21話 景
伯爵令嬢の後ろに見えた光景は予想以上に酷かった。侍女らしき人物に対する令嬢の虐めのような仕打ちなどはまだましな方だ。雷華が驚愕したのは、彼女の父親である伯爵の数々の非道な行い。その中でも特に衝撃だったのが、伯爵に何かを必死に訴えている男性を、兵士のような格好をした人物が腰に帯びていた剣で容赦なく斬りつけた光景だ。何を言っているのかは分からなくとも、伯爵が命じたであろうことは彼の手振りから明白だった。斬りつけられた男性は、しばらくの間苦しげに呻いているような素振りを見せていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。
「っ!」
思わずこぼれそうになった悲鳴を、口に手を当てて何とか堪える。その様子を見ていたルークが、ドレスの裾を器用に前足で引っ張った。視線をそちらに向けると、彼が眼で何事だと聞いてくる。雷華は首を振って深く息を吐いた。そうして気持ちを落ち着けると、安心させるようにルークに向かって「大丈夫」と声には出さずに口だけを動かし、それからにっこりと笑った。
(落ち着け、死体を見るのは初めてじゃないのだから、冷静にならないと。伯爵の悪事を暴くには今見たことだけでは駄目だわ。何か言い逃れの出来ない証拠を見つけなければ)
一度眼を閉じてじっと考える。何を見つけるのが一番良いのか。何を見つければ伯爵の面の皮を剥がせるのか。
「ちょっと、まだなの?」
伯爵令嬢が苛立ちを含んだ声で聞いてくる。そろそろ眼を閉じさせておくのも限界のようだ。
(どうしよう、どうすればいい? この人から情報を得るには時間がなさすぎる。何かいい方法は……そうだ、一つあるわ。上手くいくかわからないけど……やってみるしかないわね)
雷華は上げていたヴェールを元に戻し顔を隠すと、緊張していることを悟られないよう出来るだけゆっくりと口を開いた。
「お待たせしました。どうぞ眼を開けてください」
「遅いわ。で、どうなの? クレイ様に近づく女はいたのかしら?」
(クレイに好意をもっている女性は大勢いるようだけど、そんなこと正直に言ったら……考えるだけで恐ろしいわ)
「いえ、そのような方はいらっしゃいません。ただ……」
「何なのよ。はっきり言いなさい!」
令嬢は手にしていた扇を手のひらに打ち付けた。かなり苛立っているようだ。
「貴女様を占っているときに偶然見えたのですが、貴女様の近くにいる男性、おそらくお父様だと思うのですが、その方に良くない兆しが出ています」
「なんですって! それは本当なの!? 適当な事を言ってるのではないでしょうね」
「私の申し上げることに疑いを持つのであれば、それでも構いません。しかし、私の占いは領主様の信頼を得ているということをお忘れなきよう……では、占いは以上になります。どうぞ、お引き取り下さい」
雷華は軽く頭を下げると、出口である幕を指し示した。あっさりと引き下がったのは、言葉を重ねるよりもその方が相手が食い付くと思ったからだ。事実、伯爵令嬢は一瞬あっけにとられた様子だったものの、帰らずに雷華に詳しい話を聞こうと問いかけの言葉を口にした。
「待ちなさい。私の話は終わっていなくてよ」
「まだ、何か?」
「お父様の身に何が起こるの?」
「それは、何とも。ご本人様を占ったわけではございませんので」
「ではお父様を占うことはできて?」
「この夜会が終わるまでにこちらにおいでいただければ、どなたでも占います」
「……わかったわ。少し待ってなさい」
少し考える素振りを見せた令嬢は、椅子から立ち上ると急ぎ足で大広間へと戻って行った。
「はぁぁ、よかった。とりあえずは上手くいったみたい」
ずっと緊張していた雷華は、勢いよく机に突っ伏した。
「一体何が見えたのだ」
二人きりになったので、ルークが口を開く。本当はもっと早くに聞きたかったのだが、そういう訳にもいかずに我慢していたのだ。
「……色々よ。綺麗な女性に酷いことしてたり、誰かからあやしげな物を買ってたり、牢屋みたいなところにたくさんの人が入れられている光景もあったわ。きっとクレイが言っていた人身売買のために捕らえられた人たちだと思う。早く助けてあげないと」
「そこまで見えていて、何故伯爵本人も見ようとするのだ。奴に近づくのは危険だと言ったはずだ」
「伯爵を逮捕……捕らえるための確実な証拠が見えなかったからよ。彼女を通して見ただけじゃ、詳しいことがわからなかった。時間もなかったしね。だから本人も見るしかないのよ。彼女が伯爵を呼びに行ってくれるか不安だったけど、上手くいってよかったわ」
「だが」
なおも言い募ろうとするルークの頭を撫でると、雷華は先ほど見た凄惨な場面を心に浮かべる。モノクロでもカラーでもない半透明の光景。現実味のない安っぽい演出のような一幕。だがそれは間違いなく過去に起こった出来事だ。
「さっきね、伯爵に斬り殺されるの男の人を見たの。死体を見るのは初めてじゃないけど、あんなに何の躊躇いもなく人を殺せることが私には衝撃だった。あの人はただ何かを訴えてただけなのに、酷すぎる。殺す必要なんてなかったはずなのに。だからね、私決めた。全然知らない人だけど、彼の仇を討つって、絶対に証拠を掴んでやるんだって、そう決めたのよ」
「ライカ……」
あんな風に人を殺めていいはずがない。人の命を虫けらのように扱う伯爵を絶対に許すことはできないと、雷華は堅く心に誓った。




