第2話
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森を抜けて、草原を歩いていると、野生動物の大群に出会った。
ヌーとかいう、牛系の動物にも似ているが、角はなく代わりにサーベルタイガーを思わせるような牙が、下あごから突き出している。
褐色の肌の巨体が、何頭もこちらをめがけ、土煙を上げながら駆けてくるのだ。
辺りを見渡しても隠れる場所などどこにもない、このまま彼らに踏みつけられるか、運よく避けたとしても、襲われる危険性は残っている。
彼らが草食動物だという保証はないのだ。
「まずは逃げよう。」
とりあえず、進行方向に立っていることもないので、右側に走って逃げて見ることにした。
しかし、運が悪いのか、あるいは我々を狙っているのか、ヌーっぽい大群は向きを変え我々の方向へ突進してくる。
“やばい”俺は、瞬間的に目を閉じたが・・・、次の瞬間目の前を音だけが通り過ぎて行った。
ドドドドッという、重低音が体の周りを駆けて行ったのだ。
ふと目を開けたが何ともない、21と8へ目をやったが、2人とも呆然と立ち尽くしているだけだ。
「一体どうなっているんだ?」
俺は後ろを振り向いたが、そこには褐色の巨体が土煙を上げて、ひたすら駆けて行く後ろ姿が見えるだけだった。
「と・・・通り過ぎました。」
「えっ?」
「と・・・通り過ぎたんです。
僕は怖かったけど、目を開けていたら、あの牛のような動物の群れは、僕たちの体を通り過ぎて行きました。
ぶつかることもなく、何の障害もないかのように、只通り過ぎて行きました。」
21は茫然と呟くように話す。
「まあ、まだデモ段階だから、相手との接触はないのかも知れない。
まずは村へ行ってみよう。」
俺を先頭に、3人は再び西へ向かって歩き出した。
大軍を避けるために、逃げ惑ったが、方向は見失ってはいない。
先ほど出て来た森が視界にあるので、そこを真後ろに歩いて行けばいいはずだ。
しばらく歩くと、辺りがうす暗くなってきて、先の方に明かりが見えてきた。
この星の夜になったのと、最初の村へ辿りついたことが分った。
夜と言っても、太陽は1つだが昇っているので、確かに闇ではない。
地球で言うなら、曇り空の夕方というか、台風が直撃している昼間・・・つまり分厚い雲によって太陽の光が遮られたくらいの明るさで、遠くは霞んでいるが、歩くのに不自由は感じない。
村にはゲートがあり、そこには、“ようこそ、始まりの村へ”と大きく掲示されていた。
村の中には家々が並び、中には野菜や魚などを並べている建物もあった。
八百屋とか鮮魚店なのだろう。
しかし、どれも見たこともない野菜や魚ばかりだ。
おいしいかどうか、食べて見ないと何とも言えないが、ピンクや青色の野菜など、食欲がわくようなものではない。しかも、一瞬キャベツかと見間違えたが、青緑の球体は、よく見ると葉先がウニョウニョと動いているように感じられる。
野菜ではなくて、何か動物系のものだろうか。
商店街を通り過ぎていくと、ひときわ大きな建物が目に付いた。
大抵は、この村の村長か若しくは有力者の家、そうでなくても、旅をするうえで重要な家だろう。
まず、そこへ入ってみることにした。
「ようこそ、学びの館へ。
あなたたちが今回の参加者の中で、最初にここを訪れたメンバーです。
冒険者として優秀ですね。」
中へ入った途端、どこからか声が聞こえてきた。
どうも褒められたようだが、他の参加者はもっとこの冒険を楽しもうと、色々と見て回っているのかも知れない。
失敗したと一瞬考えたが、まあいい、ここを出てから、また他を見て回るという事も出来るだろう。
「ここでは、説明書では書ききれなかった、この世界の事情を説明いたします。
皆さんが、この村へたどり着くまでに、この星の生命体と接触しましたか?
