カプトオイゲンの狂犬
カプトオイゲン。かつてこのラカークン大陸に存在した都市国家の一つであり、繁栄を極めた国家である。ラカークン大陸国家という巨大な連合国家のうちの一つであり、七つある主席都市であった。多くの人とモノがカプトオイゲンを経由し、このラカークン大陸全土にもたらされたため、商業の拠点としても栄えた。
しかし、ある時海を越えて一匹の犬が迷い込んだ。それはただの犬ではなく、身の丈は人間を優に超え、膨大な魔力を有していた。
カプトオイゲンには多くの兵士や傭兵がおり、いずれも名だたる英雄に勝るとも劣らぬ実力者たちであった。この外海から訪れた訪問者を危険視し、彼らは討伐隊を組んだ。
当初、この犬は強力なスキルを有した魔物か、さもなくば魔物の中でも危険種と呼ばれる部類である、と考えられていた。その当時は「魔神」という存在は広く認知はされておらず、名を知られていた魔神たちも表立っては活動をしていなかった。
実際に彼らがその犬が魔神だと知ることになったのは、討伐隊が全滅した時である。
討伐隊の面々はその肉を喰われ、遺骸すら残さなかった、と言う。飢えた魔神は肉と魔力を喰らったが、それだけでは魔神の空腹は満たされなかった。飢えに突き動かされた魔神は、カプトオイゲンの街に入り込んだ。
街の防衛能力だけでは魔神を止めることはできなかった。戦うものは皆死に、残る者たちは戦う力を持たないものばかり。無慈悲に魔神は人々を喰らった。女子供も関係なく、骨を砕き、肉を噛み千切り、命を奪っていった。
カプトオイゲンの悲劇は即座に大陸中に伝えられた。血のような真紅の犬、狂ったように殺戮をもたらす魔神を人々は「カプトオイゲンの狂犬」と呼び、恐れた。
狂犬はおよそ二万もの人々を食らいつくし、流石に満腹になったのか、カプトオイゲンの地に落ち着いた。そうして、時たま周辺に出て行っては、犠牲者を出していた。
それが封印されたのは、狂犬が登場して数年後。後に聖女と呼ばれるクレシアによるものである。聖女クレシアは神々からの祝福を受けた存在であり、彼女の持つ力によりカプトオイゲンの狂犬は大地と水の中に封印された。さすがのクレシアと言えども、魔神を殺しきるまでの力はなかった。
厳重な封印の下、カプトオイゲンの狂犬は封印され、その名を憶えているものは少なくなっていった。
カプトオイゲンの狂犬。その真の名はグラシャラボラスといった。
地面に倒れ伏せるセウス達を前に、魔犬はゆっくりとセウスに向かっていく。
『憎き力の波動を感じる。貴様だ、小僧。貴様の持つそれを、我が身体は欲している。喰わせろ。それを得れば、我はより高みに至れる』
「高みに至って、どうするつもりだ?」
セウスは顔を上げて言う。魔神はクツクツと笑う。
『知れたこと。この世界全てを我がものとする。我こそが地上で唯一無二の存在となるのだ。このグラシャラボラスがな』
セウスは立ち上がり、魔神を見る。禍々しい魔力で編まれた翼は巨大で、その一振りでセウスは弾き飛ばされてしまうだろう。
だが、この魔神をこのまま放っておくわけにはいかない。トローアのみならず、世界すらも危機に陥れようとする魔神を止めなければならない。
どの道、逃げようとしても逃げられない。魔神の狙いはセウスの持つセアリエルである。セウスが逃げる、と言う選択肢は最初から存在しないのだ。
『ほほう、抗う、というのか?人間よ』
剣を構えるセウスを見て、重い声でつぶやく狂犬。セウスは土埃にまみれた顔で狂犬を睨む。
敵うはずはない、と思っていても引くことはできない。ここは彼の国である。退く場所など、存在しない。
「我が名はセウス。このトローアの王だ。貴様が何者であろうとも、私は貴様に背を向けない」
『心意気は買ってやろう。だが、小賢しい虫けら独りで何ができる?』
「一人、ね。そいつは間違いじゃないかね」
ふらりと立ち上がり、狂犬を見るツェツィーリエ。魔力に耐性がないために、グラシャラボラスの魔力に充てられ、ふらふらとしているが不敵な笑みを浮かべ、その剣を構えている。
「そうだぜ、俺たちはまだ、負けちゃいねえ」
バルドバラスが盾を構え、セウスの前に出る。
「魔神だか何だか知らねえが、見くびるなよ、人間を」
『・・・・・・・・・・・・』
アノガルやジュリアスが武器を構え、狂犬を見る。その後ろでは三人の魔術師がグラシャラボラスを見ている。
