白の章 10 シンジツ
頭が痛い。
頭の内側から強く叩くような痛みに、ゆきは起こされた。
ゆきは頭を抱えながら、身体を起こした。
どうやら眠ってしまったらしい。
身体中がぎしぎし痛むのは、恐らくソファーの上で丸くなって寝てしまったからだろう。
ふと時計を見ようと顔を上げると、目の前に、成宮が膝立ちでゆきを見ていることに気づいた。
目が合って、少し気まずく感じた。
「ご、ごめん。」
ゆきは咄嗟に謝った。遊びつかれて勝手に寝てるなんて最低だと思ったからだ。
ところが、成宮はゆきのその謝った声を聞いて、はっと我に返ったような表情をした。
「い、いえ。」
成宮の声は珍しく上ずっていた。
「どっか、体調、悪くないですか?」
深く深呼吸をした後で、ゆっくりとした口調で成宮がゆきにたずねた。
ゆきは軽く首を横に振った。
「・・・ちょっと頭、痛いけど。たぶん寝すぎ。」
ゆきは成宮に心配掛けまいと、苦笑いをした。
口元に笑いを浮かべたまま成宮の顔を正面から見たゆきは、その笑いをすぐに引っ込めた。
成宮のほうが、顔色が悪い。いつもの無邪気な笑みが、その顔には微塵もなかった。
「どうしたの?顔色、青いよ。」
ゆきが心配そうに成宮の顔を覗き込んだ瞬間、成宮はゆきの背に両腕を回した。
そのままゆきの頭を自分の胸に押し付けるようにして抱きしめた。
急に視界が暗転したゆきは、何が起こったか理解できず身体を硬くした。
成宮の腕は、ありったけの力でゆきを縛り付ける。
ゆきは抵抗しようと身体をよじるが、それすら叶わない。
「・・・こんなに、無防備で、こんなに、弱い。」
そのままゆきをソファーの背もたれに押し付ける。
「・・・僕は、貴方を、いつでも、殺せますよ。」
ゆきの頭の上から降ってきた言葉は、いつもの成宮の声ではなく鋭い剣を連想させる声だった。
ゆきは息を呑んだ。心臓を直に握られた、そんな気持ち悪い痺れが身体の上から下へ滑り落ちた。
成宮は、そっと身体を離した。
ゆきは怯えた瞳で、成宮を見上げた。
声が出ない。唇は震えたまま、紡ぐべき言葉が見つからない。
成宮もゆきを見下ろしていた。しかし、その瞳には、畏怖の色が濃い。
「・・・ごめんなさい。」
成宮が沈黙を破った。
「ごめんなさい。」
成宮は、深々と頭を下げた。
ゆきはそんな成宮を、ただ呆然と見つめるしか出来なかった。
頭が痛い。
目の前で起こった出来事が、整理できない。
「ゆきさんに、怖い思いをさせました。僕の手違いです。まさかここまでとは思いませんでした。
あと、ゆきさんを、その、びっくり、させました。断りなしに、その、抱きしめて・・・」
頭を下げたまま、成宮はそういうと、また謝罪の言葉を口にした。
「顔、上げて。もう、いいから。」
ゆきは慌てて、成宮にそう言い、成宮をソファーに座るように促した。
成宮はゆきの斜め向かいの一人がけソファーに腰を下ろし、ポツリポツリと話してくれた。
先ほどまでゆきが置かれていた状況を。
ゆきを襲っていた黒い影の正体を探るために、成宮がずっとゆきの身代わりを買って出ていたこと。
だから、ゆきのもとに黒い影がまったくでなくなっていたのだ。
「今日は、本当に油断してました。」
成宮は言う。自分の家まで黒い影が迫ってくることがなかったため、ガードを緩めていたと。
「覚えてませんか?・・・って寝っていたから、もしかしたら覚えてないかも、ですが。」
ゆきは口元に手をやり少し考えた後に言った。
「・・・なんか悪い夢は見てた気がする。内容まではちょっと・・・」
成宮はそれを聞いて、少し安心するようなそぶりを見せた。
「覚えてなくて、よかった。僕も心臓が止まりそうでした。」
ゆきが気持ち良さそうにソファーで寝てしまったからと、成宮は台所で後片付けをしていたときだったという。
