4話 血
「す、すまなかった……」
黒犬の姿に戻ったルークは、生まれたての仔馬のようによたよたと立ち上りながら、雷華に謝る。
「全く! 初対面の女性に裸を見せるんじゃない! 次やったら本当に犬ごはんにするからね」
「わ、わかった」
ピンと立っていた三角の耳はへにょっと曲がってしまっている。
「……じゃあもうこの話はおしまい」
(調子狂うなあ……迂闊にも可愛いって思ってしまった! くそぅ、犬の姿ってなんて卑怯なんだ!)
人間相手なら容赦しないのに……雷華の心境は複雑だ。
「感謝する。……先ほどの続きを話してもよいか?」
ルークが黒い瞳を雷華に向けて聞いてきた。その可愛い仕草に、先ほどの全裸の男の姿が重なって見える。よく見なかったがかなり男前だったような、と思い出しかけて慌てて思考を霧散させた。
「……ええ、お願い」
(さっき起こったことは忘れよう……うん、そうしよう)
今は何よりも自分の置かれた状況を把握することが重要なのだ。雷華はふうっ、と短く息を吐き出して気持ちを入れ替えると、再びベッドに腰を下ろした。
「わかった。俺が突然犬になったのは、伝承にある色のない神が姿を現したからだ。色のない神は数百年に一度現れると言われている。色のない神が現れると、《黒い神の宿命を持つ者》は人間以外の姿になってしまい、言葉も話せなくなってしまう。人間に戻る方法は一つ。《白い神の宿命を持つ者》を喚び、共に世界を旅して色のない神を見つけ出すしかない……らしい。らしいというのはこの現象について書かれている文献が少ないせいで、部分的にしかわからないからだ」
話し始めると、ルークの耳は再び三角の形に戻った。
「それで私が喚ばれたってこと。でもどうやって? そんな簡単に出来るものなの?」
「いや、おそらく俺以外には不可能だろう。この姿になった俺は、伝承などに詳しい友人に助けを求めたのだが、そいつが白喚の儀という《白い神の宿命を持つ者》を喚ぶための儀式があるということを古い文献から発見したのだ。《黒い神の宿命を持つ者》なら出来るはずだと言われたので、半信半疑ながら試してみたら……ライカが来た。文献は正しかったということだな」
「なるほどね……なんとなくわかった……ような気はする。ルークを人間に戻せば元の世界に帰れるのよね?」
「……多分」
「そ、そう」
もの凄く不安を感じさせる返答だったが、さらに訊き返しても無駄な気がしたのでやめた。おそらく過去に異なる世界から来た人間がどうなったのか、その文献とやらには載っていなかったのだろう。書いてあれば教えてくれるはずだ。帰りたい気持ちはもちろんあるが仕方ない。帰れるようになるまでこの世界で生きていくほか選択肢はないようだ。
「他に聞きたいことはあるか?」
「ええっと、そうね……どうして急に会話が出来るようになったの? 血を飲んだからとか言ってたけど……」
砂漠で聞いたことを思い出しながら尋ねる。
「ああ。これも奴から聞いていたのだが、《宿命を持つ者》同士で血を飲み交わすと、お互いの世界の言葉が話せるようになるようなのだ。……あの時は突然噛んで悪かった。他に方法が思いつかなくてな」
「別に、いいわよ……もう痛くないし」
すでに血は止まり痛みもひいていた。何日かすればきれいに治るだろう。噛まれたとき、かなり本気でルークを犬ごはんにしようしたことは言わないでおいた。が、はたと重要なことに気がついた。
(あれ……今、飲み交わすって言わなかった?)
「ねえ……もしかして……私もルークの血を飲まなきゃいけなかったり……する??」
雷華は嫌な予感がしながらも、ルークに聞いてみる。
「そうだ。この国の言葉が理解できるようになるにはそれしか方法がないからな」
あっさりとした答えが返ってきた。
「……う、うう」
予感が的中して、雷華は頭を抱え込んだ。
(人間……いや犬? の血を飲むとかどうなの!? そりゃ自分の血を舐めたことくらいはあるけどさ……)
頭をわしゃわしゃとかき回して悩んでいる雷華の眼に、銀色の髪が映りこんだ。それをしばらくぼうっと眺めていた彼女は、はっと自分の姿がおかしくなっていることを思い出した。自分の姿に衝撃を受けた後、色々ありすぎてすっかり忘れていたのだ。
「私の髪と眼の色が変わってるんだけど。……ついでに服も。これも《宿命を持つ者》とかの影響なの?」
血のことはとりあえず置いておくことにして、雷華はルークに問いただした。
「おそらくそうだろう。白い神は銀髪に銀の瞳だったらしいからな。服については俺にもわからん。この世界に来た時に、変わるようになっていたのかもしれんな」
「ああ……そう」
聞いてみたものの、やはり自分の常識から逸脱した答えが返ってきたため、雷華はなげやりに相づちを打った。
(ここが違う世界ってだけで、すでにおとぎ話の世界だもの……髪の色や服が変わったことなんて大したことじゃないわ……ああ、でもなあ)
雷華は銀色になった髪を触りながら、黒髪だったころの自分の姿を思い浮かべた。一度も染めたことがない、腰まである真っ直ぐでさらさらな髪は、彼女の密かな自慢だったのだ。刑事になった後も、邪魔だから切れと上司に何度言われても、断固として切らなかった。それほど大事にしていた黒髪が、銀色に変わってしまうとは……。ちょっぴり眼から液体がこぼれそうになる雷華だった。