幼き王セウス
セリーヌが王宮に来て、早一か月が経った。
セウス、バルドバラスの二人に交じり、行儀見習いの少女は空き時間は二人と遊んだりした。
とはいっても、二人ほど体力に自信のあるわけではない彼女は二人のように走り回ったり、チャンバラをしたりはしなかった。だが、二人の側で見守り、笑っていた。
心配されていたフロイデンによる侵攻もなく、心配は杞憂だったのではないか、などと王宮では囁かれている。
それが実際どうなのか、まだセウスにはわからない。だが、この新たな友人が愛らしく笑えるように、侵攻がないことを祈っていた。
セリーヌが来てからは、セウスもバルドバラスも毎日を楽しく過ごしていた。この日常がずっと続いて行けばいいのに、と思わずにはいられない。
「おや、また三人で王宮内の探検ですか」
「おはよう、プレアデス」
王宮内を歩いていた三人に声をかけてきたのは、顔なじみの青年プレアデスであった。人のいい顔の青年は、セウス王子に頭を下げ、ほかの二人に微笑む。
「プレアデスさん、おはようございます」
セリーヌの言葉にニコリと笑う青年。
「もう、王宮での生活は慣れましたか、セリーヌ嬢」
「はい、セウスとバルドのおかげで」
「そうですか」
プレアデスはそう言うと、腰に差した鞘を撫でる。それを見て、セウスが懸念するように聞く。
「プレアデス、何かあったのか」
「いえ、まだ確かな情報ではありませんから。それに・・・・・・・・・・・・・」
プレアデスは口を紡ぎ、三人を見る。
「そうだ、今度私の弟が王宮で世話になることになるそうです。お三方には、仲よくしていただきたい」
年のころも同い年ですし、と笑うプレアデス。
「そうか、名前は?」
バルドバラスの言葉にプレアデスは言う。
「リケンと言います」
「リケン?そうか、わかった」
セウスが言うと、安心したような顔をして、き、と顔を引き締めたプレアデス。そして、いつものようなゆるい例ではなく、きちんとした礼を取り、プレアデスは急ぎ足で去っていった。
その様子を、バルドバラスとセリーヌは気にも留めなかったが、セウスは違った。
そこか、安心した顔と言い、あの態度と言い、まるで、戦地に赴くかのようで。
その時、セウスの胸中に一つの予感がよぎる。だが、首を振り、それを打ち払う。
プレアデスも行っていたではないか。まだ、確かではない、と。
顔なじみの青年のみに何も起きないことを祈り、セウスは不審そうにこちらを見る友人たちのもとに急ぐ。
その日の晩遅く、王族とバルドバラス、それにセリーヌが食事をする中、その報はもたらされた。
「なに!?」
王に耳打ちした大臣の言葉に、セオドア王は目を見開き、問い返す。大臣は深刻な顔でうなずき、国王の指示を受けて急ぎ足で去っていく。
「あなた?」
プリシア王妃の言葉も耳に入らない様子で絶句した王は、セリーヌを見ていった。
「セリーヌ、おぬしの父のミリシュア侯爵が戦死された」
突然の訃報に、セリーヌが呆然とする。そして、少し遅れて涙が出てきた。
泣く少女をバルドバラスが慰める。それを見て、セウスは父を見た。
「フロイデンが攻めてきたのですか?」
「ああ」
幼い息子を見てセオドア王は頷く。
セオドアもこの事態を想定し、国軍を向かわせていた。一か月もの間、警戒を続けてきた。油断をしたわけではない。だが、フロイデンとは戦力差もある。従える国の数も、兵力も。
強襲には、対応しきれないのだ。
王は立ち上がると侍従を呼び、自身の鎧と剣の準備を指示する。
「戦場へ?」
「ああ。プリシア、王宮のことはしばし任せる」
「ご無事で」
「うむ」
王はマントを脱ぎ捨てると、そう言い、プリシアより離れ、小さな息子を見る。
「父上?」
「セウスよ、私は王であるが故、いかねばならぬ。王たるもの、誰かの背で守られるものではなく、矢面に立ち、民を導くもの。危機より国を守る、それが我らの責務」
そう言い、セオドア王は息子を抱き上げる。
「セウスよ、母と国を頼むぞ、私が戻るまで」
「はい、父上」
「約束だぞ、セウス。何があろうと、国を守れ。太陽神ヴォ―ヴンの祝福あれ」
「父上、約束します。父上にも、祝福あれ」
そう言うと、満足した表情の王はセウスを下ろし、静かにその場を去っていった。
その父の姿が、まさか生きてみる最後の姿であったなど、セウスもほかの者たちも思いはしなかった。