カプトオイゲンの狂犬は、まるで肩を震わせるように全身を震わせて笑う。
『なるほどな。よかろう。ならば、その心意気ごと貴様らを絶望に陥れ、そしてじっくりとその命を奪っていこう、勇者たちよ』
狂犬は吠える。再び莫大な魔力が跳ね上がり、セウス達を襲う。
『さあ、踊り、嘆き、唄え。その絶望こそが我が糧となる』
セウスを狙う魔力の触手をバルドバラスが受け止める。バルドバラスの盾はその攻撃にさらされ、その凶粉表面にはわずかにだが傷ができていた。バルドバラスも全身に痛みを感じていたが、一歩も引かない。
王であり友を守る。そのために、彼は盾を持っているのだから。
度重なる攻撃で押し飛ばされそうになる身体を、自身のスキルで重くして攻撃を耐える。
『非力な人の子よ、なぜそのものを守る?そのものを差し出せば、貴様は助けてやるぞ?』
「うるせえ、気に入らねえな。俺を見下ろすんじゃねえよ、犬野郎」
苦痛に顔を歪めながらも、バルドバラスはそう言い笑う。グラシャラボラスが触手をさらに叩きつける。
「おい、どこを見ている、狂犬!」
バルドバラスにばかり攻撃を加えるグラシャラボラスに、アノガルとツェツィーリエ、それにジュリアスが跳びかかる。
「はぁ!!」
アノガルの高速の突きが、狂犬の翼を襲う。その剣が触手を切り落とす。
守りのなくなった狂犬の左側面をジュリアスの攻撃が加わる。だが、新たに発生した紅い魔力の壁に阻まれる。
『無駄だ』
よろけるジュリアスにその爪を向けようとしたグラシャラボラスの右脚を何かが絡まる。狂犬は足元を見ると、茨が地面より生えだし、グラシャラボラスの身体を縛り上げている。
見ると、オレンジ色の髪の少女が大地に手を突き、魔神を見ていた。セリーヌのスキルによるものだ。
動きを封じられた魔神から前衛たちは一斉に退く。そこに、リケンとテレサが作り出した魔術が発動する。
「範囲指定、発動!」
テレサが叫び、リケンと共同で発動された魔術が魔神を襲う。風、雷撃、火炎、岩石。あらゆる属性を一度に複数呼び起こし、ぶつける。非常に高度な魔術であり、それをこの短期間で発動させることができるのは、二人が優秀であると同時に、息があっているからだろう。
さしもの魔神も、これだけの魔術を喰らっては少しは、とセウスは見る。土煙が収まり、魔神の姿が現れる。
魔神は茨を引き千切り、無傷の身体でじろりとセウス達を見た。
『優秀だ。だが、我には効かぬ』
「ウソだろ」
リケンが呟く。まともに食らったら無傷では済まない。そういう自信があった。
セウスは剣を振り上げ、魔神に向かう。
セウス自身が前に出る、ということは避けるべきである。魔神の目的はこの剣であるから。
それでも、魔神を倒せる可能性があるのは、現状ではこのセアリエルともう一つだけ。
セウスの振り上げた剣を、グラシャラボラスは避ける。
魔力の障壁や自身の身体で受け止めない。そのことから、このセアリエルは狂犬に対して効果を持つことを証明している。
殺せはしなくとも、傷を負わせることができれば、魔神を退けられる。
「アノガル、ツェツィーリエ、援護を!」
叫び、セウスはバルドバラスを見る。バルドバラスは頷き、三人に重力操作を発動する。
なにも、重力を強くするだけがバルドバラスの能力ではない。重力を弱める、ということもできるのだ。
ほんのわずかではあるが、体が軽くなるセウスとアノガル、ツェツィーリエ。三人が魔剣に迫る。
『無駄だ』
障壁を展開し、魔神は笑う。アノガルの攻撃はそれに阻まれる。
「邪魔だな」
ツェツィーリエはそう呟くと、剣を握る手に力を入れる。
『無駄だ、どのような力があろうとも』
「ふん!」
ツェツィーリエの剣が一閃し、魔力の障壁を打ち砕く。グラシャラボラスはまさかそのような攻撃で破壊されるとは思っていなかった。障壁に邪魔をされ、攻撃の通らなくなったアノガルとツェツィーリエが壁となり、セウスの攻撃を防げるものと考えていた狂犬の思惑は外れた。
『スキル、か!』
ふ、と笑いツェツィーリエは笑う。
彼女のスキルは『切断』。あらゆるものを切り裂き、断つ力である。彼女が武器と認めるものであれば、切り裂けないものはない。魔神という強大な敵の身体でさえ、切り裂こうとすればできるであろう。
セウスの持つセアリエル以外で唯一魔神を倒せるとしたら、このツェツィーリエのスキルのみであろう。