成宮の背中を、氷のような冷気がさあっとなでていったという。
慌ててゆきのもとに駆けつけると、そこには
「・・・黒い影が、ゆきさんの首元にきつく巻きついていて・・・」
顔色を真っ白にしたゆきがぐったりとしていた。
成宮は、慌てて術を行使し、それを祓おうとしたのだが、
「慌てると、だめですね。上手くいかなくて、時間ばかりが過ぎていってる感覚が酷くて。」
なんとか祓いきったはいいが、あまりに時間を掛けすぎてしまったのと
その間ずっと首を絞められていたゆきが目覚めるまで、死んでしまったのではと真っ青になっていたという。
ゆきが目覚めたとき抱きしめたのは、成宮の目の前を黒い影がよぎった気がしたから。
ゆきに、またまとわりつかないように思わず抱きしめたのだという。
「・・・嘘、かもしれません。」
ぽつりと、成宮がくちにした。
意味を捉えかねて、ゆきが成宮を凝視する。
「黒い影なんて、嘘っぱちで、僕が勝手に見た幻想かもしれません。ただ・・・」
抱きしめたかった、だけかもしれません。
絞り出すように、苦しそうに成宮が言った。
「ゆきさんを守りたい、手放したくない、泣いてほしくないし、笑顔をずっと見ていたい。僕の手が届くところに、いや僕のそばにいてほしい。」
それは、ゆきがはじめてみる、成宮の激情。
抱きしめられた感覚が、ゆきの身体に蘇る。
離れて座っているのに、それはまるで彼に抱きしめられているような、錯覚が襲う。
痛いほどの想いが、押し寄せる。それは、まるで。
「・・・あなたのことが、愛おしい。」
鎖が、心を縛る。痛みは、甘美な痺れに変わる。
ゆきは。
成宮から目を離せない。
「教えて、ください。」
成宮はそういうと、ゆきの隣に席を移す。
微妙な距離を保ちながらも、成宮の顔が、ゆきに近くなる。
その距離は、息苦しさすら感じた。ゆきは、息をしていない、否できない自分がいることに今気づく。
「安倍弘樹、彼とは、どういう関係なんですか?」
淡々と成宮が言葉を紡ぐ。その目には、若干の怒りすら感じた。
ゆきは意外な言葉を、成宮の口から聞いた、と思った。
ゆるりと呼吸を再開すると、あぁ、と頭の片隅が納得した。
新学期の、あのうわさを、気にしているのかもしれない、と。
ゆきが、乾いた喉を開こうとしたとき、成宮がゆきを見ずに、言葉をつなげた。
「あんな、人殺し。」
それは単語、だった。
聞き間違いとは思えないほど、はっきりと発音されたその単語は、
ゆきの心臓を、鷲掴んだ。
氷点下の、冷たい手で。
目を丸くして、震える瞳で成宮を見つめるゆきに、成宮は正面を向いた。
怒りと、悔しさと。成宮の顔は、くしゃくしゃになっている。
「ゆきさんを、苦しめてたのは、彼、です。殺そうとしてたのは、彼です。」
言葉を選びたくても、選べずに、くしゃくしゃの顔の成宮は、それでもゆきを傷つけまいと、その思いはかすれた声となった。
ゆきの瞳から、一瞬光が消えた。
それは、氷の手が、ゆきの心臓を握りつぶす音を聞いたから。
それは、心の底から、全てが凍りつく音を聞いたから。
成宮はゆきのてをそっと掴んだ。
手首を返すと、そこにはうっすらと、けど深い傷跡が残っている。
「ごめんなさい、知ってしまいました。」
この傷の理由を。
成宮は、傷に目を落としながら、そうぽつりと言った。
黒い影の正体を調べていくうちに、偶然知りえたことだけれども。
「ゆきさんが、言いたくなかった理由、分かってしまいました。」
ゆきの手が、小刻みに震えた。
忘れたいことが、しまいこんだ悪夢が、がだがた音を立て始める。
「ごめんなさい。」
そういうと、ゆきの手の震えを止めるかのように、成宮は少し力を入れてゆきの手を握った。
