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空想学園シリーズ

車前草は知っている

作者: 文房 群


「ロマンスって何ですか」



 

 不貞腐れた調子で唱える前垣(まえがき)の疑問は、教室の静寂を簡単に破る。

 手元の携帯端末で最近ネットを賑わすニュースを眺めていた後綴(あとつづり)は目線を上げず、若干の棘はあるものの缶の蓋を開けるように気軽な質問に、投げやりな言葉を返した。



「さあね」


「さあね、じゃ! ないですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」



 二時間半に及ぶ原稿との戦いに、とうとう音を上げた前垣の叫びは数秒間部室の中を木霊した。



 社会科第三資料室は放課後、文芸部の部室として使われていた。

 元よりあまり使われていなかった資料室は数年前に部を立ち上げた上級生達により手が加えられ、小説を書くための参考資料などが並べられたカラーボックスや長机。冬場便利なのは良いが前垣にはなぜ取り付けたのか分からないハンガーラック。アニメ好きの先輩が取り付けたカレンダーに、職員室から譲り受けた中古のエアコンなど。

 アルバイトも無く放課後暇を持て余した部員が居座るのには心地良い環境に整えられた文芸部の部室には今、週末に発行する部誌の締切に追われている新入部員前垣ゆうこと自称面倒見の良い先輩後綴証期(あとつづりしょうご)が占領していた。


 部員の殆どがバイトに出払っているため、何かとちょっかいを掛けてくる苦手な先輩と二人きり。

 初めは「こんな先輩と長時間同じ空間にいられるのか」と不安であった前垣だったが、複数人でいると必要以上に絡んでくる後綴は少人数であると大人しいということを発見し、これならば集中力が削がれることはないと安心して原稿に取り掛かった――――のだが。



「頼むから少しでもネタとかくださいよ! 締切一週間前だっていうのに全く書けないですよ!? ほら、可愛い後輩の頼みですから!」



 ――――実を言うと前垣は小説書き初心者だった。


 日頃から物語を空想することもなければ長文など夏休みの読書感想文でしか書いたことがない前垣にとって、小説を書くという行為は人知を超越した超能力の類いと等しかった。

 どうして、小説家というものはあれだけ長い文章を涼しい顔で書き続けていられるのか。

 なぜ、現実を超越した空想を日直の担当するクラス日誌のようにすらすらと綴れるのか。

 そもそも、どうやって言葉と言葉を繋ぎ合わせ登場人物の心情を複雑に表現できるのか。


 接続詞や逆説といった基本的な文法ですら危うい前垣は、世に名を知らしめる小説家や先週に原稿を提出し終えた目の前の先輩ですら、実は宇宙人であるといつか告白するのではないかと思っている。

 それほど小説を書く、ひいては文章を書くことに興味の無かった前垣は、入部後初の原稿提出に苦戦を強いられていた。


 これまでの人生で小説と呼ばれる書物を読むことすら片手に数えるほどしかない前垣は、ある不純な動機があり帰宅部から転身し文芸部に所属。

 学校行事による特例を除いて二ヶ月に一度の義務である短編小説の執筆に取り掛かっていたのだが――――後綴曰く「ドの付く」初心者である前垣には、ストーリーを考えることすら東大入試試験並みに難易度の高いことであり、偶然同席している三年生の先輩である後綴に助けを求めたのだが。



「後綴さんは可愛い後輩の存在なんて知らないなあ〜」



 少人数であれば大人しいものの、他人にちょっかいをかける行為は性格からくるものであるらしい後綴は、憐れむような半笑いで前垣を一瞥するのであった。



「鬼! 女たらし! ハニーフェイス! 童顔! 同人誌の受け顔! 腹黒美少年んんんんんんんんん」


「褒めてるのか貶してるのかよく分からないんだけど」


「後綴さんを貶す言葉が浮かんできませんでした」


「残念な脳みそだね」



 中学校から帰宅部で友達と遊んでばかりいたため、今回の部誌のテーマである『ロマンス 』について全く知らない前垣の、「プレイボーイな後綴先輩ならロマンスってどんな感じか分かるかも!」という淡い希望を打ち砕かれた怒りと哀しみによる暴言が後綴に向けられる。だが、内容は幼稚だった。

 その上前垣自身のボキャブラリーの無さが露見し、容赦ない後綴のツッコミにより自尊心が傷ついた前垣は、長机に広げていた半分も埋まっていない原稿用紙に額をごんっと打ち付け、頭を伏せた体勢で拗ねる。



