30話 湖
「お取り込み中悪いんだけど、湖まで行ける道を教えてくれないかな」
雷華は立ち上って双子に少し近づく。
「お前っ……」
「湖には、ああ行ってこう行ってそう行けば着けるよー。だいたい四半刻くらいの距離かなー」
少女が手で示しながら湖までの道のりを教えてくれた。少年も何か言いかけたようだが、よくわからない。
「ありがとう、助かったわ。じゃあ私は行くから、貴方たちどこに行くのか知らないけど気をつけてね」
「ちょっ、俺の話はまだ……」
「綺麗なお姉さんと可愛い黒いワンちゃん、ばいばーい!」
雷華とルークが歩き出すと、少女が手を振って見送ってくれたので雷華も軽く振りかえす。少年もまた何かを言いかけたが、やはり何が言いたいのかよくわからない。
「だから待てって言って……」
「ねえキール、私疲れちゃった。早くウォルデイナに行こうよー」
「俺を無視するなああああぁぁぁっっっ!!」
突然爆発した少年の大声に驚いた鳥たちが、一斉に羽ばたいて飛んでいった……
「なんか面白い二人だったけど、会えてよかったわ。これでようやく湖に行けそうね」
「…………」
「あれ? どしたのルーク、しょんぼりしちゃって」
返事がないと思って目線を下に向けると、なぜか彼は耳をへにょっとさせ項垂れていた。おまけに何かぶつぶつ呟いている。何を言ってるのかと耳を澄ませて聞いてみれば……
「ワ、ワンちゃん……俺がワンちゃん……誇り高き騎士の俺が、ワンちゃん呼ばわりされるとは……」
「…………」
ルークが可愛いワンちゃんに見えるのは明白な事実であり全くの同意見だったので、雷華は何も聞かなかったことにする。斜め下で泥沼の思考にはまっている黒犬の騎士かつ王子のことを華麗に無視することにした彼女は、森の大自然を満喫しながら湖までの道のりを歩いたのだった。
「着いたーー!」
湖のほとりで雷華は感激のあまりバンザイしてしまった。ようやく辿り着いた湖は、小さいながらも透明度は抜群で、水面に顔を近づければ底まで透けて見える。雷華は湖水を両手でそっとすくい、顔を洗う。ひんやりと冷たいその水は、歩き続けて火照った身体にはとても気持ちよかった。
「くうぅっっ、生き返るーー! 水着持ってれば絶対泳ぐんだけどなー……そうだ、私は無理だけどルークはどう?」
ついさっき泥沼思考からようやく戻ってきたルークは、不思議そうに雷華を見る。
「どう、とは?」
「泳いだらどうかってこと」
さすがに犬なんだから犬かき出来るんじゃないの? とは聞かなかった。
「俺は泳げん」
「そうなの?」
「この世界で泳げるのは漁師や海を守る兵士など、限られた人間だけだ。普通に生活する分には必要ないからな。ライカは泳げるのか?」
「ええ。私の国では誰でも習うわよ。もちろん泳げない人もいるけど、大体の人が少しは泳げるんじゃないかしら」
「そうなのか、やはり全く異なるのだな。ではライカこそ泳いだらどうなのだ?」
「このまま入ったら服が濡れちゃうじゃない。……なあに、それともルークは私に裸になれって言うの?」
どす黒い笑顔でルークを睨む。
「う……いや、それは……すまない、軽率な発言だった」
雷華の気迫に押されたのか、ルークは後ずさりした。
「泳ぎたいのはやまやまだけど、そんなことしに来たわけでもないしね。早いとこ《色のない神》がいるかどうか確かめよう」
睨むのをやめた雷華にこくこくと勢いよく首を縦に振ってルークが同意する。
「あ、ああ、そうだな。頼む」
「はいな」
雷華は眼鏡を取り出してかけると、湖付近をぐるっと見渡した。が、特に何も見えなかったので湖に沿って歩き出す。
周囲を三分の一ほど歩いたときだった。突風が吹きつけてきたので雷華は腕で顔を庇いながら眼を閉じる。数秒経ち、風がおさまったのを感じて眼を開けると、目の前に黒い影がいた。間違いなく先ほどまでそこには何もいなかったはずなのに。それは人の形をしていた。ただし色は真っ黒で顔もない。
(《色のない神》!? ……いや、でもクレイの過去で見たのは透明だった。これは見事に真っ黒だしね……違うのかな。でも、何なのかしら?)
雷華が眼の前の黒い影を凝視しながらその正体を探ろうと思いを巡らせていると、影がゆらりと動いてある方角を指した。
「どこを指しているの? そこに何が? もしかして《色のない神》がいるの?」
矢継ぎ早に質問を重ねる。すると、定かではないが最後の質問で、影が微かに頷いたように見えた。雷華がさらに質問を続けようと口を開きかけたとき、影がルークに向かって移動し始めた。ルークにはやはり影が見えていないらしく避ける気配がない。
「ルーク!」
「? ライカ?」
咄嗟に手を伸ばして彼を庇おうとするが、一瞬早く影がルークに重なった。次の瞬間、強烈なフラッシュがたかれたかのように辺りは眩い光に包まれ、雷華は耐えられずにぎゅっと眼を閉じた。
「ルーク? ……ルーク!!」
眼を閉じたまま必死に彼の名を呼ぶ。すぐにルークの声が返ってきた。
「……ライカ、今のは一体……?」
放心したようなルークの声は普段とは少し違って聞こえたが、雷華は驚いたせいだろうと気にしなかった。それより彼が無事だとわかって安堵する。だが、それは大きな間違いだった。いや、無事なことに間違いはないのだが、見た目に大きな問題が生じていた。
「ルーク! よかった、無事だったのね」
「ああ……!? ライカ! 眼を開けるのは少し待ってくれないか!」
ルークは自分の置かれた状況を正確に把握して、雷華に待ったをかけたのだが、すでに彼女は眼を開けてしまっていた。
「え、どうして? もう開けちゃったわ……よ……!?」
彼の姿を見た雷華は……固まった。
「これは不可抗力だ! 俺は何もして――」
ルークは必死に弁明するのだが、それを雷華が聞き入れるはずもなく……
「問・答・無・用っっ!!」
「ぐっっ!!」
ばきぃっ!! ……ばっしゃーーん!!
雷華の渾身の蹴りをくらった人間の姿のルークは、豪快な水しぶきを上げて湖の底へと沈んでいった。
泳げない人を湖に落としてはいけません。




