白の章 13 それぞれの空
「何してるんだ?」
遅くに帰ってきた高志は、縁側に立って空を見上げる樹里に声をかけた。
微動だにせず、真剣に、星が見えない空を見上げる。
「まだ寒いから、な、さっさと閉めろ。」
ジャケットを羽織ったままの高志は寒くはないが
薄衣に素足の樹里は、
(・・・寒くない、か)
高志は訂正した。こうやって普通に生活をともにしていると
樹里が人外の存在であることを忘れてしまう。
「・・・高志は、星読み得意?」
ぽつりと樹里がつぶやいた。相変わらず、空を見上げたままで。
高志は樹里の隣に立って、空を見上げた。
「得意、得意じゃない以前に、信じてない。」
空を見上げたまま、高志はそういうと、樹里がびっくりしたように高志の横顔に視線を移した。
「え、嘘。」
「はは。本気。」
ご先祖様に祟られそうだけど、と高志は樹里をみて苦笑いを浮かべた。
「星読みは、あくまでも気象観測と同じなんだよ。今のご時勢、気象衛星が飛んじゃうだろ?
そっちのほうが、数百倍ヨミがあたる。」
ただ、星のことは叩き込まれている。
「まぁ、これからのことを、星に聞いてみたい気持ちも分かるけどな。」
そういうと、樹里の肩をぽんと叩き、雨戸を閉めようと高志は縁側の端に動いた。
「高志、もう少し閉めないで。」
樹里のその声が、何故か今にも泣き出しそうな、そんな声に聞こえた。
「どうして、弘樹は高志と同じように過ごせなかったんだろう。」
切ない声が、樹里の口から漏れた。
たかが10年。
変化を求めなければ、特殊な環境とは言えど、なんら「普通」と変わらない生活を送れる。
高志がそうであったように。
弘樹も、そう望んだはずだ。
「ヒロが、帰ってくるまで、開けておいて。」
きっとすぐに帰ってきてくれる、そう信じている。
高志は、やっと樹里の「理由」を知った。
何を差し置いてでも弘樹を「守護」する樹里であっても、
ただただ、見守らなければならない。
それは、高志も同じだった。手を出すことは、許されない。
「あいつは、大丈夫だ。俺たちが信じてやらないで、どうする?」
いま、弘樹がどこにいるか、それを知る術はないけれども。
高志は、樹里の肩に手をおいた。大丈夫だと言い聞かせるように。
気づくと、通りに車の往来が戻っていた。
耳障りな結界音が消えて、本当の空気が戻る。
弘樹は、刀を持った手を無造作に後方へ投げた。
術で構築した刀は、その動作のみで虚空に消える。
そのまま、数歩進むとゆっくりとしゃがみこんだ。
目の前には、へたりと座り込んだゆきがいた。
腕を地面に落として、それでもなお、すすぎを手放さず。
視線は正面、弘樹をみているはずなのに、どこか違うところ・宙をさまよっている。
「望月さん。」
弘樹はゆっくりと音を紡いだ。
無防備な状態で、「言霊」という「毒」に当てられて・・・当ててしまった。
「望月ゆきさん、あなたは、まだ、生きているから。」
成宮が使った、命令という言霊。
それは、ゆきの「精神」を「殺す」に値する、それほどの威力を「皇子」は持っている。
「ゆきさんは、大丈夫だから。」
成宮が使った言霊を、可能な限り相殺する。
時間が経てば経つほど、「毒」は精神だけではなく、肉体までも侵してしまう。
それを防ぐ手段は、また「言霊」でしかない。
「ゆきさんは、まだ、ここにいるから、大丈夫だよ。」
ゆきを安心させようと、弘樹は穏やかな言葉で話しかけた。
次第に、ゆきの肩から力が抜けていく。
瞳に光が戻り、揺らいでいた焦点が一箇所に留まる。
「動ける?」
そっと、弘樹が右手を差し出す。
ゆきの視線が、正面から少し下の弘樹の右手に移る。
首がかすかに上下した。
弘樹はそれを見ると、自分も大きくうなずいた。
「おっと。その前に。」
おどけるようにして、弘樹はゆきの右手の上に自分の左手をかざした。
ゆきの右手にはすすぎが握られたままだ。
「すすぎ、しまおう、ね。」
視線は、ゆきの瞳から外さない。
左手は、決してゆきの触れない。
「すすぎ、盗らないから。」
やさしく、諭すように、言葉を紡いでいく。
かすかに、すすぎが震えると、そのまま一瞬で虚空に消え去った。
弘樹はそれを見てまた頷いた。
「立てる?」
弘樹はかざした左手を、そっとゆきの右手の上に乗せる。
ゆきの視線がすうっと地面を向いた。
「・・・の?」
車のヘッドライトがゆきを照らす。
ぽつり、かすれる声でつぶやいたゆきの声は、その車のエンジン音にかき消された。
「なに?」
弘樹は意識してゆきとの距離を詰めた。
深夜だというのに、ここでゆきの声を拾うのは、至難の業だと思った。
「ころすの?」
今度ははっきりと、ゆきが発音した。
その声は、ゆきの視線と同じに、地面に吸い込まれていく。
弘樹は、身体を硬くした。
「・・・移動しよ。ここじゃ、なんだから。」
気の利いた言葉が、思い浮かばなかった。
ゆきの質問に、力いっぱい、否定してやりたかった。
違う。と。
それが出来ないのは、弘樹もまた、言霊に汚染されているから。
その質問に弘樹が答えようとすれば、言霊は弘樹の意志とは無関係に「YES」と紡いでしまう。
ゆきの右手を、そっと握った。
やさしくいたわるように、手を取った。
・・・その質問に、彼女を傷つけずに答える「ちから」が、今の弘樹にはなかった。
「面白いことを。」
街から吹き上げる風が、銀の髪を舞わせた。
「あいつは、殺せんぞ。」
くっくっと、紅の唇から、含み笑いが漏れる。
「それは、計算済みですよ。」
後ろのほう、闇の中から声が響いた。
「どこまで、思い通りになってる?」
笑いをかみ殺したまま、後ろに佇む黒い影に問いかける。
「それは、貴女のほうが、分かっていらっしゃるでしょうに。」
闇にまぎれた位置から、落ち着いた声が返ってくる。
「いや。あくまで、わらわは、そなたの協力者。」
紅の唇をくいと上に向かせ、言葉を紡ぐ。
「・・・狐は、同族思いと思ってましたが?」
落ち着いた声は、僅かな疑問を向けた。
「無論、同族は大切さ。だから、そなたに協力した。」
「同族を、殺すのに、ですか?」
そうたずねると、紅の唇からまた忍び笑いがこぼれる。
「くっくっ、あやつが、同族だと?」
銀の髪が、唇にまとわりついた。
「わらわにとって、あいつだけ、だよ。」
全ての願いをかなえてくれるのは。
そのためになら、
手を汚すことすら、禁忌を犯すことすらいとわない。




