そこは異世界
───起きて。
ふと、優しい声が耳元で聞こえた気がした。
───早く起きて。そしてすぐに隠れて。
そよ風のような心地よいその声は、どこか聞き覚えがあった。
誰だっけ?
分からない・・・・・・
───麻衣っ!!!
パチリと目が開いた。
「え?なに?」
ジットリと濡れた制服。
見慣れぬ舗装もされていない道。
周りは木ばかりで、何もない。
麻衣はそんな道の真ん中で寝ていたようだった。
「ここ・・・・・・どこ?」
───早く隠れて!
また、あの声が聞こえた。
まるで耳元で囁かれているような女の声。
麻衣はとっさに木々の中に飛び込んだ。
木はずいぶん太くて、麻衣を隠すには十分すぎるほどだった。
しばらく何が起こるのか待っていた。
すると、馬の足音が遠くから聞こえだし、すぐに目の前を横切った。
真っ白な馬。
あれが白馬というのか。跨っているのは王子というには少し年をとりすぎに見えたが、ガッシリとしたたくましい人だった。
だがその腰に下がる刀を見て、麻衣は初めて隠れてと言われた訳が分かったのだ。
着ている服装も麻衣の知るものにはどれも当てはまらない。
強いて言うなら西洋の騎士が着ていそうな甲冑をもう少し動きやすさメインにした感じ。
だが腰には日本の刀。
どこかちぐはぐな印象だった。
そんな危ないものを持ってるってことは、危ない人に決まっている。
麻衣は息を潜めて、早く見えなくなることを祈った。
しかし、男はすぐに引き返してきた。
馬がさっきまで麻衣の寝ていた場所で止まる。
男は険しい顔つきで地面を見つめると、ジロリと麻衣の隠れる木陰を睨んだ。
「そこにいるのは誰だ?」
見つかったっ!
逃げるべきか、隠れてやり過ごすべきか。
緊張で冷たい汗が背中を流れた。
「出てこい。出てこないならば、こちらから行くぞ」
ガサリと、男が道無き木々の中へ侵入してくる。
「まあまあ、待ってくださいよ」
一瞬心臓が飛び出るかと思った。
麻衣の隠れる木の真上から、身軽に飛び降りてきたのは、小柄な男。
「オレはただここで休憩していただけですよ?」
男は何も持ってないと示すように両手を上にあげる。
いつの間にか刀を抜いていた騎士のような男はそれを見て「そこの村の者か?」と訊ねる。
「はいはい。オレはそこの村の見張り役ですよ」
小柄な男は軽く笑うと、チラリと私を見る。
「お侍さん、何か急ぎの用事じゃないんですか?オレなんか気にせず、早く行ってください」
騎士のような男は少しの間考え込むと、すぐにうなづいた。
「いや、すまなかった。ここは国境が近いからな。魔物でもいるのかと少しばかり気を張りすぎていたようだ。邪魔したな」
刀を鞘に戻すと、男は颯爽と馬を駆けて行った。
そこでようやく一息吐く。
「やあやあ、幼気な少女がこんなところで何してるんだい?女の子が一人で出歩いていいって解禁された村はこの辺りにはまだなかったと思うけど」
麻衣はその時初めて男の顔を見た。
ソバカスだらけの浅黒い肌。目は笑ってるみたいに細くて、どこか安心感のある人だった。
「それとも、君は魔物なのかな?」
「マモノ?私は人間です!」
男は薄汚れた甚平みたいな服を着ていて、足は裸足だ。枝や石の転がったこんな場所では痛いだろうに。
「いや、それならいいんだ。でも、君は変わった服装をしているからね、そのまま誰かに会ったら捕まって役人に連れてかれるとこだよ」
変わった服装?どこが?あなたの方が変わっているじゃない。
麻衣はそう言いたいのを我慢して、まずはここがどこなのかを聞こうとした。
「まあ、そんな格好してたら目立つし、何より風邪を引いてしまう。とりあえず着替えを調達してくるよ」
男はスタスタと歩き出す。
「ま、待って!私、帰りたいんです。ここはどこですか?東京はどっちですか?」
男はハッと振り返った。
「まさか、君は異世界からの訪問者なのかい?」
「え?」
「そうか。どうりで。流されてきたようだね。悪いけど君の世界へは戻れないよ」
イセカイ?なにそれ?
「君以外にも何人か流されてきた人はいるんだ。けど、その度に鴉に消されてきた。帰る方法があるのかは分からない。けど、訪問者は鴉に消される」
麻衣は酷く混乱していた。
異世界?鴉?消される?なにそれは。なんの話なの?
「でも、それまではオレが面倒見るよ。大丈夫。君はその時がくるまでただ待っていればいい。痛くも苦しくもないよ。気づいた時には死んでいるから」
麻衣は1つだけ理解した。
「そういうものなんだって。代々そう言われてきているんだ」
この男はおかしい。