37話 賊
「な、何だお前た――うわあっ!!」
御者の叫び声とともに馬車が急停止する。
翌日の昼前、馬車の揺れを感じながらうとうとしていた雷華は、反応が遅れて座席から放り出されそうになった。
「わわっ! っと、危ない危ない。危うく床に激突するところだった。ルーク、大丈夫?」
向かいの座席の下に転がっていったルークに声をかけると、彼はよろよろとふらつきながら立ち上がった。
「あ、頭を打った」
「それはそれは、ご愁傷様です。どうしたんだろう? すいませーん! 何かあったんですかー?」
痛そうに顔をしかめているルークを、気の毒そうに見てから外の御者に声をかける。返ってきた答えは、雷華の全く予想しないものだった。
「あの、お客さん……大変言いにくいのですが……野盗に遭遇してしまったようです」
「……は?」
聞き慣れない言葉に思わず間の抜けた返事をしてしまった。ヤトウって何だっけ? 食べ物や飲み物を甘くする調味料? いやいやそれは砂糖だし。などと一人ボケ突っ込みを頭の中でしていると、
「おい、お前ら! 怪我したくなかったら金を出しな!」
「ひ、ひいいぃぃっ!」
少し離れたところからガラガラ声の男の叫ぶ声が聞こえた。野盗らしいというべきなのか、何のひねりもない脅し文句だ。まあ、野盗にひねりが必要とも思えないが。
雷華は先ほどの急停止で床に転がってしまった木刀を拾い上げる。外を見ていないので確証はないが、気配から察するに恐らく野盗は四、五人。一人で相手をするには厳しい人数だが、やるしかない。
「ライカ、何をするつもりだ?」
木刀を軽く振って感触を確かめる彼女を、ルークが下から見上げる。その表情は嫌な予感しかしないという感じで、苦虫を複数匹噛み潰しているようだ。
「どうするって、戦うに決まってるでしょ」
「何を考えてるんだ! 相手は賊なんだぞ!」
平然と答える雷華にルークの方が焦る。
「わかってるわよ。でも、戦えるの私しかいないじゃない。犯罪者に従うなんて嫌だし、第一素直にお金を渡したところで、大人しく去ってくれるとも限らないでしょ」
「それはそうだが……俺も人間の姿になって」
「それは無理。御者のおじさんに説明できないでしょ。ルークは犬のままおじさんを守ってくれればいいから」
ルークの提案を遮って御者の護衛をルークに頼むと、雷華は外套のフードを目深に被って馬車をおりた。中から呼び止める声が聞こえてくるが、気にしない。木刀は外套で隠している。もちろん相手を油断させるためだ。外では、じりじりと野盗が馬車との距離を縮めていた。数は五人。皆、手には剣を持っている。
「ようやく出てきたか。なんだ、客は一人だけかよ、ついてねえな。まあいい、有り金全部置いてきな!」
「…………」
「お、お客さん……」
野党の頭と思しき、絵に描いたような悪人面の男――頭に限らず全員が似たような悪人顔だった――が、にたにたと下卑た笑を浮かべながら雷華に剣を突きつける。だが、彼女は何も答えなかった。御者がおろおろと、野党と雷華を交互に視線を向ける。予想はしていたが、やはり彼にこの事態を処理する能力はないようだ。
「なんだ? 怯えて声も出せねえのか。安心しろ、命までは取らねえからよ」
無言を怯えていると解釈した頭は、そう言って安心させるためか剣先を地面におろした。そこに手下が横やりを入れる。
「そんなこと言って、こないだ殺っちゃってたじゃないですか」
「あんときゃ、相手が騎士に捕らえてもらうとか何とか、がたがた吐かしやがったからだろうが。大人しく金さえ出しゃよかったんだよ。あの男は自分から死んだようなもんだぜ」
「お頭は歯向かう奴に容赦ないっすからねえ」
「ふん、当然だ。お前も命が惜しければ抵抗しようなんて考えるなよ」
「…………」
最後の言葉は当然雷華に向けられたものだったが、やはり彼女は何も返さなかった。無言のまま頭に近づくと、彼との距離があと三歩というところで足を止める。
「金を渡してくれるのかい。そうそう、命は大事にし」
「犯罪者にあげるお金はない!」
「ぐぎゃあおぉっっ!」
雷華が気合の一言とともに放った一撃によって、頭は背中から地面に倒れ込んだ。木刀を思い切り右肩に打ち込んだので、恐らく骨が折れてしまっているだろう。雷華は動きを止めることなく、頭の両脇にいた男に、それぞれ突きと回し蹴りを食らわせる。「おげええぇっ!」「ぐわぁっっ!」突然のことに、彼らは受身を取ることもできずに頭と同じ運命を辿ることとなった。五人相手に一人で立ち向かってくるとは、夢にも思わなかったらしい。
「き、貴様ああぁっっ! よくもやってくれたな!」
「こ、殺してやるっっ!!」
頭を含めた三人が倒されて、ようやく我に返った残り二人が、喚きながら雷華に斬りかかってくる。彼らの初撃を難なくかわした彼女は、素早く一人の背後に周り木刀を背骨に叩きつけた。ボキリと骨が折れる嫌な音がする。
「ひぎゃあぁぁ!」
背骨を折られた男が地面に倒れるのと同時に、雷華は残る一人に向かって駆け出す。そして、男が仕掛けてきた攻撃を木刀で受け流すと、彼の顔面に拳を叩き込んだ。
「ぐふぅぇぇぇ!」
とどめに鳩尾に突きを入れると、男は口から色々と吐きながら地面に沈んでいった。




