9話「ブラック」
「うあー……あー……ああー……」
「ご、ごめんって。まさか泣くほど苦手とは思わなかったんだよ」
コーヒーを一口飲んだ絵空ちゃんが泣いた。
比喩でもなんでもなく本当に泣いた。
店から出ても、まだぽろぽろと泣いていた。
「くくっ……くくく……」
対して桜花ちゃんは笑いを堪えきれずに口を覆う手から声が漏れていた。
「なに……なにあれ……。に、にが……にがああ……」
「これじゃあカッコイイ大人にはまだまだ遠そうね」
「それ以前な問題の気もするけど……」
子どもだって苦いくらいじゃ泣かないんじゃないだろうか。
ようやく泣き止んだ絵空ちゃんだったがまだ放心状態で呟いていた。
「よ、世の中の大人はみ、みんなあんなん飲んでんのか……? 舌を取り替えないと無理だろあんなもん……」
「舌を取り換えるってなによ」
「もしくは生え変わるとか。乳歯みたいにポロ、っと舌が取れてさ」
「え、気持ち悪い」
ようやくいつもの調子を取り戻してきたのか、絵空ちゃんは袖で涙を拭って喋り出した。
「あれってなんで歯だけ生え変わるんだろーな? めんどくせぇ」
「別に歯の生え変わりについてめんどくさいって思ったことないけど……。なんか前テレビでやってた気がするわね。なんだったかしら」
「あ、それわたしも見たかも。ゾウは一生で六回も歯が生え変わるって言ってた」
「六回! マジかよゾウの野郎。そんなに生え変わるならいっそ歯磨きしなくていいな?」
「ゾウの寿命って確か人間とそんなに変わらなかったわよね? 単純計算で大体十年に一度生え変わるとして……本当に歯磨きは必要ないかしら?」
「いや、ごめん。テキトー言った」
「……絵空ちゃん、ちゃんと歯磨いてる?」
「磨いてるよ! 変なイメージを植え付けるのはやめろ!」
わたしだって食虫植物とか言われたのに……。
「そういえばなんでゾウの話に……あぁ、そっか。舌がどうとかだったわね」
「せっかく話逸らして味忘れてきたとこなのに思い出させんなよ……。もっかい泣くぞ? 二人を困らすぞ?」
「なんで偉そうなの……?」
まぁ、コーヒーが苦手なのは間違いないだろう。絵空ちゃんにあんな演技が出来るとは思えないし。
「まぁせっかくだからコーヒーの話に戻すか。こんな機会もうないだろうし」
絵空ちゃんがわざとらしく咳をする。
「ブラックアイボリーコーヒーってさ」
「やめよ? 絵空ちゃん、その話はやめよ?」