹の目の前が真っ黒に染まった。

一瞬の出来事だった。

両耳を殴られたかのような爆音、押し付けられる力で後頭部を柱に強打する。

黒い視界に白い光が炸裂する。

腕の痺れが酷い。ピクリとも動かせない。

それが何を意味しているのか、痺れ以上に、血の気が一瞬で引いていく。

視界が戻った弘樹の目に、最初に映ったのは真っ黒な影だった。

それ以外何もない。

まるでトンネルの中のようなキーンとした感覚が耳から離れない。

結界領域に、閉じ込められた。気圧の変化についていけない耳が、悲鳴を上げている。

痺れを押し切って、強打した頭のゆれを振り切って、弘樹は跳ね起きる。

「離し、て」

弘樹の目の前には、真っ黒な影に身体を囚われて、もがいているゆきがいた。

その影は見る間に、変化した。

黒髪の、女性。表情一つ変えずに、ゆきを羽交い絞めにしている。

「離せ!」

その言葉と同時に、弘樹は二人の間に割って入ろうとした。

が。

その弘樹の腕が、真後ろに引っ張られた。

「馬鹿か。」

引っ張られた勢いで後ろに倒れこんだ弘樹の鳩尾に鋭い蹴りが入れられる。

内臓が一瞬で熱を帯びる。痛みよりも熱に、神経が焼き切れるかのようだった。

それでも、それすらお構いなしかのように、弘樹はすばやく起き上がると

右手で地面に紋を刻み、一瞬で手の内に腕の長さほどの刀を生み出す。

蹴りを入れた相手に向かって、刀を振りかざす。

息を呑む間の一瞬の動きだったが、

「遅いよ。」

弘樹の目の前で、鏡の反射のような光が舞った。

次の瞬間、弘樹の全身の神経が、焼き切れた。

「ああああああああああああっ」

目の前の人間が握った刀は、的確に、弘樹の右足の腿を串刺しにした。

そのまま後ろに崩れ落ちた弘樹に合わせるかのように、串刺しとなった刀が、地面に突き刺さる。

まるで、弘樹と地面とを縫い合わせるかのように。

「おっと。抜かないほうがいい。死にたくなければね。」

息荒く、刀に手を添えた弘樹を、目の前の人間・秀一が言葉で止める。

「動かなければ、たいした傷にはならないよ。」

その言葉の裏は、「動くな」

「まったく、目を放した隙に、悪ふざけが過ぎるよ。」

立ち上がった秀一は、呆れるかのように弘樹を見下す。

「悪ふざけ、だろ?この茶番劇は。」

秀一の問いかけのその奥で、ゆきの泣き叫ぶ声が聞こえる。あまりにも遠くに聞こえるのは

聴覚すら、痛みでイカレたかのようだった。

弘樹は、荒い息を繰り返す。

そうでもしないと、息をしているかどうかすら分からなくなるほど、感覚の全てが、狂っている。

前後左右すら判別つかず、脳が悲鳴を上げる。

「返事はなし、じゃだめだろ。」

弘樹の状況を見て取った秀一は、弘樹に刺さったままの刀に手をかけると、

そのまま地面に押し付ける。

「ぐはぁ」

その鋭い痛みが、幸か不幸か弘樹の感覚を一気に正常に引っ張る。全身の痛みが、熱となって駆け巡った。

「お願い!やめて!離してよ!」

半分泣いているような声が、弘樹の数メートル先から聞こえる。

羽交い絞めにされたゆきが、それでも必死にそこから逃れようともがいている。

「もうやめて!このままじゃ、安倍君が…」

「死んじゃう?いや、死なないよ。」

ゆきの言葉尻にあわせて、秀一が言葉を重ねた。

ゆきは、秀一を見上げた。

「死ぬのは、君だ。」

秀一は、それでもやさしく、残酷な言葉を紡いだ。

ゆきの瞳が凍りつく。唇が細かく震える。

「ふざけ、んな。」

全身の焼けるような痛みを押し切って、弘樹は、その会話に割って入った。

「それが、君の答えか。あれは、悪ふざけでもなんでもない、と。」

秀一が、弘樹に振り返らずにそう言った。

「すまないね。僕、相当な地獄耳なんでね。そうでなくても、君が考えそうなことくらい、簡単に理解できる。」

淡々と、秀一は言葉を続ける。

「安倍家の結果内に置けば何とかなる、その発想は、早々に捨てたほうがいい。少なくとも、天の皇子を相手にしているときは、ね。」

