魔法少女、マジックイノコちゃん
「ふははははー! 俺の名前は魔界カマキリ、カマイッター様だぁ! 人間め、食物になりやがれー!」
空も青く、木々も揺れる穏やかな公園。そこに突如現れたカマキリのような身体をさせた緑の怪人が、平和を脅かすように子供達に襲い掛かっていた。
逃げ回る子供達。しかし、小学一年生ほどと見られる足の遅かった女の子をその長い鎌の腕で拾いあげるようにカマキリ男は捕まえてしまう。
「ふへへへー! 捕まえたぁ!」
「いやーっ! 誰か助けてー!」
カマキリ男の愉快そうな笑い声。女の子の悲痛な叫び声。そんな場所に、彼女は姿を現した。
「ちょいとタンマー!」
幼い少女の叫び声が聞こえる。それは捕まっている女の子でもなく、逃げていた子達の声でもない。それは――この未曾有のピンチに駆けつけた、一人の女の子であった。
「だ、誰だテメェは!」
カマキリ男は月並みといわんばかりの台詞を、現れた少女に向かって言う。それを聞くと満足そうな表情を見せて、目を見開いて叫んだ。
「ふっふっふー! 知りたいか、知りたいのなら教えてやるわ!」
黒く長い後ろ髪を風に靡かせ、フリルのついた黒いドレスをひらりと舞わせながら、黒い模様のようなものが刻まれている右手を横に突き出す。
「空を駆けるは鳥として、地を駆けるは雑種犬! では魔を駆けるは誰であるか! 聞きうけるがいい悪者よ! 私の名は、そう、私の名前は!」
「うるせー! こいつがどうなってもいいっつうのかガキャー!」
カマキリ男は少女の名乗りを遮って、捕まえる手とは反対の大鎌で少女の首に刃をかける。その瞬間であった。
「ぬおらーっ!」
名乗っていた少女は、間髪入れずにカマキリ男の額に向かってそこらにあった石を投げつけた。カマキリ男はそれに反応できず、額にカコーンと小気味いい音を鳴らす。
「人の話は最後まで聞きなさいよ! いい? 怪人は常に正義の名乗りを甘んじて聞き入れる! それはなぜか。彼らは悪人であっても空気は読めるから。悪人で空気読めないなんて愚の骨頂! 怪人として生んだ親が情けないと思ってしまうほどにね!」
「い……色々言いぬかしてくれやがってぇー! だったら言ってみろ! お前の名前を!」
「ふっ、いいでしょう。さぁ、改めて名乗ってあげる! 空を駆けるは――」
「何をやってるんだいイノコちゃん! 早く怪人をやっつけないと!」
彼女の名乗りは、またも中断される。次は怪人の声ではない、子供のような幼い声ではあるが子供達から発された声ではない。――少女の足元にいた、ぬいぐるみのような白い犬からその声は発されていた。
「あれは魔界カマキリ、カマイッター! 人間界を滅ぼす悪魔だ! 魔法少女である君にしか倒せない凶悪なそんざ――むぎゅおっ」
踏みつける。少女の耳にかの犬の声など聞こえておらず、ただ邪魔されたという事実から彼女はその犬を足蹴にした。
「知ってるっつーのこのでしゃばりマスコット! 今私が話してるんだから黙っててよバカ!」
「あっ、駄目だよイノコちゃん! こんな僕を市民に見せないで! いくら僕が好きで愛してるからって公衆の面前でこんなマニアックプレイ!」
何故か頬を赤く染める白い犬を少女は強く強く踏みしめる。すると、カマキリ男が口を開く。
「魔法、少女だと?」
「そうよ。本当はただの小学四年生、橋居亥子。けれどその実態は、町の平和を守る正義の魔法少女。マジックイノコ。ほんとはもっとかっこよく名乗る予定だったのに……」
イノコはふてくされるように頬を膨らませる。すると、カマキリ男はゲラゲラと笑い始める。
「くっくっく、なるほど。魔王様が恐れていた女というのは貴様だな? こんな発展途上なクソガキに怯えるとは、魔王様も大したことはなさそうだ」
「ふふん、舐めてくれるじゃない。私は貴方のお仲間を何人も殺してきたのよ、そんな私を貴方が殺すことが出来るの?」
「イノコちゃん! 口調が汚いよ! もっと女の子らしく――って、わぁんっ!」
イノコは白い犬を更に強く踏む。カマキリ男は人質を解放し、両手の鎌を見せびらかすように構える。
「あれ? なんで人質を解放しちゃうの?」
「本気で八つ裂きにするためだ。貴様のような小娘に舐められるのは、俺の面子が許さん」
「面子? なにそれ」
「知る必要はない! お前は民衆の前で八つ裂きになって死んでいくのだからなぁー!」
カマキリ男は駆け、イノコの元へ疾走する。それに対しイノコは、足下に存在する白い変態犬を迷うことなく、カマキリ男に蹴り放つ。
「邪魔だ」
カマキリ男は、迷うことなくそれをキャベツの千切りのように細く刻む。障害を排除したカマキリ男が改めて正面を見ると――そこに、イノコの姿はなかった。
「まん前、お腹の真っ直ぐよ」
声が聞こえた。カマキリ男はその声が言った自分の部位を見ると、そこにはイノコがいた。
イノコは打ち込む。自らの小さな拳を、屈強なカマキリ男の腹部へと。しかし。
「痒いな。魔法少女」
カマキリ男は苦もない表情を見せ、右足で蹴りをイノコへ放つ。イノコはそれを察知して、三歩程度の距離ほど後ろへと飛ぶ。
