9話 眼
「ルーク? どうしたの?」
雷華は固まっているルークの顔を覗き込む。普段は細く鋭い彼の眼が、限界まで見開かれていた。
「……《白い神の宿命を持つ者》は見えないものを見る力があるはずだと聞いていたのだが……思い当たることはないのか?」
眼を見開いたまま、ルークがようやく口を動かす。かくかくとした不自然な動きだったが、何と言っているのかは理解出来た。
「え? 見えないものは見えないでしょ。そんなフシギ能力に目覚めた覚えはないけど……」
「いや、お前には力があるはず。でないと色のない神を見つけ出すことは不可能なのだからな」
「そんなこと言われても」
(見えないものが見えるって謎かけか何か? 見えないものが見えるねえ……見える……見える……そういえば、こっちの世界に来てから視力が良くなったわね。眼鏡が必要なくなって楽になったけど……あれ?)
雷華はスポーツバッグの中から眼鏡を取り出した。元の世界にいたとき愛用していた黒縁の眼鏡で、特に変わったところは見当たらないのだが……
「前にかけた時は深く考えなかったけど、おかしいわよね。視力が良くなったのに眼鏡をかけても見え方が変わらないなんて」
度数の合わない眼鏡をかければ、ぼやけて見えるはず。雷華はもう一度眼鏡をかけてみることにした。
「……やっぱり変だわ」
眼鏡を通してもはっきりと見える。部屋の中をぐるりと見回しながら首を捻っていると、扉がノックされた。
「お食事はお済みでしょうか? 食器を下げに参りました」
外から若い男性の声がする。食堂の人が食器を片づけに来たようだ。
「はーい、すぐ開けます」
雷華は眼鏡をしたまま扉を開けて男性を中に入れる。と、雷華は信じられないものを見た。なんと男性の背後に体の透けた人間がいたのだ。しかも二人も。一人は目の前にいる男性のようで、もう一人と喧嘩しているように見える。相手は女性のようだ。
「ひいぃっ!」
思わず小さく悲鳴を上げて雷華は後ずさりする。
「どうした!?」
ルークが足元に駆け寄ってくるが、それに構う余裕もない。
(ゆ、幽霊!? 嘘でしょ! なんで急にこんなものが見えるの!?)
雷華が混乱しながら無意識に手を顔にやると、何かが手に当たった。
(あ、眼鏡)
かけていた眼鏡を外すと、雷華の視界から幽霊が消えた。
「見えない」
(まさか、これが……?)
「ライカ?」
「お客様、どうなさいました? 何か私に問題でもありましたでしょうか」
茫然としている雷華に男性が、おずおずと話しかけてきた。自分が何かやらかしたのかと心配になったらしい。ルークも心配そうに彼女を見上げている。
「え、ああ、ごめんなさい、何でもないです」
男性の声で我に返ると、ぎこちない笑みを浮かべて取り繕った。
(確認するべきか……いや、でも変な人だと思われるよね。うーん、どうしよう)
「そうですか? では、失礼致します」
男性は訝しみながらも食器を手にすると、一礼をして部屋を出て扉を閉めようとする。それを雷華が呼び止めた。
「あの、変なことを聞きますけど……最近女性と喧嘩とかしました?」
「え!?」
突然の雷華の言葉に男性は口を眼を大きく開いて固まった。
「すいません、何でもないです。呼び止めてごめんなさい」
(やっぱりやめとけばよかったわ。絶対頭のおかしい人だと思われた)
雷華は後悔しながら部屋の扉を閉める。すると再び扉がノックされた。
「は、はい」
おそるおそる扉を開けると、男性が真剣な表情をして立っていた。
「あの……確かに昨日付き合っている女性と喧嘩になりました。私が彼女の誕生日を忘れてしまったのが原因なのですが……どうして知っているですか? このことは誰も知らないはずなのですが」
「え、いや、それは……」
まさか背後に争っている二人の姿が見えましたと言うわけにもいかず、雷華は眼を泳がせて必死でどう答えるべきか考える。
「もしかして彼女の知り合いなのですか?」
「違います。私は……私は……そ、そう! 私は占いが趣味なんです。あなたに女難の相が出てたので、もしかしたらと思って聞いてみただけなんですよー」
咄嗟に思いついたことを口にする。
(女難の相って)
言ってしまってから、かなり苦しい言い訳だと後悔したのだが……
「なるほど、そうだったのですか! 占いでそんなことまでわかるなんて、さぞ高名な方なのですね。知らなかったとはいえ、ご無礼をお許し下さい」
「い、いえ、私は」
「後で彼女に花を持って行くつもりなんですよ! では、失礼致します」
男性はすっかり信じ込んでしまい、晴れやかな顔で去って行った。
「ど、どうしよう」
(幽霊が見えますって言うよりはましだったはず……ああ、変なことにならなきゃいいけど)
この時占いが趣味などと言ってしまったことを、雷華は翌日激しく後悔することになるのだった。