トローア北部地帯を蹂躙するフロイデン帝国軍を相手に、数で劣るトローア王国騎士団は勇猛果敢に戦った。騎士の王国として知られるトローアは兵力こそ少ないが、騎士道精神あふれる者たちで構成されている。彼らの活躍により、非戦闘民の最大の財産である命を奪われることは防がれた。住む場所を失いながらも、彼らは王国の安全地帯まで逃げることができた。
偉大なるセオドア王の陣頭指揮によるものであった。
「陛下、ここにももう、敵が!」
民の避難を先導するセオドア王に、ミリシュア侯爵領に派遣された騎士団の生き残りの中で、最後まで王に付き従ったプレアデスが叫ぶ。
敵、フロイデンの軍勢は、未だ避難を続けているこの街まで軍を進めている。だが、このままでは多くの民を死なせてしまう。
王はしばし、沈黙すると決意した表情でプレアデスに言う。
「プレアデス、お前は民を率い下がれ」
「陛下!?」
「私は、ここに残り、敵の進軍を止める」
その言葉に、周囲の騎士からも絶叫が聞こえた。プレアデスは呆然としながら、だがすぐに気を取り戻し、王を見る。
「なりません、陛下。陛下を残し、我らは下がれません」
「しかし、プレアデス。お前には弟がいるはずだ。両親が早死にした今、お前を失っては」
「それならば、陛下もです。セウス様や奥方を残し、どうされるのです」
プレアデスの言葉に、セオドア王は沈黙した。
「我らが命は、トローアの物。陛下がここで食い止めるというならば、我らもここに残りましょう。この剣を、我らはトローアに捧げた」
鞘から剣を抜き、プレアデスらは天に剣を掲げ、王への忠誠を見せる。騎士たちの誰もの顔に、後悔も何もない。あるのは、誇り。偉大なる優しき王に仕えることができた、というただそれだけ。
「・・・・・・・・・・・・馬鹿者どもよ、まことに」
王はそう言うと、ぐ、と顔を引き締めた。涙をこらえ、王は王として彼らに命令しなければならない。ほかならぬ、この国のために。
「皆の命、使わせてもらうぞ。全軍、フロイデン帝国軍を止めよ!これ以上、我らの国を好きにはさせぬぞ!」
「「セオドア王万歳!トローア王国に栄光あれ!セウス王子に栄光あれ!」」
騎士たちはそう叫ぶと、街の端に見え始めた、フロイデンの大軍を悠然と見る。そして、馬に飛び乗ると、剣を構え突撃していく。
セオドア王以下、二百十七名の騎士たちは、千を超える侵略者を討つため、奔りだした。
荒い息をつき、セオドア王は周囲を見る。周囲に立つ敵の姿は数十人。それに対し、こちらはわずか二名。ほかの者たちは皆、地にひれ伏し、天に召されていた。
「ふふ、プレアデス。おぬしには、最後まで付き合ってもらうぞ」
「はい、陛下」
プレアデスは形のいい唇をゆがめ、不敵に笑う。彼の左腕は半ばから断ち切られ、布で止血をしていた。ほかにも腹や背中を斬りつけられており、立つだけでも大変な痛みを伴うだろう。
セオドアを守り、敵を切り殺してきたプレアデス。その姿に、敵は畏怖の感情を憶える。そして、そんなプレアデスを従わせるセオドア王に。
たかが二百人程度に、千人を超す兵士が殺されたのだ。恐怖が、体中を支配する。
「どうした、来い。私はまだ生きているぞ」
プレアデスはそう言い、長剣を構え瞬時に近くにいた敵を切り殺す。首が飛び、また一人、プレアデスの戦果に加わった。
そんなプレアデスは気付かなかった。敵の構える弓矢の存在に。永い戦いのせいで、意識も集中も途切れていたために。
ヒュン、と音がして、プレアデスは喉元に厚い何かを感じる。そして、剣を取り落し、それを触る。
矢の先端は、首の皮膚を貫いていた。
「せ、おドア、王、万歳・・・・・・・・・・・・!!」
そう言い、最後の騎士は崩れ落ちる。
「プレアデス!!」
セオドア王は叫び、近くにあった剣を持ち上げ、狙撃手に投げる。驚異の力で投げられたそれが、狙撃手の首を斬り飛ばす。
セオドア王はトローアに伝わる名剣セアリエルを構え、叫ぶ。
「我が勇姿を見るがいい、そして語り継ぐがいい!我が名はセオドア!トローアの王なり!」
フロイデン帝国はわずか一ケタの生存者を覗き、すべて殲滅された。
生き残った者たちだけでは戦いを継続できない。それに、死をも恐れぬトローア騎士のこの力は、フロイデンと言えども想定はしていなかった。ここでこれほどの戦力を失ったのは、大きな痛手であり、これ以上の痛手を被る賭けに出るわけにはいかなかった。
幸いにも国王セオドアは死亡し、セオドアには幼い王子が一人いるだけ。今攻略せずとも、いずれ。
