鴉
「それで、質問はなんだったかな?」
翌朝、目覚めた麻衣はキリクと向かい合って座っていた。
「・・・鴉ってなんですか?」
たくさん質問したいことはあったが、出てきたのはその言葉だけだった。
「鴉というのは、魔物に唯一対抗する力を与えられた人達の総称なんだ。鴉は国のいろんな場所にいて、魔物が現れればすかさず倒しに行き、国の国境を守ってくれている」
キリクは紅茶の入ったカップを麻衣に渡してくれた。
「国にとっては英雄みたいなものさ。けど実際は、孤児や村から追放された男なんかがほとんど。その中の1握りが魔物とも互角に渡り合えるという話さ」
「どうして、他の世界から来た人をその人達が殺すんですか?」
「訪問者が異世界から来た普通の人なのか、魔物が化けた姿なのか分からないからさ。疑うべきは罰せよってね」
そんな理由で・・・・・・っ!
麻衣はなんだかだんだん腹が立ってきた。
この世界へ来てしまったことは自分ではどうしようもなかったことで、帰ることも出来ず、生きることも出来ない。
人間であると確認すらしてもらえないばかりか、本人も気づかない間に殺されているなんて。
「そんなのってない!私は、人間だし、たしかにこの国の人でもこの世界の人でもないけど、何も悪いことしてないし、精一杯生きてるだけじゃない!理不尽すぎるよ!」
「んー、そんなに怒ってもね。オレにはどうしようもないことだし」
まあ、たしかにそうなんだけど。
「まあ、君が怒る理由もよく分かるよ。この世界は君達訪問者に厳しすぎる。分かって、と言うには勝手すぎるよね」
紅茶を1口飲んで、キリクが悲しげにうつむく。
もう1つ質問しようとして、麻衣はずっと感じてた違和感に気づいた。
「なんで、話したんですか?」
「ん?なにが?」
「だって、そんなの私が知らなければ、ただ殺されておしまいで・・・・・・私に説明したりとか、そんなめんどくさいことなんて何もなくて、話さなければこんなに取り乱したりもしなかったのに」
麻衣はなんだか、冷静に紅茶を飲むキリクが怖くなって、立ち上がった。
「・・・・・・そうだね。話さなければ良かった。でも、出来なかったんだ。気づいたら、ポロッと言っちゃってた」
なんでもないことのようににっこりと笑ったキリクは、もう一口紅茶を飲んだ。
「オレね、この村では厄介者なんだ。親が犯罪者でね。ちっさい頃から、一人ぼっちで、みんなから嫌われててね」
麻衣は少しだけ学校を思い出していた。
一人ぼっちで、誰からも助けてもらえなくて、辛くても逃げ出せなくて。
この人も同じように生きてきたんだ。いや、それは私よりも辛く長い人生だっただろう。
「だから、異世界から一人ぼっちできた君を何も知らずに見殺しになんか出来なかったんだ」
「でも、知ったからって何も変わらない。私が死ぬことは決まってるんでしょ?」
そう聞くのに、どれだけの勇気がいることか。
麻衣はまた溢れだしそうになる涙をグッとこらえた。
「そうだね。鴉が来るまでそんなに時間はないだろうし。でも、君は鴉のことを知っている。逃げることだって出来るんだ」
キリクはパッと顔を明るくした。
「逃げられる・・・の?」
土地勘もない麻衣が、そんな恐ろしい人から逃げることなど本当に出来るのだろうか。
「国境の近くの村はね、昼間でも娘が一人で出歩くことを禁止しているんだ。魔物は若い娘が好物で、数百キロ離れた場所からでも、匂いを嗅ぎ分けるって言われててね。そして、訪問者の姿や性別は鴉には筒抜けだ。訪問者はちょうど国境にある川を流れてくる。その時にバレるそうだ」
キリクは得意げに話し出す。
「でも、それがなにか関係あるんですか?」
「まあまあ、聞いてて。訪問者の足取りを掴むのに、2日あれば足りる。訪問者を匿う人なんていないから、誰も助けない。だから、すぐに殺されるんだ。けど君は違う。ここまでたぶん誰にも見つからずに辿りついているし、オレは厄介者だから売ることはない。じゃあどうすればいいか。答えは簡単だよ。姿を変えて逃げればいい」
姿を変える。
麻衣は急な展開にポカンとした。
「君は今日から男になればいい。名前は・・・・・・そうだな、ルソン村のナギ。ルソン村ってのは、ここのことだ」
「で、でも私ここのこと何も知らないし、怖い」
「怖くはないよ。・・・・・・そうだ!オレがついていけばいい。オレの弟ってことにすればいいさ」
キリクはイタズラを思いついた子供のように目を光らせ、楽しげに笑う。
「それで、元の世界へ戻りたければ、旅をしながら方法を探せばいい」
さあ、さっそく準備だ!と、キリクは荷物をまとめ出す。
ついでに麻衣に、男物と思われる黒っぽい服を渡すと、自分も着替えた。
「オレの子供の頃の服だ。ちょっと臭いかもだけど、我慢してくれよな」
「う、うん」
麻衣も慌てて風呂場で着替える。
「金は結構あるんだよ。一人旅でもしようかと思ってコツコツ貯めてたから」
その間もキリクは話し続けていた。
さっきまでの重い空気はどこへ行ったのか。
「うん。丈はいいね。あとは、髪だけど・・・・・・切るのは勿体ないな」
麻衣の長い黒髪を見て、キリクがうーんとうなる。
童顔で、小柄な麻衣は男の子に見えなくもない。(胸もほぼなかった・・・)
「切るのは別にいいです」
「え?いいのかい?」
キリクはどこか本気で残念がっているように見える。
「ごめんね。この世界じゃ髪を伸ばすのは女か、魔法使いか剣士くらいなんだ。君は女の子だけど、男に扮するからにはどうしてもね」
「大丈夫です。それで生きられるなら」
麻衣は覚悟した。
キリクを全面的に信じていいのかは分からなかったけど、この世界についてほとんど何も知らない麻衣は、嫌でも信じるしかない。
助けてくれるというのなら、それにすがるしかないのだ。
「ごめんね」
キリクは、謝りながら髪にハサミを入れた。
ジョキッと音を立てて、髪が落ちていく。
それを見ながら、麻衣はどうか東京に戻れますようにと願うのだった。