51話 朝
『おい、紫悠! 一人で突っ走るな! 俺たちはチームだろ』
『お前が優秀なのは分かっている。だが、全部を背負い込む必要はないんだぞ』
『なあ雷華、俺たちもう終わりにしよう。お前は結局――――』
窓から朝日が差し込んでいる。鶏が朝を告げる声が遠くの方から聞こえてくる。雷華はぼんやりと夢から覚めた。
「う……ん……朝、か」
(久しぶりに夢、見たな……上手く思い出せないけど、誰かに何か言われていたような……?)
もぞもぞとベットから起き上がると、眼をこすり大きな欠伸をしながら外にある水場に向かう。井戸から水を汲んで顔を洗えば、少し意識がはっきりしてきた。昨日は少し飲み過ぎたかも……ああ、今日もいい天気だなぁ。手のひらを太陽にかざして背伸びをしていると、ロウジュが姿を現した。袖のない黒いシャツに黒いズボン。ズボンの裾には少しスリットが入っていて紫色の紐で編まれている。外套を纏っている姿しか見たことがなかったので、なかなか新鮮だなと雷華は上から下までじっくり彼を観察した。
「おはよう、ロウジュ。よく眠れた?」
「ああ……」
声に生気が感じられない。半分夢の中といった感じだ。
「暗いわねー。ほら顔洗ってしゃきっとしなさい」
「ああ……」
雷華に言われるがままロウジュは井戸から水を汲み顔を……洗うことはせずに勢いよく頭から被った。ぽたぽたと大量の雫が彼の髪から滴り落ちる。漆黒の髪をかき上げれば普段は隠れがちな彼の紫水晶の瞳がきらりと輝いた。
「何やってんのよ。ほら、これで拭いて」
呆れながら持っていた布をロウジュに渡す。だが、彼は受け取らずに無言で頭を近づけてきた。どうやら拭けということらしい。
「寝ぼけてるの? ……仕方ないわね」
手間のかかる元暗殺者さんだこと。雷華は苦笑しながらロウジュの頭に布を被せた。濡れた髪を拭いてやりながら観察を続ける。
わしわしわし
(おおっ、さらさらー。顔だけじゃくて髪も綺麗なんて、女としてほんと複雑だわ)
わしわしわし
(細身だけど筋肉はしっかりついてる。理想的な体型よね)
わしわし……がぶり
(問題は性格がちょっと……ってあれ……?)
「うわっ、ちょっ、ちょっとルーク、何やってるのよ!?」
何か変な音がしたようなと目線を上げれば、そこにはロウジュの後頭部(布越し)に噛みついている黒犬の姿があった。雷華は慌てて彼を引き剥がす。一体どんな跳躍をすれば成人男性の頭に噛みつけるのだろうか。ルークを地面に下ろすと雷華は深い溜息をついた。
「それでライカさんたちはどうしてこの村へ来なすったのじゃ?」
ゴーシェの妻ネイが用意してくれた朝食を食べ終わると、雷華はここに来た目的を尋ねられた。まあ、ゴーシェが疑問に思うのも無理はない。見たところこの村に特別な要素があるとは思えなかったし、雷華たちが行商人ではないことは一目瞭然で。わざわざこんな辺境の村に来る旅人など滅多にいないのだろう。なにせ乗合馬車もないのだ。
「私たちはこのゾール村の後ろにあるウィブゾール山脈に用があるんです」
「そうですか、ウィブゾール山脈に。御山には我々でも、年に数えるほどしか入ることがありませんですじゃ」
「おやま?」
雷華の足元で伏せているルークの耳がぴくりと動いた。雷華同様初めて聞く言葉のようだ。ちなみにロウジュはこの場にはいない。朝食を食べ終わってすぐに、馬を見てくると言って外に行ってしまった。
「この村では山脈のことをそう呼んでおりますじゃ。連なった三つの山を北から順に、北御山、中御山、南御山。御山に人の手を加えてはならない。御山を荒らしてはならない。御山の恵みを疎かにしてはならない。村の者は親からそう教えられて育つのです」
そこまで言うとゴーシェは、食卓の上に置いてあったお茶をずずっと飲んだ。雷華も一口飲む。ミントのような味のする爽やかなお茶だった。
「じゃあ、山の中がどうなっているのか誰も知らないということですか?」
「決められた時期にこの村の後ろにある中御山に入って、木の実や山菜を採るくらいですじゃ」
「そうですか……」
《色のない神》を捜す手掛かりを得られないかと期待したのだが……雷華はがっくりと項垂れた。
広大すぎる山脈を捜しまわるとなると、一体何日かかるのか見当もつかない。どうしたものかと頭を抱え込んでいると、ゴーシェが雷華の心に希望の灯をともしてくれた。
「そういえば、前の村長だった父から聞いたのですが、何でも中御山の中腹には石碑が建っていて、道を求める者の訪れを待っているのだとか。道を求める者が御山に入ると不思議な力で石碑まで導かれるらしいのです」
「それは本当ですか!?」
「さ、さあ何せ確かめる術がございませんからな」
身を乗り出して詰め寄る雷華の迫力にゴーシェは驚き、椅子からずり落ちそうになっていた。
(不思議な力で石碑まで……どうやら山を彷徨わなくてもよさそうね)
雷華は足元にいるルークに顔を向けると小さく頷いた。




