狐の章 2 水の行方
2 水の行方
結局、はぐらかされた。
鴨川のほとりで、弘樹は本を片手にベンチに座り、川面を眺める。
4月の鴨川は、川面の光が舞い、桜がはらりはらりと風に舞う。
弘樹は鴨川が好きだ。
この時期、京都は観光客が大勢押しかける。
この桜と、桜に合う景色を求めて。
けど、実際は桜が一番似合うこの鴨川で騒ぐ馬鹿どもはいない。
居るのは、地元住民と、のんきな学生だけだ。
弘樹は、片手に抱えた本をおもむろに読み始める。
否、読み始めたのは本にはさんだメモだ。
彼女はあの風呂場での一件の半日後、何事もなかったかのように自分の家へ帰っていった。
不安要素は、ある。
まだ、風呂場での一件は謎のままだからだ。
銀妃の言葉を、そのまま取れば、どうやら狙われたのは、彼女という解釈で間違いないだろう。
なのだが、「何故」の部分がわからない。
彼女に問い詰めても、彼女自身も理解していない可能性もある、否その可能性が高いだろう。
ただ、彼女をひとりにするのは気が引けたため、樹里をそのまま護衛に付けた。
樹里は樹里で、彼女のことを相当気にいっていたので、
彼女についていけると聞いて、はしゃいだくらいだった。
びっくりしたのは、彼女が樹里を「見る」ことが出来たことだ。
むしろ、樹里が見えることを「当たり前」としていたことに、弘樹は最初、驚きを隠せなかった。
それ以上に同じ大学の学生ということにも驚いたが。
とにかく、彼女に異常があれば、樹里が知らせるし
それ以前に樹里がずっと結界を張っている状況なので、そこまで大きなことはないだろう。
そこまで。
そう考えると、弘樹は鴨川の水面に視線を移す。
別に自分の能力を買いかぶって居るわけではない。
けど、風呂場での一件は、自分の未熟さを露呈すると同時に
…解決策すら見いだせない自分の愚かさすらも露呈した。
樹里を、樹里の術を信頼していないわけではない。
けど、果たして樹里でよかったのか、その判断が、弘樹には出来ずにいた。
意固地にならずに、本家に依頼すればよかったのかもしれない。
「なーに考えてるのかなぁ?先輩!」
後ろから素っ頓狂な声で呼ばれて、弘樹は思わず肩を強張らせた。
すぐ、相手を認め振り向く。
「なんだ。晴彦か。」
座ったままの状態で、見上げるように呼びかけた相手をみやる。
「なんだとはなんですか。授業さぼって花見ですか?」
からかうようにけらけら笑いながら、浅井晴彦は弘樹の隣に座った。
「さぼってない。あのな、まだ履修期間じゃないだろ?」
「サボりではないとしたら、何か悩み事ですか?」
顔に書いてあります。隣に座って、まじまじと弘樹の顔を覗き込むと、晴彦はぼそっと告げた。
「…お前、たまに鋭いよな…」
その「ずばり」を当てられて、弘樹は頭をくしゃとかきむしり、手持ちぶたさ手で缶コーヒー掴み口に含んだ。
「ま、先輩。分かりやすいんですよ。で、悩み事は恋の悩みですか?」
ぶっ。
飲んでいたコーヒーを、思わず、吹きそうになる。
「先輩も、春ですねぇ…」
お前の頭の方が春だよ、弘樹は口からこぼれそうになったコーヒーと言葉を寸手で飲み込んだ。
「そんな春なのに、知ってます?また、ですよ。」
のほほんとした表情を、すっと引き締めて晴彦は言う。
「また?…あぁ、例の。」
「女性ばかりを狙った、連続通り魔事件。今度は、文学部の池宮さんですよ。」
晴彦は、こぶしをぐっと握ると自身のひざにぼんぼんぶつける。
池宮…といえば、去年の学祭のミスに選ばれているはずだ。
「あーもー許せません。犯人をけちょんけちょんにしてやりたい!!」
あぁ、弘樹は晴彦の言葉を空で受け流した。
たしか、去年の学祭のミスコンで一目ぼれしていたのだ、晴彦は。
その恋、実ったかどうかは、知らぬが仏。正直弘樹には興味のないことだった。
とにもかくにも、犯人が晴彦とであったら、間違いなくけちょんけちょんだ。出会ったらの話だが。
「今日ですね。新聞部に聞いたんですけど、通り魔の手口。アレは人殺しですよ!先輩!!」
「人殺し?おいおい、被害者は全員軽い怪我って聞いたぞ?」
弘樹は、最近のニュース報道を思い出す。
