41話 再
「なんで……なんで、あんたがここにいるのよーっ!?」
宿の一室で放った雷華の心からの叫びが、村中に響きわたった。
雷華とルークはゾール村の手前にある小さな村に辿り着いた。手前と言ってもかなり離れているらしく、こことゾール村を結ぶ乗合馬車はないのだそうだ。徒歩以外で行く手段といえば、時折来る行商の馬車に乗せてもらうほかは自分で馬を調達するしかないと、ここまで乗せて来てくれた御者が教えてくれた。
いつ来るかもわからない行商を待っていられるはずもなく、かといって馬を買うあてもお金もない、それ以前に一人では馬に乗ることもできない雷華は、さてどうしたものかと頭を抱えた。
とは言え、いつまでも外につっ立ているわけにもいかず、とりあえず今日は寝ようと村に一軒しかない宿で部屋を取ったのだが……そこで、出来ればもう会いたくないと思っていた人物と再会することになってしまった。
部屋の扉が叩かれたとき、宿の人だと思い込んで確認もせずに開けてしまった自分を呪いたい気持ちになった。
「何故とは愚問だな。また会いに来ると言っただろう」
雷華の声に一瞬驚いたようだが、招かれざる訪問者……ロウジュはさも当然だと言わんばかりの口調で返してきた。
(確かに言ってた。言ってたけど、行き先も教えてないのに本当に来るとは思わないわよ。何で居場所が分かったのかしら)
「ライカ、こいつは誰だ」
扉を開けた瞬間叫んだ後、がっくりと肩を落として固まってしまった雷華を心配したのか、ルークが足元に寄ってきた。
「誰って……」
クレイの館で会ったでしょ、と言いかけて雷華は口を閉ざした。どうやらルークはロウジュの顔を見ていなかったらしい。暗かったし距離があったので当然と言えば当然かもしれない。そして、ウォルデイナでは爆睡していた。あのときルークが起きていれば……と思わないでもないが、今更過ぎたことを言っても仕方あるまい。それよりも今は、ルークにロウジュをどう紹介すべきか、だ。自分を殺しに来た人ですと言ってしまってもいいものなのか。
迷いながらも口を開きかけた雷華は、声を出す寸前で思いとどまった。危うくロウジュの前でルークに向かって話し始めるところだった。
「いつまで放心している。中に入れろ、話がある」
口を開けたり閉じたりしている雷華に、ロウジュが感情の籠っていない声で話しかける。ルークの事は気にも留めていないようだ。そのことにほっと胸を撫で下ろす。
「ちょ、ちょっとそこで待ってて」
ロウジュを廊下に立たせたまま扉を閉めると、雷華はさっとその場に屈みルークにしか聞こえない声で囁いた。
「ルーク、彼のことは後で説明するから、とりあえず今は大人しくしてて」
「ライカ、誰なんだあいつは?」
「だから後で説明するって。お願いだから静かにしててね」
早口にそれだけ言うと、すくっと立ち上り扉を開けた。足元ではルークが不満げに雷華を見上げている。
「ごめん、お待たせ。入っていいわよ。ただし、変なことしたらすぐに追い出すからね」
「変なこと? 俺は変だと思うようなことした覚えは一度もないぞ」
(むきぃぃっ! この天然変態野郎め!)
後ろから殴りたい衝動をどうにか抑えながら、雷華は後ろ手に部屋の扉を閉めた。ロウジュに椅子を勧め、自分はベッドに腰掛ける。ルークも無言でベッドの上に飛び乗ってきた。
「なんだ? その黒犬は?」
ここにきてようやくルークのことが視界に入ったらしい。ロウジュが物珍しそうに訊いてくる。
「彼はルーク。一緒に旅してる……相棒よ」
何と答えるべきか一瞬言葉に詰まったが、結局本当の事を口にした。
「相棒? ただの犬だろう」
「失礼ね。とっても頼りになるんだから」
言いながらルークの頭をわしわし撫でる。ルークはまんざらでもない表情をしていて、撫でられることに文句を言わなかった。撫でられている間もロウジュを威嚇し続けてはいたが。
「ふん、やはりお前は変わっている」
ロウジュの方がよほど変わっている。雷華はそう言いたかったが口には出さなかった。言うだけ無駄のような気がしたからだ。彼は自身を変わっているなどとは微塵も思っていないに違いない。
「ほっといてちょうだい……それで、何か用があって来たんじゃないの?」
軽く睨みながらロウジュにここに来た理由を訊ねる。特に用はないなどと答えれば、容赦なく蹴りを入れて追い返そうと思った。
「ああ、そうだったな。ライカ、ゾールに行くのであれば連れて行ってやるぞ」
「なっ! なんで知ってるの!?」
目的地をずばりと言い当てられ、雷華は動揺のあまりベッドから立ち上り、ロウジュに詰め寄った。
「こんな何もない村に用があるとは思えないからな。ここから行く場所と言えばゾールくらいしかない。簡単な推理だ。もっとも、あんな田舎に何の用があるのかまでは知らないが……」
「うーん、なるほどね」
一応納得のできる説明に、雷華はベッドにぼふっと座り直す。だが、まだ肝心の部分が不明だった。
「でも、どういう風の吹き回し? 伯爵が捕まって自由になったとはいえ、私を手助けする理由はないと思うけど」
「理由ならある」
「何よ」
嫌な予感しかしない。頭のどこかで警鐘が鳴っているのだが、聞かない訳にもいかず、雷華は答えを促した。
「お前に惚れている」
「なっ!」
「はあっ!?」
ロウジュの言葉に雷華は絶句し、ルークは猫のように全身の毛を逆立てた。
(ああ、もう! なんでそういうことさらっと言えるかなあ!)
「何を驚いている。この間もそう言った――」
「わーー! わかった! ロウジュの気持ちは十分わかったから!」
雷華は大声を上げてロウジュの言葉を遮った。これ以上彼に発言されたら、ルークが何をしでかすかわからない。殺気立って今にも飛びかかりそうなルークを上から押さえつけて、ベッドに沈める。くぐもった唸り声が聞こえてくるが、もちろん聞こえない振りだ。
「何故犬を押さえつけている?」
「き、気にしないで。それより、申し訳ないけど貴方の気持ちを受け入れることはできない。それでも、手助けしてくれるの?」
「構わない。惚れているのは俺の勝手、ライカがどう思おうと関係ない」
「そう……じゃあ、ありがたく厚意に甘えることにするわ」
「では、明日の朝三の鐘が鳴るころ、村の入口で待っている」
そう言いながらロウジュは椅子から立ち上り、部屋から出て行こうと扉に手をかけた。
「ロウジュ」
ベッドに座ったまま、雷華が呼び止める。
「何だ?」
「えと……お休みなさい」
礼を言おうとしたのだが、口から出てきたのは違う言葉だった。
「……ああ、お休み」
雷華の言葉に驚いたようではあったが、少しの沈黙の後ロウジュは小さな声で応えてくれた。ほんの少しだけ微笑みながら。
(ロウジュって笑うと綺麗なのよね。もっと表情豊かになればいいのに)
ロウジュが去って行ったあと、扉を見つめながらそんなことをぼんやりと思っていると、すぐ傍で地の底から這いずり出てきたような声が聞こえてきた。




