39話 酔
「ふーっ、さっぱりした……ってルーク!?」
あれから何事もなくシフルルに着いた雷華とルークは、町の入口で御者にお礼を言って馬車を降りた。御者の方からもさんざんお礼を言われ、その上代金はいらないとまで言ってくれた。少し悪いなと思いつつも、ありがたくその申し出を受け入れることにした。そろそろ懐が寂しくなってきていたからだ。
雷華は手頃な宿に部屋を取ると、夕食を食べてから共同風呂に行き、汚れを落として戻ってきたのだが……
「何で人間の姿になってるの?」
髪を拭きながら部屋の扉を開けると、ルークが黒犬の姿ではなく人間の姿でベッドの縁に腰掛けていた。もちろん服はちゃんと着ているのだが、何故か彼の漆黒の髪が濡れている。
「風呂に入ってきた」
言いながら無造作に髪をかき上げるその仕草に、雷華の心臓がどくんと大きく脈打った。
(いやいやいやいや、なにときめいちゃっているのよ!? 落ち着け、落ち着くのよ。ルークは犬……そう犬なのよ!)
今の姿が本来のルークなのだという事実に蓋をして、彼は犬だと自らに暗示をかけるように何度も心の中で繰り返す。
「ライカ? 何をぶつぶつ言っているのだ?」
心の中の声が口から洩れていたらしい。ルークが怪訝そうにしている。
「な、何でもない! 何でもないから! そ、そんなことより黒犬の姿にならなくて大丈夫なの? 戻れる時間が長くなったとはいえ、疲れるんじゃあ……」
「いや、まだ大丈夫だ」
「そ、そう……」
暗に犬の姿になってほしいと言ったつもりだったのだが、ルークには全く通用しなかった。ウォルデイナで泊まった広い広い部屋ならまだしも、ベッドと椅子と机しかない狭いこの部屋で色気たっぷり(本人自覚なし)のルークと一緒にいるのは心臓に悪すぎる。雷華はしばらく階下の食堂兼酒場にでも避難しようと、くるりと身体を反転させたのだがルークの低い声に呼び止められた。
「何処に行く」
心なしか声にまで色香が含まれているように感じられる。雷華は何故自分がこんなに動揺しているのか、自分でも分からなかった。とにかく彼から離れた方がいいと思った。
「い、いやあちょっとお酒でも飲みに行こうかなと……」
扉の方を向いたまま自然な感じを装って答えたのだが、若干声が上ずってしまった。
「やめておけ。この宿の酒は上質とは程遠いものだ」
「なんでそんなこと知ってるの」
「さっき飲んだ。恐らく水か何かで酒を薄めている」
「あ、そ……」
避難計画もあっさりと阻止され、雷華はがっくりと肩をおとした。仕方がないので部屋に一つしかない粗末な椅子に腰かけ、自分の長い髪を乾かすことにする。布で頭全体を覆い、ルークの姿を視界に入れない作戦だ。
(黒犬の姿は可愛いのに、何で人間の姿はこうも男前なのよ! 勘弁してよ……これからまだしばらくは旅が続くってのに。変に意識しちゃうじゃないのー!)
がしがしと力任せに髪を拭きながらうんうん唸っていると、突然右手をがしっと掴まれた。
「うえっ!?」
「そんなに力を入れると髪が傷むぞ。何を苛立っているのだ?」
「べ、別に苛立ってない……」
すぐ傍にルークがいる。ときめきと動揺と困惑とで混乱した顔を見られたくないと思った雷華は、左手で頭の布を掴んで顔を隠した。
「何故顔を隠す」
「いいでしょ、別に。それより手、放してくれない?」
心臓がうるさいくらいに音をたてている。そのことを気付かれまいと、素っ気なく言葉を発したのだが、返ってきたのは否だった。
「断る」
「なっ……ちょっ!?」
否の返事に思わず立ち上った雷華だが、ルークの方を向く前に彼に腕を引っ張られ、抵抗する間もなくベッドの上に押し倒される。
「……これは何の冗談かしら?」
自分の上に乗っているルークを睨む。ベッドの上で男女が密着しているというのに、甘い雰囲気の欠片もない。動揺しっぱなしだった雷華も、さすがにルークの様子がおかしいことに気づき、冷静さを取り戻した。
「ライカ……どうしてチョーカーを外さないのだ」
ルークがチョーカーを指でそっと撫でる。雷華の身体にぞわっと電流のようなものが走り抜けた。
「き、気に入っているからよ。ルークだって外してないじゃない」
声が裏返りそうになるのを何とか堪える。少しでも気を緩めれば変な声が出そうだった。
「当然だ。ライカに貰った命よりも大事な首飾りなのだからな。死んでも外さん」
「そ、そこまで大事にしなくても……どっちかっていうと安物だし……」
「俺が人間に戻ったらお前に指輪を贈る」
突然ルークが爆弾を投下した。訳が分からず、雷華は頭の中が真っ白になった。いきなり何を言い出すのだ、この黒犬は。
「な、何を突然……」
「俺はお前のことが好きなのだ……愛してる、ライ……カ……」
「ええっ!? ちょっとルーク! ……ってあれ?」
ルークの顔が近づいてきて、慌てて逃れようとしたのだが、その前に彼は雷華の胸のところに頭をぶつけ、そのまま動かなくなった。間もなく、すーすーと寝息が聞こえてくる。
「寝てる……」
(そういえばお酒飲んだとか言ってたっけ。つまり酔ってたと……ふうぅ、焦ったーー)
昼間野盗と戦ったときよりも疲れたと、雷華は深い溜息をついた。そして、気持ち良さそうに寝ているルークをベッドの隅に追いやり、自分は反対の隅で丸くなる。狭いベッドなので、ぎりぎり触れない程度しか距離をおけなかった。
(愛してるなんて言うから、ちょっとどきっとしたじゃない……次言ったら犬ごはんにしてやるんだから! まったく、人間の姿になってもお酒弱いんじゃない。私のどきどきを返せー!)
ルークの行動に動揺し過ぎた雷華はなかなか眠りにつくことが出来なかった。




