54話 白
光が消えたのを感じ、閉じていた眼をそっと開けた。何度か瞬きを繰り返してから状況を確認する。
「二人とも大丈夫?」
一人と一匹も眼を開けて何が起きたのかを知ろうと、辺りをきょろきょろ見回していた。雷華はルークが人間の姿に戻っていないことに、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
(さすがに三回も蹴るわけには……ねえ)
今回は何も変化が起きなかったらしい。そう思ってルークとロウジュに目線を向けると、何故か彼らは雷華を凝視していた。
「どうかした?」
「ライカ……」
「その、髪……」
「髪?」
二人が驚いているのはどうやら雷華の髪らしい。自分では何も変わったところはないと思うのだが。雷華は背中に流している髪を一房掴むと目の前に持ってきた。
「何をそんなに……っ」
髪を見てぎょっとした。眼を限界まで見開き呼吸が止まる。ありえない、髪が光っている。
「はああぁぁぁぁっ!?」
淡く光る銀の髪を握りしめて、雷華は音が反響する洞穴の中で絶叫した。
薄暗い洞穴の中で見えるその月光のような白い輝きは神々しくすらある。しかし、髪を掴んでおろおろする雷華の姿は、神々しいとは程遠いものだった。
「落ちつけライカ、他におかしなところはないか?」
ルークがぽんと雷華の足に自分の前足を置いた。と、その時、
――あの男、いつまでついてくるつもりだ。早く人間に戻りたい。人間に戻ってライカを自分のものにしたい。彼女を……
「な、なな、何を、わわっ!?」
ルークの声が頭に響いてきて、流れこんできて雷華は思わず後ずさった。が、小さな石ころに足を取られバランスを崩してしまう。
「大丈夫か?」
倒れそうになる雷華を助けたのはロウジュだ。彼が素早く腕を引いてくれたおかげで、地面に激突せずにすんだ……のだが、今度はロウジュの声が頭の中に響いてくる。
――邪魔な犬だ。抱きたい、ライカを抱きたい。俺なしではいられない……
「わーーーーっ!!」
雷華はロウジュの腕を振り払って大きく後ろに跳んだ。洞穴の壁にぴたりと張り付き、一人と一匹から距離をとる。ゆでダコもびっくりの赤色に上気した顔からは、しゅーしゅーと湯気が出ていた。
(い、今のって、もしかして二人の心の声!?)
「どうしたのだ、顔を赤くして」
「何かあったのか?」
雷華に心の声を聞かれたとは夢にも思わないルークとロウジュは、首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべている。きょとんとする元暗殺者と黒犬に、雷華はぷるぷると拳をふるわせた。
「あ、あ……」
「あ?」
「あんた達、何恥ずかしいこと考えてんのよおおおおおっっ!」
涙目になりながらロウジュの鳩尾に蹴りを入れ、ルークを掴み上げて力いっぱい投げる。雷華の行動を全く予測できなかった彼らは、もろに彼女の攻撃をくらった。
「な、何を……」
「一発ですんでありがたいと思いなさい! こっちはあんた達の感情を読んじゃって死ぬほど恥ずかしいんだから!」
肩を大きく上下させて息をしながら一人と一匹にそう叫ぶ。平常心を取り戻そうと深呼吸を何度も繰り返した。
「感情を」
「読んだ?」
「…………」
「…………」
雷華の言葉にルークとロウジュは顔を見合わせ……そして逸らした。何故彼女の顔が赤くなったのかを理解したらしい。
「まったく! 欲望がだだ漏れてるわよ……あれ? 元の髪に戻ってる?」
顔にかかった髪に眼を向ければ、いつの間にか輝きは失われていた。外から流れこんでくる風に銀の髪がなびく。本当は黒髪に戻ってほしいのだが、それは無理な話なのだろう。
「とりあえず不思議人間じゃなくなっただけでもよしとするか。さて、そこのお二人さん。もうここに用はないし、早く山を下りるわよ。急がないと野宿することになるんだから」
雷華は気まずそうにしている一人と一匹に声をかけると、彼らが動き出す前に一人で洞穴の外に出た。すぐに容赦ない太陽の光が降りそそいでくる。その眩しさに眼を細めながらも、雷華は岩の上から落ちるぎりぎり手前のところまで歩いていった。登ってきたときは余裕がなくて気付かなかったが、今いる場所は見晴らしがとてもよかった。ゾールの村が遠くに見える。鳥が群れをなして気持ち良さそうに飛んでいる。もしかするとあれは妖雷鳥かもしれない。時折吹く強い風で舞いあがる髪を手で押さえながら、雷華はこの自然溢れる豊かな世界を眺め続けた。
彼らの想いを嬉しいと思う気持ちは彼女の中に確かに存在した。だが、それを認めることは今の彼女には出来なかった。想いを受け入れないことが、お互いにとっての幸せだと、雷華は信じていた。いや、信じ込もうとしていた。
『なあ雷華、俺たちもう終わりにしよう。お前は結局――』
夢で聞いた声が脳裏に響く。
あのとき言われた最後の言葉は何だったのか。
思い出そうとしたが、上手くいかなかった。