そういうと、秀一は弘樹に向き直った。

その瞳は、まるで弘樹を哀れに見るかのような灰色の光を宿していた。

「覚悟が出来ているから、こんな茶番を行ったんだよね。」

ぽつりと、秀一はそう言うと右手を掲げて、指を鳴らした。

その瞬間、別の黒い影がすっと人の形を取って、秀一の脇に現れた。

秀一よりも一回り大きい、がっしりとした男性が、手のひら大の黒い壷を両手に抱えて現れた。

弘樹の視線は、その壷に引き寄せられた。

人目で禍々しいものだと判断できるほど、それは異様な空気を纏っていた。

「安倍弘樹。」

秀一に鋭く呼ばれて、引っ張られるように視線を秀一に移した。

「彼女を手にかけられないなら、そう言えば、余計な痛みを背負わずに済んだのに。」

その言葉に合わせるかのように、秀一の脇の男が、壷を地面に置いた。

「殺したくないんだろ。彼女が、ゆきさんが、苦しむ姿を、見たくないんだろ?」

壷に掛けられていた細い術の鎖が外される。異様な雰囲気が、弘樹の全身に鳥肌を立たせた。

「ひとおもいに、一瞬で殺してあげれば、ゆきさんも楽だったろうに。」

羽交い絞めにされたゆきの瞳から、涙があふれた。

本能の恐怖をこじ開ける力を、目の前の壷は持っている。涙は、恐怖を表していた。

「弘樹。これが何か、知っているかい?」

男が壷にピンセットのようなものを差し入れると、壷の「中身」を摘み上げた。

弘樹の顔が一瞬で真っ青になった。身体が硬直して、動かない。

「蟲。壷のなかにいるから、壷蟲とも呼ばれる。実物は、初めてか?」

男が、弘樹に見せるかのように蟲を顔に近づける。

それは、真っ黒な蛇か蚯蚓のようで、10センチほどの全身を気味悪くくねらせている。

あまりの恐怖に、弘樹は身体を反らし、視線をずらした。

「心配しなくても、弘樹、君には使わないよ。」

恐怖を感じている、それは、この蟲を知っているということだ。

秀一は、そのことに少し満足げな顔をした。

「何を、考えてる!?」

弘樹の問いかけを、秀一は無視した。

男が一旦壷のなかに蟲をもどすと、修一がゆきの正面にしゃがんだ。

「あれはね、人間の中でも、術を使える人間が大好物でね。」

ひっと、ゆきが息を呑む音が、弘樹の耳元まで届いた。

「ゆきさんの中の、狐の血を一滴残らず、食べつくしてくれる、そういう蟲なんだ。」

ゆきの顔が真っ青に、そして痙攣を起こしたかのように震えた。

「ゆきさん、君には蟲の「餌」になってもらうよ。」

「ふざけんな!そんなことさせるわけないだろ!」

弘樹がこれ以上ない声で絶叫した。腿に刺さった刀が浮いて、新たな血があふれ出した。

男がゆきに向かって、壷蟲を近づける。

「いやあああ」

涙を流しながら、ゆきがそれでも逃れようと、羽交い絞めになっている身体を力いっぱい動かす。

蟲とゆきとの距離が、数センチとなったときだった。

弘樹が、暴挙に出た。

腿に刺さった刀を力ずくで抜くと、蟲とゆきの間に割って入ったのだ。

あたり一面に、鮮やかな紅が舞った。

秀一が、弘樹を止める間もなかった。

弘樹はそのままの勢いで、ゆきを羽交い絞めにする女性に体当たりをした。

羽交い絞めが緩まった瞬間にすかさずゆきの身体を弘樹の左腕のなかに収める。

そのままの勢いで、弘樹は右手で蟲を払いのけると右手を二度三度強く振った。

秀一が、弘樹に駆け寄ろうとしたときには、弘樹の右手にはいつの間にかカッターナイフが握られていた。

誰もが、息を呑んだ。

弘樹の左腕には、震えたまま弘樹にしがみつくゆきがいて。

弘樹の右手にはカッターナイフ、しかし。

その右腕は、真っ黒で、酷い痙攣を起こしている。

その状況に、秀一ですら凍りついた。

弘樹は、その状況すらお構いなしに、カッターナイフで周り全てを威嚇すると、

そのまま、それを、己の左腕に突き刺した。

その瞬間、真っ白な爆発が起こった。

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