白の章 4 思惑と傷跡と
時間を遡る。
***
「ねぇ、やっちゃいなよ。」
目の前の人物の言葉に、弘樹はおもいっきり眉を顰めた。
入院3日目。
ものの見事に包帯ぐるぐる巻きにされ、身動き取れずで
まさに樹里の思惑通りの生活を余儀なくされている。
目の前には、主治医である佐伯女史が、ベッドの脇で肩肘突いて弘樹を見ている。
(何を!どう!)
日本語として成立していない。まず、主語がない。
弘樹はうなったまま、佐伯をにらみつけた。
こういう物言いを彼女がするときは、ろくなことがないと経験上知っているからだ。
佐伯は、弘樹専属の主治医だ。そして、彼女は臨床医ではない。
血液、しかも変異した血液を研究している研究者である。
弘樹の言を借りれば、マッドサイエンティスト。
普段は研究室に缶詰、たまに弘樹がこうやって病院に来たときだけ、病室に下りてくる。
まるで、カモがやってきた、と言わんばかりに楽しそうに。
しかしながら、佐伯はどうして臨床をしないのか不思議なほど腕は確かなのだ。
弘樹自身も専門家に診て貰った方が安心するので佐伯の医者としての発言は耳を傾けるようにしている。
医者としての発言だけ、だ。
「ねぇ。どうなの?」
佐伯は、まだ核心を弘樹に告げない。
じらすことを楽しむかのように、にやりにやりと笑っている。
佐伯が楽しそうにしているときは、大概研究に関わることで
なにか「悪巧み」をしているときだ。
孤血という「変異血液」を保有している弘樹は、佐伯にとって絶好の実験材料に過ぎない。
過去に、なんども痛い目を見ている。
「献血は、しませんからね。」
眉間にしわを寄せながら、弘樹は牽制した。
あれだけの流血だったのだ。佐伯に分けるほどの血なんて、ない。
「ちがう。」
佐伯は即答で否定した。
こういう場合、大概「(孤)血をくれ」という催促の場合が多いので、弘樹はその即答っぷりに面食らった。
しかし、目の下にクマを飼いながら佐伯はまだニヤニヤと気味悪く笑っている。
「望月ゆき。かわいいよねぇ。」
いきなり話を変えた。
(いや、変えてない?)
それは、まるで弘樹に同意を求めるような言い方だった。
弘樹は不信感を募らせて、佐伯を見やった。
「押し倒しちゃいなよ。」
ぼそりと、しかしはっきりと佐伯は弘樹に告げた。
…佐伯が告げた意味を脳が理解するのに、弘樹は自分自身がびっくりするほどに時間を要した。
脳の処理スピードが追いつくまで、硬直してしまった。
追いついた瞬間、血が全身をいつもの倍以上で駆け上がった。
顔が真っ赤になったのが、鏡を見なくても分かる。
佐伯に何かいってやりたいのに、口が硬直して動かない。
そんな弘樹を脇で見ていた佐伯は、腹を抱えて大爆笑している。
「あはははは、なに、なに、真っ赤になっちゃって、ははは。」
目じりに涙を浮かべるほどに笑い転げると、佐伯は追い討ちをかけた。
「なーに、真っ赤になっちゃって、うぶだねぇ。けど、彼女はかわいい。お肌もぷにぷにしてるし、お肉もきちんとつくところについている。
女の私から見ても、結構グラマーよ彼女。抱きしめ甲斐はある。絶対。」
佐伯は、真顔で頷きながら、しかし弘樹に言った、爆弾を笑って投げつけるかのように。
爆弾は、弘樹の思考回路を思わぬ方向に引っ張った。
以前目に映った、ゆきの肌が脳をよぎる。
「んで、ぜひ二人の子どもを…」
佐伯がそこまで言いかけたとき、弘樹の思考回路がやっと言葉を選択できた。
「なにやらすんですか?」
佐伯をにらんだのは、佐伯爆弾発言のお返しと、おかしな方向へ転んだ自分の思考回路をごまかすため。
「二人の子どもを見たいなぁって。そうするためには必要条件でしょ?」
押し倒せ、やってしまえ。
佐伯は、笑顔だ。
大変興味深い、もとい、新発売のおもちゃを見つけた子どものような無邪気さすら感じる。
言っていることは、極悪非道、人の意思やら人権やらを完全に無視している。
弘樹の頬は引き攣っていた。
「人の意思とか、気持ちとかは、無視ですか。」
「だって。女の子の狐さんだよ。ほんとめずらしいんだから。」
確かに。
女性で孤血を所持している人は、ほとんどいないに等しい。
「私が知りうる限りだと、君のお母様くらい。」
佐伯が、弘樹の母親に会ったのはまだ専攻も決めていない医大生のころだ。
彼女の師である教授が弘樹たちの主治医として研究をしていたときに、一度だけ。
その直後、弘樹の母は他界している。
「話を聞いたらさ、あれなんだって、女性は狐に喰われやすいって。」
だから、仮に孤血を持つ女性が生を受けても、幼いうちに命を落とす。
「お母様は、すごく珍しかった。けど、珍しいって言っても、パーセンテージは君たちの10分の一以下。」
孤血を持っているといっても、微々たる量だ。
「けど、それが奇跡を起こした。2代にわたって、狐は受け継がれた。しかも、濃い血が受け継がれた。」
狐血は、連続で受け継がれることはない。特異性の血として数代に一度、それは奇跡とされていた。
その上、本家だけが受け継ぐものでもない、分家や全然違う人から見つかることも多い。
佐伯は、そこまで話すと大きく伸びをした。
「ねぇ、知ってる?望月ゆきのパーセンテージ。」
弘樹より高いか、低いか。
佐伯はじっと弘樹を見つめた。
「君と、ほぼほぼ一緒だよ。測定時間によっては、君より高い結果を出すときすらある。」
弘樹は、目を見開いた。
「ほんの僅かな孤血を持っている女性から産まれた子ども達にこれだけの遺伝をさせている。
じゃあ、同じだけの血を持っている女性なら?」
神は、産まれるのか?