それでも。
かたかたと震える音が、止まらない。
頭が、真っ白で真っ黒だった。
目に映るものすら、細かく震える。
自分の歯がぶつかって、かすかにかたかたと音がする。それすら鼓膜に響いた。
「う、そ、・・・」
やっとの思いで、絞り出した言葉。
何もかも、信じたくない。
「うそ、だ・・・」
弘樹は。
ゆきを絶望から引き上げた・・・
「うそじゃ、ありません。」
成宮は、ソファーに座るゆきの目の前に膝立ちになった。
そっと、両手でゆきの手を包み込む。
「辛いかもしれませんが、僕がいますから。」
ゆきは今にも発狂するのではないかというほど、身体中を震わせていた。
顔をくしゃくしゃにして、瞳は大きく揺れている。
「・・・橘晃一がまず殺されました。」
成宮は、「誰が」という部分を、敢えて口にしなかった。
「ゆきさんが、退院した、その前あたりです。」
見るも、無残な状況だったという。
「橘は、皇子の一人です。ニュースにもならず、警察沙汰にもなっていない。つまりそれは、殺した人間も皇子ということなんです。」
成宮は、ゆきから視線を少しずらし、ぽつりと言う。
「皇子同士は、殺しあう、そういうものなので。」
ゆきの鼻に、かすかな香りが乗った。
成宮の手のひらには、あの時ゆきにくれた香と同じものが握られていた。
その香りが、少しずつ、冷静さを取り戻させた。
「・・・つぎは。さっきニュースになってました。井田雄大。」
冷静になりつつあったゆきの心に、別の杭が打ち込まれた。
いま、なんて、いった?
「拘置所で。橘と同じ状況だったと。さっき、この調査をお願いしていた本家の人から連絡ありました。」
成宮は、ゆきの手をそっとさすった。
ゆきの頭の中は、ごちゃごちゃだった。
隅っこで、「殺されて当然」と主張する悪魔がいる気がして。
けど、井田が殺されたことは、そうは思えず。
むしろ。どうして、の気持ちがとまらない。
「同じ、術で、殺されてます。」
それは、身体の内側から破裂させる、イメージとしてはそんなものだと、成宮は早口でつなげた。
「術というものは、術者の癖が反映されます。同じ術でも、使い手が違えば当然微妙な差が生まれます。」
その差を利用することで、術者を特定できるのだという。
「黒い影、二人を殺した術。そこにある共通点。」
それが、成宮の答えだった。
ゆきは短く呼吸を繰り返した。そうしないと、呼吸すること自体を忘れてしまいそうだった。
「ゆきさんに、直接手を下さなかったのは、すすぎ、のおかげだと思います。」
ゆきを護るかのように、すすぎは存在している。
剣であり、武器であり。それは盾でもある。成宮はそういう。
「だから、手を下さない、ではなく、下せなかったのだと思います。」
すすぎに阻まれて、ゆきを殺せない。
だから、精神面でゆきを追い詰めた。
「相手は、ゆきさんがすすぎを手放すように仕掛けてきたのだと思います。」
すすぎさえなければ、
「赤子の首をひねるのと同じです。2人より、簡単に殺せます。」
そういうと、成宮は、ゆきの手首をそっとなでた。
思わずゆきはびくっと肩を震わせた。成宮はそんなゆきを片目で見やると手首をそっと握った。
「今日は、ここに泊まっていってください。僕が全力でゆきさんを護ってみせます。もう怖い思いはさせません。」
成宮は、ゆきの瞳を見つめた。
ふわっとやわらかい笑みを浮かべる。
「・・・襲いませんよ。抱きしめません。前科者なので信じてもらえないかもしれませんが。」
そういうと、ゆきに箱ティッシュを手渡した。
「涙、拭いてください。・・・あ、抱きしめてほしかったら言ってくださいね。僕は大歓迎です。」
にんまりと、けどおちゃらけたような笑みを浮かべると、成宮は部屋を出た。