皆さんがともに旅してきた、メンバーの事ではありませんよ、この星の動物や植物たちとの接触です。
あるいは、この村の中の入り口付近に商店街がありましたね。
店に並べられていた、野菜や魚などを手で掴もうとしてみましたか?」
野生動物の大群には踏みつぶされそうになったけど、そんな人様のものを万引きするようなことはしちゃいないよ、なにせ、この星の金を持っていないのだから、買い物もできない。
そりゃあ、確かに道端に光る何かが落ちていたとしたら拾うだろうし、それがコインだったら警察へ届けることもなしに、持ち物リストの中へと入れるだろう。
しかし、それはあくまでもゲームの特質上行われる仕草で、人様のものを取って行くゲーム性でもなければ、そんなことは絶対にしない・・・、少なくとも俺はしない。
「そうでしょう、触ろうとしても触れなかったでしょう?」
うーん、決めつけられている。
「それは、この世界では正常な事なのです。」
「へっ?正常な事?」
俺は、この声が言っていることが理解できないでいた。
真剣に話を聞いてみると、どうやらこんな事らしい。
この世界の生物と、俺たち(というか俺たちの分身)は、俺たちからは見えているけど、向こうからは見えていない。
何とか波動の位相がどうとか難しいことを言っているが、その説明は俺には理解できなかった。
しかし、あのヌーっぽい大群に踏みつぶされそうだったのが助かったのは、どうやらそう言う事らしい。
つまり、この星の住民というか、生物と俺たちは干渉しあえないという事らしい。
しかも、向こうからは見えてもいない。
じゃあ、この星で、ただこの星の生き物たちを見ているだけなのかというと、そうではなく、迷宮などのダンジョンは用意していて、そこでは俺たちも冒険が出来るという事のようだ。
つまり、この星の場所だけを借りて、俺たちが勝手に何をしようが、この星の住民たちには一切迷惑がかからない、それはそうだ、なにせ干渉しあえないのだから。
俺たちが触れたり関わったりできるのは、この星の大地や河川に海くらいなようで、それ以外の動植物一切は、地球側が用意したもの以外は、触れることも出来ないそうだ。
存在している次元が違うと考えれば、いいそうだ。
うーん、もっともらしい説明だが、ここでふと疑問に感じることがある。
仮に通常世界と別の次元とアクセスできるようになったとするならば、何も銀河の遥か遠くの星で行わなくても、地球上で同じような冒険が出来るのではないのか?
そりゃ、こちらからは相手が見えていて、向こうからは認識できないという事から、相手のプライバシーなどに関わる問題もあるのかも知れない。
しかし、人里離れた砂漠のど真ん中とか無人島とか、やってやれないことはないだろう。
少なくとも、遥か何光年も離れた星でというよりも実現性は高いように感じる。
ところが、そんな俺の疑問を予想しているのか、それに対する説明はあった。
地球に暮らしている我々の次元と、この星の住民たちとの次元が異なっているらしい。
つまり、我々の次元からは、この星の住民たちに接触出来ないと言った理由のようで、別次元を作り出している訳ではないそうだ。
にわかには信じがたい事だが、これまでの情景を見て、俺は信じて見ようかという気持ちになって来た。
というより、別にバーチャルだとしても、充分に面白そうなのだ。
なにせ、冒険の仕方も変わっている。
自分の分身が勝手に冒険を続け、その結果を都度記憶に落とし込むという事らしい。
冒険したという記憶がダウンロードされて、あたかも現実の出来事のように感じられるという事だ。
その為、脳をスキャンするとまで言われた。
これは、分身の行動をより本人の感じ方、考え方に近づけるためだそうで、細かな性格診断のアンケートだけでは、本人が納得できる形には出来ないので、必須という事のようだ。
脳をスキャンするという事は、秘密も全てバレバレになってしまいかねないと感じられたが、スキャンするのは日常の考え方などをつかさどる部位と表層部分の記憶だけで、心の奥底に秘めたる事柄までには達しないと説明された。
まあ、俺の場合他人に知られて困るような秘密があるわけでもない。
この時代、銀行口座やクレジットカードなど、個人認証は全て網膜パターンと指紋に加えて、掌の静脈パターンによる認証だ。
ネット上でも暗証番号など使われることはないので、その点は安心と言える。
ただし、どのパーティに参加するのか、あるいはパーティから離脱するのかという判断と、冒険の最中に死んでしまった場合に、経験値を優先にしてそのまま続けるのか、あるいは前に記録した時点まで戻るのかといった判断だけは、本人がその都度選択するらしい。
ちなみに、死んでしまった場合は復活しても、それまで稼いだ金である持ち金が半分になってしまうという、お約束の罰則があるらしい。
瀕死状態までなら、仲間に助けてもらうことも可能だが、死んだ場合は生き返らせてはもらえないようだ。