佐伯は挑戦的に弘樹を見やった。
より濃い、強い遺伝子を残そうと働くのであれば、孤血は間違いなく子どもに強く遺伝される。
しかし、これは人の意思をはるかに超えた神の眷属の血。
女性に孤血、否狐の遺伝子が残らないのは、それが神の意思、ともとれる。
そうすることで、ヒトから神を生み出すことを拒絶していたのであれば。
・・・・とんでもない冒涜だ。弘樹は素直に思った。
そして、佐伯が楽しそうに、かつ挑戦的な発言をしたことも、シーソーの反対側として十分に理解できる。
「と、いうことで。やろう。」
佐伯は、さらりと言った。まるでハイキングに行こう、というのりで。
「え、ま、ちょ、ちょっと。」
あまりにもさらりと突き進んだものだから、弘樹は非常に慌てた。
「なに、あわてることはない。彼女の裸体はきれいだ。うん。私が保証する。」
そう、とんでもないことをものすごい自信で言い切られた。
とんでもないこと、それは、
「センセ、裸、って…」
ゆきも佐伯が診察したのだろうか。
可能性は高いが、先ほどの表現は生々しすぎないか?
「あぁ、彼女の全裸見たよ。全部検査した。」
佐伯は、当たり前でしょ?と言わんばかりに、さらっと口にした。
弘樹は頭を抱えた。研究者の血が騒いだといわんばかりの発言だ。
「全部って、何やってるんですか…?」
弘樹がそうぼやくと、佐伯は弘樹の頭を後ろからはたいた。
「ばかもん。」
そういうと、深くため息をつき、唇をへの字に結んだ。
「あのねぇ。彼女が置かれていた状況、君は本当に理解できてるの?」
拉致、暴行。
そう言い捨てると、佐伯は立ち上がり、窓際に移動した。
白い白衣がハタリとなびいて、トレードマークの青のジャージが見え隠れした。
「暴行ってね。暴力、すなわち殴る蹴るだけじゃないからね。」
弘樹は、佐伯のほうを向いた。
背中が、ぞわりとした。
ゆきの手首の傷が、流した血が目に浮かぶ。
「女の子が拉致されて、暴行を受けた…っていったら、医者としては最悪を想定しなきゃならない。」
佐伯の目は、悪ふざけのない、医師としての目だ。
「今すぐ舌噛んで死にたいほどのことをされた。十分に考えられる。いや、考えなきゃならないの。」
ぞわりとした背中が、一瞬で凍りついた。
あまりの冷たさに、弘樹は思わず声を上げそうになった。
口が開いて、けど、言葉が出ずに空を切る。
「…大丈夫よ。検査結果はシロ。」
性的暴行は受けていない。
弘樹のいいたいことを察するかのように佐伯は言った。
「そうじゃなかったら、あんな話振らないわよ。」
佐伯はそうぼやいた。それほど、デリケートで、深刻な問題だ。
「けど、勘違いしないでほしいのは、あくまでもこれは、彼女の体内に、第三者の体液がありませんでした。っていう結果だから。」
ほかは、保障できない。
佐伯は診察した限りでのゆきの状況を、かいつまんで話してくれた。
一番見た目ひどい傷は、手首の傷。
深く裂かれた傷は左右1〜2箇所のみで、ほかは引っかき傷程度とのことだが
動脈に傷がついたため、かなりの出血を伴っている。
足の傷はひざ下からくるぶしまで。
こちらも手首同様深いのは1箇所程度。
ナイフのような鋭利なものですぱっと深くえぐられた傷。
「出血を伴うものはこれくらい。あとはね、全身に無数の痣。」
相当強く殴る、蹴るをされたのだろう、それが容易に判断できる痣が体中に無数にあるという。
それとは別の、痣もあるという。
「こめかみのあたりから、首周り、んで、ちょうど胸の上辺りまでは細かい内出血も伴ってるのね。」
佐伯は自分の身体を指しながら、弘樹に説明する。
細かい内出血、それは噛まれたのか、強く吸われたのか…両方か。
「これは想像の域だけど。たぶん犯人は彼女を本気で押し倒すことで、彼女の肉体だけじゃなくて心に傷をつけたかった。
けど、もっと別の何か、彼女の心を壊すのにもっと適切なものを見つけた、だから、途中でやめたんじゃないかと。」
いくら佐伯でも、彼女にそのときの状況を聞くことはできない。
しかし、結果として、彼女の心は無残にも砕けた。
身体なら癒せるが、心はそう簡単に癒せない。佐伯は、視線を下に向けた。
「…彼女は?」
弘樹は重い口をあけた。
「元気だよ。ものすごく。」
ただ、その元気が痛々しいと、佐伯は切ない顔をして弘樹に告げた。