それを知っていたカマキリ男は、右手の大鎌を彼女の首へ向けて切り落とすかのような勢いをつけて放つ。しかし、イノコも彼と同様、それが来ることをわかっていた。
腰骨を曲げ、首の位置をずらす。命を取る鎌は、かわされる。二手目が来る前にイノコは一度、二度と飛んで更に距離をとった。
「ふん、やるな魔法少女。だが、次はない」
「それは同じよ怪物。私は魔法少女、悪を殺して正義を守るの」
「ふん、正義がどんなものかも知らないガキが容易く語るか」
皮肉を込めたカマキリ男の言葉に、イノコは口を吊り上げる。
「簡単にわかるのが正義だから、大人になってそれが難しくなるんでしょ? 私の正義は、怪人のアンタを倒しちゃうことだけだ」
イノコは右手を突き出す。そして突き出した右手から神々しさにも似た光がまぶゆく光る。
「さぁ、改めて名乗るよ怪人。――空を駆けるは鳥として、地を駆けるは雑種犬」
光が形を成していく。鋼鉄の棒状の何かへと、形を変えていく。
「では魔を駆けるは誰か。聞き受けるがいい悪者よ。私の名は、そう、私の名前は――」
彼女は振るう。形を成したソレを。
彼女は回る。黒きドレスを舞わせて。
彼女は、笑う。眼前の敵を、自分の正義を阻むものへと。
「魔法少女、マジックイノコ。悪は全員成敗しちゃってお仕置きよ」
装飾された黒きステッキを突き立てる彼女はまさしく――魔法少女だった。
「……そいつが、同胞達を崩壊させた武器、黒き魔杖か」
「違う。プリチーイノコステッキよ」
「……おい、空気読めよ」
「そっちが空気読んでよ。そんな可愛くない名前じゃ、いやっ」
周りは何も発さぬ緊迫した空気。しかし、イノコだけは自分の空気を乱さない。そんな空気に耐え切れなくなったカマキリ男は目をつぶって大鎌を構える。
「ああもうなんでもいい! 死にやがれ魔法しょう」
じょ、と目を開けてカマキリ男が言おうとした刹那であった。ゴスリッ、という骨を潰すような音と共にカマキリ男の頬に何かが当たった。
カマキリ男は自らの眼を持ってそれの正体を確認する。それは――黒き、魔杖だった。
カマキリ男は驚愕しつつ、傷みとともに片足を地から離して体勢を崩す。その直後、イノコは駆け出して宙へ舞う。放り出された黒き魔杖を空中で右手に収めると、杖の先端部分に光が集まる。そして、
「食らいなさい! 必殺、マジカルステッキブレイカー!」
落下しながらカマキリ男の右肩から左脇腹にかけて、杖そのものが肉体を斬り抉るように――その身体を薙ぎ裂いた。
魔法少女は着地し、薙いだ体勢のままカマキリ男を睨みつける。
カマキリ男は、自身の意識が薄れていくのを感じていく。しかし、彼は倒れなかった。
「……見事だ」
「……まだ生きてるんだ」
「ふっ、もう死ぬさ」
カマキリ男は悟る。自らの肉体の寿命がもう長くはないことを。しかし、人間に敗れたというのに彼は不快感を持っておらず、むしろ、晴れやかな表情をしていた。
あの魔王が畏怖する理由もわかる。この小さな黒き女こそ――俺達の天敵だったのだ。
そんな尊敬に近い感情を持ちながら、彼は悟るように口を開いた。
「なるほどな、貴様はまさしく魔法しょう――ぐべぇっ!?」
――しかし、世の中は悪を持ったものに優しくはなかった。
満身創痍の彼に、魔法少女は杖による重い一撃を打ち込んだ。
「ふっふっふー! それでこそ、それでこそ悪よ悪! しぶといこそが悪よねー! さっきのは撤回してあげるわ怪人! アンタは実に戦いがいのある相手ね!」
イノコは天使のようにリズミカルに笑顔を振りまきながら、凶悪なステッキをバトンのようにクルクルと回す。そんな無邪気さに、カマキリ男は危険を感じていた。
「さぁ、今から魔法少女らしさ満載でまほー使っていくわよ魔法! 電撃魔法もいいし、光線魔法っていうのもかっこいいかも! どうしよっかなー!」
まるで恋する女の子のように頬を染めて両手の指先をツンツンと合わせながらイノコは迷う。その言動がカマキリ男には異様な恐ろしさを感じさせ、不安を感じながら言った。
「あ、あの。すんません、俺もう戦えないんですけど」
しかし、その意見を言った途端。イノコは顔をしかめる。
「バカ! 怪人のくせにそんぐらいで諦めてどうするの! 私が朝学校行く前に見てたテレビじゃもっと頑張ってたのよ! 私に膝をつかせるぐらいに頑張んなきゃ! ほら立って立って!」
「いや、無理! 本当無理ですから! 勘弁してくださいマジで!」
「大丈夫よ! 後で巨大化とかも残してるんでしょ? そんな悪人の見せ場無くすような真似は私だってしないって!」
「いや、そんな裏技俺持ってないから! お願いだからこのまま死なせてくれぇー!」
泣き震える怪人に笑顔で戦いを強要する魔法少女。その光景を見ていた少年少女たちは、有り得ないものを見るような顔をしながら、呆然とそれを見る。
戦いが終わったあと、魔法少女も怪人も、姿を消していた。しかし、少年少女たちはそれを幻想と、夢と思うことは無いだろう。
怪人の泣き叫ぶ声、魔法少女の笑い狂う姿。生々しい感情を聞いて、見た子たちにとって忘れがたい現実であったのだから。
この戦いを見た少年少女たちは、後にこう語った。
この町には――魔王少女がいる、と。