その為、死んだ時点から復活するのか、前に記録した時点へ遡ってやり直すのかは、本人がその都度判断するという事だ。
それよりも、勝手に分身が冒険をしていくのを見るだけで、果たして楽しいのか・・・。
まあ、映画というか物語を見る気分で過ごせばいいとも考えられるが・・・。
下手をすると、一般向けのシナリオがあって、只ムービーを見せられている可能性も・・・。
そう考えている間に、いつのまにか寝てしまったらしい。
目が覚めると、既に繭の様なカプセルは開いていて、デモは終了していたようだ。
ふと目をやると、No.21と書かれたカプセルの人物も起き上がるところだったので、俺はすぐに側へと駆け寄って行った。
「どうも、君が21番だね。俺は15番だ。
昨日は世話になったね。」
相手は、まだ若い、見た目は高校生くらいの若者だった。
人見知りの俺だが、ゲームの世界とはいえ一緒に冒険をした関係からか、なぜか話しかけやすかった。
彼が、俺よりもかなり年下に見えたことも、安心材料になったと感じられる。
「ああ、どうも。21番です。」
青年は、少し顔を赤らめながら頷いた。
「やっぱり、カプセルに書かれた番号じゃないかと思っていたんだ。
でも、そう考えるとただの映像を見せられたのではなく、俺たちは冒険をしていたんだっていうのが実感できる。
ちょっと高いが、俺はやる気になって来たぞ。」
俺は、笑顔で青年の顔を見た。
「ええ、そうですね。僕も、参加しようと思っています。
楽しそうですからね。」
彼も笑顔で答える。
まだ若く見えるが、意外とリッチなのか・・・、あるいはお年玉やバイトして溜めたとか・・・、まあ、最近は高校生ともなれば数十万はお年玉をもらうっていうし・・・。
ふと思って振り返ってみたが、既にNo.8のカプセルは開いていて、無人だった。
俺は、そのまま契約を済ませ帰路についた。
装置発送は今週中だそうで、セッティングと脳のスキャンとやらを済ませると、今週末にはゲームの世界に浸ることができるそうだ。
アクセスは、毎晩行ってもいいが、週一でも問題はないらしく、出張や飲み会など、外出で夜に十分な時間が取れない場合など、ありがたい。
酔っ払ってアクセスして、折角の冒険シーンを忘れてしまうのも悔しいので、素面の時だけアクセスしようと決めた。
俺はそのまま駅へ向かい、会社方向の電車に乗り込んだ。
遠距離交通はリニアモーターカーが主流だが、騒音や加速距離の問題で、近距離交通は今も電車が主流だ。
地下鉄を乗り継いで、最寄りの駅へと降り立つ。
一晩中冒険していて、明け方にウトウトとした程度の感覚なのだが、不思議と体の疲れもなく、頭もすっきりとしている。
冒険の世界とのやり取りは、実は短い時間だと言っていたのだが、本当なのだろう。
一晩ぐっすりと眠った後に、その間の冒険の記録が脳へ送られる仕組みなのだ。
まだ、出社時間には余裕があるので、俺は会社の前のハンバーガーショップへ立ち寄った。
ここで、朝セットを頼むのと同時にトイレへ駆け込み、歯を磨き顔を洗う。
徹夜明けに良くやる行動で、もう慣れっこで店員も驚かない。
コーヒーとハンバーガーの朝食を終えると、向かいのビルの中へと入って行く。
俺の会社は、このビルの10階フロアを借り切っている中堅商社だ。
営業部と書かれた、すりガラス入りのドアを開けると、すぐ奥が俺の机だ。
「おやおや、この忙しい中有休なんて使っていらっしゃる方、せめて出社日位早めに来て業務をこなそうとするのかと思っていたら、悠々のご出勤ですか。
大したもんだ。」
10卓ほどの机が向かい合わせで並べられている席の一番奥に居る、カッターシャツの男が、不満たらたら口にする。
「ああ、俺は自分の業務はきちんとこなしているからな。用事があれば有休ぐらいとるさ。」
俺は、そう言いながら、そいつの対面の机に自分のカバンを置いた。
普段の俺なら、ムッとはするが、只黙って席に着くだけだったろうが、この日は違っていた。
やはり昨晩の冒険で、リーダーシップを取った自分に、酔いしれているのだろうか。
「へええ、自分の仕事はこなしている・・・、ふうん・・・、そんな個人主義なんて許されるんですかねえ、課長?」
奴は尚も恨めしげに俺を睨みつけると、一番奥の席で窓に背を向けている課長へと振った。
「う・・・うん?あ・・・ああ、そうだねえ。」
課長も返事に困っている。
大体、忙しいのは誰のせいだ、おまえのせいだろう。
加納誠治・・・俺と同期の奴だが、俺よりも一流と言える大学を出て入ってきた、いわば期待のエリートだ。
しかし威勢がいいだけで、仕事ができる訳ではない。
それでも課内で業績トップなのは、課員が犠牲になって手伝っているからだ。
今回も、大量の注文を取って来たのはいいが、普通にやっていては利益が出ない価格帯で契約してきたために、少しでも安い仕入れ先を課員全員で1週間、ほとんど寝ずに探し回っていたのだ。
