57話 手
「それで、これからどこに行くの?」
雷華は辺りをぐるりと見渡した。もうすぐ五時になるかと思われる時間だが、空はまだ明るさを残している。
当然のことながら、王都はこれまで雷華が見てきたどの町よりも大きかった。ルークの話では王都の一番奥、方角で言うと北に位置する場所に城があり、そこから一直線に伸びる大通りと呼ばれる道が、雷華たちが今いる場所なのだそうだ。確かに正面には城らしき建物は見える。だが、そこに着くまでにどれだけ歩かなければならないのか……。それほど王都は広かった。大通りの中央には大きな広場があり、そこから放射線状に道があるようで、その道を歩けば迷うことはないらしい。しかし、一歩道を外れれば、複雑な路地に迷い込むことになりかねないので、くれぐれも気をつけろとルークに釘をさされた。
(私は子供か)
心配性のルークに、嬉しさより呆れの方が勝ってしまったのは雷華だけの秘密だ。
「聖堂に行く。グレアスなら俺たちの事情を知っているからな」
「確か聖師をしてる人だっけ? ルークとクレイの幼なじみの」
「……ああ」
頷くルークの声はどんより暗い。本当は行きたくないという感情がだだ漏れている。
(やっとグレアスさんに会える。会ったらちゃんとお礼言わないとね。ルークの話だと一癖も二癖もありそうな人なんだけど……本当にそうなのかしら)
「グレアス? 5年前、若干21歳という若さで聖師に任命されたという、あの?」
(あの?)
「え、聖師ってなかなかなれない職業なの?」
何となくではあるが神父と学校の先生の間みたいな職業だと思っていた雷華は、ロウジュの言い方に首をかしげた。
「そうだな、かなり博識でないと難しいだろうな。それと、これが一番の問題なのだが、聖師になるためにはこの国の民が認める“何か”を成さなければならないのだ。この国に大きく貢献する“何か”をな。グレアスの場合は文のやり取りを国に広めた」
ルークが顎に手をやりながら聖師について教えてくれる。
すぐ近くからは客引きの大きな声が複数聞こえてきたりして少々耳障りに感じた。道を訊ねている人も少なくないようだ。
「どういうこと?」
周囲の音に負けじと少し大きな声を出す。
「民が他の街や村の知人などに文を出したいとき、これまでは旅人や行商人に頼むしか方法がなかったのだが、グレアスはそれを商売として確立させた。文使と呼ばれる、文を届けることを生業とした人間を全ての街に置いたことで、誰でも簡単に文を出せるようになったのだ」
さして大きな声を出していないようなのに、ルークの少し低い声は問題なく雷華の耳に届いた。
「なるほどね」
(郵便、というよりは飛脚みたいなものか)
どうやら聖師になるためには、かなり画期的なものを発明、もしくは開発しなくてはならないようだ。自分には無理だなと思いながら、雷華は小さく頷いた。
「この国の人間なら誰でも知っている話だぞ。何故、ライカは知らないんだ?」
(どきぃっ!)
ロウジュの鋭い突っ込みに雷華の心臓は大きく跳びはねる。
「そ、それは……違う国(世界)にいたから?」
「語尾が疑問形になっているぞ」
「うっ! ま、まあ、いいじゃないの。細かいことは気にしない気にしない。そんなことより、早くグレアスさんのいる聖堂に行こうよ」
雷華はロウジュの後ろに回ると、彼の背中を押した。彼の疑念を逸らしたいというのはもちろんだが、先ほどから大通りを歩く人にちらちら向けられる視線が気になって仕方ないのだ。
(みんなロウジュの顔に見惚れているんでしょうけど)
実際は雷華とロウジュの両方なのだが、自分の顔が他人の眼を引くとはこれっぽっちも思っていない彼女は、全ての人がロウジュを見ているのだと信じて疑わなかった。ルークとロウジュはもちろん雷華が見られていることに気づいていたので、さりげなく睨みをきかせていたりしたのだが。
「わかったから、背中を押すのはよせ。ほら、手を貸してみろ」
「うん?」
ロウジュが雷華の右手をぎゅっと握った。と、思ったら今度は左手をルークに引っ張られる。
「どこに行く気だ。聖堂には馬車で行くのだ。お前は馬車の後を付いてこい」
「…………」
ルークは雷華の手を握ったまま少しだけ北に進んでいた大通りを逆に戻り始めた。どうやら馬車は入ってきた門のすぐ近くから出てるらしい。雷華は、じゃあなんで歩いたんだ? と突っ込みそうになったが、そっと胸にしまったおくことにした。先頭切って歩いていたのは自分だったことを思い出したからだ。
(戻るのは別にいいんだけど。いい歳した大人三人が手をつないでるというのは、少々問題があるような。離してと一言言えばいいんだろうけど、何気に言いづらい雰囲気だし……どうしたもんかな)
結局馬車に乗り込むまで三人は手を繋いだままだった。ロウジュの細くて少し冷たい手と、ルークの太くて少し温かい手。どちらからも優しさが伝わってくる気がして、雷華は馬車を待っている間ずっと俯いていなければならなかった。赤く染まった顔を己の髪で隠すために――――
(だから、私は子供じゃないって)




