15話 主
(歩きにくい……すごい歩きにくい……)
三人の侍女によって綺麗にドレスアップされた雷華は、鏡で自分の姿を見て、誰だこれ? と本気で首を傾げた後、侍女の一人に先導されて長い長い廊下を裾を踏んで転ばないよう細心の注意を払いながら歩いていた。歩くたびにカツンカツンと高い音が廊下に響く。ときどきすれ違う衛兵のような格好をした男たちが、雷華の姿を見ると足を止め顔を赤くして眼を見開いていたりするのだが、歩くのに必死な彼女は全く気付いていない。
(こんな高いヒールの靴なんて普段履かないし……っと危ない、また裾を踏みかけた。貴族の女性は毎日こんな恰好してて苦じゃないのかしら。これじゃあ、いざというとき全力で走れないじゃない)
貴族の女性は全力で走ったりなどしないのだが、自分基準で考えている雷華にはそこまで思い至らないのであった。
(貴族といえば、今から会う領主サマってどんな人なのかな。でっぷり肥ったガマガエルのようなオヤジだったらどうしよう? 私のイメージでは四十過ぎの素敵なオジサマなんだけど……)
雷華の頭の中では領主の姿が、葉巻と赤ワインが似合うダンディなオジサマとなっていた。
「占い師様、こちらでございます」
「……え、うきゃっ! は、はい!」
妄想の中にいた雷華は突然話しかけられて、驚きのあまりつんのめりそうになる。
「大丈夫でございますか?」
「だ、大丈夫です。すいません、ぼうっとしていたものですから」
みっともないところを見られたと、顔を赤くしながら答える。
「緊張なさっておいでなのですね。ですが、その必要はございません、ヴォード様はとても……その、お優しい方ですから」
(何でそこで言い淀むの?)
侍女の言い方にそこはかとなく不安を感じる。雷華は侍女に領主について質問しようとしたが、その前に彼女は目の前の扉をノックしてしまった。
「どなたですか?」
中からバルーレッドの声がする。
「占い師様をお連れ致しました」
「入りなさい」
「失礼致します」
侍女は扉を開け、雷華に中へ入るよう手で示した。
「し、しつれいします……」
緊張しながら歩を進める。中はかなり広く、パーティでも開けそうなくらいだった。部屋の中央には豪華な応接セットがあり、奥には執務机のような大きな机がある。机の後ろ、壁際の本棚にはぎっしりと本が並んでいた。部屋の一面が全て窓になっているのが印象的だ。
「ご苦労様でした。あなたは下がって結構です」
「はい、失礼致します」
部屋の中を色々観察していると、侍女が一礼をして去って行った。
「さ、主がお待ちです。こちらへどうぞ」
入口からではバルーレッドに隠れて見えなかったが、応接ソファには一人の男性が座っていた。その人物は雷華が近づくとさっとソファから立ち上がった。
「占い師様、こちらがソルドラムの領主であらせられる、ヴォード家当主クレイ・ヴォード伯爵でございます」
そう言ってバルーレッドが恭しく紹介した人物は、雷華の予想していた領主サマとは全く似ても似つかなかった。
(若っ! え、うそ、ほんとに!? 私と同じくらいの年齢じゃない。しかも、ものすごく格好いい……)
雷華が驚くのも無理はない。ソルドラムの領主クレイ・ヴォードは、燃えるような赤髪にきらきらとした黒い瞳を持つ、二十代半ばくらいの爽やかな青年だった。
「は、はじめまして。紫悠雷華と申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
少し上ずった声で挨拶をし、ぺこりとお辞儀をする。貴族の挨拶の仕方など知らないので仕方ない。礼儀知らずだと怒られたらどうしようと、不安になったがその心配は杞憂に終わった。
「そんなに緊張する必要はないぜ。突然呼んで悪かったな」
「俺のことはクレイって呼んでくれ。ええと、シユーライカだっけ?」
「え? あ、はい。私のことは雷華と呼んで下さい」
「わかった。ライカ、座ってくれ」
想像していた貴族の話し方と大分違うので雷華は戸惑うが、クレイは気にした様子もなく彼女を座るように促す。慣れないドレスに苦労しながらソファに腰掛けると、足元にはルークがいて彼女を凝視していた。
「ルーク、いたんだ。全然気付かなかったわ」
「ライカ……その……凄く……」
「え? ……あ」
何言ってるか聞こえないと言おうとして、思いとどまる。
(危ない危ない、また同じことを繰り返すとこだった)
胸を撫で下ろしながら視線を正面のクレイに戻すと、彼は面白そうにこちらを見ていた。
「なあ……もしかしてライカはその黒犬の言ってることがわかるのか?」
「いっ、いえ、まさか……」
ずばりと言い当てられて、背中に冷たい汗が流れる。
(困った……どうしよう)
「実はその黒犬、人間だったりして」
「ど、どうしてそれを! あ、しまった!」
雷華は探偵にカマをかけられた間抜けな犯人のように、ついうっかり口を滑らせてしまった。思わずルークに視線を向けると、彼は苦々しい顔をしながらクレイを睨んでいる。そんなルークを見て、ますますクレイは面白そうな表情になった。
「やっぱりな、リオンの言った通りだぜ。久しぶりだな、ルーク……ルークウェル王子殿下?」
「は? …………はいいぃぃぃぃぃっっっ!?」
数秒の沈黙の後、雷華の叫び声が部屋中に響き渡った。