「分かってますよ。私が語彙力不足だってこと……」


「じゃあなんでこの部活に入ったのさ」


「それは…………」



 最もな質問である。どうして小説を書くことにも読むことにも興味の無い帰宅部歴九年の前垣が、文芸部に入ったのか。



「それは?」



 携帯に注がれていた後綴の視線がつむじ辺りに注がれるのを感じながら、暫し黙考していた前垣は、ぽつりと語り出した。



「…………好きな人が、いるんですよ」


「…………ふ〜ん」


「…………すごくどうでもいいような態度ですね」



 本当のことを話すべきか、黙っておくか。

 まあこの先輩のことだからそう簡単に人のプライベートを晒すような人じゃないだろう、という。入部して三週間という時間の中で関わってきた『後綴証期』という人物を、客観的に捉えそう判断したため前垣は意を決して、己の本来の目的――――不純な入部動機を明かしたのだが。

 前垣が思っていたより後綴の反応が薄かった。

 そのため虚をつかれた気分である前垣は「まさか前々から私の動機を見抜いて……?」と、ある種の期待を寄せて部室に入ってから一度も携帯を手放していない先輩を見る。



「いや。まさかそんな不純な動機で部活に入るようなヤツが本当に現実にいるんだなと、感心してただけだから」


「馬鹿にしてますよね先輩」



 そして前垣の期待は裏切られる。

 短い付き合いの中で分かっていたはずのことだが、長い間帰宅部だったせいか『部活の先輩』というものに密かに憧れていた前垣の期待を、尽く粉砕していく男なのだ。

 後綴証期という人物は。



「はいはい。いいから続けて」


「続けなくちゃいけないんですね…………」



 前垣の持つ『理想の先輩像』を、塩対応という現実で砕氷機の如く粉々にしていく後綴。

 童顔で容姿も悪くはないのだが、乾燥機の生まれ変わりではないか疑うくらいドライな性格をしている二つ上の先輩に『喋りたい事があるなら喋れば? おれ知らないから』とばかりにいい加減な対応をされた前垣は、締切にまで日付が迫っているというストレスもあってか。


 流石に、キレた。




「……えっと。その人は別のクラスなんですけど、同級生なのに大人びた雰囲気とか、落ち着いた感じとか、ベテランの歴史作家さんみたいな印象があるんですけど、面白い人なんです!」



 ――――こうなったらお望み通り、思う存分語ってやろうじゃない!

 どちらかといえば平均より知能が下な思考で年端も行かない子どものような嫌がらせを思いついた前垣は、嬉々として想いを寄せる人物について語り始めた。


 好きな人のことならば話題が尽きないのが恋する乙女。

 原稿を前にした時は浮かんでこなかったボキャブラリーが、恋話を始めた瞬間から次から次へと溢れ出してきた。



「真面目そうに見えて面白いこととか、そういうのが大好きみたいで! この前面白いお笑い芸人は誰かとか、ギャグ漫画はこれが面白いとか!! いろいろ話してみたんですけど、すごいギャップでして!」


「……………………へえ」


「それがグッときたというか、カッコイイというか! これが文学少年!! って感じで、わりと肉付きも良いのがキュンキュンするポイントでして!!」


「…………ねえ。それさ、十字架(とじか)のこと?」


「あ。はいそうです!」



 じっと携帯端末を睨みつけ適当にマシンガンのように溢れている言葉を利き流していると思えば――――聞いていたのか。

 前垣の発した情報の内容から、あっさりと前垣が想いを寄せる個人を特定した後綴に、前垣は「流石先輩! 分かっちゃうんですね!」と少し恥ずかしさに顔を綻ばせながら、うっとりと瞳を潤わせながら語り続ける。

 それは恋する少女の顔で。



「『十字架』って書いて“とじか”って読むペンネームも珍しいですよね! それで笑った時のちょっと幼い感じとか――――」


「――――ねえ」



 たとえるなら砂糖菓子のような甘さを含んだ前垣の語り。

 幸せでたまらない、と青春を謳歌している少女の夢想は、唐突に終わらされた。


 いつの間にか携帯端末を長机へ置いた、後綴によって。



「後綴さんじゃダメなの?」


「――え?」



 気が付けばずっと眺めていたはずの携帯端末を手放し、長机から身を乗り出していた後綴。

 同年代の男子の中ではかなり幼い方に入る容貌から、いつもの卑屈気味な微笑を消し、代わりに見たこともない真剣な表情をした先輩を眼の鼻の先で見詰める前垣は、鋭い眼光を灯した後綴の視線に気付いたところで――――ようやく気付いた。