そうして、ようやく利益が確保できる仕入れ先を数社抑えたので、俺は有休をとった訳だが、それでも納期など細かな契約が残っているため、他のメンバーは昨日も徹夜だったろう。
みんな疲れ切った目で俺をちらりと見るが、別に文句は言わない。
それよりも、俺に何か言ってやって欲しいくらいの目つきで訴えてくる。
それはそうだ、皆だってこんなやつの面倒を見ずに、早く帰りたいと思っていたに違いない。
なにせ、これだけ苦労しても、実績としては全て奴の独り占めなのだ。
契約締結に際して、その実績が評価されるのは、主営業と副営業だけだが、俺もそうだが中堅社員である奴も、一人で営業することを許されている。
だから、今回も契約の実績として評価に反映されるのは、奴1人だけなのだ。
俺は、皆に迷惑をかけているのだから、他の社員を毎回交代制にして副営業として記録に上げろと奴に進言しているのだが、そんな気は全く無いようでいつも手柄を総取りにしてしまう。
しかも、営業社員の給料も含めて営業成績を評価するので、利益率の低い案件では残業も申請できないのだ。
つまり、奴の為に徹夜仕事までして手伝ったとしても、自分の評価に繋がらないばかりか、サービス残業になってしまうのだ。
それなのに、奴は周りに迷惑をかけていることなどお構いなしに、平然と不利な契約を取ってくる。
更に、後輩に対して手間をかけたなどと言って、飲みにつれて行ってやるわけでもない。
ましてや同期の俺に対しては、手伝うのが当然だろうという態度までしてくる。
課長も少しは怒ればいいのだろうが、おとなしい性格なのか、あるいは奴もいずれは判ってくれるとでも思っているのか、毎回俺たちに尻拭いをさせるため、奴の思うつぼとなっているのだ。
「今回の契約に関しても、何とか利益を出す目途が付いたのだから、もう俺たちがフォローする必要性はないですよね。大体、中堅社員で単独営業を任されていながら、毎回尻拭いのフォローする方がばかげている。
こんなことが続くのなら、単独営業資格を剥奪する様、部長に掛け合いますよ。」
俺は覚悟を決めて、課長に確かめてみる。
ここまで来たら、言いたいことは言っておこう・・・ちょっと後が怖いけれど・・・。
「あ・・・ああ、加納君、そう言う事だから・・・、穏便にね。」
「けっ!」
奴は、俺様がこの課のエースなのだと言わんばかりに、課長の言葉にも、横柄な態度で返す。
それでも、それ以上俺に食って掛かってくることはなかったので、ほっとした。
大体、俺がノルマギリギリの営業成績でいるのも、残業時間をほとんど尻拭いに当てられ、業務時間ですらも満足に自分の営業に使う事が出来ないからだ。
あんな不利な条件であれば、誰だって契約を簡単にとってこられるのではないかと考える位、無茶苦茶な契約ばかり取ってくる。
それでも、何とかやりくりすれば、利益が出るギリギリの値で契約してくるので、もしかすると限界値を見極める能力は高いのかも知れないが、それでも多大な迷惑を皆に掛けていることには変わりない。
しかも、他人を犠牲にしているのを気にもしない横柄な態度で。
これでいて、役員に評判がいいのは、やはり奴の方なのだ。
部長などは、しょっちゅう奴の席に来ては、やれエリートだの、わが社を一身で背負っているだのとあおり、肩まで揉んで行く始末だ。
普段の実態を知らない雲の上の人たちには、やはり記録として残るものだけが評価の対象なのだ。
本来なら、主任制度があるわが社で、うちの課だけが主任はなく課長だけだ。
上の方からは加納を主任にしろと、うるさく言ってきているようだが、課長は自分に考えがあると断っているらしい。
うわさ好きの女子社員に教えてもらった情報だ。
俺は、これ以上奴に水をあけられないよう、久々に自分の業務に専念しようと、すぐに得意先回りに席を立った。
その日は、かねてから狙いを付けていた契約を取ることができた。
発注のための値引き要求が厳しく、ほぼあきらめていたのだが、名乗りを上げていたライバル社が突然撤退したらしい。
理由は判らないが、どう計算しても利益が上がりそうもない見積もりを検討していたようだから、何かきっかけでもあれば、すぐに手を引いてしまうのだろう。
向こうにも加納のような社員がいて、さすがに今回はNGが出たと言ったところだろうか。
なんにしても、これで俺の今月のノルマは達成できた。
加納の尻拭いに1週間もの時間を割かれ、危ういところだったが何とかなった。
断られ続けても、あきらめずに様々な提案を継続して行っていたのが、良かったのかも知れない。
なにせ、契約は1件も取れていなかったというのに、先方の受け付けは顔パスが効くし、課長さんにも名前を覚えてもらっていたからだ。
少し余裕が出来たので、別の得意先もまわって更なる上積みを狙おう。
今月がだめでも、来月に契約が取れる可能性だってあるのだ。
週末の楽しみも出来たし、俺は軽い足取りで家路への駅へ向かった。