19話 誘
燃えるような赤い髪がよく映える、白を基調とした豪奢だが上品な正装に身を包んだクレイが、大広間の中央奥にある階段の上からゆっくりとおりてくる。そして広間まであと数段というところで足をとめると、優雅に一礼をした。
「皆様、本日は私が主催する年に一度の夜会、『ソルドの誘い』へようこそお越しくださいました。伝統あるこの会を今年も開催することができ、大変嬉しく思っております。本来であればこの場に母もいるはずだったのですが、病に伏せってしまい今年は参加することがかないませんでした。どうぞお許し下さい。母はおりませんが、今年は特別な方を招待しております。後ほど皆様にもご紹介致しますので、その時はまたお声掛けさせていただきます。ではしばしの間ごゆるりとお寛ぎ下さい」
クレイの挨拶が終わると、広間に音楽が流れはじめる。人々も思い思いに話を再開しだした。
(へええ、見事な貴族っぷり……って本物の貴族なんだけど。初めて会った時のあの不遜な態度とはえらい違いね)
クレイの堂々とした振る舞いに感心していると、当の本人がこちらに近づいてきた。広間を少し進むたびに話しかけられている彼は、その全てに丁寧に応じている。
「領主サマは大変ね」
鬱陶しいヴェールを外して、バルーレッドが用意してくれたグラスに口をつける。柑橘系の味がする酒は、飲み口が爽やかでとても美味だ。
「全く疲れるったらありゃしねえ。お、それ酒だろ。俺にもくれよ」
雷華がグラスを空にするのと同時に仕切りの幕が開き、クレイがうんざりした様子で入ってくる。
「はあ……ほんとさっきまでとは別人ね。残念だけど、ここにはお酒はないわよ。バルーレッドさんにはこの一杯だけしかもらってないもの。欲しいのなら広間にいくらでもあるんだから、取ってこればいいじゃない」
敬語も様付けも不要だとクレイに言われたので、敬語が苦手な雷華は遠慮なく砕けた口調で応じる。
三日前、宿に戻ってからルークにも「王子だということを黙っていて悪かった。だが、ライカには今まで通り接して欲しい」と切実に訴えられたので、彼に対しても同様だ。今さら敬語を使うのは難しいと感じていたので、そう言われて雷華は正直ほっとした。本来ならば敬語を使うのが正しいのだろうが。
(王子って聞いたときは驚きはしたけど、よく考えなくてもルークはルークだものね。彼は私の一応命の恩人で、これから一緒に旅をする仲間。仲間に敬語は使わないでしょ)
「出て行ったらまた鬱陶しい奴らから話しかけられるだろうが。それが嫌でここに逃げてきたんだからな」
雷華とこれから彼女の元を訪れるであろう貴族のために用意された椅子二脚と丸いテーブル。クレイはその内の一脚にどっかりと座ると、机の上に足を投げ出した。どう贔屓目に見ても貴族には見えない。貴族というよりは反抗期を装った学生のようだ。
「はいはい。それより、お母さんは大丈夫なの? 挨拶で病に伏せってるって言ってたけど」
「ん? ああ、母上は元々あまり身体が丈夫じゃないんだ。今回はただの風邪なんだが、大事をとって休んでもらった。本人は出たがってたけどな」
「そう、早く元気になるといいわね」
「ありがとな」
しばらくの間三人(二人と一匹)で、他愛もない会話をして過ごしたのだが、その話の中で雷華がけばいと思った赤いドレスの女性が、クレイの言っていた伯爵家の娘だということが判明した。
(あの女性と結婚するのは遠慮したいかも)
雷華は少しだけクレイに同情した。
その後、扉から入ってきたバルーレッドに広間に戻るよう言われたクレイが、心底嫌そうな顔をしながら去って行くと、幕の内側は雷華とルークだけの状態に戻った。雷華たちがいる場所、広間の隅には扉があり、そこから廊下に出ることができるのだ。
「全く、騒がしい奴だな」
「クレイは小さいときからあんな感じなの?」
幕の隙間から大広間の様子を窺いながらルークに尋ねる。広間では演奏に合わせて踊っている者や、グラス片手に談笑している者などがいて、それぞれが思い思いの方法でこの夜会を楽しんでいるようだ。
「そうだ。俺とヴォードとグレアス……ヴォードが言っていたリオンはグレアスのことだ。俺たちは幼少のころからの知り合いなのだが、奴は昔から話す相手によって態度を変える。信頼できないと思う相手にほど丁寧な話し方になるのだ」
「なるほどねえ。じゃあ、私は信頼されてるってことなのかしら」
「ああ、それもかなりな。あいつが初対面の人間をこんなに信頼するとは」
「一応、喜ぶべきなんでしょうね」
「信頼だけならいいんだが……」
ルークが漏らした言葉は、幸か不幸か雷華の耳には届かなかった。彼女は大広間の方で上がった歓声に気をとられていた。隙間から覗くとクレイが先ほど挨拶したときと同じ場所にいるのが見える。
「クレイがあそこにいるということは、そろそろ私の出番ね」
雷華は外していたヴェールを被り直す。
「無茶はするな」
「大丈夫大丈夫、これでもまあまあ修羅場をくぐってきてるんだから。ルークも傍にいてくれるしね」
心配そうに見上げるルークの頭を撫でる。これからが本番。雷華は深呼吸をすると、気を引き締めた。