たしか、後ろから殴られてバックなどを奪われるものだったはずだ。
「軽い怪我って言うのは、初期の通り魔ですよ。最近は、殴った次いでに水ですよ!」
晴彦は興奮して顔を赤くし、語調を強めた。
「水?」
弘樹は、ふと水面に目をやる。通り魔に水?つながらない。
「そうです!池宮さん、橋から落とされたんです!」
その前の被害者は大量の水をかけられ、その前も川岸に投げ捨てられたという。
弘樹は、ようやっと晴彦の怒りに合点がいった。
殺人犯発言にも、だ。
池宮千鶴は、いま、頭を強く打って病院に入院中、だというのだ。
「命に別状がなかったからいいものを…異常犯ですよ!許せません。」
晴彦は、顔を真っ赤にしながら熱弁をふるう。
「で、先輩にお願いがあるんです!犯人をとっ捕まえてください!」
いきなりの後輩からの願いに、弘樹は思わず目を丸くする。
「な、なんで?」
熱血晴彦の脇で話を聞いていた弘樹は、いたって冷静だ。
犯罪を憎む気持ちは分からなくもないが、そこまでヒーローになろうとは考えていない。
大体において、何故、犯人を捕まえるのが晴彦ではなく、弘樹なのだ?
「なんでとはなんですか?世の中の女性を守ろうという意思はないのですか?だからもてないんですよ。」
ヒーロー=モテルっていう考え方の方がどうかと思うが。
弘樹は、そんな下心アリアリの晴彦の考えに、深くため息をついた。
ただ。
何か気になることがあるかのような、思い出せないけど大切な何かがあるような、そんな音だけは
耳の奥で聞こえた、弘樹はそんな気がした。
そして、今も聞こえている。
「ただい」
まをいいかけた弘樹は、いつもの食卓兼カフェスペースが妙ににぎやかなことに気づき思わず言を飲み込んだ。
「あーヒロだーおかえりー」
と、樹里。いつものソファーにちょこんと座って両手を振っている。
「やっと帰ってきた〜遅いよ。」
と朱音。どっか不機嫌な物言いだが、どこから持ってきたのかショートケーキを片手にすこぶるご機嫌だ。
「あ、勝手に借りちゃってます。このコーヒーおいしいね。」
と、あの彼女だ。帰り際に名前を教えてもらった。望月ゆき、だ。
カウンターの中で弘樹の分までコーヒーを入れている。
「ちょ、ちょっとまて。姉さん!客人にコーヒー入れさせない!」
弘樹は慌ててカウンターに入ると、ゆきからポットを取り上げた。
「えー別にいいのに…」
ゆきは、相当残念そうだが、弘樹にはそれが許せない。
「ごめんねぇ。あいつ、あーみえて頑固だから。厨房は自分の城とか言ってるのよ〜。」
朱音は、そういいながらも、別にゆきを気にしているわけではなさそうだ。
弘樹がこの家を借りている最大の理由が、このスペースだった。
以前カフェを経営していた名残で、カウンターがそのまま残っている。
「はいはい、座って座って。…え?」
弘樹はまずゆきをソファーに座らせると、テーブルにコーヒーを運んだ。
その時、奥のテーブルにもう一人客人がいることに気づいた。
黒髪の長い女性、年のころは弘樹と同じくらいだろうか。
そして、間違いない。
人、ではない。
「質問。誰が入れた?」
弘樹は、手前のソファーに座る3人(一人は人ではないが)をぐるりと見回し、小声で尋ねた。
しかし、3人は揃ってきょとんとした。
「何をどこにどう入れたの?」
フォークにイチゴを差したまま、朱音は疑問を投げる。
弘樹は、あぁ、と思った。朱音は分かっていない、見えていないのだ。
一方の樹里は、弘樹が何を言わんとしているか察してから、目をうつぶせて弘樹と視線を合わせない。
樹里は事の顛末を知っている、弘樹はそう察した。
となると。
「奥のテーブルに、お客様がいるんだ。姉さん。」
招かざる客だ。一言、奥に聞こえないようにトーンを落とす。
弘樹の住む家には、結界を張っている。
人ではないものに関しては、例外を除いて入り込むことが出来なくなっている。
例外は2つ、一つは結界を張った術者よりも霊力・術力が優れている…この場合は「入ってくる」ではなく
「(結界を)破ってくる」になるが。
もう一つは、結界を張った術者が「招いた」場合。