セウスの攻撃を飛びのいて避けた魔神。若干その顔が曇っているように見えるのは、気のせいではないだろう。
『だが、当たらなければ意味はない』
そう言ったグラシャラボラスだが、言葉ほどそれは簡単ではないことを感じ取っていた。
まだ若いとはいえ、自分が戦う相手がそこいらにいる有象無象とは違うことは察している。下手をすれば、自身を殺しかねないとも。
だが、だからこそ面白い。命を賭してこそ、戦いは面白いのだ。彼らの肉と魔力を喰らえば、グラシャラボラスは更なる力を得ることができる。
ならば、喰らうまでだ。多少の傷は時間さえあれば癒える。セアリエルを喰らえば、今までの異常の力を得ることができるであろう。問題はない。
狂犬は凄まじい闘気を揺らめかせ、再び襲いかかってくる。
バルドバラスの重力操作、それにセリーヌらの魔術で足止めをしようにも、流石に魔神は二度はかかりはしない。易々とそれを超え、セウスとツェツィーリエに肉薄する。
があ、と振り上げられた爪が、二人の皮膚を軽く引き裂く。とっさに身を引いたために、致命傷にはならなかった。だが、ツェツィーリエは傷の割に苦しそうな顔である。セウスの場合、その肉体の治癒能力のおかげで体内に入り込んだ毒もほぼ瞬時に解毒されるが、ツェツィーリエの場合はそうもいかない。
倒れ込んだツェツィーリエに狙いをつけ、グラシャラボラスが迫る。セウスはセアリエルを振り上げる。
『その程度の速さでは!』
嘲笑するグラシャラボラス。セウスはもっと早く、と願う。
ここで倒れるわけにはいかない。
セウスの強い祈りに答えるかのように、セアリエルは光り輝き、その刀身に魔力を纏う。それが、離れた場所にいた狂犬の毛の下の皮膚を突きぬく。
『なに?!』
流石の魔神も驚き、唸りを上げる。そして、セアリエルを無理やり引き抜き、距離を取る。
魔神も嫌と言うほど知る力。それを持つセウスを見て、魔神は唸りを上げる。
セウスはより強く思う。早く、強く。目の前の魔神よりも、もっと、もっと。
セウスの想いに答えるように、剣は輝きを増す。魔神が動く前には、セウスは地面を蹴り、一瞬後には魔神のすぐ目の前に現れていた。
振り上げた剣が、魔神の右腕を斬り飛ばした。
ぼとり、と音がして、魔神は自身の血を顔に浴びながらひくひくと口を動かす。
そして、数俊遅れて絶叫が響く。
セウスはその間も攻撃は緩めない。閃光の剣劇が魔神を襲う。
魔力の翼を砕き、肉を裂く。さしもの魔神も、抵抗はできず、なすがままである。
『がぁああああああああああああ!!!』
唸りを上げ、振り払おうとする魔神だが、その両目をセアリエルが斬りつける。
「これで、終わりだっ!!」
セアリエルを構え、一直線に向かうセウス。その剣先は、魔神の核を目がけていた。
魔神は死ぬ、と思った。事実、そのまま行けばグラシャラボラスは死んだであろう。だが。
「・・・・・・・・・・?!」
セウスの前に、黒いフードの人物が乱入する。その人物の持つ剣は、トローアセアリエルであった。
「貴様・・・・・・・・・・・・・!!」
「今ここで、これを失うわけにはいかない」
そう呟いた襲撃者はセウスの剣を振り払うと、後ろに下がりグラシャラボラスに言う。
「退くぞ」
『・・・・・・・・・・この我が、人間如きに遅れをとるなどと』
「その身体では碌には戦えまい」
『・・・・・・・・・・』
グラシャラボラスは沈黙する。グラシャラボラスの肉体が徐々に透明になり、周囲に溶け込んでいく。
「逃がすかよ!」
バルドバラスやリケンたちがスキルや魔術を発動するが、その頃にはグラシャラボラスの姿はない。
「一体何が目的だ?貴様があの魔神を解き放ったのか?」
「そうだ、セウス。俺が解き放った、貴様たちを殺すためにな」
襲撃者はそう言い、セウスに剣を向ける。
「だが、やはり厄介だな、その剣は。だがな、セウス。忘れるな。魔神を圧倒できたのも、貴様が今の地位にいることができるのも、すべて貴様の実力ではない、と言うことを」
そう言い、襲撃者は身を翻す。
「待て!」
セウス達の叫び声。そして、追いかけようとする彼らだったが、襲撃者の姿もまた周囲に溶け込み、見えなくなる。
「・・・・・・・・・・・駄目だ、逃げられた」
リケンがそう言い、首を振る。
「いったい、なんだというのだ・・・・・・・・・・」
セウスが呆然とつぶやく。誰かが言った。
「とにかく、王都に戻ろう」
その言葉に、誰も反論はしなかった。




