5話 驚
その後もいくつかルークから説明を受けた雷華だったが、途中から睡魔の誘惑に負けてしまい、いつの間にか眠ってしまった。
「ん……ここ、どこ? …………ああ、そうだった……」
(異世界に来たんだっけ)
眼が覚めた雷華は見慣れぬ部屋に一瞬戸惑ったが、次第に状況を思い出してきた。
「今何時なんだろ? 窓がないから夜か朝かもわかんないし……あ、それより!」
雷華は勢いよくベッドから起き上がると、スポーツバッグの中を漁りだした。バッグの中には携帯なども入っていたが、それには見向きもせず、あるモノを探し続ける。そしてようやくそれを見つけると安堵のため息をこぼした。
「よかったあ、これがないとまともに生活が出来ないところだったわ。……ああ、眼がごろごろする。早く外さないと」
「ライカ、起きたのか」
「あ、えっと……そう、ルーク! お、おはよう!」
とてとてと近づいてきた黒犬を、一瞬誰だか思い出せなかった雷華は、挨拶をしてごまかすことにした。
「……俺の名前忘れていただろう。それに、まだ朝ではない」
「え? そ、そんなことないわよ! そうなんだ、じゃあ今は夜なのね。起しちゃってごめんなさい」
ずばりと言い当てられた雷華は、明後日の方向を向いて早口で答える。
「……まあ、いい。腹が空いたのか?」
「お腹? 言われてみれば空いてるかな。でもそれより、水が欲しいかも」
「それならそこの水差しに入っている。グラスもあるだろう」
ルークは短い前足で入口の脇にある机を指した。入ってきたときには気にも留めなかったが、確かに大きいデカンタのような形をした容器に水が入っていた。傍には金属製のグラスと、洗面器のようなものも置いてある。雷華はグラスに水を注ぎ、一気に飲み干した。
「っくうぅぅっ、美味い!」
雷華の言い方は完全におっさんのそれだったが、残念ながらそのことをつっこんでくれる人物がこの場所にはおらず、あっさり「よかったな」とルークから言われただけだった。
「ルークも飲む? よく考えたらあなた、砂漠にいたときから何も飲んでないんじゃない?」
雷華はグラスに再び水を注ぐと、床に置いた。
「そういえばそうだったな、あまり気にしていなかったが」
「気にしなさい、脱水症状になるから。ほら早く飲みなって」
グラスをぐいとルークの鼻先に突きつける。ルークは少しためらった後、ぺろぺろと水を飲みだした。
「……感謝する」
「ううん、気付かなくてごめんね」
黒犬の姿では自由に水も飲めないということに思い至った雷華は、もっと早く気付いてあげればよかったと後悔した。
「ねえ、この器って何に使うの?」
洗面器のようなものを指差しながら、水を飲み終わったルークに尋ねる。
「それは手や顔を洗うのに使う」
「やっぱりそうなんだ」
さっそく雷華は器に水を入れて顔と手を洗った。それから彼女は、おもむろに親指と人差し指を眼の中に入れると――
「何をしている!?」
「うわっ! ちょっと、驚かさないでよ! 危うく眼に指を突っ込みかけたじゃない」
びくぅっ、と心臓が飛び跳ねた雷華は、ルークを睨んだ。
「だが、自ら眼の中に指を入れようとしてたではないか」
「は? ああ、そっか、そうよね。この世界にはないわよね。見せてあげるから今度は静かにしててよ?」
雷華はそう言って両眼から彼女の世界では珍しくも何ともないものを取り出すと、掌にのせてルークの顔に近づける。
「何だこれは? 薄い膜のようだが」
「これはコンタクトレンズと言って視力をよくするためのものよ。私の世界では眼の悪い人は大抵このコンタクトか、眼鏡を使用しているの……ほら、これが眼鏡よ」
そう、雷華が先ほどスポーツバッグの中から取り出した、あるモノとは眼鏡ケースだった。道場で身体を動かすとき眼鏡では邪魔になるので、使い捨てコンタクトを使っていたが、普段雷華は眼鏡をかけている。ケースから眼鏡を取り出してかけて見せた。
「それでよく見えるようになるのか? ライカの世界には優れた物があるのだな」
ルークは感心しながら、コンタクトと眼鏡を交互に見つめている。
「そうなんだけど……おかしいな。眼鏡をかけても変わらない……というより眼鏡なしでもよく見える。何で? これも《白い神の宿命を持つ者》とかの影響なの?」
不思議なことに眼鏡なしでもはっきりと遠くまで見渡せる。雷華は眼鏡をかけたり外したりしながら見え方を比べていたが、同じだという結論に至り、眼鏡をスポーツバッグの中にしまった。
「はあ、どうなっちゃったんだろ、私の身体……」
「ライカ?」
がっくりと床にしゃがみこんで項垂れた雷華を心配したのか、ルークが前足をぽふっと彼女の足の上にのせた。
「ルーク……ありがと。そういえば、お腹空いてたんだった。ご飯ってどうしたらいいの?」
ルークの頭を一度撫でてから立ち上がる。
(落ち込んでてもしょうがない。事実を受け入れて前に進むしかないわよね)
雷華はかなりの前向き思考の持ち主だった。
「あ、ああ、今ならまだ一階の食堂に行けば食べられるはずだ。だが……」
「だが?」
「俺の血を飲まなければ、言葉を理解できないぞ」
「……ああっ、そうだった!」