樹里は、後者に当たる。
「あ、あのね、ヒロ、怒らないで。その人、ヒロに用があるみたいだから。」
樹里は、意を決して弘樹に、しかしおずおずと申し出た。
「あぁ。そうなんだ、安倍君。玄関で偶然ばったり会ってさ、安倍君に会いに来たっていうから奥で待ってもらったの。」
樹里の言葉を聞いてゆきは、コーヒー片手に笑顔で弘樹に話した。
ゆきには、見えているのだ。しかもコミュニケーションまでとっている。
弘樹は、混乱しかけた頭を、強引に整理した。そして、樹里の首をくいっと引っ張る。
(樹里、まさかだが、招いたのは彼女?)
樹里に耳打ちをする。樹里は、大きく首を縦に振った。
弘樹の中で何かが崩れ落ちた気がした。
結界を張った術者だけが招けるんじゃないのかよ!
今も結界はばっちり万端だし、ましてや、風呂場での一件があってから相当頑固に結界を張っているのだ。
どうして…
そこまで考えて、ふと思い当たるところがあり、弘樹は苦い顔をした。
銀妃の血、だ。
弘樹は大きくため息をついた。
(あの方相手じゃ、俺、勝てない)
「安倍君?へーき?」
ゆきはしかめ面の顔になった弘樹を心配そうに眺めている。
「た、多分へーき」
近いうちに、血のことすべて話すべきだろう。銀妃は絶対こういうめんどくさいことをやりたがらない絶対。
弘樹が頭を抱えている脇で、奥に座った女性が、弘樹に気づいた。
いすから降りると、弘樹に近づいた。
弘樹もそれに気づき、女性の方へ歩み寄る。
悪意はない。けど、目的がわからない。
弘樹が女性と向かい合うように立つと、その女性は、なにかを必死で訴えかけてきた。
口はきちんと動いている。けど、その声は弘樹に届かない。
女性は、この世の存在ではないのだ。世界を超えて声は届かない。
弘樹は必死で訴えかける女性をみて、まったく別のことを考えていた。
直感が告げる。
この状況が、相当女性にとってまずいことを。
女性は、そのリスクを承知で自分に訴えていると言うことを。
そしてなにより。
この女性を、どこかで見たことがあるということを。
弘樹は、必死で自分の記憶を手繰り寄せた。直感の裏づけが欲しかった。
そうこうしている間に、女性は、自分の思いを伝えられないことに気づいたのか
弘樹の手をとるようなしぐさをすると、急く様に店を出て行った。
ついてきて。
そういうことだろう。
弘樹は、女性に導かれるまま店を飛び出した。
「あーいっちゃった。」
樹里はぼそっとつぶやいた。
「先客は、ゆきちゃんだったのにね。」
ごめんね。礼儀知らずの馬鹿弟で。朱音はゆきにそうわびた。
「いえ。別に急ぎとかそういうわけではないので。」
ゆきはそういうと小さく笑った。
「コーヒー飲んで待っててもいいかなぁ・・・と」
そういうとゆきは、カップを手に取った。
そう言うゆきの顔は、何か浮かない。
笑っているようにも見えたが、どちらかというと、不安か心細いか…思いつめた顔をしてた。
もしかしたら、先日の一件かもしれない。
朱音は、先日のことを弘樹から、かいつまんで教えてもらった(むしろ白状させた)
しかし、弘樹自身もそのときはまだ状況をきちんと把握できていなかったのだ。
朱音が語れることは、ないに等しい。
「じゃあ。私も待ちますか。どうせ仕事休んできちゃったし。」
そういうと、朱音は2個目のケーキにフォークを差した。
弘樹が追いかけている女性は、流れるようにとおりを駆け抜けた。
その10メートル後を、弘樹が全速力で追いかける。
大通りではなく、小さな小道を選んでいるようだ。夕方なのに人通りもまばらだ。
しかし、彼女は不思議な動きをしながら駆けていることに、弘樹は数分と経たずに気づいた。
霊的な存在であれば、物質を無視して走ることが出来る。
自分の霊力を最小限に抑え込みさえすれば、そのまま通り抜けても物質には無関係となる。
なのに、彼女はそれをしようとはしていない。
道行く人、道の障害物を丁寧によけて走っているのだ。信号でも立ち止まる。
最初は自分を気遣った行動かと思ったのだが、そうではないように思えた。
(死んだことを理解していない霊、とか?)