そう言う考えがあった。
帝国は手に入れたミリシュア侯爵領も手放さざるを得なくなった。
両者にとって、得るもののない戦いとなったのであった。
その日、王都は悲しみに包まれていた。
帝国の侵略を止め、民を守り、壮絶に死んでいったセオドア王。帝国の守りとして長年、王国に仕えたミリシュア侯爵。そして、プレアデスをはじめとする、総勢379名の騎士と132名の準騎士たち。その尊い命が失われたのだ。
民に犠牲は出なかったし、帝国の兵は総勢1345名も死亡していることも考慮すれば、これは大きな勝利、と言ってもいいはずである。だが、国内には哀しみのみが漂っていた。
偉大なるセオドア王。彼は決して争いを好まず、国内の平和と民の幸せを願った。そんな彼の死を悲しまないものは、トローア王国内にはいなかった。
王都において行われた国王ならび戦死者たちの国葬式には、トローアの国民の半数以上が駆けつけた。王都を哀しみに嘆き人々が黒い喪服で身を包み、その冥福を祈る。
「我が夫にして、優れた為政者であったセオドア王の魂は太陽神ヴォ―ヴンのもとに抱かれ、今も私たちを守ってくれています。そして、多くの英霊たちの魂もまた、この国を見守り続けてくれている」
王妃プリシアは涙をこらえ、千年宮のバルコニーから演説をする。喪服に身を包んだ彼女の美しい顔が、今では十歳も老けたように見えた。
プリシアの隣には、セウスが立っていた。まだ七歳でしかないセウス。そのセウスの頭には、その身体には不釣り合いな大きな冠が載っていた。
「・・・・・・・・・・祈りましょう、彼らのために」
そう言い、目を閉じた王妃の目からは涙があふれ出す。
セウスはそれを眺めながら、力強く拳を握り、天に召した父に誓う。
(父上、僕は、いえ私はこの国を守ってみせます。もう、誰も悲しむことのない国を)
同日、七歳にしてトローア王となったセウス。それまでは、やんちゃであった彼もそのなりを潜め、物静かな少年へと変わっていった。
心労から倒れた母に代わり、王国の政治にまで関わるようになった。
大臣たちは、いくらセウスが年齢の割に聡明とはいっても、それは無理だろう、と思った。だが、彼らの予想を裏切り、セウス王は国政を行っていったのだ。
夜のバルコニーにて。
「セウス」
「バルドバラスか、セリーヌは?」
父の死後、ふさぎ込んでいたセリーヌ。彼女のことをバルドバラスに任せていたセウスは様子を聞く。バルドバラスは物憂げな顔をした。
「まだ、ショックらしい。それは、俺らもだけど」
世話になったセオドア王、そして兄のように慕っていたプレアデスや騎士たちの死に、バルドバラスも悲しみを受けていた。だが、バルドバラスの感じる哀しみなどよりも、もっと重いものをセウスは感じている。
なのに、それを表情にも出さないでいる。母親の看病や、セリーヌ、それに父たちの死を泣く暇すら、彼には与えられないのだ。
「セウス、お前、無理はするな」
「無理なんか、してないよ」
そう言ったセウスの寂しげな表情を見たバルドバラスは「しているさ」と言う。何年、親友をやっていると思っているのだろうか、とバルドバラスはため息をつく。
「セウス、お前は独りじゃない。俺たちは、親友だろう?」
そう言い、バルドバラスは親友の肩に手を置いた。
「お前が王としてトローアのために戦うなら、俺は騎士としてそんなお前を支える」
「バルドバラス、君は・・・・・・・・・・・・・・」
「堅いこと言うなよ、セウス。俺の決意は変えられないさ」
バルドバラスには責任も何もない。だが、親友の支えになれるならば、喜んで責任も何もかも受け入れよう。たとえ、セウスに必要とされずとも、バルドバラスはセウスの支えになろう。
それが、親友と言うものだ。
騎士が剣を掲げるような動作をして、セウス王の前に膝をつくバルドバラス。剣を差しだす仕草をして、バルドバラスは言う。
「我が剣も、わが命も、我らの王に捧げる。忠誠と愛を捧げよう」
首を垂れる親友。その手を握り、セウスは言う。
「我が騎士よ、ともに戦おう。平和な国を、誰もが笑うことのできる国を作るために」
そして、親友を立たせるとその身体を抱きしめた。
「ありがとう、バルドバラス」
そう言い、涙を流す親友の背を叩く騎士。
静かに月が二人を照らす。
ここから、彼らの戦いは始まる。わずか七歳の少年たちは、理想郷を誓った。
散っていった数多の英霊たちに。