29話 森
何泊必要になるか予想がつかなかったので、とりあえず三日ほどお願いしてから部屋に案内してもらったのだが、その部屋も予想通りというか、溜息が出るほど豪華で無駄に広く、そして驚くべきことに風呂まであった。
「お客様……そういえばまだお名前を伺っておりませんでしたね。私はシュナンと申します。失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
部屋の奥にある天蓋付きの特大ベッドを見て、軽い頭痛を感じはじめていた雷華は、シュナンに話しかけられ慌てて意識をはっきりさせる。
「え、ああ、はい。ライカです」
「ライカ様、素敵なお名前でいらっしゃいますね。ではライカ様、何か不都合な点がございましたら、何なりと私にお申し出くださいませ。すぐに対応させていただきます」
「ご、ご丁寧にどうも」
クレイの紹介状のせいなのか、これがこの宿の普通の対応なのかは分からないが、シュナンの丁寧すぎる態度に気後れしてしまう。
「ご夕食は後ほどお部屋にお持ちいたしますが、お連れ様の分はいかがいたしましょう」
「ああ、そうですね……私と同じものを食べさせたいんですけど、可能ですか?」
「もちろんでございます。では、私は失礼させていただきます。ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」
シュナンは完璧な礼をして、部屋から立ち去った。ルークと二人きりになった雷華は、五人は楽に座れそうなソファに座ってごろんと上体を倒す。
「何なのこの部屋、落ち着かないったらないわ。ああ、昨日泊まった村の宿が恋しい」
昨日の部屋は歩くと床が軋み共同風呂も狭く、建物自体もかなり年季が入っていたが、根っからの庶民感覚の持ち主である雷華にはそれくらいが丁度よかった。高級ホテルなど、泊まりたいと思ったこともない。そんな金があるなら、利率の良い定期預金にでも入れて老後の資金の足しにしているだろう。二十代半ばにしてそんな事を考える雷華は、超堅実主義と言えなくもなかった。
「そうなのか? 俺はこの宿の方がいいと思うが。まあ、調度品の趣味は微妙だがな」
「ルークは王子殿下だもんね。それより、さっき受付でシュナンさんを見たとき変な顔してなかった? なんかこう、会いたくない人にばったり出会ってしまったような」
「ああ、それは……あの男がグレアスにそっくりだったからだ」
「グレアスさんって、ルークとクレイの幼なじみだったよね。確か、聖師だったわよね。顔が似てたの?」
「いや顔はそれほど似ていないのだが、あの笑顔で人を精神的に追い詰めるやり方。双子かと思うほどそっくりだった」
ルークは先ほどのシュナンを思い出したのか、冷蔵庫に入れられたかのように全身を震わせている。
「そ、そうなんだ」
(グレアスさんって一体何者? 恩人だし会ったらお礼言わないとと思ってたけど、なんか会うのが怖くなってきたわ)
本人に直接会うまでどんな人物なのか想像しないでおこうと決めていたのだが、ルークの様子に否が応にもグレアスに対して恐怖を抱いてしまうの雷華なのであった。
翌日、雷華たちはウォルデイナの近くにある森に来ていた。森の中は空気がとても澄んでおり、雷華は森林浴を楽しみながら奥へ奥へと歩みを進めていたのだが、クレイに大体の場所を聞いていたのですぐに見つかると思っていた湖は一向に見えてこず、いまだ辿り着けずにいた。どうやらどこかで道を間違えたらしい。
「こんなことなら地図でも用意してもらえばよかったわ」
どさりと木の幹にもたれかかって座り込む。かれこれ二時間、こちらの世界の言い方で一刻は歩き回っていた。
「すまない、俺もこの森は初めてだからな」
「まあ、そのうち見つかるでしょ。それより町に帰れるかどうかの方が心配だわ。誰かに会えば道が訊けるんだけどな」
空に向かって両腕を突き上げ、思いきり背伸びをする。これからどうするべきか。何か良案がないかと考えていると、少し先の草むらが揺れて一組の男女が姿を現した。と同時に、男の方が勢いよく雷華に向かって指を突きつけてくる。そして、男にしては少し高めの声で叫んできた。
「おいお前! こんな所で何してる! ここは俺の縄張りだぞ!」
本当なのかと思ってルークを見るが、彼は首を傾げるだけだ。かわりに女――というより少女と言った方が相応しいだろう――が答えを教えてくれた。
「え、そーなの? でも、特に私たち何もしてないよ?」
「ちょ、お前は黙ってろ」
「何だとー。弟くせに生意気だぞー。いつも言ってるけど、もっとお姉ちゃんを敬いなさーい」
「弟っていっても双子じゃねーかよ!!」
(……漫才?)
雷華は突然出てきて賑やかに言い合いを始めた二人を観察する。話を聞く限り二人は双子の姉弟らしい。確かに身長と髪の長さ、あと男女の違いを除けばそっくりだった。二人とも明るい茶色の髪と眼をしている。歳はおそらく十代後半だろう。雷華と同じような外套を纏っているので、もしかしたら旅人かなと思ったが、それにしては年齢が幼すぎる気もする。もっとも、この世界では珍しくないのかもしれないが。
何にしても人に出会えてよかったと、雷華は漫才中の二人に声をかけた。
「ねえねえ君たち、ちょっと訊きたいんだけど」