可能性としてはある。
(もしくは、生き霊とか。)
そうふと思った言葉に、弘樹はどきりとした。
すべてのパズルがかちりとはまったのだ。
思い出したのだ。彼女が誰なのか。何者なのかも、すべて符合した。
晴彦の言葉を思い出す。
前者かもしれない、後者かもしれない。けどそれはどうでもいいことだ。
どのみち。
彼女、池宮千鶴は生死の境に立たされていることには間違いない。
それは、予想ではない。確信だ。
(元陸上部をなめんなよ〜)
弘樹は、駆け抜ける彼女を追いかけるスピードを上げた。
彼女に導かれるように着いたのは、大学病院の病棟の一室だった。
扉には「池宮千鶴」と書かれている。
扉は閉まっているが、特に面会謝絶と言うわけではないようで、いたって静かだ。
ここへ導いた彼女は、気がつくとふっと目の前から消えていた。
ここで、予想が後者、すなわち「死んではいない」ことが、理解できた。
そうだとしても、彼女の魂魄は一時的に肉体から出てしまったことには変わりがない。
魂魄というものは、長時間肉体からでたままだと、
仮に健康体でも、そのまま黄泉路へ歩むことになる。
大昔に、座学で叔父から学んだことを弘樹は反芻した。
実際を見るのは、初めてだったが、恐らく限界だった、のだろう。
(間に合ったか…)
そう思いたかったが、そればかりは確信ではない。
弘樹は、息を呑んで、そっと、音を立てないように引き戸を引いた。
病室の中は、外からの街灯の光だろう、ほんわりと白く明るい。
暗い病院の廊下から比べると、その白は強すぎて、一瞬弘樹の視界が白くなる。
ようやく光に慣れた弘樹の目に映ったのは、部屋の奥、窓際のベッド一つ。
しかし、ベットの前にはカーテンがかけられており、中を垣間見ることは出来ない。
彼女が、そこにいるのか、眠っているのか、わからない。
弘樹は、一歩、部屋に足を踏み入れた。
その瞬間だった。
病室の扉がするすると閉まった。
はっとして弘樹が振り返ったときには、もう遅かった。
瞬間、後ろから弘樹の首に人の手が巻きついた。
(しまっ・・)
ものすごい力で首を締め付ける、その手は、女性の手・腕ではない。
鍛えられたというべき、豪腕だ。
ほんわりとした明るさも、相手の顔を判別できるほどの明るさではない。
相手は、弘樹よりも身長がある。力もある。
弘樹は必死に首から腕を、手を振りほどこうともがくが、
もがけばもがくほど、相手の力は増していく。
(や、め・・・)
もがけばもがくほど、相手の強さは増し、弘樹の意識が遠ざかっていく。
意識が途切れる前に見たものは、目の前に髪の長い女性が自分を見ていたこと。
意識が途切れる前に聞いたものは、低い低い、聞き覚えのあるような、呪文にも似たような響き。
意識が途切れる前に感じたのは、自分が深い水の底に落とされる感覚だった。
弘樹が目を再び開けたのは、その5時間後だった。