 ――――え? なんで…………――――



 先輩は、私の顔に手を添えているのだろうか。



「おれ童顔だけど、落ち着いた雰囲気あるってクラスメイトから言われるし、お笑いとかよく観るよ? 漫画だっていろいろ読む」


「え? あの?」


「後綴って苗字も珍しいし。自分で言うのもあれだけど、笑ったら実年齢より幼いって言われるし」


「あと、つづりさん……?」





「――――おれじゃ、だめ?」




 じいっ――――と。

 心さえも覗き込まれるように、読めない深い感情を眼に宿した後綴は、顔を近付け。

 掠れた低い声で、囁いた。


 許しを請うような、必死さで。

 敏感な全神経に息を吹きかけるような、妖しさで。


 刹那、熱の籠ったその表情に――――どきっ、と。

 心臓が跳ね上がった前垣の呼吸は一瞬止まり、全世界で二人きりであるような錯覚に陥った。


 この世界にいるのは前垣の前にいる後綴だけで。

 あとは後綴の目の前にいる前垣だけが、この世界にいて。


 なにもかもから切り離されたような感覚。しかし絶望感や孤立感はなく、不思議なことに全てが後綴という存在で満たされている。

 そんな、霞のかかった、真っ白な世界で、前垣は、するするとあごのラインを撫でる後綴に――――

 





「…………なーんて。ドキッとした?」



 風船が割るように、自分の意識が覚醒したのを前垣は知った。


 ぽかんと半開きになった口に、ぱちぱちとまばたきを繰り返すまぶた。

 呆然と、元いた席に座りニヤニヤとタチの悪い笑みでこちらを見下してくる後綴を前に、数分間思考がフリーズしていた前垣は我に返る。



「ぇ、ええ!? 今のわざとですか!?」


「うん。わざとわざと」


「うわぁぁぁハメられました! 時間を無駄にした! 締切一週間後なのにいいいいいいいいいいいい!!!!」




 嫌な予感がして、部室に設置された壁時計を見やれば下校時間まで残り三十分。

 うわぁぁん先輩のせいで原稿一枚もできてないいいいいいいいいいい!!!!! と頭を抱え嘆く前垣に、席を立つ後綴は無情な現実を投げかける。



「まあ頑張りなよ、ゆうこちゃん☆」


「うわぁぁぁぁぁぁん他人事だと思ってええええええええええええええ!!!!」



 悲嘆の声をうわんうわんと上げる前垣。

 最早それは絶叫というより泣き声だ。


 もう原稿が書ける気がしない、と本格的に精神を追い詰められ鼻を啜る前垣を残し、部室の扉を開ける後綴は「あ、でもさ」と思い出したように前垣へと振り返り、




「おれ、結構本気だから」




 狩人を思わず眼光が、前垣を貫いた。



「…………っ」


「んじゃ、可愛い後輩のために後綴さんはジュースでも買ってきますよ。あ、ツケでね」



 何事もなかったかのように、後綴は部室を出て行った。

 先程の背筋がぞっとするような低い声て囁かれたことを思い出し、ぶるりと肩を震わせた前垣を置いて。


 ついでに、携帯端末も置いて行って。



「…………奢ってくれないんですか、ケチ」



 脳裏に焼き付いた後綴の、真剣な表情。

 確かに年相応の男の顔をしていた後綴の眼を、声を、表情をかき消すように、精一杯の悪態をついた前垣は両手で火照る顔を覆い隠して、呟いた。



「原稿…………書ける、気が、しない…………!」



 水滴が落ちるようなか細い声を聞いたのは、部室に合うんじゃないかと昼休み中庭で前垣が摘んで生けた、車前草の花だけだった。





〈終〉

×あとがき×


実はプロット出来たの昨日で今日高速で書いたとか言えない。

誤字、脱字あったら御一報ください。


今回は突発衝動企画第十五弾、『ロマンス』ということでよくありがちな少女漫画のようなシーンを書かせていただきましたが、


叫びたくなりました。うぼああああぁぁぁああああああ!!!!!!っと。

こういう恋愛小説は書き慣れてません。むずむずします。書くだけで。


やはりというか恒例の空想学園シリーズ、知崎が三年の時系列で書かせていただきましたが、前垣と後綴の二人はあんまり空想学園シリーズでは重要な役ではないです。どちらかといえばモブです。はい。

いつになったら本編を書くのか。それは作者の体力次第です。



それでは、早いとは思いますが今回はここら辺で。

この企画を共同してやってくれる相棒雪野さん、基本無言なのにTwitterでフォローしてくれた皆様、この短編を読んでくださった全ての方へ、感謝を!


ご閲覧ありがとうございました!!




〈了〉

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― 新着の感想 ―
[良い点] 感情の表現がすごくうまいなと思いました。 [一言] ロマンス小説って書くの難しいですよね… 今回もお疲れ様でした!
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